テレビ
両親が住んでいる家には、テレビが3台あります。部屋に1台、リビングルームに1台、そして小さなお店に1台あります。もちろん飾り用のテレビは1台もありません。二人が行く先々で見ているテレビです。安息週間に故郷に行った時に、両親から一番最初に頼まれたのがあいにくテレビに関することでした。音量を大きくしてほしいということでした。いかに音量を大きくしてみても、できないそうです。ちゃんと見てみると、今のテレビは音量が二重になっていました。もちろん、今の音量でも私には十分ですが、両親の耳にはよく聞こえないようでした。妻の実家に行ってみると、義母の一人暮らしなのに、テレビが2台です。同じく部屋とリビングに設置されていました。テレビは、長所も多いです。良い情報やニュースを提供したり、暇なときに耳や目、そして心をおける場所になっているのが長所ではないかと思います。特に、寂しい年寄りには良い友達になっているようです。
韓国は、病院、食堂、空港、駅などほとんどの場所にテレビが設置されています。子供の時を振り替えてみると、隔世の感があります。その時は、町にテレビがある家が一、二軒しかありませんでした。夕食を済ませて、皆その家に集まります。主人と仲良しの人は、良い場所を取ることができます。町の子どもたちが皆集まって、とても楽しい時間を過ごした記憶があります。テレビがある以前は、年に1-2回町に来る仮設劇場が人気でした。途中フィルムが切れたりもしますが、仮設劇場に映画を見に行く日は、胸がドキドキしました。仮設劇場の以前には、つまり映画以前には演劇とサーカス団がありました。人々は、本能的に目で見る活動写真がとても好きです。
今は、これがもっと進化して一緒に見る映像物の段階を超え、一人だけ見るスマートホンにまで急発展しています。今の子どもたちの集まりを見ると、集まっているものの一緒に集まって遊ぶのではなくて、スマートホンで各自遊びます。そして帰ります。集まる意味が無くなる時代になってしまいました。
耳を創られ、目を創られた神様は、人間には特に見て聞きたい欲求を与えられたようです。犬や牛も目と耳がありますが、集中してテレビを見ている動物は見たことがありません。犬や牛は食べることには関心が多いですが、見て聞くことにはまったく興味がありません。犬にテレビを見せたら、犬が静かによく遊んでいたという話を聞いたことがありません。神様は、人間にだけ特別に見て聞く楽しみを与えられました。これを満足させるために、人々はラジオ、テレビ、スマートホンを次々と開発しています。これのためなら、人々は惜しまず投資をします。スマートホンがいかに高くても、韓国は一人1台は皆持っているようです。それも、少し時間が経つともっと良い新型にすぐ変えたりします。人々は、見て聞くことのためには本当に惜しまないでお金を使います。
神様がなぜ人間には聞きたい、見たいという心を与えられただろうかと考えてみました。ここには、きっと神様の大きな秘密が入っていると思います。創造主の神様は、人間である私たちと交わりをすることを望まれます。私たちに神様の御声を聞かせ、また主をお見せになることを願われます。それで見たい、聞きたいという心を与えられました。ところで、人間は世の誘惑に陥ってしまい、世の声に耳が奪われ、世の姿に目が奪われました。その媒介がテレビとスマートホンです。これは、すでにアダムの時代から始まりました。神様だけ見上げ、神様の御声だけ聞いていたアダムとエバは、耳と目を蛇に奪われてしまいました。実際に私たちが守るべきことは、目と耳です。私たちがテレビを見る時間は、一日に2時間以上だそうです。一生懸命テレビだけ見ていて、世の音に心が奪われました。今はそれよりもっと深刻なことがあります。スマートホンです。若者の間では、ぼっとしてスマートホンを見ることで毎日6時間をも費やしてしまう人がかなり多いようです。
あなたは一日どのくらいテレビを見ますか。あなたは一日どのくらいスマートホンを見ますか。そしてあなたは一日どのくらい神様を見上げますか。あなたは、果たして安全ですか。テレビ(television)を見ていた時間を、一日も早くGV(godvision)を見る時間に変えなければなりません。その時になってやっと、犬や豚には与えられなかった、人間としての素晴らしい特権である神様とデートをする人になるでしょう。世のことに没入している人生は、私たちに空しさの実を与えますが、神様に集中した人生は、私たちに真の喜びの実を与えてくれるでしょう。
