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중앙영광교회

口を開かないイエス様

이용규목사, 2008-04-02 01:32:04

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「口を開かないイエス様」

御言葉//イザヤ53:5-7

1.        イエス様の忍耐
「苦役を課せられて、かがみ込み
彼は口を開かなかった。
屠り場に引かれる小羊のように
毛を切る者の前に物を言わない羊のように
彼は口を開かなかった。」(イザヤ書53章7節)

この御言葉は、十字架のイエス様の姿を予言した部分である。
イエス様は何の罪もなかったが、十字架であらゆる冤罪をこうむられ、死んでいきながらも、最後まで口を開かなかった。ユダヤ人の指導者、兵士ら、甚だしくは、一緒に十字架の処刑を受けていた凶悪な罪囚までも、イエス様を侮辱し、嘲弄した。(ルカによる福音書23章)「お前が本当に罪がなければ、無罪を証明するためにそこから降りてみろ。そうすると、お前がキリストだと信じるから。」イエス様は本当のキリストであるけれども、真に罪がない方であるけれども、十分解き明かして、十字架の死から出てくることができたけれども、最後まで口を開かなかった。

普通の人間だったら、あまりにも悔しくて、悔しくて、解明しないと目を閉じて死ぬことができなかっただろう。しかし、主は最後まで沈黙された。旧約に予言された御言葉通りに、イエス様は口を開かず死なれた。
十字架のイエス様は口を開かなかった。死の冤罪をこうむられたが、 解明することの代りに、彼は死を選んだ。これが、そのお方の偉大さであり、愛の姿である。
あなたの人生の中に悔しくて、やりきれない事があるか?どうしても我慢できないことがあるか? 誰かがどんでもない冤罪をきせて、あなたを殺そうとするのか?
この時、神様はおっしゃる。
「信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです」(ヘブライ人への手紙12:2)
「耐え忍ぶなら、キリストと共に支配するようになる。」(テモテへ手紙二2:12)
いくら悔しくても、十字架のイエス様より辛いか?十字架のイエス様を黙想してほしい。そうすれば、落胆し、疲れ果てることがないと思う。心の悔しさがまるで雪がとけるように、すっきりとけて消えるだろう。なぜならば、十字架の忍耐後の王様の光栄が、きっと、 きっと、 きっと、あなたを待っているからだ。
「カルバリオカの主をあおぐとき
受けしくるしみ なににたとえよう
十字架をせおい 主につかえゆく」(旧賛美歌510)

2. イエス様の愛
誰がイエス様を十字架につけましたか?ローマの兵士達ですか?祭司長達ですか?
違います。イエス様を十字架につけた人は、あなた自身です。イエス様が悔しいことを受けたのは、あなたのせいです。あなたの罪を丸ごとイエス様にかぶせたからです。イエス様は、あなたのせいで濡れ衣をきせられ、亡くなられました。
しかし、なぜイエス様は死にながらも、何もおっしゃらなかったでしょうか?イエス様はなぜ口を開かなかったのでしょうか?それもまたあなたのためです。イエス様が口を開くと、あなたが傷ついてしまうからです。あなたが犯人であることがバレるからです。イエス様は、ご自分のためなら、ご自分の無罪を100回も言いたがったはずですが、あなたを守るために、最後まで口を開きませんでした。これが、イエス様の十字架の愛です。あなたはこの愛をどのくらい悟り、感謝していますか?
昨年8月、韓国でひどい殺人事件がありました。
両親、娘2人、息子1人の5人家族が住んでいる家庭に、ある日の夜、覆面をした強盗が入りました。ところで、その強盗はその家の息子でした。お父さんはすぐ犯人が自分の息子である事がわかりました。それで説得しようとしましたが、息子は知らない振りをしてお父さんを刺し、お母さんを刺し、お姉さん2人を残酷に刺しました。両親は死亡し、お姉さん2人は重傷を負いました。本当に残酷な事件でした。しかし、お父さんは亡くなる時お姉さん2人に繰り返しねんごろに頼みます。「絶対に犯人が弟であることを言わないで。」そして、救急室で犯人について聞く警察の質問にも、最後まで何も言わないで亡くなりました。
たとえ酷い人間であり、自分を刺したが、自分の息子を守りたい、助けたいというのが親の心です。このお父さんの愛に感動した判事は、こういうふうに判決をくだしました。「死刑の宣告が不可避であるが、死ぬまで被告を守ろうとしたお父さんの愛を参酌し、無期懲役を宣告する。」お父さんの愛が息子を死刑から助けたのです。
これが、十字架のイエス様の愛です。
イエス様を刺した犯人は、私たちです。私たちの罪の刀と背きの刀で、私たちはイエス様を残酷に刺して殺しました。
「彼が刺し貫かれたのは/わたしたちの背きのためであり/彼が打ち砕かれたのは/わたしたちの咎のためであった。」(イザヤ53:5)
それでも、私たちの刀で死んでいたイエス様は、絶対に口を開きませんでした。残酷な事件のお父さんのように。イエス様が口を開くと、私たちが傷つくからです。私たちが死ぬからです。イエス様は私たちのために、最後まで濡れ衣を着て亡くなられました。これが、イエス様の心です。私たちの親も全部そうです。「私が死んでも、私の子供だけは、どんな方法を使っても生かしたい。」これが十字架のイエス様の心だったです。イエス様は私たちのせいで受けたどんな悔しいことでも、最後まで口を開きませんでした。殺人者である私たちを守るために。
神様の前での私たちは、先の残酷な息子よりもっと大きいな罪びとであり、十字架のイエス様の愛は、この殺人者のお父さんの愛よりもっと深くて広いです。
私たちは、この愛を受けている人々です。この愛を悟らなければなりません。
お父さんが最後まで口を開かなかったのは、自分のためではなく、息子のためでした。これが十字架の愛です。私たちはそのお方を刀で刺したが、そのお方はむしろ私たちが傷つくかも知れないから、また他の人がわからないように、悲鳴さえあげず、口を閉じて亡くなられました。イエス様が口を開くと、犯人が誰かがする分かるからです。私たちの罪がすぐ沸き出るからです。それでそのお方は、口を開けませんでした。
そのお方は、私たちのために、最後まで口を開きませんでした。残酷な息子のお父さんのように。

