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중앙영광교회

生きている教会

이용규목사, 2008-04-08 00:56:05

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「生きている教会」

御言葉// ローマの信徒への手紙 15:16-19

教会とは、世から選ばれた神様の民であり、世に遣わされたイエス様の弟子たちである。
教会とは、神様に選ばれ、世に遣わされた神様の人々の集まりである。教会は健康にならなければならない。教会は生きていなければならない。それによって、世を生かすことができる。
神様の御前で我が教会はどうだろうか。自分はどうだろうか。
本当に、生きていると言えるだろうか。外は生きているように見えるが、力はすでに死んでいるのではないか。
生きている教会、健康な教会だけが、世に向かって光を発することができる。世を変えることができる。世を救うことができる。
主の御前で生きている教会(私)は、果たしてどんな教会(私)だろうか。
二つが生きている教会が、真の生きている教会である。
「自尊感が生きている教会(私)」そして、
「使命感 生きている教会(私)」である。
自尊感が生きていると自分が生き、使命感が生きていると教会が生きる。
教会の部分である自分がまず生きると、キリストの体である教会も生きる。

1.        自尊感
生きている教会に対する診断について、二つの信仰の問いがある。
その第一は、「私は誰か?」である。「自尊感」の回復に対する問いである。この問いに対する答えは本当に大切である。
自分を正しく知らなければいけない。主の中で、自分の身分を正しく悟ることは、人生において何より大切である。しかし、これは本当に大変難しいことである。悪魔が世を道具として私たちをずっとだまし続けているからだ。悪魔は、世的妥当性が十分な理由を羅列しながら、「だから、お前はだめなやつだ。お前はもうおしまいだ。」と言う。目に見える環境もそうだから、私たちは、悪魔の言葉を簡単に認めてしまう。それで、自分に対する不安と失望と挫折と落胆の沼から出ることが簡単ではない。
私たちは、ここで悟って立ち上がるべきだ。
悪魔は偽りを言う霊であり、だます霊だからだ。悪魔が与える自分の姿は、「偽の自分の姿」である。「本当の自分の姿」は、神様が教えてくださる自分の姿である。なぜなら、神様は真理だけ語られるからだ。知恵のある人は、「悪魔が自分を誰だと言うか」には全く関心がなく、「神様が私を誰だとおっしゃっているか」に集中する人である。悪魔の言葉は偽りであり、神様の御言葉が真であるからだ。
では、神様は私たちを誰だとおっしゃっているか。
「しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司」(一ペテロ2:9)
神様は私たちに言われる。
「私があなたを王の系統を引く祭司として選んだ。」と。
では、あなたは誰か?「世の王だ。世の祭司だ。」誰が何を言っても、環境がどうであれ、状況がどうであれ、あなたは王なのだ。神様があなたをそういうふうに任命されたからだ。神様は真実だけおっしゃる。神様が与えてくださったこの大事な身分を、悪魔の誘惑に奪われてはいけない。生きている教会は、いつもこの身分意識で満たされている。
あなたは本当に確信しているか?
「私は、神様に任命された世の王だ。」という自分の身分を。
天国に行かれる前に、イエス様もこの身分を私たちに再び確信させてくださった。
「わたしの父がわたしに王権を与えてくださったように、わたしもあなたがたに王権を与えます。」(ルカ22:29、新改訳)
私たちは確実に王権を頂いた人々である。
身分に対する信仰の告白をもう一度いってみよう。
「私は王だ!私は世の王だ!私は神様に任命された本当の王だ!」
悪魔はこの身分をあなたから奪おうと、機会を狙っている。
どんな挫折感、罪責感が来ても、この大事な身分を奪われてはいけない。
確実な身分意識は、自尊感を回復してくれる。
「自尊感」は、自分が自分自身を尊敬する心である。自分が自分を価値のある存在として、大事な存在として見ることである。自分を見る目が自分の未来を決める。信仰の人は、主の御言葉で自分を見る人である。自尊感は、人生において大切なことである。自尊感が大きいな人は、必ず大きいなことを成し遂げるが、自尊感が小さい人は、小さいことすらうまくできない。
御言葉であなたの自尊感を回復することが急務である。
あなたの家庭をもう一度点検してみよう。
あなたのお父さんは誰か?万物の持ち主の神様である。
では、あなたのお兄さんは誰か?イエス様である。
あなたは誰か?あなたは王であり、祭司である。
この程度なら、素晴らしい家庭ではないか。絶対、世のことで気が小さくならないでほしい。あなた自身がどのような人かよく分からないからそうなるのである。あなたの家庭は、天国の皇室の家庭である。
信仰の人は、絶対悪びれない。何もないように見えても実は、すべてを全部持っている天国の相続者ではないか。
世の中で落胆と挫折が来る時があるか?その度に、自分に正確に教えてあげよう。「あなたは世の王であり、天国の相続者なのだ。」


