Skip to content

중앙영광교회

世を変化させる力

이용규목사, 2008-04-17 01:36:04

閲覧数
412
推奨数
38
「世を変化させる力」

1.イメージを回復しよう
世を変化させる力はどこにあるのだろうか。
人を変化させる力が、世を変化させる力である。人が変わることが、世が変わることであるからだ。
信仰を持つ人には何よりイメージが大事である。世を変化させる力とは、良いイメージである。世の中の教会に対するイメージが、まさに天国のようであれば、誰でも来たがるはずであろう。誰も教会に来ることを願うようになると思う。ある有名な指導者が次のように話した。「イエスは好きだけど、教会は嫌いだ。」この言葉で、教会のイメージはどれほど墜落されているかがよく分かる。イメージが回復されなければ、教会には希望がない。神様のイメージで、天国のイメージで回復すべきである。
では、誰が回復しなければならないだろうか?それは、教会の各部分である私たちの手によるものである。
イメージ変化がすべての変化を主導する。
人間の堕落によって、神様が与えてくださったイメージが崩れてしまった。神様が人を作られた本来の姿はどうだっただろうか。
「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。」(創世記1章27節)私たちは本来、神にかたどって作られた。つまり、これは神様の完璧な作品として作られたという意味である。神様にかたどって創造されたから、これ以上完璧な姿はないはずである。
神様にかたどったと言うが、これはいったい何を意味するのだろうか。
見かけが神様に似たという意味だろうか。もちろんそうではない。神は霊だからである。では、どの面が似ているということだろうか。英語の聖書に記録されているように、神様イメージに似るように作られたのである。人間は本来、神様の最も善なるイメージを持っていた。ところで、罪が入り、人間にあった神様のイメージは破壊されてしまった。その代わりに、悪魔のイメージの陰がさしてしまった。それによって、カインはアベルを殺し、ノアの時代には神様が人類を直接滅びさせなければならないほどまで至った。
神様は、人間に神様御自分のイメージを再び回復させてくださるために、イエス様をこの地上に遣わせた。イエス様のイメージはつまり神様のイメージであるため、人間にイエス様を通して神様のイメージを回復させようとされた。イエス様に似たようになることが、神様のイメージを回復する早道である。

2.        どうすれば、イメージを回復することができるか。
私たちが神様のイメージを回復すると、世が私たちを見て神様に栄光をささげるようになる。
イメージがよくなると、人々が自ら集まることは当然のことである。では、どうすれば神様のイメージを回復することができるか。それは、信仰の人の心と手と口によるものである。
心には欲を無くし、手にはいつも善い行いが必要で、口にはラッパを除かなければならない。
そのような人には、人々が自ら集まる。これが、すべての成功の秘密である。
人を集めようとしないで、まずイメージを変えてみよう。
驚くことがあなたを待っているであろう。
世を変化させる力はイメージの変化である。

1)        きれいな心を持とう。
「魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい。」(一ペテロ2:11)
肉の欲は神様のイメージを破壊する主犯人である。アダムとエバも結局、悪魔の誘惑により肉の欲を避けなかったため、善悪の知識の木の実を食べ、罪を犯し、「神様のイメージ」を破ってしまった。
今日の教会が世の光になれず、逆に世に悪いイメージを与えている原因は、結局「肉の欲」のせいである。
肉の欲をコントロールしないと、イメージは改善できない。
欲が多い人で、良いイメージを持っている人はいないだろう。
欲が入ると、イメージはすぐ汚染されてしまう。
「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。」(フィリピ2:3-4)と書いているように、利己心や欲は禁物である。利己心や虚栄心は肉の欲であるが、謙遜は神様が与えてくださった霊のイメージである。欲の代わりに謙遜を持ち、自分のことだけ考える代わりに、相手のことにも注意を払ってくれる姿が、イメージ回復の第一段階である。
まず、神様が与えてくださった心のイメージを、謙遜によって回復しなければならない。
「欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。」(ヤコブ1:15)

