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중앙영광교회

王のような人生

이용규목사, 2010-11-13 23:24:32

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神様は私たちを王のような祭司だとおっしゃいました。
信者の身分はとても素晴らしいものです。神様は私たちがこの世で王の血統として祭司らしい人生を送ることを願っておられます。神様が万王の王であるため、神の子である私たちも王なのです。それでは私たちはどんな王の姿でこの世を生きるべきでしょうか。

1. 3人の王の話
パウロはピシディア州のアンティオキアで行われた説教の中でサウル王とダビデ王,そして万王の主であるイエス様について話しました。
神様は最初にイスラエルの王としてサウルを立てました。しかし、サウルは後に神様に捨てられた王になってしまいます。その理由は彼が全てのことにおいて神様の御心ではなく、自分の思い通りに物事を行ったからです。アマレクを討つ時、神様ははっきりおっしゃいました。‘行け。アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切、滅ぼし尽くせ。’(サム上15:3) しかし、サウルは徹底的に自分の欲望に駆られて戦争をしました。 ‘しかしサウルと兵士は、アガグ、および羊と牛の最上のもの、初子ではない肥えた動物、小羊、その他何でも上等なものは惜しんで滅ぼし尽くさず、つまらない、値打のないものだけを滅ぼし尽くした。’(サム上15:9)その時、神様は御自分の御心をはっきりと仰せられました。 ‘…見よ、聞き従うことはいけにえにまさり耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる。反逆は占いの罪に高慢は偶像崇拝に等しい。王の御言葉を退けたあなたは王位から退けられる。’(サム上15:22-23)
神様はこの世に王を立てます。王を通して神様の御心を叶えるためです。そのため、神様の御心に従わない王、不従順の王は存在の理由がないのです。従って神様はサウルを王位から退かせました。
神様はサムエルを通して新しい王を立てました。神様はエッサイ家門をお選びになりました。サムエルは長男であるエリアブを見て次の王として神様に立てられる人物だと確信しました。エリアブはかっちりした体で顔つきも整っていました。しかし、神様はエリアブをお選びになりませんでした。神様は偉い者や能力のある者、頭の良い人を遣わせるのではありません。神様はそのような人には関心をもっておられません。全能な神様は人が持っているものよりはるかに良くて尊い力を持っておられる方なのです。神様は神様に従う心をもっている人を探しておられます。そのため、神様は優れていて力の強い長男であるエリアブではなく、みすぼらしくて力の無い末っ子であるダビデをお選びになったのです。
神様はおっしゃいました。
‘…人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。’(サム上16:7)
信じる人も同様です。神様の観点から世の中を見ることができてこそ正しい信仰の持ち主になれます。観点を変えなければなりません。人の観点から神様の観点に変えなければなりません。外見を見る観点から中心を見る観点に変えなければなりません。見えることで判断する観点を見えないことで判断する観点に変えなければなりません。世の中を見る観点が変わらなければ、その人は生まれかわったクリスチャンだと言えません。
神様はダビデの外見ではなく、中心(心) を見てお選びになりました。
信者は心をきれいにすることのためにたくさんの投資をしなければなりません。
あなたはどうですか。外見のために使う時間やお金と心のために使う時間やお金、どちらの方に投資が多いのでしょうか。人は自分の価値観によって投資するようになり、投資した分だけ好きになります。信者は常に内面をきれいにしなければなりません。それこそが人生の真の美しさであり、神様を喜ばせる美しさであります。
神様はダビデを御自分の心に適う人だとおっしゃいました。その理由はダビデが自分の全ての人生を神様の目的のために捧げたからです。(David served god’s purpose in his generation-行13:36) 神様の目的に捧げた人生とは神様に徹底的に従う人生を言います。徹底的な従順こそがまさしくダビデがこの世で最高の人生を生きることができた力なのでした。
リック・ウォレン牧師もこの秘密を使徒言行録の13:36 を通じて悟り、隠されたダビデの力の宝を掘り出したのです。‘あ、これがまさしくダビデをダビデにさせた力だったのか。そのために神様はダビデを偉大なる人物に立てたわけだ。私も神様の目的に導かれた人生を生きよう。’ それからこの御言葉(使13:36)がリック・ウォレン牧師の人生の方向を一気に変えてくれたそうです。
目的に導かれた人生は必ず神様の御心に適う人生になります。
神様の御心に適った人生は神様に遣われます。
神様がお遣いになる人生は最高の人生なのです。
たとえ何も持っていなくても神様の目的に導かれた人は多くの物を持っている人より多くの物を分け合う人生を生きるようになるでしょう。その代表的な人物がニック・プイチチです。