2.        使命感
生きている教会(私)に対する二番目の問いは、「私は何をすべきか?」である。これは、使命感を悟らせる問いである。
場所が大事ではなく、仕事が大事である。場所だけ取らずに、仕事をしなければならない。仕事のために場所が必要であり、場所のために仕事を作ってはいけない。
イエス様ははっきりこうおっしゃった。
「もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。」(ルカ13:7)
{土地だけふさがせて何も仕事をしていない場所は、早くその場所を切らなければならないと、強く警告されている御言葉である。ある場の座を持っていると、場の値に当てはまる仕事をすべきだ。世にただで食べられる場はない。}→(お詫び:この部分の訳が難しくて、少し不自然かもしれません。パク)
神様はなぜ私たちを選んでくださったのか?それは、私たちのすべき仕事がきっとあるからだ。これは何だろうか?簡単である。神様は私たちを王の系統を引く祭司として任命されたため、祭司の仕事をすればいい。それが、私たちの使命である。
祭司は、民のためにいけにえをささげることをする。罪の問題で隔ての壁があった神様と人間の間を仲裁することをする。旧約時代では、神様に動物の血をいけにえとしてささげた。そして、イエス様は大祭司として、ご自分の血を神様にいけにえとしてささげられた(ヘブライ4:14-15、マルコ10:45)。今日(こんにち)の祭司は私たちである。では、私たちは祭司として何をすべきか。イエスの血を世に伝えればいい。神様はこの点について、本当に正確に語られている。
「神の福音のために祭司の役を務めているからです。」(ローマ15:16)
私たちは祭司であり、祭司はイエス様の働き手である。イエス様の与えられた仕事をすべきである。その仕事とは何か?つまり、「神の福音を伝えること」が祭司の仕事だとはっきり言われている。この地上の祭司として任命された私たちのすべきことはこれである。伝道すること。福音の内容であるイエスの血を伝えることである。伝道に怠けている人はつまり、祭司の職分に怠けている人である。神様が私たちを王の系統を引く祭司として立ててくださったのは、伝導のためである。ところで、私たちは、何をしているか? 折が良くても悪くても福音を伝えるべきなのに。
伝道を通して救われた霊こそ、神様が喜んで受け取られる最高のいけにえだとおっしゃった。(ローマ15:16、ルカ15:7)
なぜなら、救われた霊を通してイエス様の血が神様にささげられるからだ。今日(こんにち)のいけにえは伝道された霊であり、祭司は伝道者である私たちであり、伝道がいけにえをささげることである。命を生かせるこの大事な祭司の職分を、教会(私)が取り戻すべきである。必ず!
教会は、世の中で選ばれた王の系統を引く祭司である。ここで、主が与えてくださった「自尊感」を回復しなければならない。
主の中で、自分を正しく見なければならない。「私は世の王だ!」
自分を尊敬する心を持たなければならない。「私は私を本当に尊敬する!」
教会は、世に遣わされたイエス様の弟子たちである。ここで主が与えてくださった「使命感」を回復しなければならない。「私の頂いた使命は、真の祭司として伝道することだ。このために私は世に遣わされた。」
生きている教会(私)はどんな教会か?
自尊感と使命感が生きている教会(私)である。
パウロは素晴らしい自尊感を持っていた。そのため、彼は大きいなことを成し遂げたのである。
「そこでわたしは、神のために働くことをキリスト・イエスによって誇りに思っています。」(ローマ15:17)
「わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。」(ローマ1:16)_
また、パウロは素晴らしい使命感を持っていた。それによって、彼は伝道に全人生をささげたのである。
「また、しるしや奇跡の力、神の霊の力によって働かれました。こうしてわたしは、エルサレムからイリリコン州まで巡って、キリストの福音を【あまねく】宣べ伝えました。」(ローマ15:19)
「自尊感と使命感」だけが、幸せで力のあるクリスチャンを作ってくれる。
この二つの「感」を持って世に行こう!そして、世を救うことに先鋒になろう!
福音の核心は、「イエスの血、十字架の血潮」である。
刀の上で踊っていた巫女が「イエスの血」の前に倒れてしまったように、世のどの力もイエスの血の前には勝てない。私たちは世にこの十字架の血潮を撒く人々である。
「イエスの血潮によって命じる。この汚れた霊、出て行け!」
「イエスの血潮によって命じる。この汚れた霊、私から出て行け!」
「イエスの血潮によって命じる。この汚れた霊、私の家庭から出て行け!」
「イエスの血潮によって命じる。この汚れた霊、私の教会から出て行け!」
「イエスの血潮によって命じる。この汚れた霊、日本から出て行け!」
イエスの血潮は、すべての悪魔の権勢に勝つ。(ヨハネ12:11)
祭司の職分を取り戻そう。伝道しよう。イエスの血潮を全世界に撒こう。
生活の現場が伝道の現場になるようにしよう。これだけが、この世の唯一な希望である。

