泰山と河海
泰山と河海は、今も比喩的な言葉として多く使われています。泰山は中国山東省にある山で、海抜1545mだそうです。そんなに高くはない山ですが、その辺りでは一番高いそうです。それで、高さを象徴する際に泰山と言う単語がよく使われています。朝鮮時代の楊 士彦(ヤン・サオン)という人は、泰山で始まる有名な教訓的な時調を次のように残しました。
「泰山雖高是亦山(泰山が高いと言っても、天の下にある山だ)
登登不已有何難(休みなく登りつづければ登れないはずがないのに)
世人不肯勞身力(人は登らずに)
只道山高不可攀(山だけが高いと言う)」
河海も同じです。「河海のような恵み」というふうに、測りきれないほど広くて深い恵みを河と海にたとえたりします。
このたとえで成功した代表的な人物がいます。中国の李斯という人です。彼は、秦始皇帝の時に丞相の地位にまでついた人物です。彼が始皇帝に初めて会った時に、次のようなことを言ったそうです。
「泰山は土壌を譲らず(泰山が小さな土くれでも受け入れて)大きな山となったように、
河海は細流を択(えら)ばず、深い河となりました。 大人物は、いかなる民でも退けなかったために自分の徳を天下に明らかにすることができました。」
この言葉に感動した皇帝は、その場で李斯を登用したそうです。それで、彼は後で丞相の地位までつくことになったのです。そして、始皇帝は泰山と河海のような心で、天下を統一することができました。
山は、土と岩が集まって山になります。もし、気に入らないといって捨ててしまったら、決して高い山にはなれません。小さな丘程度に満足しなければならないでしょう。大きな山ほど、多くのものを抱いています。大きい石、小さい石、角立つ石、丸い石、鋭い石、柔らかい石、腐った石、硬い石...そうしているうちに、いつの間にか泰山になるのです。河海も同じです。汚い水、きれいな水、どろ水、澄んだ水、黄水、汚染された水...すべての水を全部受け入れるから河にもなり、海にもなります。もし泰山が自分の気に入った石ばかり選んだなら、それは、すでに山ではなく、河海が自分の気に入った水だけ選んだなら、それは、すでに河でもなく、海でもありません。ただ小さな小川で跡形もなく枯れてしまうでしょう。
人の大きさは、その人の器の大きさに換算されます。大人物は、心が大きいです。心の大きさの分だけ人を抱くことができます。心の大きな人は、それだけ多くの人を抱くことができます。
丸い人だけでなく、角立つ人も抱けますし、
優しい人だけでなく、鋭い人も抱けますし、
きれいな人だけでなく、汚い人も抱けますし、
美しい人だけでなく、糞まみれの人も抱けます。
始皇帝が始皇帝になったのも、それほど多くの人を抱いたからです。
イエス様の心は、河海のようなものではなく、河海よりもっと深かったです。泰山のようなものではなく、泰山よりもっと高かったです。イエス様が抱けない人はいませんでした。イエス様は、すべての人を抱きました。娼婦も抱いており、罪人も抱いており、売国奴も抱いており、泥棒も抱いており、殺人者も抱かれました。さらに、ご自分を十字架に付け、殺した人々も抱かれました。イエス様の弟子なら、何よりもイエス様の心をまず持たなければなりません。そして、世の中が自分を抱いてくれることを望むのではなく、自分がまずこの世を抱かなければなりません。そうすると、世の中が神様の御胸の中で変わることになるでしょう。
「憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。」(マタイによる福音書5:7)とイエス様はおっしゃいました。この言葉を簡単に言いますと、「他の人々を抱いて受け入れる者は祝福される。神様が彼らを抱いて受け入れてくださる。」です。愛は、受けいれることです。憎い人を受け入れることです。嫌いな人を受けいれることです。自分と異なる人を受け入れることです。その時、その人は自分も知らないうちに大きな人になるでしょう。
泰山と河海は、今も比喩的な言葉として多く使われています。泰山は中国山東省にある山で、海抜1545mだそうです。そんなに高くはない山ですが、その辺りでは一番高いそうです。それで、高さを象徴する際に泰山と言う単語がよく使われています。朝鮮時代の楊 士彦(ヤン・サオン)という人は、泰山で始まる有名な教訓的な時調を次のように残しました。
