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중앙영광교회

選ばれる者

이용규목사, 2008-05-08 01:33:08

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「選ばれる者」

1.       アブラハムの僕
人生には重要な事が多いが、人を選ぶことより重要で難しいことはない。
知恵のある人は、人を選ぶとき慎重に考える。
アブラハムは、息子のイサクの妻を選ぶために、まずその仕事を担当する僕を選んだ。その僕は、年寄りであるものの、主人アブラハムが最も信頼する僕だった。そのゆえ、アブラハムは彼に、「家の全財産を任せた」のである。(創24:2) イサクの妻を選ぶことがいかに大事だったのかは、自分の全財産を任せるほど信頼した僕であるにも関わらず、神様の御前で誓わせてから、イサクの妻を選ぶために行かせたことを見ても分かる。
イサクの妻を選ぶに、メソポタミア(アブラハムの故郷)まで行った年寄りの僕は、一番最初に何をしたのか?
彼は、まず神様に祈った。今日の本文は、彼が祈ったその内容である。彼は本当に賢い人だった。その主人にふさわしい僕だった。祈りの大事さをよく知っていた人だった。もちろん、彼は祈った通り、とても順調よく、正確に、イサクの妻になるリベカと会う。それは、当然神様が彼の祈りをお聞きになり、なさってくださったことであった。それで、その僕は、仕事の最後を神様を伏し拝むことで終わらせた。
「『主人アブラハムの神、主はたたえられますように。主の慈しみとまことはわたしの主人を離れず、主はわたしの旅路を導き、主人の一族の家にたどりつかせてくださいました』と祈った。」 (創24:27,48)
彼は、名もない年寄りの僕だったが、人の僕だったが、その主人アブラハムが与えた使命を、信仰の中で、神様のすべてをうまく計らわれる恵みにより、立派に果たした。私たちはどうだろうか。神様の僕ではないか。神様の子ども(僕)として神様の下にいるものの、神様が与えられた使命をどれほどうまく果たしているだろうか。

2.        アブラハムの嫁
年寄りの僕の祈りの内容はどうだったか。
彼は、本当に知恵のある祈りをした。神様の御心に適う祈りをした。そのため、神様は彼の祈りが終わらないうちに、お答えの贈り物を既に用意してくださった。(創24:15)
僕は、果たしてどのような祈りをしたのか。
「どうか、今日、わたしを顧みて、主人アブラハムに慈しみを示してください。」(創24:12)
彼は、まず自分の有益や出世のための祈りではなく、主人のための祈りをした。私たちが「願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるから」だと言われた。(ヤコブ4:3) 彼の祈りは、決して自分の楽しみ(欲)のための祈りではなかった。主人アブラハムのための祈りだった。そのため、彼の祈りは、すぐ神様に届いたのである。
そして、イサクの妻を探す祈りも、当然神様の御心に適う内容だった。
「その一人に、『どうか、水がめを傾けて、飲ませてください』と頼んでみます。その娘が、『どうぞ、お飲みください。らくだにも飲ませてあげましょう』と答えれば、彼女こそ、あなたがあなたの僕イサクの嫁としてお決めになったものとさせてください。そのことによってわたしは、あなたが主人に慈しみを示されたのを知るでしょう。」(創24:14)
人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。人は外面で人を選びやすいが、神様は人を選ばれるときに、その心を見て選ばれる。(サムエル上16:7)
僕の祈りは、「外面型の祈り」ではなく、「内面(心)型の祈り」だった。そのため、神様はすぐ答えてくださった。
では、これからリベカに視線を向けてみよう。
夕方になり家族の晩ご飯を作るため、まず水をくみに井戸の傍らにやって来た。
水を水がめに満たし、肩に載せて上がると、全く見知らぬ年寄りの人がいきなり現れ、「どうか、水がめを傾けて、飲ませてください」と頼む。忙しくて大変だから、普通の人ならこのことさえ喜んでやれないのに、リベカはすぐに水がめを下ろして飲ませただけでなく、頼まなかったのに、「あなたのらくだにも水をくんで来て、たっぷり飲ませてあげましょう。」と言い、10頭もするらくだに全部水を飲ませた。これが、田舎にいたリベカがいきなり信仰の先祖の家門に嫁として選ばれた唯一な理由である。その時代も今も、大勢の人々はひたすら自分のために生きていく。他人の必要には関心がない。自分に有益かどうかが、唯一な関心事である。しかし、リベカは普通の人とは違った。彼女は、他人の必要を知り、気配りをしてくれる広い心を持っていた女性だった。彼女は、自分が忙しいものの、他人を配慮してくれる女性だった。
世の人々は物質だけに関心があるが、知恵のある人は人に関心が多く、信仰の人は神様に関心が多い。世の人々は物質の有益を追って人生を生きるが、知恵のある人は人を大事にし、信仰の人は神様の喜びになる人生を生きようとする。
物質を得ることも大事だが、それよりもっと大事なのは人を得ることであり、それよりもっと大事なのは神様の御心を得ることである。
心がきれいな人が神様の御心を得る。心が広い人が人を得る。人に重要なのは、知性教育ではなく、心性教育である。子どもたちにこの教育が生きている社会こそ、真の望みがあり、祝福された社会である。自分ばかりしかしらない心の狭い人に育てず、世を抱く人、少なくともリベカのようにらくだ10頭程度は喜んで抱ける人として育てなければならない。リベカは10頭のらくだに水を飲ませただけでなく、自分の家で食べ物と泊まる場所まで提供した。彼女の広い心がよく分かる。
大いなる人物は大いなる心から出る。

