「言葉が人生を変える」
御言葉//箴言 18:20,21
1.言葉の力
私たち一人一人は、何よりも大事な存在である。
天下より貴重な存在であり、神様の独り子が代わりに死んでくださった、祝福された存在である。
私たちは真に大切な存在である。この事実を自ら悟らなければならない。そして、自分を大切してあげなければならない。自分を憎んだり、虐待してはいけない。自分を真の心で愛さなければならない。神様は自分を愛する人を愛する。
では、自分自身にできるもっとも貴重な愛の表現は何だろうか。ある人は自分のために、いい服を買ったり、美味しい食べ物を食べたり、よい場所に旅行をしたりする。しかし、これよりもっとよい自分自身を愛する方法がある。 自分に最もよくしてあげる方法は、何よりも「自分自身に良い言葉を話して上げる」ことである。自ら気がくじけた言葉、自虐の言葉、自責の言葉、絶望の言葉、 諦めの言葉、否定的な言葉を言ってはいけない。他人が言う言葉より、自分が自分に対して言う言葉のほうが最も恐ろしい。自分を真に愛する人は、 自ら自分に対して、褒め言葉、愛の言葉、希望の言葉、祝福の言葉、前向きの言葉をよくいう人である。
言葉には、人生を変える素晴らしい力がある。
神様はこの力に対して下記のように表現されている。
「果物(食べ物)が腹を満たせるように、言葉は心を満足させる。
いい言葉はいい収穫ほど、人に満足と喜びを与える。
言葉には、人を殺す力もあり、人を生かす力もある。
言葉は毒にもなれ、果実(糧)にもなれるが、それはあなたの選択によるものである。」(箴言18章20-21節-The Message Bible)
(*新共同訳:人はその口の結ぶ実によって腹を満たし、そのくちびるによる収穫に満たされる。死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。)
腹を満たすのは食べ物だが、心を満足させるのは言葉である。真の満足は言葉から来る。
真の喜びと満足は環境によらず、自分に対する自分の言葉に支配される。
言葉にはまた生命権がある。人を生かしたり、殺したりもする。
「あなたはできる」という本に次のような話がある。言葉の力をよく知っているある医者が、薬を処方せず、言葉の処方をした。毎時間こと、少なくとも一回以上は次のような言葉を自分に宣布するようにと。「私の体の隅々が、毎日よくなっている。」 毎時間こと自分に「言葉の薬」を飲ませるようにした。そして、驚く結果が出た。薬で治療した他の医者の患者より、はるかに早く回復できたのである。言葉の力がどれほど力があるかがよく分かる。世の中のどのいい薬より、「言葉の薬」を自分に飲ませよう。
毒の言葉と薬の言葉は、他人が与えるのではなく、自分の選択によるものだと言った(箴言18章21節)。毒の言葉を選ぶ人は結局死ぬようになり、 薬の言葉を選ぶ人は死にそうな体でも、生きる。
言葉の選択は、物の選択よりもっと大切である。言葉の選択は人の選択よりもっと大切である。生死が関わる問題だからだ。あなたの言葉の選び方はどうだろうか?慎重であるか?あるいは、むやみに言うほうか?自分に悪い言葉を言わないように。薬になる言葉を選んで言うように。神様はあなたの言葉を通してあなたに祝福をくださる。
今すぐ、言葉使いを変えてみよう。そうすると、あなたの人生がきっと変わるだろう。
「私はなんで何をしてもできないだろう」から「私は必ず成功する」と変えてみよう。あなた自身もその結果に驚くだろう。きっと!
