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중앙영광교회

ダビデの苦難

이용규목사, 2010-10-23 17:50:25

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ダビデは人々に好かれます。
ダビデは霊的な面だけではなく、肉体的な面でも偉大な人物でした。イスラエルの王朝はダビデから始まり、彼の子孫たちによってイスラエルはずっと続けられました。そしてダビデによってこの世に永遠の霊の王朝が開かれました。イエス様はダビデの血統から出たのです。そのため、人たちはイエス様を‘ダビデの子孫イエスよ!’と呼びました。
ダビデは旧約では600回以上、新約では60回以上書かれた人物です。また、彼は神様が‘わたしの心に適う人’だと賞賛した人物です。人々はダビデのような人になることを夢見ます。
ダビデはどのようにして神様を喜ばせたのでしょうか。
それは当然、神様の完全な恵みなのです。神様は私たちにも同様な恵みを注ぐことを望んでおられます。しかし、多くの人たちは素早く逃げ出します。なぜならば最初の恵みの姿は苦難の姿であるためです。人たちは恵みが苦難という姿に変装されて近づいて来ることを分からないのです。そのため、恵みが近づいて来ると自ら逃げ出します。
1. ダビデはなぜ苦難を受けたのか。
神様はダビデを本当に愛しておられました。そのため、世の中で認められている兄弟たちより末っ子であるダビデを王に選び、油を注いで下さいました。
しかし、神様はダビデをすぐには王位につかせませんでした。むしろダビデをどんでもない苦難の火の中に入れられました。どうしてでしょうか。その理由はダビデを強く鍛錬させるためでした。ダビデはあまりの辛さに耐えきれず、神様の前で叫びました。それが詩篇の内容であります。
‘死の陰の谷を行くときも…’(詩23:4)
‘滅びの穴、泥沼から…’(詩40:3)
‘…大水が喉元に達しました。わたしは深い沼にはまり込み足がかりもありません。大水の深い底にまで沈み奔流がわたしを押し流します。’(詩69:2-3)
詩篇は肉体的な面で考えると神様がお応えにならなかったダビデの祈りのようです。しかし、霊的な面では苦難に勝ち抜いた成長の姿なのです。詩篇はダビデの外面的な部分ではなく、内面的な部分の美しい姿を現しています。神様は私達の祈りに時には応えの現場を、時には成長の現場をお与えになります。応えの現場は祝福の現場ですが、成長の現場は苦難の現場です。応えの現場が外面的な建設現場だとしたら成長の現場は内面的な建設現場です。外部の建設も重要でありますが、もっとも重要なのは内部の建設です。内面がしっかりしていればその人は何でも出来ます。そのため、神様は愛する人々に内面の建設現場である苦難をたくさんお与えになるのです。
義人に苦難が多いのは確実です。しかし、それは神様が監督になられ、私の内面を建てる現場に過ぎません。神様は‘私たちが何をするのか’より‘私たちがどんな人なのか'にもっと関心をもっておられます。また、 ‘私たちが何を持っているのか’より‘私たちの内面がどうなのか’にもっと関心をもっておられます。神様の関心はdoingでもhavingでもありません。神様の関心は beingなのです。神様は世の中の何よりも私たちに多くの関心を示しておられます。
そのため、神様は私たちの成長を望んでおられ、大人になることを望んでおられます。そして私たちが神様の姿に似ることを望んでおられます。そのために神様は愛する人には特別に成長の現場をお与えになるのです。成長の現場は即ち苦難の現場です。人は苦難による訓練を通して成長するのです。楽な環境では成長どころか腐ってしまいます。
人々はしばしば嘆きながら神様に不満を言います。
‘神様、私になぜこんなことが起きるのでしょうか。どうして私ですか。’
‘なぜ私だけがこのような試練と苦難に遭わなければなりませんか。これは不公平ではありませんか。’
‘神様はなぜ私の祈りに応えて下さらないのですか。’
神様の目的はあなたが楽な状態に留まることではなく、キリストのような人格を持つことにあるからです。
人格の成長は苦難の現場で得られます。
神様はあなたの祈りにお応えになることよりもっとよい賜物を与えることを望んでおられます。それは成長の賜物であり、成長の賜物は苦難の現場でしか得ることが出来ません。
ダビデは苦難に遭った時、熱心に神様にすがりました。
‘虐げる者からわたしを解き放ってください。…’(詩119:134)
‘神よ、わたしを救ってください。大水が喉元に達しました。’(詩69:2)
‘主よ、わたしを見捨てないでください。わたしの神よ、遠く離れないでください。わたしの救い、わたしの主よすぐにわたしを助けてください。’(詩38:22-23)
‘あなたの目をわたしからそらせ立ち直らせてください。わたしが去り、失われる前に。’(詩39:14)
しかし、神様はダビデの祈りに応えて下さいませんでした。なぜでしょうか。神様に力や愛がなかったからではありません。神様は彼をすぐに助けることよりもはるかに大きい目的をもっておられました。神様の目的は彼が楽な人生を送ることではなく、成長することにあったためです。祝福の現場より最も良い恵みの現場があります。それは成長の現場です。残念なことに多くの人々はこの現場が苦難の現場に見えるためそこから目をそらします。詩編は信仰の成長に多くの有益をもたらす聖書であり、ダビデが苦難の現場で成長しながら祈った内容なのです。