2)        良い行いをしよう。
「異教徒の間で立派に生活しなさい。」(一ペテロ2:12)
ここでいう異教徒とは、イエス様を信じない人々を言う。彼らのクリスチャンに対する先入観は、よくない場合が多い。そのため、彼らはクリスチャンを「悪人呼ばわりしている」と表現している。
クリスチャンは彼らにどうすべきだろうか。どうすれば、彼らが持っているクリスチャンに対する悪いイメージを変えることができるか。何がクリスチャンについての間違った先入観を変えさせることができるか。これは、驚くことに、お祈りでもないし、御言葉の勉強でもない。それは、クリスチャンである私たちの行いである。私たちの善い行いが、彼らが持っているイメージを変えてくれる。そして、もっと驚くことは、そのイメージによって彼らが救われる奇跡が起こることである。「そうすれば、彼らはあなたがたを悪人呼ばわりしてはいても、あなたがたの立派な行いをよく見て、訪れの日に神をあがめるようになります。」(一ペテロ2:12) この御言葉はつまり、イエス様が再臨なさる時に、彼らも救われた民として天国のパーティーに参加するようになるという意味である。善い行いはこのように力がある。善い行いは善いイメージを作り、善いイメージは救いの御業を起こす。
イエス様は直接語られた。
「あなたがたは世の光である。
そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」(マタイ5:14-16)
光はつまり善い行いである。信仰の人が世の真の光になるためには、善い行いの光を世に照らさなければならない。善い行いがなければ、光を失ったことと同様である。
光は照らすことがないと光ではない。信仰の人は、善い行いをしないと信仰の人ではない。信仰の人は、何より善い行いを豊かにすべきである。我が教会は世の中でどの程度善い行いをしているか?自分は果たして世の中でどれほど善い行いをしているか?これが、本当の世の光である姿にも関わらず、この大事な使命を忘れていたのではないだろうか。
1週間に1回飲み物のおもてなしをしてもいいし、駅前を掃除してもいいし、それもできなければ、歩きながら落ちているゴミ1個を拾ってもよいだろう。
他の目的ではなく、ただ世の光になるためにクリスチャンは、善い行いを続けなければならない。そうすると、イメージもきれいに掃除され、世が喜んで神様に戻ってくるようになるだろう。
「今日はどんな善い行いをしようか?」この問いに喜んで応じる人生が、真の光の人生を生きる人である。

3)        ラッパを吹き鳴らさないように。
「あなたがたの立派な行いをよく見て」(一ペテロ2:12) 
「だから、あなたは施しをするときには、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。」(マタイ6:2)
「施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。
あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」(マタイ6:3-4)
私たちが善い行いをするときに気をつけなければならないことがある。それは、口のことである。善い行いをして、それを自分がしたと、人と会うたびに自慢すると、その分積み上げはなくなってしまう。善い行いは、自分がラッパを吹くと飛んで行ってしまう。善い行いは、他人がラッパを吹くときに素晴らしい力を発揮する。
「善い行いは、自分が話すと反感を呼ぶが、他人が話すと好感を呼び起こす。」
イエス様は善い行いをするたびに、口止めをさせた。しかし、驚くことは、彼らは行く所々、イエス様の善い行いを自分たちの口からラッパを吹いた。そのため、イエス様のことはもっと広く知らせられた。真理は必ず知らせられる。だから、不安にならないでほしい。あなたはただ善い行いをするだけでいい。それだけが、善い行いを善い行いにさせる唯一な方法である。善い行いをした後、絶対ラッパを吹かないように。いかに吹きたくても、我慢しよう。
人々は、神様の愛について聞いた「言葉」を覚えるのではなく、神様の愛を「経験」することによって覚える。善い行いによって彼らの考えを、イメージを変えてあげよう。
初代教会の人々は、欲を避け、自分の所有を売って必要な人々に渡す善い行いをした。それで、彼らは皆から好意を寄せられた。そして、神様は救われる人々を日々仲間に加えてくださった。(使2:44-47)
世を救うことのできる本当の大事な方法は、クリスチャンが欲を捨て、世の光となる善い行いをし、世にイメージを変えてあげることである。良いイメージは好感と感動を与えるだけでなく、自ら動くようにする力がある。イメージだけ変えれば、伝道は時間の問題である。どの伝道でも、クリスチャンのイメージを悪くしてはいけない。結局、伝道が伝道の扉を閉めさせるようになるからだ。

