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중앙영광교회

契約の箱と牛

이용규목사, 2009-07-04 01:52:55

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神様の息子であるイエスキリストがこの地に来られた目的は何でしょう。
「イエスは言われた。私は道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければだれも父のもとい行くことができない。(ヨハネ14:6)」イエスキリストは天国へ行く道を作ってくださり、教えてくださり、導かせる為に来られた。言い換えれば、人生の道は天国へ向かって歩むことだが、その道を教える為に来られた。われわれがイエスキリストの恵みを完全に頂ける道はイエスキリストが教えてくださったその道を真直ぐに、最後まで歩むことだ。これが祝福のある人生の道だ。

1.今まで私が歩んできた道は。
あなたは今まで自分が歩んで来た道に自身があるか。
人生の道の終点で神様の前に立った時、悔いのない、誇らしこを歩んで来たと自負することができるか。我々は頻繁に巨視的な目で自分の人生の道を点検してみる必要がある。例えば、ソウル行き飛行機に乗ったが、降りてみたらニューヨークだったらどれほどあきれるだろうか。先週横浜から東京に帰ろうと電車に乗ったが、その電車が八王子行きであることを後で気づいてどれほど虚しくて腹立ったか分からない。電車や飛行機はまた戻って乗ればいい。
ところが天国への道は違う。自分はこの道が正しこ、祝福の道であろうと信じて頑張って走ったのに目的地に到達してみたら自分が思っていた道ではなかったらどれほど後悔するだろう。
ここに決して後悔しなこがある。神様が導かせる御言葉の道だ。聖書は我々に決して後悔しなこを教えてくれる。
人の判断は愚かさそのものだ。自分の知識、経験から離れない。その範囲の中で正しいと判断したものが自分の正解だ。そして彼は決して自分が間違っていると思わない。それで意地を張るまでしてその道に拘るのだ。こういう人の結末は必ず悔いが待っている。
自分の愚かな枠から離れて神様の御言葉の中に入らないといけない。他人の誘惑より特に、自分の意地の誘惑に勝って御言葉の道を歩むべきだ。こういう人生は、今は少し混沌があるかも知れないが、最後の頃には後悔の代わりに明るい笑顔が待っているだろう。
主日に教会に来るのは、自分の人生の道を毎週点検してみる祝福の機会だ。主日を守ることによって人生が守られるようになる。


2.契約箱と人生
神様はイスラエル民が契約箱を大事にするようになさった。
荒野の生活においても常に契約箱中心の生活を送るようにした。彼らはどこで泊まる時は、先にそこの中心に契約箱を置いて東西南北へ各族が陣を敷くようにして行軍をする時は前後に各族を位置させ、契約箱は常に中央に置かせた。
契約箱には法令箱、証拠箱、神様の軌道と呼ばれる。簡単に言うと、契約箱は神様の御言葉を入れておいた箱で、神様の臨在を象徴する。
神様はイスラエル民が常に御言葉を中心に、神様のご臨在の中で生きてほしかったのだ。
信仰の人の人生は契約箱と直決される。
契約箱を大事にした人は大事にされるし、契約箱を卑しく思った人は卑しくなった。その代表的な人物がサムエルとエリ祭司長の二人の息子だった。
神様はエリの二人の息子たちを戦場で死ぬようにし、その代わりにサムエルをエリの後継者として立たせた。神様がサムエルを立たせた理由は何でしょう。
神様は人を立たせる時にその人の家柄や実力は見ない。ただ、その人の中心をごらんになる。神様は中心が正しい人をお使いになる。
中心が御言葉中心、神様が中心になる人を大きく使う。
エリの二人の息子は祭司長の息子というき既得権を持っていたが、神様を無視して御言葉を無視して自分たちの思いのままに過ごした。(サムエル上2:12,13)
ところが。サムエルは子供の時から親から離れていたが、寝る時も神様の箱がある主の聖殿にいたという。(サムエル上3:3)契約箱を傍にする人には祝福がある。サムエルの契約箱は今日、御言葉と教会だ。常に御言葉を傍にして主の体である教会に近づける聖徒はサムエルのように主の御声を聴くようになる。
私たち皆この時代の「本当のサムエル」を夢みよう。
契約箱中心の人生を送る時、肝に銘じなければいけないことがある。
イスラエル民は契約箱と共に戦場に出たが、大負けした。契約箱と共にしてなかった以前より約10倍もする犠牲者が出た。何故こういう事が起きたのだろう。契約箱は神様の御臨在と約束の御言葉があるのに何故だろう。
御言葉に対する態度が重要だ。彼らはただ御言葉を利用しようとしたからだ。神様の御言葉は利用の対象ではない。神様の御言葉は従順の対象だ。御言葉の僕になるべきで、御言葉を僕として扱うといけない。それでイスラエル民は戦場で契約箱の祝福を頂いたのではなくて逆に、呪いを受けたのだ。神様は常に中心を見る。
戦場で契約箱がペリシテに奪われてしまった。そうしたらペリシテで契約箱はどんな働きを起こしたか。契約箱が置かれる所には災難が絶えなかった。彼らは神様を信じなかったからだ。人々は多くの勘違いをしたりする。契約箱さえあれば安心だと無意識中に考えたりする。しかしそうではない。イスラエルとペリシテで証明してるのではないか。御言葉を持っていることよりもっと重要なのは心構えだ。信仰と従順の心で契約箱を受けないといけない。御言葉を前ではいつも信仰と従順が生きていないといけない。そうしてこそ御言葉の力が生き返る。