2. 目的に導かれた人生
私たちは肉体の親によって造られたわけではありません。私たちは全能な神様の御手によって造られたのです。人は失敗をするかも知れませんが、神様は絶対に失敗をなさらない方です。そのため、私たちも神様の御手によって完全に造られたのです。もし、他人にあるものが私にないとしたらそれは神様の失敗ではなく、他人と違う姿で造って下さっただけなのです。その姿が真の自分の姿であり、神様はその姿で自分だけにできる仕事をすることを望んでおられます。
従った自分の姿に腕が一つや二つなくても、手足がすべてなくてもそれは絶対に神様の失敗ではありません。ただ人生の目的が違うだけなのです。神様が今の姿を下さったのはその姿で自分だけができる仕事があるからです。
私たちの姿は目的があって全能な神様がお造りになったのです。ある人は何もない槌のように、ある人は口だけ開くペンチのように、ある人は溝がえぐられた十字ドライバーのようにまったく違う形で造られました。しかし、姿が変なわけではなく、その姿であってこそ道具としての目的をまともに発揮することができるのです。
ニック・プイチチという人は世界に希望を伝えるため、2年間のスケジュールがもう既に埋まっている忙しい人です。彼の講演を聞く人々は皆、大きい感動を受けます。彼は人々の絶望を希望に、不満を感謝に変える神秘な力を持っています。人々は彼を抱きしめながら感謝を示します。‘あなたが私の人生を変えてくれました。’ ‘あなたの講演が私の人生を完全に変えてくれました。’
彼は果してどんな人物なのでしょうか。一体どんな人なので人を変える力を持っているのでしょうか。彼は人気のあるハリウッドの俳優でも、百万長者でもありません。彼は生まれた時から両腕と両足がない、とても特別な人でした。
彼はこう言います。‘この世に間違って生まれて来た人は一人もいません。全ての人が目的をもってその姿で生まれたのです。私が今の姿でこの世に生まれたことは世の中に ‘希望のメッセージ’を伝えるためです。私は世の中のすべての所へ行って希望を伝えます。’
彼は絶望の中にいる人々にこう言います。‘私を見て下さい。そうすると希望がわいてくるでしょう。私はあなたより持っているものがはるかに少ないけどこんなに幸せに生きています。’
世の中に真の希望を与える人は金持ちでも、偉い人でも、強い人でもありません。多くの物を持っている人がよくなっていくことはむしろ人を落胆させる事であり、少しあった希望さえもあきらめさせます。その理由は自分がそれほど持っていないからです。しかし、何も持っていない人や弱い人が何かをすれば、それがたとえ取るに足りないことであっても人々は大きい希望を抱くようになります。‘あの人もできるのにどうして私にできないのか。あの人も幸せに暮しているのにどうして私が絶望に落ちて暮さなければならないのか。’
そのため、弱い人から最大の希望の泉が湧き上がるのです。
ニック・プイチチに似ている姿で生まれたダニエルという子供がいました。担当医は初めてダニエルを見た時、歩くことができないと言いました。ところがある日、その医者はダニエルよりもっとひどい障害を抱いているニックが歩いている姿を見てこう言いました。‘ダニエルは歩くことができます。’ ダニエルのお母さんはニックを見て大きい希望を抱くようになりました。自分の息子も歩くことができるという希望なのです。ダニエルのお母さんはニックに言いました。‘あなたは奇蹟そのものです。’
ニックも奇蹟の神様に自分の手足ができるようにして下さいと祈りました。
しかし、神様は彼に奇蹟を施したのではなく、彼を通じて他の人々に奇蹟を施しておられます。もし、彼に奇蹟が起きたなら一人だけの小さな奇蹟で終わったかもしれませんが、彼の姿を通じて他の人々に希望の奇蹟を起こしたならその奇蹟は国境を超えて広がって行くことでしょう。今日も奇蹟は起きています。神様は私たちの弱さを通じて世の中に奇蹟が起きることを望んでおられます。
自分の人生の目的に導かれたニックは、彼外には他の誰もが真似ることができない奇蹟を伝える ‘希望伝道師’になりました。
神様の目的に自分の人生を奉げたダビデはイスラエルの王になり、神様の御心に適った最高の人生を生きました。
これからはあなたの出番です。持っているものがないと、少ないと絶対に不満を言わないで下さい。あなたはニックよりは持っているはずです。人は持っているもので働くのではありません。目的意識が人を動かせます。与えられた物から神様の目的を見つけて下さい。その目的に人生を捧げてみて下さい。偉大なる人生があなたを待っているでしょう。

3. 従順する王として生きること
サウル王は不順従の王でした。そのため、神様は彼を退けました。
ダビデ王は従順の人でした。そのため、彼は神様の御心(目的)に適った人物になりました。神様はそのようなダビデの家門からイエス様を生れさせました。
イエス様は万王の王としてこの世に来られました。イエス様は言葉や行動、全てのことにおいて完全に神様に従いました。イエス様は神様と一つになるほどに神様に従い、最後にはすべてのものを奉げる十字架の従順をお見せになりました。
それでは私たちはどのような王として生きるべきでしょうか。それはもちろん従順の王です。
イエス様は今、私たちの心の中におられます。イエス様が私の中でよくお働きになるように従えば良いです。聖霊様に従えば良いです。そうすることによって私たちの人生は小さなイエスとして世の中に神様の御力を証することができるようになるでしょう。真の従順は自分の意思ではなく、イエス様の意思に従うことなのです。
‘生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。’
(ガラ2:20)

1 コメント

中森千草

2010-11-14 01:01:28

神様は、それぞれに必要なものはすべて与えてくださっているし、与えてくださる。
現実を受け入れ、神様のために人生をまっとうすることが、
正しいのでしょう。
場合によっては、なかなか受け入れられない事もあると思いますが、神様が私だけにくださったことの意味をよく悟り、私が歩くべき道で、神様の栄光のために生きていくことが大事だと、思いました。

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