(韓国に)言葉が種になるということわざがある。自分の人生の種で「毒」を蒔かず、「祝福」を蒔かなければならない。言葉で自分を祝福するように。これが、自分に対する最高のプレゼントである。
2. 信仰の言葉を宣布しなさい
ダビデとゴリアトの戦いは、とても有名な話である。
簡単に言うと、この戦いは、小学生と巨人の戦いである。しかし、この戦いで常識を裏返し、小学生が勝つ。どうしてこの驚く結果が出たのだろうか。ダビデが、その時代に銃のような現代の武器でも開発したのか。もちろん違う。ダビデの勝利の秘訣は、彼の口から出た「信仰の言葉」だった。
いかにゴリアトが力持ちだといっても、銃の前では勝てない。しかし、銃よりもっと力のある武器がある。それが、口から出る信仰の言葉である。あなたは銃の力をもっと信じるか?「信仰の言葉」の力をもっと信じるか?
銃には人の知恵だけがあるが、「信仰の言葉」には神様の力がある。
ダビデはゴリアトにこう宣布した。
「お前は剣や槍や投げ槍でわたしに向かって来るが、
わたしはお前が挑戦したイスラエルの戦列の神、万軍の主の名によってお前に立ち向かう。
今日、主はお前をわたしの手に引き渡される。」(サムエル上17:45,46)
神様は、私たちの言葉に喜んで責任をもってくださる。ダビデのように、信仰で自分の人生を宣布しよう。ゴリアトを倒した神様が、あなたの人生のゴリアトを倒してくださるから。あなたに恐れ、心配を与えるゴリアトは何か。健康の問題か。金銭の問題か。人間関係の問題か。学業の問題か。主の御前では、どのゴリアトも問題にならない。ただ、あなたの信仰が問題なのである。人は、もっている信仰の分だけ宣布できるし、神様は宣布された分だけ責任をもってくださる。
悪魔は世のもの(ゴリアト)で脅かし、信仰の人の内面世界を倒そうとしている。内面世界は神様が与えてくださった「自尊心」である。自尊心が倒されると、人生が倒されるのは時間の問題である。いかに人生のゴリアトが大きく感じられても、自尊心を奪われてはいけない。
信仰の人には、自尊心と謙遜が必ず必要である。
自尊心は高めることであり、謙遜は低くすることである。しかし、これは矛盾なことではない。
自尊心は、その対象が「自分」で、謙遜はその対象が「他人」である。
自尊心は自分を立てることで、謙遜は他人を立て、高くすることである。
自尊心は内面世界で、謙遜は外面世界である。
クリスチャンの真の面目は、自分の内面世界はいつも自尊心によって満たされ、他人には謙遜が満たされた姿である。これを一言でいうと、「外柔内剛」の姿である。外見はやわらかく、心の中は強い姿である。
環境によってあきらめないで、内なる人を強くする秘訣は、自分に信仰の言葉をよく宣布することである。そうすると、ゴリアトは何でも言いなりになる。
信仰の人は、
悲観的な環境に言葉が変わらず、
悲観的な環境を言葉で変える人である。
信仰の人は、
自分の山が大きすぎると神様に文句を言う人ではなく、
神様がどれほど偉大な方かを、山に宣布する人である。
ダビデは、ゴリアトが大きすぎるからといって、神様の御前で山を認めていない。
ゴリアトの前で神様がいかに大いなる方かを宣布した人だった。
「この山(問題)よ、お前が高いといっても神様の御前では、お前は平らに過ぎないんだよ。」
3. 最も力のある言葉は?
