道徳的な子ども
価値観が人生をつくります。正に価値観が人生の目標になるからです。一度形成されてしまった価値観は、衝撃な出来事がない限りなかなか変える事ができません。しかし、人生で大きな出来事にめぐり合った場合、人生の方向修正をする事が可能です。セウォル号惨事は、韓国社会にとても大きなショックを与えました。
セウォル号に乗っていた学生たちが沈没直前の最後に叫び呼んだ名前が‘お母さん’だったそうです。
セウォル号沈没事故100日を迎え、某新聞社が母親らにインタビューを行ったところ、彼女達の価値観に大きな変化が生じていることが分かりました。あるお母さんは、子どもの塾を辞めさせました。子どもを亡くした親たちが‘勉強ばかりさせてごめんなさい’と泣き叫んだ姿をみて、‘ぐっ’とくるものがあったようです。そして多くのお母さんたちが自分の子どもに「大人の話を信じないで自ら判断できるようにしなさい」と教えているそうです。また、あるお母さんは、以前は子どもに人生の目標をスペックが大事だと教えていたが、いまでは次のように変わったそうです。‘判事や検事の親になることが大事なのではなく、基本がきちんとできた子どもへと育てることが大事だ’‘セウォル号の船長のような人間に育ててはいけない’‘私の子どもを勉強ができる子ではなく道徳的な人間として育てる’と言ったそうです。またもどかしい話ですが、このような状況であれば、第二のセウォル号事故が起こる可能性があると答えた人が98%に達していたそうです。韓国で暮らしている外国人のお母さんたちは、自分の子どもに‘韓国の車は止まらないから、車が近づいて来たら必ず自転車を止めなさい’と教えているとのことです。
ここで私たちはもう一度自分自身に問わなければなりません。人生の真の目的は果たして何か?素晴らしい成績、素晴らしい実績を得ることが目的なのか、それとも道徳的な人になることが目的なのか?今の私の人生の流れは、果たしてどちらを向いているのか。勿論、学生は成績が優秀であれば良いし、社会人は実績がよければ良いでしょう。それを通じてお金や名誉が付いてくるかもしれません。
しかし驚くべき事実は、イェス様はこのようなことを人生の目的として教えたことはありません。これはこの世の中が、世の中の有益を餌に巧みに誘惑しているのです。イェスさまはただの道徳的な人を育てるのではなく、超道徳的な人になりなさいとおっしゃいます。道徳とは、人としての礼儀を守ることです。言い換えれば、道徳的な人とは、人間らしい人間であることです。
しかしイェスさまがおっしゃった超道徳的な人生とは、相手に合わせて礼遇するだけでなく、相手に仕えることです。それは、自分自身の犠牲なしでは絶対に成り立ちません。自分自身を無くせば無くすほど仕える姿が現れます。自尊心も、自己中心的な考えも、欲もなくさなければなりません。仕えることは自分自身を無くし、他人を生き帰す十字架の姿です。それでイェスさまはこのように教えました。だが,あなた方に告げるが,悪い者に手向かうな。むしろ,あなたの右のほおを打つ者には,反対側をも向けなさい。だれかがあなたを訴えて上着を取ろうとするなら,外衣をも取らせなさい。 あなたに強要して一マイル行かせようとする者とは,一緒に二マイル行きなさい。(マタイによる福音書5:39-41)
これこそクリスチャンにだけ期待できる超道徳的な姿ではないかと思います。クリスチャンがクリスチャンらしく生きていくためにはイェスさまのような生き方をすれば良いのです。すなわち十字架を背負って暮らせば良いのです。子どもを育てる際に、良い成績を目的として育てるという事は、結局は自分自身のためでしかありません。しかし、道徳的な人格を目的として育てるという事は、人間らしさを育てる事となります。子どもをイェスさまのように育てることは自分を無くし、この世の中を生かす偉大な仕事をする信仰の人物としてつくり上げてくれるでしょう。
この世の中で有益を得ようとする人ではなく、この世の中で多くの有益を与えてくれる人々が最も忘れてはならない人であり、価値のある人であります。
リスト
番号 | タイトル | 投稿者 | 日付 | 閲覧数 |
---|---|---|---|---|
361 |
幸せになるためには、何をすべきでしょうか。1 |
2014-10-07 | 156 | |
360 |
怒鳴らないだけでも1 |
2014-10-05 | 102 | |
359 |
마라톤 |
2014-10-04 | 99 | |
358 |
正直にいなさい1 |
2014-09-27 | 117 | |
357 |
키리노 |
2014-09-27 | 168 | |
356 |
행복해지려면 무엇을 해야 할까요?2 |
2014-09-20 | 117 | |
355 |
笑い運動1 |
2014-09-15 | 129 | |
354 |
富士山1 |
2014-09-14 | 99 | |
353 |
소리만 안 질러도 |
2014-09-13 | 136 | |
352 |
정직하라 |
2014-09-06 | 4656 | |
351 |
ウェイター・ルール1 |
2014-09-04 | 296 | |
350 |
후지산2 |
2014-08-30 | 191 | |
349 |
웃음운동 |
2014-08-23 | 110 | |
348 |
웨이터 룰 |
2014-08-15 | 193 | |
347 |
テレビ1 |
2014-08-11 | 113 | |
346 |
道徳的な子ども1 |
2014-08-10 | 118 | |
345 |
차보다 할매 |
2014-08-09 | 162 | |
344 |
TV |
2014-08-02 | 115 | |
343 |
パンダ1 |
2014-08-01 | 78 | |
342 |
正直不感症1 |
2014-07-28 | 81 |
1 コメント
中森千草
2014-08-18 02:05:54
神様は私たちと共に、そして私たちの内におられる。
これこそが答えだと思いました。