「泰山雖高是亦山(泰山が高いと言っても、天の下にある山だ)
登登不已有何難(休みなく登りつづければ登れないはずがないのに)
世人不肯勞身力(人は登らずに)
只道山高不可攀(山だけが高いと言う)」
河海も同じです。「河海のような恵み」というふうに、測りきれないほど広くて深い恵みを河と海にたとえたりします。
このたとえで成功した代表的な人物がいます。中国の李斯という人です。彼は、秦始皇帝の時に丞相の地位にまでついた人物です。彼が始皇帝に初めて会った時に、次のようなことを言ったそうです。
「泰山は土壌を譲らず(泰山が小さな土くれでも受け入れて)大きな山となったように、
河海は細流を択(えら)ばず、深い河となりました。 大人物は、いかなる民でも退けなかったために自分の徳を天下に明らかにすることができました。」
この言葉に感動した皇帝は、その場で李斯を登用したそうです。それで、彼は後で丞相の地位までつくことになったのです。そして、始皇帝は泰山と河海のような心で、天下を統一することができました。
山は、土と岩が集まって山になります。もし、気に入らないといって捨ててしまったら、決して高い山にはなれません。小さな丘程度に満足しなければならないでしょう。大きな山ほど、多くのものを抱いています。大きい石、小さい石、角立つ石、丸い石、鋭い石、柔らかい石、腐った石、硬い石...そうしているうちに、いつの間にか泰山になるのです。河海も同じです。汚い水、きれいな水、どろ水、澄んだ水、黄水、汚染された水...すべての水を全部受け入れるから河にもなり、海にもなります。もし泰山が自分の気に入った石ばかり選んだなら、それは、すでに山ではなく、河海が自分の気に入った水だけ選んだなら、それは、すでに河でもなく、海でもありません。ただ小さな小川で跡形もなく枯れてしまうでしょう。
人の大きさは、その人の器の大きさに換算されます。大人物は、心が大きいです。心の大きさの分だけ人を抱くことができます。心の大きな人は、それだけ多くの人を抱くことができます。
丸い人だけでなく、角立つ人も抱けますし、
優しい人だけでなく、鋭い人も抱けますし、
きれいな人だけでなく、汚い人も抱けますし、
美しい人だけでなく、糞まみれの人も抱けます。
始皇帝が始皇帝になったのも、それほど多くの人を抱いたからです。
イエス様の心は、河海のようなものではなく、河海よりもっと深かったです。泰山のようなものではなく、泰山よりもっと高かったです。イエス様が抱けない人はいませんでした。イエス様は、すべての人を抱きました。娼婦も抱いており、罪人も抱いており、売国奴も抱いており、泥棒も抱いており、殺人者も抱かれました。さらに、ご自分を十字架に付け、殺した人々も抱かれました。イエス様の弟子なら、何よりもイエス様の心をまず持たなければなりません。そして、世の中が自分を抱いてくれることを望むのではなく、自分がまずこの世を抱かなければなりません。そうすると、世の中が神様の御胸の中で変わることになるでしょう。
「憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。」(マタイによる福音書5:7)とイエス様はおっしゃいました。この言葉を簡単に言いますと、「他の人々を抱いて受け入れる者は祝福される。神様が彼らを抱いて受け入れてくださる。」です。愛は、受けいれることです。憎い人を受け入れることです。嫌いな人を受けいれることです。自分と異なる人を受け入れることです。その時、その人は自分も知らないうちに大きな人になるでしょう。
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泰山と河海1 |
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1 コメント
中森千草
2013-10-01 22:55:53
自分にとって受け入れがたい人、事柄など
どのように理解し、納得して快く受け入れることが出来るのか?
素直に受け入れることができるようになりたいです。