どの言葉が最も力があって祝福された言葉だろうか。
もちろん、褒め言葉、肯定の言葉、愛の言葉も力がある。しかし、本当の力のある言葉は他にある。それは、つまり「神様の御言葉」である。ここには、創造の力、命の力、祝福の力が全部入っている。そのため、真に祝福された人は、 「主の教えを愛し/その教えを昼も夜も口ずさむ人」だと言った(詩1:2)。ここで御言葉を口ずさむというのは、その御言葉を口で繰り返して言うという意味である。神様の御言葉を口でよく言う人が祝福された人だという意味である。
神様の御言葉は、「生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通す。」(ヘブライ4:12)
神様の御言葉は、「神に仕える人は、どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられる。」(二テモテ3:17)
何かかけていることで大変か。ダビデのように宣布しよう。
「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。」(詩23:1)
死の陰の谷で恐れているか。御言葉を宣布しよう。
「死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖/それがわたしを力づける。」 (詩 23:4)
ジョエル・オースティン牧師先生のお母さんは、肝臓癌で何週間しか生きられないという医者の診断を受け、退院せざるを得なかった。家に帰ったお母さんは、来る死に対する不平と敗北の言葉の代わりに、命の源である神様の御言葉を心と口に置くことを選んだ。彼女は、聖書でとりわけ癒しの御言葉を見つけノートに書き、毎日それを読んで大きな声で宣布した。その結果、どうなっただろうか。20年が過ぎた今も、健康で過ごされているようだ。
言葉が力である。人生を変えたいか。このように生きているのが本当に嫌か。新しい人生を本当に生きたいか。車を変えることで、家を変えることで、職場を変えることで人生が新しくなるのではない。人生を変える方法は簡単である。あなたの言葉をまず変えてみよう。
その人の人生は、その人が言う言葉を見ると分かる。あなたが今言っている言葉が、あなたの未来を決める。言葉に気をつけて。生も死も舌の力に支配される。
「語る者は、神の言葉を語るにふさわしく語りなさい。」(一ペテロ4:11)
あなたの口に神様の御言葉がいつも共におられるように。
御言葉//箴言 18:20,21
1.言葉の力
私たち一人一人は、何よりも大事な存在である。
天下より貴重な存在であり、神様の独り子が代わりに死んでくださった、祝福された存在である。
私たちは真に大切な存在である。この事実を自ら悟らなければならない。そして、自分を大切してあげなければならない。自分を憎んだり、虐待してはいけない。自分を真の心で愛さなければならない。神様は自分を愛する人を愛する。
では、自分自身にできるもっとも貴重な愛の表現は何だろうか。ある人は自分のために、いい服を買ったり、美味しい食べ物を食べたり、よい場所に旅行をしたりする。しかし、これよりもっとよい自分自身を愛する方法がある。 自分に最もよくしてあげる方法は、何よりも「自分自身に良い言葉を話して上げる」ことである。自ら気がくじけた言葉、自虐の言葉、自責の言葉、絶望の言葉、 諦めの言葉、否定的な言葉を言ってはいけない。他人が言う言葉より、自分が自分に対して言う言葉のほうが最も恐ろしい。自分を真に愛する人は、 自ら自分に対して、褒め言葉、愛の言葉、希望の言葉、祝福の言葉、前向きの言葉をよくいう人である。
言葉には、人生を変える素晴らしい力がある。
神様はこの力に対して下記のように表現されている。
「果物(食べ物)が腹を満たせるように、言葉は心を満足させる。
いい言葉はいい収穫ほど、人に満足と喜びを与える。
言葉には、人を殺す力もあり、人を生かす力もある。
言葉は毒にもなれ、果実(糧)にもなれるが、それはあなたの選択によるものである。」(箴言18章20-21節-The Message Bible)
(*新共同訳:人はその口の結ぶ実によって腹を満たし、そのくちびるによる収穫に満たされる。死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。)
腹を満たすのは食べ物だが、心を満足させるのは言葉である。真の満足は言葉から来る。
真の喜びと満足は環境によらず、自分に対する自分の言葉に支配される。
言葉にはまた生命権がある。人を生かしたり、殺したりもする。
「あなたはできる」という本に次のような話がある。言葉の力をよく知っているある医者が、薬を処方せず、言葉の処方をした。毎時間こと、少なくとも一回以上は次のような言葉を自分に宣布するようにと。「私の体の隅々が、毎日よくなっている。」 毎時間こと自分に「言葉の薬」を飲ませるようにした。そして、驚く結果が出た。薬で治療した他の医者の患者より、はるかに早く回復できたのである。言葉の力がどれほど力があるかがよく分かる。世の中のどのいい薬より、「言葉の薬」を自分に飲ませよう。
毒の言葉と薬の言葉は、他人が与えるのではなく、自分の選択によるものだと言った(箴言18章21節)。毒の言葉を選ぶ人は結局死ぬようになり、 薬の言葉を選ぶ人は死にそうな体でも、生きる。
言葉の選択は、物の選択よりもっと大切である。言葉の選択は人の選択よりもっと大切である。生死が関わる問題だからだ。あなたの言葉の選び方はどうだろうか?慎重であるか?あるいは、むやみに言うほうか?自分に悪い言葉を言わないように。薬になる言葉を選んで言うように。神様はあなたの言葉を通してあなたに祝福をくださる。
今すぐ、言葉使いを変えてみよう。そうすると、あなたの人生がきっと変わるだろう。
「私はなんで何をしてもできないだろう」から「私は必ず成功する」と変えてみよう。あなた自身もその結果に驚くだろう。きっと!