両親が住んでいる家には、テレビが3台あります。部屋に1台、リビングルームに1台、そして小さなお店に1台あります。もちろん飾り用のテレビは1台もありません。二人が行く先々で見ているテレビです。安息週間に故郷に行った時に、両親から一番最初に頼まれたのがあいにくテレビに関することでした。音量を大きくしてほしいということでした。いかに音量を大きくしてみても、できないそうです。ちゃんと見てみると、今のテレビは音量が二重になっていました。もちろん、今の音量でも私には十分ですが、両親の耳にはよく聞こえないようでした。妻の実家に行ってみると、義母の一人暮らしなのに、テレビが2台です。同じく部屋とリビングに設置されていました。テレビは、長所も多いです。良い情報やニュースを提供したり、暇なときに耳や目、そして心をおける場所になっているのが長所ではないかと思います。特に、寂しい年寄りには良い友達になっているようです。
韓国は、病院、食堂、空港、駅などほとんどの場所にテレビが設置されています。子供の時を振り替えてみると、隔世の感があります。その時は、町にテレビがある家が一、二軒しかありませんでした。夕食を済ませて、皆その家に集まります。主人と仲良しの人は、良い場所を取ることができます。町の子どもたちが皆集まって、とても楽しい時間を過ごした記憶があります。テレビがある以前は、年に1-2回町に来る仮設劇場が人気でした。途中フィルムが切れたりもしますが、仮設劇場に映画を見に行く日は、胸がドキドキしました。仮設劇場の以前には、つまり映画以前には演劇とサーカス団がありました。人々は、本能的に目で見る活動写真がとても好きです。
今は、これがもっと進化して一緒に見る映像物の段階を超え、一人だけ見るスマートホンにまで急発展しています。今の子どもたちの集まりを見ると、集まっているものの一緒に集まって遊ぶのではなくて、スマートホンで各自遊びます。そして帰ります。集まる意味が無くなる時代になってしまいました。
耳を創られ、目を創られた神様は、人間には特に見て聞きたい欲求を与えられたようです。犬や牛も目と耳がありますが、集中してテレビを見ている動物は見たことがありません。犬や牛は食べることには関心が多いですが、見て聞くことにはまったく興味がありません。犬にテレビを見せたら、犬が静かによく遊んでいたという話を聞いたことがありません。神様は、人間にだけ特別に見て聞く楽しみを与えられました。これを満足させるために、人々はラジオ、テレビ、スマートホンを次々と開発しています。これのためなら、人々は惜しまず投資をします。スマートホンがいかに高くても、韓国は一人1台は皆持っているようです。それも、少し時間が経つともっと良い新型にすぐ変えたりします。人々は、見て聞くことのためには本当に惜しまないでお金を使います。
神様がなぜ人間には聞きたい、見たいという心を与えられただろうかと考えてみました。ここには、きっと神様の大きな秘密が入っていると思います。創造主の神様は、人間である私たちと交わりをすることを望まれます。私たちに神様の御声を聞かせ、また主をお見せになることを願われます。それで見たい、聞きたいという心を与えられました。ところで、人間は世の誘惑に陥ってしまい、世の声に耳が奪われ、世の姿に目が奪われました。その媒介がテレビとスマートホンです。これは、すでにアダムの時代から始まりました。神様だけ見上げ、神様の御声だけ聞いていたアダムとエバは、耳と目を蛇に奪われてしまいました。実際に私たちが守るべきことは、目と耳です。私たちがテレビを見る時間は、一日に2時間以上だそうです。一生懸命テレビだけ見ていて、世の音に心が奪われました。今はそれよりもっと深刻なことがあります。スマートホンです。若者の間では、ぼっとしてスマートホンを見ることで毎日6時間をも費やしてしまう人がかなり多いようです。
あなたは一日どのくらいテレビを見ますか。あなたは一日どのくらいスマートホンを見ますか。そしてあなたは一日どのくらい神様を見上げますか。あなたは、果たして安全ですか。テレビ(television)を見ていた時間を、一日も早くGV(godvision)を見る時間に変えなければなりません。その時になってやっと、犬や豚には与えられなかった、人間としての素晴らしい特権である神様とデートをする人になるでしょう。世のことに没入している人生は、私たちに空しさの実を与えますが、神様に集中した人生は、私たちに真の喜びの実を与えてくれるでしょう。
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1 コメント
中森千草
2014-08-18 02:11:04
必要である。
自分がコントロールする側でいる事が重要だと思いました。