3.        イエス様の沈黙
沈黙は、人のできる最高の愛の表現である。沈黙がある人は、どの人の罪も赦すことができる。沈黙は、人が持てる最高の能力である。沈黙がある人は、どんなこともできる。沈黙がある人は、どんな悔しい十字架も喜んで背負うことができる。沈黙は、救いの最後の力だった。イエス様の十字架の最後の愛の姿は、「沈黙」だった。沈黙は、愛の最高の表現なのだ。
沈黙は、自分のために黙秘権を行使することではない。沈黙は、相手のために、その人の過ちを言わないことである。「愛はすべての罪を覆う。」(箴言10:12)
愛すればするほど、他人の過ちについて口を開いてはいけない。
相手のために口を閉じるべきだ。そうすると、あなたによってその相手が傷つかない。沈黙は、罪人を守ってあげる最高の盾である。
口数が少なければ少ないほど、愛の十字架は大きくなるが、口数が多ければ多いほど、愛の十字架はみすぼらしくなる。
十字架は、イエス様が両手を広げて、全身であなたの罪を覆ってくださった場である。槍が飛んでくると、体で槍を代わりに打たれ、大きな釘を手のひらで代わりに打たれた場である。その方が、私たちの罪をご自分の口から話すことができたはずがない。
沈黙は十字架の愛の完成である。
「愛を求める人は罪を覆う。前言を翻す者は友情を裂く。」(箴言17:9)
「成功する人は忍耐する人。背きを赦すことは人に輝きをそえる。」 (箴言19:11)
背きを赦すということは、口を開かないということである。つまり、沈黙のことである。
だから、沈黙はその人の輝きだということである。沈黙する人は、必ず輝きを得る。イエス様が十字架で沈黙され、神様の玉座の右にお座りになったように、神様は、悔しいことに沈黙する人を大事にしてくださる。
沈黙は金ではなく、沈黙は輝き(栄光)である。
ワシントンに行くと、リンカーン記念館がある。そこで、リンカーンの行動ルールという、額縁に入れられる紙一枚を売っている。そこを見ると、リンカーンの行動ルールの第1番がこう書いてある。
‘Better to remain silent and be thought a fool
Than to speak out and remove all doubt.’
(後悔や疑いが晴れるように、一生懸命解明することより、
たとえ馬鹿扱いをされても、沈黙するほうがもっといい。)
リンカーンは、「沈黙」を自分の行動ルールの第一にした。どんな悔しいことがあっても、たとえ馬鹿扱いをされても「沈黙」することを大切にした。口を開いて疑いが晴れることより、沈黙して悪い人とされた方がもっといいとした。それで、彼は世の最高の人物になったのである。沈黙は、その人の「栄光の指数」だからだ。
平凡な人々は、自分の罪については隠そうとし、他人の罪については話そうとするが、
偉大な人は、自分の罪については正直にいろうとし、他人の罪については沈黙しようとする。
偉大な人物になる人は、他人の罪について口を開かない。
‘remain silent’
中傷は傷を残すが、沈黙は栄光を残す。
中傷に対する沈黙のエネルギーを、主の愛を伝える伝道に爆発せよう!