3.        他人に与えなさい
神様は与える者を愛しておられる。神様は与える者を祝福される。神様は与える者を必ず覚えてくださる。神様は与える者を高くしてくださる。
「与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」(ルカ6:38)
私たちが他人に与えると、私たちには神様が与えてくださる。神様が与えてくださるのは、私たちが他人に与えることとは比べられない。自分は水いっぱいを他人に与えたけれど、神様は私たちに想像を超える報いを与えてくださる。
リベカがこのことをよく証明している。彼女は年寄りの僕に、まさに水一口を与えただけなのに、神様は彼女に金の鼻輪一つと金の腕輪二つ(30万円相当)をボーナスでお与えになり、信仰の先祖の家門の嫁としての座をお与えになった。(創24:22, 47-48)与える者の祝福がどの程度か、少しは分かるだろう。自分はわずか水一口を与えただけなのに、神様は30万円のチップに大事な座まで与えられた。これは、十分やってみる価値があると思わないか。
神様は与える者を祝福される。
しかし、与えるときに気をつけるべきことがある。これは、イエス様が直接教えてくださった注意事項である。「返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。 しかし…何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。」(ルカ6:34,35)
リベカが善いことをしたとき、代価を求めてやっただろうか。違う。彼女はその老人のために、自ら喜んで助けてあげただけだ。それが祝福になった。人々は心の中に見えない大きいな計算機を隠し、ごっそりと計算をしたりする。自分の有益を熱心に先に計算する。しかし、心に留めておかなければならないことがある。計算された善行は善行ではない。予め計算された善行や施しは、神様には計算されない。計算されていない善行を、神様は一々探し、必ず会計してくださる。
欲の多い人は善行と施しを惜しがる。欲はイメージの損傷に致命的である。韓国の教会のイメージの問題も、結局、欲にその原因がある。世界的な影響力を与えているリック・ウォレン牧師先生は、「人生を導く5つの目的」という本一冊で、ものすごい富と名誉を得た。彼の話によると、島一つを買えるほどの富を得たという。しかし、想像してみよう。リック・ウォレン牧師先生が美しくて大きな島を購入し、そこで豪華な生活をすると、それを果たして神様が喜ばれ、人々が尊敬することになるだろうか。リック・ウォレン牧師先生は、神様が自分に与えられた祝福は、弱い者たちのために使うように与えてくださったと言った。それで、彼は今も自分の自動車、家、さらに腕時計まで変えず、前のものをそのまま使いながら、ほとんどの財産を神様と世に返しているようである。それで、彼はもっと尊敬され、影響力のある人として立てられている。
昔、肛門がないまま生まれてきた赤ちゃんは、たとえ王の息子でも、すぐ死ぬしかなかったという。食べたものが流されないからだ。今も、霊的に肛門が詰まっている人々が多い。もらうことには精一杯尽くしているが、与えることを知らない人々が多い。肛門が詰まると、それによって死んでしまう。肛門を開き、流さなければならない。それによって、人生の気管が開かれる。
同じ水が流れているものの、イスラエルには正反対の二つの海(湖)がある。生きた海のガリラヤと、死んだ海の死海である。この二つの海の区分は簡単である。ガリラヤはもらった分を流すが、死海はもらうだけで絶対流さないのが、唯一な差である。これが、命の海と死の海を区別させている。
死のような人生から、命のような人生で人生を変えたいか。
もらう人生から、与える人生にあなたの人生を変えてみよう。
世に流せる水の扉をいっぱい開いてみよう。上から生きた水があなたを満たしてくれるであろう。
「溜まった水は腐るが、流される水は命をつれて行き来する。」

5 コメント

安間チョウコ

2008-05-08 05:01:27

信仰と音楽
私が敬愛してやまない韓国の医師、元ヨンセイ大学総長の金命ホウ先生からお年賀状とCDをいただきながら放っていた。去年韓国に行ったとき、「息子が作ったCDを送るからね」といわれていたので知っていた。やっとのこと子供の日に聴く機会を得た。依然聴いたテゼの祈りの曲に似ているが何度聴いても良い曲だ。ぜひ使役訓練を受けているクラスの皆様にも聴いていただきたいと思います。金先生の息子さんのご紹介。
*주님 가신 길 십자가의 길**탕자처럼 방황할 때도**내가 산을 향하여**여호와 나의 목자*등을 작곡하여 수백만의 크리스천 가슴을 울린 김목사는 제가 기독교에 입교한 1954년도 출생하였습니다.결혼 한 후 10년 만에 얻은 첫 아들이었습니다.
私の長男、金永基牧師が20年間カナダの長老教会で勤め帰国しました。いま霊性音楽治療巡回説教に熱中しています。CDを聴いて下さい。詩、作曲、歌、写真、
皆one  man show!