2. 苦難と忍耐
信者たちの大きな誤解の一つが苦難に対するものです。
聖書は苦難を絶対に変なことのように思ってはいけないと言っています。‘愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふりかかる火のような試練を、何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。’(一ペト4:12) ところが私たちはしばしば苦難を変な物のように思います。世の中の観点の誤った習慣が私たちを辛くさせます。
‘…わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。’(ロマ5:3,4)
‘信仰が試されることで忍耐が生じると、あなたがたは知っています。あくまでも忍耐しなさい。そうすれば、完全(成熟)で申し分なく、何一つ欠けたところのない人になります。’(ヤコ1:3,4)
苦難から人格の実が結ばれます。そのようになるためには苦難と人格の間には必ずなければならない物があります。それが何か御存じでしょうか。それは忍耐なのです。人たちが苦難に遭っても成長できないのは苦難が悪いからではありません。ただ苦難に耐えることが出来ないためです。苦難の時の忍耐は私たちに驚くほどの祝福の実を結ばせます。忍耐は必ず人々を感動させます。忍耐には必ず報いがあります。
先週、世界を驚かせた感動のニュースがありました。それはチリの鉱夫たちの救出に関するニュースです。地下700mの穴に閉じ込められていて69日ぶりに33名全員が無事に救出されました。彼らはチリだけではなく、世界的な英雄になりました。これから彼らに関する本や映画も出るそうです。69日前までは全く知られてなかった人たちがいきなりスターになりました。彼らが69日間、地下の穴でしたことはほとんどありませんでした。ただ与えられた食べ物を食べ、遊んで、寝て、サッカーの試合があればそれを見て…むしろ彼らは他の人たちよりすることがありませんでした。ところが彼らは英雄になりました。なぜでしょうか。彼らは苦難に耐え続けたからです。ひどい状況をよく耐え切ったのです。苦難の時に重要なのは他のことではなく、忍耐することです。苦難の時にはかえって、すべきことが普段よりはるかに少なくなるかもしれません。しかし耐えなければなりません。特に信者は信仰と希望の中で喜びをもって最後まで耐え切らなければなりません。忍耐するほど私たちの人格は成長します。これが成長の原理なのです。

