Skip to content

중앙영광교회

「モーセの降伏」

이용규목사, 2010-10-06 00:22:52

閲覧数
227
推奨数
0

「私は何のために生きているのか。」
人々は、この質問に対する答えを求めます。そのため、一生懸命本を読んだり、徹夜して悩んだり、賢者たちを訪ねてみたりします。しかし、いくら努力しても、答えは見つかりません。世にはその答えがないからです。答えは神様にあります。神様が私たちを造られたからです。
人がある物を作る時も必ずその目的があります。そのため、その目的通り設計し造ります。まして、神様が人間を造られる時に目的なしに造られたのでしょうか。車にも、コンピューターにも、マイクにもその目的があるように、私たちの人生にも必ず目的があります。神様は私たちを造られ、その目的を聖書に記してくださいました。
神様が私たちを造られた第一目的は、「神様の喜び」です。私たちは神様の喜びのために、この地に存在します。「どうすれば神様に喜ばれることができるか。」これが、私たち人生の最大の関心事になるべきです。なぜなら、神様がその目的のために造られたからです。それが、人生の本当の目的のためです。目的の類似品に注意しなければなりません。

1. 降伏は、人生の唯一の生き方
神様の喜びになる姿を、私たちは礼拝と言います。
神様には礼拝者の姿が一番美しいです。では、礼拝の中心(本質)は何でしょうか。それは、「降伏」です。神様にささげることです。少しささげることではありません。命までささげることです。礼拝は、「見る」ことではなく、「ささげる」ことです。旧約時代にいけにえを殺して血をささげたように、イエス様が十字架で血をささげたように、自分のすべてを神様にささげることです。なので、イエス様はこう言われました。「イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。」(マタイ22:37,8)
人は必ず何かに降伏しながら生きているそうです。お金に降伏して生きる人、欲望に降伏して生きる人、恐れ、怒りに降伏して生きる人、悪い習慣に降伏して生きる人…がいます。
このように人々は、神様に降伏しなかったため、悪いことに降伏させられ、苦しんでいます。
スタンレー・ジョンーズは「もしあなたがキリストに降伏しないならば、あなたは無秩序へ降伏することになる。」と言いました。リック・ウォレンは、「神様に降伏することは、人生の最高の生き方ではなく、唯一の生き方です。(Surrender to God is not the best way to live; it is the only way to live)」と言いました。
神様に降伏することは、最高の行き方の一つではありません。その道しかないのです。人生は降伏です。降伏する人生は幸福になります。それが正しこであり、唯一な道であるためです。神様が大きく用いてくださった人物は皆、神様に降伏した人生を生きました。
ヤコブがイスラエルになって十二部族の父になったのも、彼の足が不自由になって神様に完全に降伏した後でした。神様は降伏した人を用いてくださいます。
パウロはいかがだったでしょうか。ダマスコの道でいきなり馬から落ち、目が見えなくなりました。その時、彼はイエス様に完全に降伏しました。イエス様は彼にこう言われました。「あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。」(使徒言行録9:15)神様の器になるためには、自分のを空けることが必要です。そうすると、神様のもので満たされます。降伏は、自分の心を空けることです。パウロは自分を堂々と「キリスト・イエスの僕パウロ」(ローマ1:1)と紹介しました。僕は、降伏した者の姿です。僕は、自分がいません。ただ、主人のために働く人です。僕は主人の目的を果たすために主人に完全に従います。神様がパウロを通して、新約聖書の多くの部分を書かせたのも、そのためです。彼は、自分を完全に空け、神様のもので満たした人だからです。彼は神様に降伏した人だったからです。彼は、真に神様の僕の人生を生きたからです。