中森千草

2008-05-08 06:07:31

ガリラヤ湖はとても美しくきれいで、死海は名前の通りでした。
神様は自然を通して、私たちに教えてくださっており、本当に一目瞭然でした。
流すべきものを流さなければどのようになるのか、実際 目で見て恐れの心を持つことができました。感謝です。 与えられる状況にいます。もっと与えていく心を成長させていきたいと思います。

古郡武志

2008-05-08 07:59:52

1.アブラハムの僕
 「彼は、まず神様に祈った。」
 私も、いろいろなところで僕としての働きをしなくてはいけない。教会においては、賛美チーム・属会・翻通訳チーム、教会外においては、職場である。アブラハムの僕は、働きを開始する前に祈り、仕事を終えた後も祈ったのである。
 我々が、きちんと僕として働くためには、神様の助けを受けなければならず、神様に頼らなければならない。僕として仕えるときには、勘違いしがちなのです。賛美に際しては歌のうまさ、属会においては聖書の知識、翻通訳チームにおいては韓国語の知識、職場においては業務に関する知識など、テクニックに関わることに重きを置いてしまいがちである。しかし、テクニックに重きを置くと、テクニックを身につけた自分に酔いしれ、いつのまにか神様の栄光のために奉仕をするはずなのに、奉仕をするようになるのが、恐ろしい。
 そういうことにならないためにも、アブラハムの僕の姿を忘れないようにしたいと思う。
よい奉仕をするためには、テクニックではなく、神に頼り、神に祈らなければならないと思う。
2.アブラハムの嫁
 「彼は、自分の有益や出世のための祈りではなく、主人のための祈りをした。」
 私は、自分の奉仕の際に祈りをするときですら、知らず知らずに自分中心の祈りになっているような気がする。賛美においては「私が、間違いなく、歌いきることができますように」とか「私の担当分野がうまく翻訳できて、日程通りに終わるように」というふうなことが頭に思い浮かぶ。本当は、皆がうまく祈れるように、皆がよく通訳・翻訳できるように祈らなくてはいけないのである。
 人のために祈るという営みがあるからこそ、私たちは奉仕ができる。主日の賛美の前に伝道師先生が一緒に祈って下さることに感謝しなくてはいけないと思うし、そして自分の行っている奉仕に関することだけでなく、自分の目に見えない場面で奉仕して下さる人のためにも祈らなくてはいけないと思う。
3.他人に与えなさい
 「溜まった水は腐るが、流される水は命をつれて行き来する。」
 私は、以前、大金を手にしたら、現在のように仕事にあくせくすることなく、南の島でのんびり生活を送りたいという願望があったし、今もある。そこには、その大金で、何とか困窮しているほかの人を救いたいという思いは全くなく、ひたすら自分の快楽・平安を追求する心理であった。
 リックウォレン牧師のように自分が破格の高収入を得たら、計算機を胸に秘めて、豪華な自動車・家・車を買ってしまう可能性が相当有るが、そのようなことにならないように、「与える人生の素晴らしさ」をきちんと認識したい。時間にしても、お金にしても、教会というのは「与える人」が多いところであるが、与える人は美しいし、私利私欲全盛・自己中心主義の充満する世の中にあって光を放つものだと確信する。

田辺高幸

2008-05-10 09:15:04

イサクの嫁となったリヘカの話が印象に残った。いつの世も正直言って、自分のことしか考えない者が多い。その中で、彼女が見せた優しさは、とても輝いて見えた。こんな彼女だからこそ、神様は信仰の父と呼ばれるアブラハムの息子の妻として選ばれたのだろう。自分もこんな思いやりのある人となりたい。冷たい世で暮らす者だからこそそう思う。神様がお望みとなったこんな心を持てるようになって、多くの人に奉仕できる人になれるように、この箇所をいつも意識して生活を送って、この世の中を変えて行こうと思った。

木下 

2008-05-11 17:22:47

神様は私たちに想像を超える報いを与えてくださっていることを信じます。物質的に豊かになることもたいへん大切なことで、私も願っていますが、まず、神様が望まれる人物になり、心を豊かにして人からも自然と好かれるようになりたいです。受け取ることだけを考えるのではなく、まず何を与えることができるのかを考える習慣を持っていきたいです。

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