(韓国に)言葉が種になるということわざがある。自分の人生の種で「毒」を蒔かず、「祝福」を蒔かなければならない。言葉で自分を祝福するように。これが、自分に対する最高のプレゼントである。
2. 信仰の言葉を宣布しなさい
ダビデとゴリアトの戦いは、とても有名な話である。
簡単に言うと、この戦いは、小学生と巨人の戦いである。しかし、この戦いで常識を裏返し、小学生が勝つ。どうしてこの驚く結果が出たのだろうか。ダビデが、その時代に銃のような現代の武器でも開発したのか。もちろん違う。ダビデの勝利の秘訣は、彼の口から出た「信仰の言葉」だった。
いかにゴリアトが力持ちだといっても、銃の前では勝てない。しかし、銃よりもっと力のある武器がある。それが、口から出る信仰の言葉である。あなたは銃の力をもっと信じるか?「信仰の言葉」の力をもっと信じるか?
銃には人の知恵だけがあるが、「信仰の言葉」には神様の力がある。
ダビデはゴリアトにこう宣布した。
「お前は剣や槍や投げ槍でわたしに向かって来るが、
わたしはお前が挑戦したイスラエルの戦列の神、万軍の主の名によってお前に立ち向かう。
今日、主はお前をわたしの手に引き渡される。」(サムエル上17:45,46)
神様は、私たちの言葉に喜んで責任をもってくださる。ダビデのように、信仰で自分の人生を宣布しよう。ゴリアトを倒した神様が、あなたの人生のゴリアトを倒してくださるから。あなたに恐れ、心配を与えるゴリアトは何か。健康の問題か。金銭の問題か。人間関係の問題か。学業の問題か。主の御前では、どのゴリアトも問題にならない。ただ、あなたの信仰が問題なのである。人は、もっている信仰の分だけ宣布できるし、神様は宣布された分だけ責任をもってくださる。
悪魔は世のもの(ゴリアト)で脅かし、信仰の人の内面世界を倒そうとしている。内面世界は神様が与えてくださった「自尊心」である。自尊心が倒されると、人生が倒されるのは時間の問題である。いかに人生のゴリアトが大きく感じられても、自尊心を奪われてはいけない。
信仰の人には、自尊心と謙遜が必ず必要である。
自尊心は高めることであり、謙遜は低くすることである。しかし、これは矛盾なことではない。
自尊心は、その対象が「自分」で、謙遜はその対象が「他人」である。
自尊心は自分を立てることで、謙遜は他人を立て、高くすることである。
自尊心は内面世界で、謙遜は外面世界である。
クリスチャンの真の面目は、自分の内面世界はいつも自尊心によって満たされ、他人には謙遜が満たされた姿である。これを一言でいうと、「外柔内剛」の姿である。外見はやわらかく、心の中は強い姿である。
環境によってあきらめないで、内なる人を強くする秘訣は、自分に信仰の言葉をよく宣布することである。そうすると、ゴリアトは何でも言いなりになる。
信仰の人は、
悲観的な環境に言葉が変わらず、
悲観的な環境を言葉で変える人である。
信仰の人は、
自分の山が大きすぎると神様に文句を言う人ではなく、
神様がどれほど偉大な方かを、山に宣布する人である。
ダビデは、ゴリアトが大きすぎるからといって、神様の御前で山を認めていない。
ゴリアトの前で神様がいかに大いなる方かを宣布した人だった。
「この山(問題)よ、お前が高いといっても神様の御前では、お前は平らに過ぎないんだよ。」
3. 最も力のある言葉は?