2. モーセの降伏
神様はモーセを用いてくださいました。モーセを通して、奴隷となっていたイスラエルの民をエジプトから430年ぶりに救ってくださいました。モーセを通して、降伏の力について探ってみます。
1) なぜモーセは80歳に呼ばれたのでしょう。
神様がモーセを呼ばれた時期を見ると、世間の観点からでは理解しにくいかもしれません。力があって、若くて、成功していた時は呼ばれず、自分の体さえ支えなくて、杖に支えられる老人をなぜ呼ばれたのでしょうか。青年モーセを呼ばれなく、なぜ老人モーセを呼ばれたのでしょうか。世間の観点ではあまり理解できません。
世間は力のある人を選り好みますが、神様は力のない人を喜ばれます。
神様は人間の力を借りたがるのではなく、神様の力を入れる器を探しています。神様は、世を降伏する力を持っている者を探していません。神様に降伏する信仰を持っている者を探しています。神様はモーセの力が欲しがったのではありません。モーセを通して、神様の力を現すことを願われました。そのため、神様は青年モーセではなく、老人モーセを呼ばれたのです。
モーセはとても力のある人でした。血気が盛んな人でした。それで、人を一人殺すことなんか大したことではないように思った人です。もちろん、神様にも降伏していませんでした。神様は降伏していない人は用いられません。神様は、彼を逃亡者の身分でミディアン荒れ野に出します。彼は、40年間降伏の訓練を受けます。人まで殺した血気も抜け、肉の中にあった筋肉も、年になって杖の力を頼ることになりました。モーセは自らすでに告白しました。「人生の年月は七十年程のものです。健やかな人が八十年を数えても」(詩篇90:10) 彼は、実に自分の人生がもう少しだけだと分かりました。
神様はその時になってこそモーセを呼ばれました。降伏した人になったと思われたからです。しかし、モーセはどんでもないことを言います。「わたしは何者でしょう。」「ああ、主よ。わたしはもともと辯が立つ方ではありません。」「ああ主よ。どうぞ、だれかほかの人を見つけてお遣わしください。」
まだ完全に降伏していない証拠です。
モーセは自分に力がなく、資格がないからできないと言いました。モーセは自分が持っているものだけ考えました。神様がくださるものはまったく考えていなかったです。信仰の人は、自分の無さ(弱さ)の中で「神様によってもっとうまくなる!」と告白する人です。自分のものが空いているため、これから神様のものによって満たされるため、当然うまくなるでしょう。
パウロは自分の身のとげのために、神様に3度願いました。その時、神様が彼に言われました。 ‘My power is strongest when you are weak.(あなたが弱いときこそ私の力は最も強く出る。)’
この御声を聞いたパウロは、「むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」(コリントの信徒への手紙二 12:9)と告白しました。
弱さに感謝しましょう。神様の最高の力がその時発揮されるからです。
神様はモーセが持っていた杖を通して、神様の偉大な力を再び確認してくださいました。
たとえ杖のような弱い存在であっても、神様に降伏すれば、出エジプトの真ん中に立てられるということを見せてくださったのです。
降伏はとても難しいです。血気盛んな時は自分のもので満たされているために、高ぶって降伏(従順)できないし、力が全部抜けた時は資格がないと、降伏(従順)できないのです。降伏は、神様のために自分を空けることです。高慢の心と恐れの心を空けることです。そうすれば、神様の力がそこを満たしてくださいます。そして、神様が用いてくださるのでしょう。自己中心になっている人は、絶対に降伏できません。ある時であれ、ない時であれ、神様のために降伏することが偉大なことです。

2) 80歳の老人とエジプト王の対決
出エジプト記に、モーセとファラオとの対決が書かれています。モーセは80歳の気力のない老人です。武器というのは杖ひとつしかありませんでした。しかし、ファラオは若くて、当時最高の武力を誇るエジプトの王でした。世間の条件から見ると、当然ファラオが勝つでしょう。しかし、結果はどうだったのでしょうか。10:0でモーセが完勝しました。なぜでしょうか。モーセは神様に降伏した人だったけれど、ファラオは神様に対抗した人だったからです。神様に降伏した人は神様が代わりに戦ってくださいますが、神様に対敵する人は神様の敵になるからです。ファラオは降伏せず、最後までモーセを追いました。結局彼は葦の海で死んでしまいます。神様に降伏した人を攻撃してはいけません。それは、つまり神様を攻撃することです。世にいかに力のある人がいても、神様に勝つ人がどこにいますか。世で最も恐ろしい人は、神様に降伏した人です。彼には、神様の力が出るからです。