3. 苦難と御言葉
苦難と御言葉は離して考えることが出来ないほど密接です。
霊的な訓練は苦難の現場で神様の御言葉をもって受けるものです。そうすることによって私たちの人生は成長につながります。神様がダビデをすぐに王位につかせず、苦難の道を歩かせた理由も彼を王にふさわしい人物にさせるためでした。
ダビデは苦難に感謝しました。
‘卑しめられたのはわたしのために良いことでした。わたしはあなたの掟を学ぶようになりました。’(詩119:71) 彼は苦難に遭ったことが自分にとって有益だと言いました。なぜでしょう。彼には当然、途方もない苦痛や痛みと損失があったはずです。ダビデは苦難の中で御言葉の価値を見つけ出したのです。御言葉の宝を発見したのです。そのため、彼にとって苦難は大したことではなかったのです。
ダビデは繰り返し告白しました。‘あなたの口から出る律法はわたしにとって幾千の金銀にまさる恵みです。’(詩119:72) 言いかえれば、世の中でどんなよい物が与えられても、どんな大金が与えられても、御言葉とは変えないということです。あなたにとって御言葉はどうでしょうか。1万円のために御言葉を諦めたことはありませんか。アルバイトのため、仕事のため、もしくは少ない金額のために御言葉を捨てたことはありませんか。
ダビデは苦難の中で御言葉の力を悟りました。彼は御言葉で慰められ、御言葉で死の環境から生き変えることが出来ました。彼は苦難中に御言葉の力を数えきれないほど経験しました。‘あなたの僕への御言葉を思い起こしてください。あなたはそれを待ち望ませておられます。あなたの仰せはわたしに命を得させるでしょう。苦しみの中でもそれに力づけられます。’(詩119:49,50)
また、ダビデは御言葉に従うことの威力を感じました。神様の御言葉に従って生きることがどれほど祝福されることであり、安全で力のある道なのかを自ら体験しました。そのため、彼は自分の人生を通して御言葉に従うことをはっきりと決めました。その全ては苦難がもたらした祝福でありました。‘わたしは迷い出て、ついに卑しめられました。今からは、あなたの仰せを守らせてください。’(詩119:67)
ダビデが苦難の中で見つけ出した一番の宝は御言葉でした。彼は御言葉の尊さを知り、御言葉の力も知りました。従って彼は御言葉に従順する人生を決断するのです。
‘あなたの御言葉は、わたしの道の光。わたしの歩みを照らす灯。’(詩119:105)
‘わたしはあなたの律法をどれほど愛していることでしょう。わたしは絶え間なくそれに心を砕いています。’(詩119:97)
あなたは御言葉をどれほど愛していますか。ダビデは1日中、静かに御言葉を考えると言いました。
TVやインターネット、そして自分が好きなことはよくするのに、なぜ聖書を読むことはさぼりたくなるのでしょうか。聖書を読むために一日の中でせいぜい15分の時間を出すことはなぜそんなにもったいなく思われるのでしょうか。
あなたは苦難の時に何に近づきますか。力のある人よりも聖書を近づけてみて下さい。ダビデの苦難の有益があなたにも必ず訪れて来ることでしょう。あなたもダビデ王のように成長するでしょう。そして信仰も成長することでしょう。苦難は神様がお与えになった成長のチャンスです。苦難が来た時は最後まで両手に聖書をしっかりともって耐え切って下さい。きっとイエス様のような人に変わることでしょう。御言葉は霊的な成長のための糧です。苦難の時こそ霊の糧である聖書を手放さない信仰が芽生えるように祝福します。‘主よ!御言葉が忙しさや快楽、感情、お酒の後にならないようにさせて下さい !

1 コメント

中森千草

2010-10-23 21:31:10

神様は、私に成長を望んでおられるようです。
しかも、大きな成長を‼
確かに大きな苦難の中にいますが、
神様が私と共にいてくださっている事、
数々の約束された御言葉によって支えられ、
心は平安で過ごす事ができています。
ゴールはいつなのか分かりませんが、乗り切りたいと思っています。

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