6 コメント

박유진

2008-04-17 01:36:59

1はイン・ソンジョンさんが訳してくださいました。ありがとうございました。

安間チョウコ

2008-04-17 05:32:16

教会のイメージと伝道
私は長いこと日本の教会に通ってきたが、恥ずかしいながら日曜日だけの信者であった。日曜日教会に行き、日曜日聖書を読み、祈り、説教を聴いてもそのときだけで、すぐに忘れた。その繰り返しをしてきた。だから受洗し信仰生活は長いが、何も身についてこなかった。これは私が怠けていたから身につけることができなかったこともあると思うが、日本の教会はこのような私を許し、牧師もそれを放っているといっても言いすぎではないと思う。だから70~80代の信者が多く、若い人が育っていない、非常に憂慮すべきことだ。
この教会に定期的に通うようになってから、びっくりすることばかりであった。早天祈祷会のこと、韓国以外の外国人にも教会がオープンしていること、礼拝が形式的でないこと、牧師が礼拝を導き内容が濃く、信徒も個人的に歌や楽器を献金の時奉たりと自由と喜びに満ちている。礼拝説教が属会の分かち合いやリップルを通して聖書の学びになっている。QTという言葉も知らなかった。ましてや適用ということも。韓国の教会で「聖書を100回読んだ人」と聞くとぞろぞろと出てこられると。キリスト教が伝来したのは、韓国より日本の方が早いはずだが、韓国のクリスチャンは血と汗と涙の努力で布教され韓国でクリスチャン、教会と言うと殆どの方はすぐにイメージが出来る位良いイメージで信者が増えた。しかし日本でキリスト教と言うとイメージすることが出来ないくらい、アイデンテテイが曖昧朦朧となっていると思う。
私は弟子訓練を受けたことを私の所属している団体の雑誌に投稿をした。3月号に載ったが、偶然にも4月号には他の医師が韓国の牧師に徹底的に祈ることを教えられた記事が載っている。今後の日本のキリスト教の布教は韓国の教会、牧師先生にお願いしなければ、日本の現状の教会では難しいと思っている。なぜなら韓国の教会は、キリスト教が現実の生活に密着する方法を持ち、それに基づいて自己に厳しい訓練をしておられる。今はネットワークを通して世界的にキリスト教布教も確立されているのかもしれないが、日本の教会のホームページはどこの教会を見ても応答が出来るようには作られていない。韓国のほうがIT技術も発達しているということだ。
今回の宿題QT、コリント前、9:19~27、私も伝道のためならどんなことでもしたい。
今回伝道して気付いたことはひとりでビラを配っても効果は薄い、ところが桜を見ている人にチームを組んで渡すと受け取り、興味を示してくれる。何人かで街頭に立ったときも、一人よりも多数の力に圧倒されてだろうか受け取る率は高かった。クリスチャンの姿を多くの前で見せ、ビラを配った方が効果的だと思った。日本人には韓国教会と聞くだけで限界と思う人もいるかもしれないが、いろいろ工夫すれば切り開けると思うのでキリスト教、クリスチャンの姿を韓国教会から日本の教会の復興、回復にお手本を見せていただきたいと切に願っている。


中森千草

2008-04-17 05:50:34

イメージは善いことより、悪いことのほうが印象に残されてしまい、少しのミスによっても善いイメージは崩されてしまう。
神様のこどもであるという意識をもって生活しないと、善いイメージはつくられないし、保つことも難しい。
自分の存在をよく知ることにより、行動に変化があらわれ、人格形成され、イエス・キリストに似る人と成長していくのでしょう。
すべての行いに対して、慎重にならなければと、思いました。

木下 

2008-04-18 08:26:14

イエス様に感謝します。イエス様によって希望を見出すことができます。世の中でいろいろと暗い話題がありますが、新約聖書のイエス様が話された教えを読み、イエス様のことをイメージしながら静かに心の中でお祈りをするとき、安らぎを得て、心の中の暗闇を追い出し、心を豊かにすることが出来るからです。確かに、肉体が疲れている時には、精神的にも疲れますが、休息をとることによって再び心に元気が湧き上がります。イメージが大切であることを学びました。少しでも善い行いを持続して行なえるように心がけていきたいと思います。