3) ヨシュアの勝利の秘訣
エジプトから出たイスラエルの民に大変な危機が訪れます。戦争の危機でした。非難の道を行っているイスラエルの民の前に、アマレクの精鋭部隊が現れます。モーセは恐れませんでした。ファラオとの対決を通して、勝利の秘訣をすでに知っていたからです。そのため、彼は戦場に行ったのではなく、丘の頂に登って行きます。神様に両手を高く上げました。いわゆる降伏の祈りをささげたのです。予定通り、モーセが降伏の手を上げるとイスラエルが勝ち、疲れて手を下ろすと、アマレクが勝ちました。モーセはアロンとフルのお陰で、日の沈むまで両手を神様に上げました。イスラエルは立派な勝利を得ました。
ところで、神様はモーセに「このことを文書に書き記して記念とし、また、ヨシュアに読み聞かせよ。」と命令しました。(出エジプト記17:14) なぜでしょうか。カナン地の征服はヨシュアがするので、真の勝利の秘訣を教える必要があったからです。
40年が過ぎてモーセが死んだ後、ヨシュアがようやくイスラエルの民を率いてカナン地に入ります。驚くことが起こりました。ヨシュアは戦争をする度にいつも勝利しました。なぜでしょうか。アマレクとの戦いで勝利の秘訣がすでに分かったからです。「そう、神様だけに降伏すれば勝つ!」
ヨシュアのような勝利の名将になりたいですか。降伏すべきです。誰にですか。当然、神様にです。神様は今も人を探しておられます。力のある人ではありません。降伏する人です。
CCC(Campus Crusade for Christ)の創設者で、二十世紀における最も偉大な指導者の一人、ビル・ブライトは、「なぜ神様はそれほどまでにあなたを用い、また祝福してくださったのですか。」という尋ねに、次のように答えました。「若かった頃、私は神様と契約を結びました。『今日から私は、イエス・キリストの僕です。』と書き出し、その紙の一番下のところに署名をしました。」
あなたの人生はどうですか。まだ署名に迷ってはいまんせんか。
「主よ!私が降伏します。私が従順します。私はイエス様の僕です。」

1 コメント

中森千草

2010-10-06 09:05:40

神様に降伏することが、唯一の生き方。
今一度、自分の力のなさを認め、生き方を修正しなければならない。
自分が無力であることを分かっていても、つい自らの力を試したくなる時がある。
すべては神様からなのに・・・・・
これからは、神様に従順することを習慣化させ、唯一の道を目指して歩いていきます。

Board Menu

リスト

Page 35 / 55
Status 番号 タイトル 投稿者 日付 閲覧数
  417

적는 일에 충성하는 자

16
이용규목사 2011-02-22 526
  416

幸福ですか?

1
이용규목사 2010-12-02 234
  415

행복하십니까?

10
이용규목사 2010-11-29 415
  414

信仰は表現である

1
이용규목사 2010-11-27 145
  413

믿음은 표현이다

17
이용규목사 2010-11-22 493
  412

私と共に

1
이용규목사 2010-11-20 140
  411

나와 함께

16
이용규목사 2010-11-15 377
  410

王のような人生

1
이용규목사 2010-11-13 127
  409

왕 같은 인생

17
이용규목사 2010-11-08 385
  408

「パウロの使命」

1
이용규목사 2010-11-04 157
  407

바울의 사명

15
이용규목사 2010-11-01 528
  406

マリヤのお仕え

1
이용규목사 2010-10-28 269
  405

마리아의 섬김

18
이용규목사 2010-10-25 345
  404

ダビデの苦難

1
이용규목사 2010-10-23 267
  403

다윗의 고난

19
이용규목사 2010-10-18 3674
  402

イエス様の愛

1
이용규목사 2010-10-16 173
  401

예수님의 사랑

19
이용규목사 2010-10-11 406
  400

「モーセの降伏」

1
이용규목사 2010-10-06 227
  399

모세의 항복

18
이용규목사 2010-10-04 456
  398

共におられる

1
이용규목사 2010-10-01 131

   

sketchbook5, 스케치북5

sketchbook5, 스케치북5

나눔글꼴 설치 안내


이 PC에는 나눔글꼴이 설치되어 있지 않습니다.

이 사이트를 나눔글꼴로 보기 위해서는
나눔글꼴을 설치해야 합니다.

설치 취소