5 コメント

安間チョウコ

2008-04-09 18:00:50

使役訓練教科書Ⅲ第1課―カタルシスと愛着心
使役訓練の授業中、証(意見)を述べられる方々が、感極まって涙が溢れて、テシュペーパーの箱が、あちこちの机をまわる。牧師先生は「涙も恵みだからね。」と言われる。私はそこに同席しそのお恵みに預かれ「神様こんなに美しい場面を共有させていただき、ありがとうございます」と祈る。使役訓練のクラスの方々の顔を見るとホッとする。クラスで心が一つになって清められるカタルシスの経験を何度もしてきた。この方々と一緒に学んだことを記憶にとどめている限り、世界の果てまでも伝道できると自分に言える。
教科書はⅢ、smallgroup属会に入った。박빛나さんは홍인기さんの結婚式に参席するだけのために韓国に行ってこられたという。牧師先生が「それこそ教科書の中の属会への愛着心じゃないですか」といわれた。はからずも私も하제란さんと属長という立場で属会にいるが、私が母親?いやおばあさんのようになって属会のために祈ること、属会を愛していることは心の大きい部分を占めている。「聖書、属会が、私の人間としての重みだ」と確信して言えるように成長したいと思っている。

中森千草

2008-04-10 06:31:27

イエス・キリストの流された血潮の力のすごさを、体験することができました。
弱りかけていた心によって、すべてのことに力を注ぐことができず、情熱は失われつつあり、忍耐ができず、諦めることばかり考えて、自信さえも持てない状態でした。
でも、今、私の心は回復し、自分の存在に目が覚め、堂々と胸を張って歩くところまできました。
神様からいただいたこの世界での仕事に、生きがいをもっていきたいと思います。

木下 

2008-04-11 16:13:52

私自身として自分と大切にして、使命感を持って生活しているのでしょうか。考える機会を与えてくださり感謝します。最近、私自身が健康な状態であり続け、自分自身も大切に生活するよう意識して自分を コントロ-ルできているのでしょうか。 コントロ-ルはうまくできていないと感じています。聖書を通して、自分自身の状態を診断して、聖霊に導かれ、健康を回復していけるようお祈りしたいです。

古郡武志

2008-04-11 18:13:29

「自尊感が小さい人は、小さいことすらうまくできない」
 日本は、自分をだめな人間と考え、やる気を失う症状が蔓延しているように思う。自分はそのような状態ではないが、社会的地位や経済状態といったような世的な価値で自分の身分を考えてしまうことが多い。(一日の大半を費やす職場においてはそのような見方が支配的であるからである。)また、そのような世的な価値で自分の身分を考えてしまうことがやる気を失う原因でもあろう。天国で神様の御前に立つ時は、会社での役職や預金残高など何の意味ももちはしまい。世的な価値ではなく、神様の見方で自分のことを考えるようにしたい。
 「私は王だ!私は世の王だ!私は神様に任命された本当の王だ!」
本当に有りがたいと思います。気が弱く、いつも自信のない私だが、本当に勇気を与えてくれる言葉である。
 神様が私に与えられた使命をきちんと果たせず、恥ずかしさ・抵抗感・負担感と格闘する日々が続いているが、神様が私にこの世におけるどんな地位よりも尊い身分を与えて下さったことに感謝し、かつ自信を持ちながら、使命を果たせるように努力をしていきたいと思う。

田辺高幸

2008-04-12 08:34:21

先週は、父親が借金苦のためか行方不明になってしまった。非常に困った事態であった。ただ僕はそんな父に思った。「イエス・キリストの教えに従って許す」。こんな状態であったので僕は礼拝の時に、本当の気持ちでこう叫んだ。「イエス・キリストの御名によって命じる。家庭に入り込む悪き霊たちよ出てゆけ」。そうしたら朝の属会の最中に母親から、父親から連絡が入ったという知らせを受けた。主の起こす奇跡が起きた瞬間だった。
奇跡とは決して理屈ではない。それを超えたものである。人が何故、主を信じられないのか、それは奇跡を理屈で考えているからではないか?信仰が理屈で持てないのなら理屈を捨てた方がいい、そうすれば奇跡は起きるよ。
確かに自分本位の考えには主は奇跡は起こして下さらない。何度無視されたか?だけど自分にとってしっかりした願いは主は奇跡を起こして下さった。これを体感すると信じるしか方法はない。
このことは今回のリップルにふさわしいかは分からない。ただ本当に起きたこととして書きたかった。神様は明らかにおいでになる。今週はそんな気持ちでいっぱいになった。主についていけば間違いはないことを本当に思い知らされた。

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