どの言葉が最も力があって祝福された言葉だろうか。
もちろん、褒め言葉、肯定の言葉、愛の言葉も力がある。しかし、本当の力のある言葉は他にある。それは、つまり「神様の御言葉」である。ここには、創造の力、命の力、祝福の力が全部入っている。そのため、真に祝福された人は、 「主の教えを愛し/その教えを昼も夜も口ずさむ人」だと言った(詩1:2)。ここで御言葉を口ずさむというのは、その御言葉を口で繰り返して言うという意味である。神様の御言葉を口でよく言う人が祝福された人だという意味である。
神様の御言葉は、「生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通す。」(ヘブライ4:12)
神様の御言葉は、「神に仕える人は、どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられる。」(二テモテ3:17)
何かかけていることで大変か。ダビデのように宣布しよう。
「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。」(詩23:1)
死の陰の谷で恐れているか。御言葉を宣布しよう。
「死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖/それがわたしを力づける。」 (詩 23:4)
ジョエル・オースティン牧師先生のお母さんは、肝臓癌で何週間しか生きられないという医者の診断を受け、退院せざるを得なかった。家に帰ったお母さんは、来る死に対する不平と敗北の言葉の代わりに、命の源である神様の御言葉を心と口に置くことを選んだ。彼女は、聖書でとりわけ癒しの御言葉を見つけノートに書き、毎日それを読んで大きな声で宣布した。その結果、どうなっただろうか。20年が過ぎた今も、健康で過ごされているようだ。
言葉が力である。人生を変えたいか。このように生きているのが本当に嫌か。新しい人生を本当に生きたいか。車を変えることで、家を変えることで、職場を変えることで人生が新しくなるのではない。人生を変える方法は簡単である。あなたの言葉をまず変えてみよう。
その人の人生は、その人が言う言葉を見ると分かる。あなたが今言っている言葉が、あなたの未来を決める。言葉に気をつけて。生も死も舌の力に支配される。
「語る者は、神の言葉を語るにふさわしく語りなさい。」(一ペテロ4:11)
あなたの口に神様の御言葉がいつも共におられるように。
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당신은 하나님의 성전36 |
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택함 받을 자31 |
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言葉が人生を変える2 |
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말이 인생을 바꾼다32 |
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謙遜3 |
2008-04-23 | 550 | ||
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겸손36 |
2008-04-21 | 1388 | ||
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世を変化させる力6 |
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세상을 변화시키는 능력31 |
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生きている教会5 |
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살아 있는 교회36 |
2008-04-07 | 1116 | ||
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口を開かないイエス様4 |
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洗足と十字架と伝道8 |
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環境と御言葉7 |
2008-03-06 | 471 |
2 コメント
박유진
2008-05-03 09:28:58
1はイン・ソンジョンさんが訳してくださいました。ありがとうございました。
中森千草
2008-05-03 10:54:08
御言葉には力があり、弱りかけた心を即座に回復の道へと導いてくださる。
聖書を私たちに与えてくださったこと、そして、御言葉は生きており、その御言葉によって生かしていただいていることに感謝します。