古郡武志

2008-04-18 17:32:43

僕が教会に行き始めたのは、信頼できる人が薦めてくれたからであった。その時の意識は、「よくわからないけど、とりあえず行ってみるか?」というものであった。もし、よく知らない人であったり、信頼の置けない人であれば、行かなかったであろう。
 そして、教会に行ってみたら、「どうもこの人たちは違う」と思った。それまでは、信仰は、自分のために祈るものとばかり思っていたのだが(例えば、試験の前に合格を祈るとか恋愛が成就するように祈るとかである)、この人たちは、困っている人・苦しんでいる人・トラブルにあっている人のために祈ってあげている。(もちろん、自然な感情として心配したりはするが、祈るという行為にはなかなか結びつかない。)自己の利益追求に汲々としているこの世の中において、競争主義原理(受験戦争、出世競争)のはたらく集団が跋扈するこの世の中において、光を放つ存在に感じられた。「古郡さんのために祈りますね」という言葉を聞くときの嬉しさ・有り難さはこの上なく、何ともいえず心が暖かくなる。(このような言葉は、教会以外で聞くことは極めて困難であろう。)
 私の信仰は、教会に導いて下さった人・教会内で出会った人の放つ光を通して働いて下さった神様によって育てられた。本当に有りがたく感謝している。
 これからは、私が光を放つように努力し、クリスチャンのイメージを変えたいと思う。

田辺高幸

2008-04-19 08:38:33

僕は正直言ってベラベラ男で、この手の人間は敬遠されることも多い。うるさいなって感じである。だから僕は態度で示すしか方法はないと思っている。心の込めた行動は人を動かすと思うからだ。主は僕に「世の光である」と言われた。光は輝かせるから人に魅力を与える。だから一つ一つコツコツと僕の出来ることを行っていこう。そうすればまだこの国の人は変わると思ってそうしている。この国は僕にとっては母なるところだ。批判をしたくなっても好きな場所だ。こんな日本に僕は貢献したいと思っている。光となってこの国を良くしたい。日曜日に出会う小さい子たちを見ると、なおもそう思う。この子の未来のために、素晴らしい国にしたいと思う。主は光になることを僕に与えてくれたのだから、そのように良い行いを行いたいと本当に思ってます。

Board Menu

リスト

Page 44 / 55
Status 番号 タイトル 投稿者 日付 閲覧数
  238

당신은 하나님의 성전

36
이용규목사 2008-05-12 1778
  237

選ばれる者

5
이용규목사 2008-05-08 524
  236

택함 받을 자

31
이용규목사 2008-05-05 1296
  235

言葉が人生を変える

2
이용규목사 2008-05-03 539
  234

말이 인생을 바꾼다

32
이용규목사 2008-04-28 1226
  233

謙遜

3
이용규목사 2008-04-23 550
  232

겸손

36
이용규목사 2008-04-21 1388
  231

世を変化させる力

6
이용규목사 2008-04-17 412
  230

세상을 변화시키는 능력

31
이용규목사 2008-04-14 1207
  229

生きている教会

5
이용규목사 2008-04-08 399
  228

살아 있는 교회

36
이용규목사 2008-04-07 1116
  227

口を開かないイエス様

4
이용규목사 2008-04-02 424
  226

말이 없으신 예수님

39
이용규목사 2008-03-31 1200
  225

復活の人生

6
이용규목사 2008-03-26 428
  224

부활의 삶

35
이용규목사 2008-03-24 1090
  223

洗足と十字架と伝道

8
이용규목사 2008-03-19 662
  222

세족과 십자가와 전도

40
이용규목사 2008-03-17 1207
  221

いただく信仰、献げる信仰

7
이용규목사 2008-03-13 457
  220

받는 믿음, 드리는 믿음

41
이용규목사 2008-03-10 1168
  219

環境と御言葉

7
이용규목사 2008-03-06 471

   

sketchbook5, 스케치북5

sketchbook5, 스케치북5

나눔글꼴 설치 안내


이 PC에는 나눔글꼴이 설치되어 있지 않습니다.

이 사이트를 나눔글꼴로 보기 위해서는
나눔글꼴을 설치해야 합니다.

설치 취소