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중앙영광교회

少しの物に忠実な者

이용규목사, 2011-02-27 02:05:11

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聖書の全ては神様の御言葉です。そのため、聖書の全ては尊いです。
その中でも信じる人が人生の中で必ず覚えて確認しなければならない御言葉があります。
それはマタイの福音書25章です。そこには世の最後の時にイエス様の審判の基準が書かれてあるためです。世の中の言葉で表現すれば、天国の入試問題3つが既に出されているわけです。常にマタイの福音書25章に書かれてある御言葉を肝に銘じて生きれば神様の前で私たちの人生の点数はかなり高く評価されることでしょう。名門高校、名門大学、名門家を夢見るより‘名門教会'を立てることがはるかに価値のあることです。名門学校、名門家は神様の前では全てが虚しいものでありますが、名門教会は全て神様に認められます。あなたは今、何のために人生を投資していますか?マタイの福音書25章が人生の真の投資のためのよこしるべとなるように祝福します。

1. 私は誰なのか?
皆さんは自分をどんな人だと思いますか?
人たちは関係によって自分のことを決めます。夫婦関係によって夫や妻になり、親子関係によって親になったり子供になったりします。また職場では社長になったり従業員になったりします。当然のことに自分の位置が決まると必ずそれに伴う権利や義務も生じます。
ところがこのような位置は自分の一部だけを表します。私は誰なのかについての完全な姿は神様との関係から生れます。イエス様は私たちの真の姿について3つのたとえを通しておっしゃっています。
一つ目の私たちの姿は新郎であるイエス様を迎える新婦の姿です。新婦は新郎を迎えるためにどれほど一所懸命に準備するでしょう。信じる人は常に目を覚まして新郎であるイエス様を迎える準備をしていなければなりません。
二つ目の私たちの姿は主人に全てを託した僕です。ここで言う僕は自由のない奴隷のような僕ではなく必要な物を全て与えられ、祝福された僕なのです。必要な物を全て与え、思い切り仕事をしてみなさいと言われたらどんなにありかたい話でしょう。他のことは気にせずひたすら任された仕事に集中すればいい最高の環境を与えられたわけです。神様は私たちの主人です。神様は私たちに必要なタラントンを全て与えて下さいます。一タラントンが必要な人には一タラントンを、二タラントンが必要な人には二タラントンを、五タラントンが必要な人には五タラントンを与えて下さる方です。神様は私たちの完全な供給者でいらっしゃいます。そして私たちは頂いた物で懸命に働く者です。言いかえれば神様は私たちの主人であり、私たちは神様の僕なのです。神様はとても良いお方です。神様は私たちに必要な物を全て無償で与えて下さる方であります。僕である私たちは生きることに対する心配がいらないとても幸せな者です。私たちは人権を奪われた悲惨な僕ではなく、完全な自由が保障され、思い存分働ける祝福された僕なのです。
三つ目の姿は良い羊飼いに導かれる羊の姿です。神様に導かれる私たちはどれほど安全なのでしょう。そしてどれほど祝福されたのでしょう。たとえ獅子が表れても決して恐れることはないのです。
‘主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ憩いの水のほとりに伴い…死の陰の谷を行くときもわたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖それがわたしを力づける。’(詩23:1-4) 例えの中でイエス様は羊と山羊の人生について具体的におっしゃっています。
神様の前で私たちは誰であり、どんな人生の姿を示まさなければならないのでしょう。
賢い新婦の姿、忠実な僕、弱い物を振り向く羊の姿がこの世の中で表すべき私たちの3つの姿なのです。愚かな新婦、怠け者で悪い僕、自分だけを考える羊のような姿は後に泣きわめいて歯ぎしりをすることになるでしょう。
皆さんが神様に祝福されるようにお祈り致します。

2. 1タラントを預かった人が叱られた理由
忠実な僕の姿についてみてみましょう。
裁きの時に神様に ‘よくやった。忠実な良い僕だ’と言われたいでしょうか。どれとも‘怠け者の悪い僕だ。’と言われたいでしょうか。 誰もが怠け者で悪い僕だと言われたくないでしょう。そのように言われないためにはどのようにすれば良いのでしょうか。
神様の僕である私たちの全ては神様の物であります。私の物は何一つありません。お金も時間も健康も家族も…全てが神様に預かった物です。‘世界とそこに満ちているものはすべてわたしのものだ。’(詩50:12) ‘まことに天と地にあるすべてのものはあなたのもの。’(代上29:11) ‘準備したこの大量のものは、すべて御手によるもの、すべてはあなたのものです。’(代上29:16)
世の中で何かを任されても責任があるのに、神様に何かを任された人に責任があるのは言うまでもないことでしょう。責任をきちんと果たした人を忠実な者だと言い、責任をゴミのように捨てた人を怠け者だと言います。‘管理者に要求されるのは忠実であることです。’(一コリ4:2)
一タラントンを預かった人はなぜ主人に叱られたのでしょうか。彼が悪いことをしたためでしょうか。泥棒に入ったり、強盗に入ったりしたためでしょうか。そうではないはずです。彼は頂いた物で何もしていなかったのです。何もしていないことが神様の前では最も罪深いことなのです。
人たちはよく錯覚します。そして人たちは常に自分が持っている物に興味があります。なぜ私の持ち物はこんなに少ないのか?と考えるため、食べずに着ずに物を増やすことに夢中になります。ところが最も重要なことを忘れています。与える方は神様です。神様がお与えにならないと物は増えません。しかし、私たちが持っている量はそれほど重要ではありません。それは神様のなさるべきお仕事です。愚かなことに多くの人は自分が持っている物にとても興味を示します。与える方は神様であり、私たちがすべきことは与えられた物をどのように使うかなのです。神様の関心は‘どれほど頂いたか?’ということではなく、与えられた物で ‘何をしたか?’ なのです。忠実な僕は与えられた物で一生懸命に働き、怠け者の僕は与えられた物を地の中に隠しておいて何のことも行っていませんでした。
神様が預けられたタラントンは地の中に隠しておくと力を発揮することができません。時間も使わないと全てなくなってしまうようにタラントンは隠しておくと全て奪われてしまします。時間は熱心に使うほど無駄になりません。タラントンは使うほど増えます。5タラントンから10タラントンに増えます。人生は他のものではありません。神様から与えられたタラントンを忠実に使うことなのです。そうすれば人生は最も豊かになります。
多くの人は神様の清算について疑わしく思います。‘かなり日がたってから’(マタ25:19)清算をするため、神様から物を預かったことさえ忘れて生きるのです。神様の物をまるで自分の物のように勝手に使うのが習慣になってしまいました。もう横領する習慣は捨てるべきだと思います。

