イエス
これは、韓国のある有名な牧師先生のお証しです。対人恐怖症と消極的な性格の持ち主だったこの方が、ある日友人の紹介で小鹿島(訳注:ソロクド、韓国で以前ハンセン病の患者が集まって住んでいた島。)のハンセン病患者たちがいる教会を訪ねました。千人以上の人が集まっていた礼拝堂は、人々の祈りの声で屋根が飛ばされるほどでした。この牧師先生も、後ろに座ってお祈りをしようとしていました。ところで、ただ目をつぶっていただけで全く祈りができませんでした。ちょうどその時、後から大きな声で祈っているのが聞こえました。その人は、大きな声でわいわい泣き、「神様!神様の御恵みはいかに素晴らしいでしょうか。どうすればその御恵みに報いることができるでしょう。」と叫びながら、また大泣きしました。後を振り向いてみた牧師先生は、とても驚きました。鼻も、耳もなく、口はつぶれている人が、手首もなくて棒のような手で拍手をしながら、神様に感謝の祈りをささげていたのです。
それを見た瞬間、この牧師先生にも強い聖霊のお働きがありました。口から出てくるわめき声を抑えようと、ハンセン病患者のズボンを噛んで教会の床に転がりました。何分間そうしていたと思ったのに、すでに礼拝は終わってそのハンセン病患者と自分だけ礼拝堂に残っていました。この牧師先生は、泣き続きながら、ハンセン病患者の部屋で14日間を一緒に過ごしました。牧師先生が患者に聞きました。「何がそんなに感謝することで神様に感謝の祈りをずっとささげていたのですか。」その患者は、牧師先生の質問について待っていたかのように「ありがたい、感謝だよ…」と座って踊りました。なぜなら、ここ数年間とても感謝して喜んでいたのに、今まで自分にそれについて聞いてきた人が一人もいなかったからです。患者は、自分の過去の話をしてくれました。自分がハンセン病にかかったら、故郷も、友たちも、親も彼を捨てたそうです。しかし、最後まで自分を捨てずに小鹿島まで一緒に来てくれて、感謝と喜びを与えてくれる方がいると言いました。牧師先生は、こう考えました。「たぶん、とても心が美しい彼の奥さんだろう。」ところで、彼は、自分を最後まで捨てずに小鹿島まで一緒に来てくれた方は、イエス様だと言いました。そのため、このハンセン病患者は人や病で傷ついた自分の体のことで、不平を言ったり挫折したりしなかったのです。むしろ、離れないでいつも一緒にいらっしゃるイエス様のゆえに、感謝が絶えなかったのです。14日間いっしょに生活してみると、この患者が不平を言うのを一度も聞いたことがなく、常に感謝しながら過ごしていたそうです。手がないから、何か物を取り上げることもできなくて、足がないから自分の足で歩けないけど、その患者は共にいらっしゃるイエス様のゆえに、常に感謝して喜ぶ人生を生きることができました。病で体が弱っているというは、少し不便さはあるけど、決して彼の心に不平を与えることはできませんでした。イエス様が彼の心の主人だったからです。
ご臨在の信仰は、このようにわたしたちの人生を全部変えられます。この患者は、共にいらっしゃるイエス様のことで満足する人です。イエス様は、信じる者といつも共にいらっしゃいます。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイによる福音書28:20)
これは、当然のことです。しかし驚く事実は、多くのクリスチャンがこのハンセン病患者のような主の御臨在の恵みをいただいていないということです。信仰が実在になるためには、主の御臨在が自分に実在にならなければなりません。もちろん、家族が共にいることも、健康があることも、財物があることも重要です。しかし、それは万王の王であるイエス様が共にいらっしゃることと比べられません。
それでは、なぜ多くのクリスチャンが財物によっては喜んでいるのに、イエス様のことでは喜べないでしょうか。財物があることは信じるけど、イエス様が共にいらっしゃるということは信じないからです。イエス様が財物より、健康より大事ではないと思うからです。
真の信仰の人は、世のどのものよりも、主の御臨在のゆえに喜んで感謝する人です。
自分自身に聞いてみたください。本当に自分には、感謝すべき条件がまだ揃えていないだろうか。
これは、韓国のある有名な牧師先生のお証しです。対人恐怖症と消極的な性格の持ち主だったこの方が、ある日友人の紹介で小鹿島(訳注:ソロクド、韓国で以前ハンセン病の患者が集まって住んでいた島。)のハンセン病患者たちがいる教会を訪ねました。千人以上の人が集まっていた礼拝堂は、人々の祈りの声で屋根が飛ばされるほどでした。この牧師先生も、後ろに座ってお祈りをしようとしていました。ところで、ただ目をつぶっていただけで全く祈りができませんでした。ちょうどその時、後から大きな声で祈っているのが聞こえました。その人は、大きな声でわいわい泣き、「神様!神様の御恵みはいかに素晴らしいでしょうか。どうすればその御恵みに報いることができるでしょう。」と叫びながら、また大泣きしました。後を振り向いてみた牧師先生は、とても驚きました。鼻も、耳もなく、口はつぶれている人が、手首もなくて棒のような手で拍手をしながら、神様に感謝の祈りをささげていたのです。