4 コメント

박유진

2008-04-02 01:33:14

1はイン・ソンジョンさんが、2はイ・ドンフンさんが訳してくださいました。ありがとうございました。

中森千草

2008-04-03 06:30:57

筋道、正しく生きることが美徳だと思っていて、つい正義感が強くなっていました。でも、いつからかそういったことにがんばる力がなくなり、どのように思われてても真実は神様が知っておられるという考え方になり、弁明することはなくなりました。
真実でないこと、うわさによってつくられた違う私が一人歩きしてても、そういった部分にエネルギーを使うパワーがもうありません。このような考えになったきっかけは、イスラエル人のスタッフからなのですが、彼らとの出会いをご計画してくだっさた神様に感謝しています。

古郡武志

2008-04-04 17:35:38

イエス様の忍耐
 「いくら悔しくても、十字架のイエス様より辛いか?十字架のイエス様を黙想してほしい。」
 会社で仕事をしていると、人間というのは、本当にくだらないことで他人をうらめしく思ったり、自分の境遇を悲しんだりするということを実感できる。
 「なんであいつは俺より仕事ができず、ミスもしたのに俺より先に昇進したのか?なんで俺より高い給料をもらっているのか?なんであいつが気に入られるのか?」
 こんなことを考えてもしょうがないし、こんなことを考えているひまがあるんだったら、一生懸命仕事をすればいいのにと思うのに、それができないのである。誰しもが、うらやんでもしょうがないという思いながらも、人をうらやんでしまう。それは、人間にはプライドが強く染みついているからである。能力に見合った高い評価を受けたい、人に気に入られたい、ミスや弱点はできるだけ人に見られないようにしたいという情念が最も強く働いている場所が、様々な人間関係のしがらみの中で出世競争を繰り広げる会社という場所である。
 もちろん、自分の身に覚えのないことで責任を問われたら、あらゆる方策を尽くして自分のせいではないことを明らかにして、真犯人を追及しなくてはいけない。
 イエス様の歩んだ道は、このような世の論理とは全く逆であった。あらゆる冤罪を被られたにもかかわらず、何も言わずに亡くなられた。どんなに悔しいことだろうか?他人の罪で死んでいく悔しさは想像もつかないとしか言い様がない。
 十字架でまず思い浮かぶのは、むちうたれたり、くぎをうたれたり、十字架を担がされたりする肉体的な苦痛である。もちろんそれも想像を絶することではあるのだが、自分は無罪なのに人の罪を着せられて死んでいくことの悔しさ、悲しみ、絶望、このようなものに思いを馳せなければならないと思うのである。
 「おまえの罪のために代わりに死刑になってくれる人がいったいどこにいるのか?」
イエス様の御業に対する思いがあれば、この世での悔しさ・悲しさ・つらさはたしかに克服できるはずであるが、自分の姿を見ると現実にはそうではない。
 自分のプライドを大切にし、人を蹴落とす競争主義的経済社会の論理にどっぷりはまりこんでいるので、「人のために冤罪を甘受して何も言わずに死ぬ」ということに対して遠い距離感を感じているからであろうか?
 ただ、これは理解の対象ではないのである。イエス様が何も言わずに冤罪を甘受して死んで下さったからこそ、私は生かされている。神様の成し遂げた御業であり、人間が理解することではなく、信じることなのである。
 何も言わずに死んでいったイエス様に対する信仰が生活の中で生きるようにしたいと思う。私の中では、今、罪を犯した同僚のために上司に一緒に頭を下げに行った「塩狩峠」の主人公が頭に浮かんでいる。その場面も、イエス様の歩みが反映されたものとはいえないだろうか?プライド・自己保身・弁明・私利私欲の支配から脱却できますように・・・・

木下 

2008-04-05 08:35:25

イエス様は私たちの罪のために口を最後まで口を開かず沈黙を通されたことに感謝します。沈黙を守り通すことは難しいことだと思います。他人の考えを尊重し受け入れるよりも、時には、自分の考えに固執して主張したりすることもあります。未熟な私ですが、これからは、さらに沈黙の大切さを感じながら生活していきたいと思います。

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