3. 少しの物に忠実になりなさい。
イエス様はおっしゃいました。‘主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。』’(マタ25:21)
多くの人たちは自分が持っている物が十分であると考えません。いつも少ないと考えます。持っている物が少ないと考えるため、忠実になるより不満をこぼします。そのため、一タラントンを預かった人はとても少ない金額だと思い、やる気が出なくなるかもしれません。しかし、一タラントンは少ない金額ではありません。換算すれば少なくとも6000万円にはなります。この金額でなぜ事業を起こすことができないでしょうか。神様は人について誰よりもよくご存じであるため、それぞれの能力(才能)に合わせて人に与えましたが、人たちはいつもそれが少ないと思います。‘一体これで何をしろとおっしゃるのでしょうか?’と言い返しますが、それで十分なのです。神様が人たちに合わせてお与えになったためです。イエス様は多くの物、大きな物に忠実した人ではなく、少しの物、小さな物に忠実になる人に多くの物や大きな物を与えて下さいます。
真の忠実は大きな物ではなく、小さな物から検証されます。少しの物に目を覚ましていなさい。今のことに忠実しなさい。神様の御目は今、ここにいるあなたに向けられています。
YWAMの設立者であるローレンカニングハムの話を分かち合いたいと思います。神様はローレンカニングハムにとてつもなく多くのものを預けられました。世界100余りの国に400個を超えるセンターを預けられ、数えきれないほどの人を預けられ、ネーション大学まで預けられました。
スイスのあるホテルをYWAMの訓練センターとして神様に任されたある時のことです。ホテルの契約金のための特別祈り会がある前の日の午後、ローレンはあるデパートを訪れました。その時、20ドルする素敵なジョギングウェアがちょうどローレンの目に入りました。その瞬間、一つの考えがローレンの頭の中に浮かびました。‘ちょうど20ドルがあるから買おう。神様が明日の祈りの時間に持っている全てのお金を出しなさいと言うかもしれない!’ 彼は急いでジョギングウェアを買いました。浮かれた彼は夕方に新しいジョギングウェアを着てジョギングまでしました。次の日、祈り会を終え、皆は神様の御声を静かに待つ時間を持つことにしました。
その時、ローレンの耳に神様の御声が聞こえてきました。
‘お前にはホテル購入費6万ドルを与えられない。’
‘神様!どうしてですか?’
‘お前には20ドルさえ信用できないためだ’
その時になって、ローレンは20ドルに忠実になってなかった自分のみすぼらしい姿を見るようになります。彼はその場から立ち上がり、皆の前で自分が犯した過ちを告白しました。そして彼は神様のお赦しを求める祈りを捧げました。彼は20ドルのジョギングウェアを買う時、神様に聞かなかったことを悔い改めました。彼は20ドルに忠実になっていなかったため、6万ドルを失うところでした。
神様は今も信頼できる管理者を探しておられます。信用できない者には何にも任せることは出来ないでしょう。裏切られることが目に見えるのに任せる人は世の中に誰もいません。まず神様と信頼関係を築くことが重要です。
あなたは神様に信頼される人ですか。600万ドルも預けられる人だと思いますか。そのためには今、目の前にある少しの物に信頼を見せなければなりません。少しの物に忠実になる人を神様は信頼されます。少ない金額であっても使う時には必ず神様に聞いて下さい。その姿が忠実な僕の姿です。信頼する者に神様は多くの物を預けられます。‘お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。’(マタ25:21)  

1 コメント

中森千草

2011-02-27 04:51:04

神様は、必要に応じてそれぞれにいろんなものを与えられる。
その中で、どのような目的があって与えてくださったのか?どのような働きのために?
私のためだけに与えてくださった事に対して、よく悟ることを忘れてはならない。
活用というよりは、確保して身を守るというような愚かな考えを持ち始めていたこの時期に
神様からのお叱りを受け、心が痛み、何とも言えない恐怖感でいっぱいでした。
考えを改め、これからは大いに活用し、神様の栄光のために活躍したいと、切に思いました。


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