それを見た瞬間、この牧師先生にも強い聖霊のお働きがありました。口から出てくるわめき声を抑えようと、ハンセン病患者のズボンを噛んで教会の床に転がりました。何分間そうしていたと思ったのに、すでに礼拝は終わってそのハンセン病患者と自分だけ礼拝堂に残っていました。この牧師先生は、泣き続きながら、ハンセン病患者の部屋で14日間を一緒に過ごしました。牧師先生が患者に聞きました。「何がそんなに感謝することで神様に感謝の祈りをずっとささげていたのですか。」その患者は、牧師先生の質問について待っていたかのように「ありがたい、感謝だよ…」と座って踊りました。なぜなら、ここ数年間とても感謝して喜んでいたのに、今まで自分にそれについて聞いてきた人が一人もいなかったからです。患者は、自分の過去の話をしてくれました。自分がハンセン病にかかったら、故郷も、友たちも、親も彼を捨てたそうです。しかし、最後まで自分を捨てずに小鹿島まで一緒に来てくれて、感謝と喜びを与えてくれる方がいると言いました。牧師先生は、こう考えました。「たぶん、とても心が美しい彼の奥さんだろう。」ところで、彼は、自分を最後まで捨てずに小鹿島まで一緒に来てくれた方は、イエス様だと言いました。そのため、このハンセン病患者は人や病で傷ついた自分の体のことで、不平を言ったり挫折したりしなかったのです。むしろ、離れないでいつも一緒にいらっしゃるイエス様のゆえに、感謝が絶えなかったのです。14日間いっしょに生活してみると、この患者が不平を言うのを一度も聞いたことがなく、常に感謝しながら過ごしていたそうです。手がないから、何か物を取り上げることもできなくて、足がないから自分の足で歩けないけど、その患者は共にいらっしゃるイエス様のゆえに、常に感謝して喜ぶ人生を生きることができました。病で体が弱っているというは、少し不便さはあるけど、決して彼の心に不平を与えることはできませんでした。イエス様が彼の心の主人だったからです。
ご臨在の信仰は、このようにわたしたちの人生を全部変えられます。この患者は、共にいらっしゃるイエス様のことで満足する人です。イエス様は、信じる者といつも共にいらっしゃいます。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイによる福音書28:20)
これは、当然のことです。しかし驚く事実は、多くのクリスチャンがこのハンセン病患者のような主の御臨在の恵みをいただいていないということです。信仰が実在になるためには、主の御臨在が自分に実在にならなければなりません。もちろん、家族が共にいることも、健康があることも、財物があることも重要です。しかし、それは万王の王であるイエス様が共にいらっしゃることと比べられません。
それでは、なぜ多くのクリスチャンが財物によっては喜んでいるのに、イエス様のことでは喜べないでしょうか。財物があることは信じるけど、イエス様が共にいらっしゃるということは信じないからです。イエス様が財物より、健康より大事ではないと思うからです。
真の信仰の人は、世のどのものよりも、主の御臨在のゆえに喜んで感謝する人です。
自分自身に聞いてみたください。本当に自分には、感謝すべき条件がまだ揃えていないだろうか。
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성경적 자녀교육 |
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アーモンドの木に花は咲き1 |
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살구 나무가 꽃이 필 것이요 |
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夫婦の間2 |
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부부 사이 |
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羊とヤギ1 |
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양과 염소 |
2015-04-18 | 208 | |
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진주문가 |
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アペンゼラー1 |
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아펜젤러 |
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命の木1 |
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1 コメント
中森千草
2015-02-02 06:09:15
例えば起こった出来事に対して偶然だとか、
私は強運だと、その様に考えてしまえば
神様の存在意識はうすくなってしまう。
すべては神様の計らいであり、
何が起きても私の人生に必要な事だと、
神様に感謝する気持ちが大事だと思います。
神様があっての私である事を、忘れない様にします。