3.        契約箱と雌牛
ペリシテから契約箱がイスラエルに戻ってきた時に二頭の雌牛が現れる。
この二頭の雌牛は「御言葉の回復の道」について我々に多くの教訓と挑戦を与えている。バラムがロバを通して神様の御声を聞いたように、牛を通して神様が聞かせてくれる御声に耳を澄ませてみよう。

1) 不従順の言い訳
「まだくびきをつけたことのない二頭の雌牛を取り、その雌牛を車につなぎ、子牛は引き離して牛小屋に戻しなさい。」(サムエル上6:7)と言った。
一つ、不従順の言い訳に勝ってこそ御言葉の従順の道を歩める。
不従順の一つ目の言い訳は「まだくびきをした事がない」というのだ。これは「私はやった事がないのでできない」ということだ。最初は誰でもやったことがない。御言葉に従いたいならこの言い訳を越えないとといけない。
二つ目は「雌牛」だ。今日もこれが大きな問題だ。子供が母を捜して「もー」と鳴くと母牛の心は揺れる。この過程を通過してこそ従順の道を歩むことができる。子供の問題が深刻だ。子供の為に神様の仕事ができない場合が多い。神様が子供を最高のプレゼントとしてくださったのに逆に、彼らが神様に近づけるのに足かせだなんて、真に残念極まりない。どんな道が真な祝福の道なのかもう一度点検してみないといけない。子供、家族の事が神様の仕事に、従順に足かせになる愚かさをはね除けないといけない。
三つ目は「二頭」だ。隣にいる人のせいで従順が難しい。「あの人とは一緒に仕事できないです、」「あの人のせいで教会に来たくないです。」人とまつわる言い訳が思ったより多い。お互い相性が合うからではなくて合わせながら仕事する人が知恵のある人であり、本当に実力のある人だ。
経験の言い訳、家族の言い訳、人の言い訳、この三つの言い訳から勝たないといけない。そうすると牛のように御言葉を最後まで引っ張って行くことができる。
2) 自発的従順
「その二頭の雌牛が行くがままにさせなければならない。」 (サムエル上6:8)
誰かが前で引っ張って、後からムチで当ててくれれば従順の道を歩めるのに・・・
ところが牛はそうではなかった。自発的に従順の道を歩んだ。この道のように美しくて祝福の道はない。御言葉の道は無理に行かされるのではない。自発的に行くものだ。二頭の雌牛は自発的に、左にも右にも逸れずに真っ直ぐに最後まで契約場を引っ張ってイスラエルに帰った。
3) 完全な献身の従順
目的地に到着した牛はどうなっただろう。
車は薪になり、牛は供え物として神様の完全な生贄になった。(サムエル上6:14)牛は契約箱の為に最後まで献身した。契約箱の為に自分の体を燃やして生贄として捧げた。それでその牛の話が聖書に記録されて愚かな人々を教える知恵の牛になった。ベッセメスの二頭の雌牛は誰の姿に一番似てるだろう。
イエスキリストの姿だ。イエスキリストは天国へ導かせる御言葉を与える為に来られた。聖肉神の姿で、自分の体に御言葉を入れてこの地に来られた。自分が契約箱になって天国から救いの御言葉をこの地に配達してくれて、十字架で契約箱を開けて命の御言葉、救いの血潮を降り注いでくれて自ら犠牲の生贄になった。
二頭の雌牛が歩んできた道はイエスキリストが歩んできた道であり、
今日は聖徒が歩むべき道だ。
この御言葉の道がすべての信仰の人に広がることを祝福する。

3 コメント

이용규목사

2009-07-04 01:54:03

한진경 자매님이 바쁜 중에
번역해 주셨습니다.
감사합니다.

中森千草

2009-07-04 08:57:57

御言葉の道を歩けば、はかりしれない祝福がある。
目にはまだ映っていなくても、必ずあります。
だから、神様に従順する生活を送らなくてはならない。
従順という言葉を重く感じがちですが、神様がおっしゃっているからという、ただ純真な心によって行うことが出来ると思います。
神様の前で素直になることが大事であり、畏れることによって従順の姿へと変わっていくと思います。
信仰のチェックをして、正しこを常に歩くことが出来るように、努力していきます。

古郡武志

2009-11-16 08:12:21

契約の箱が送り返されるときに使われたのは、軌をつけたことのない牛であった。

不従順の言い訳の一つに「経験」があるという。
たしかに仕事で担当者を決めるときに自分がやらなくて済むようにするためによく聞こえる台詞が「すいません。私はそういった業務にはあまり経験がないものですから…」というようなものである。こんなときに経験者がいればいいのかもしれないが、経験者が誰もいないときにみんなが未経験だからといって尻込みしていたら、国家であれ会社であれどんな組織であれ崩壊するに決まっている。

列強の脅威に直面した明治維新の時期に日本の指導層が未経験だからといってたじろいだか?…そんなことをすれば国家が滅んだだけである。
100年に一度の不況とも言われているが経営者は未経験のことだからといってたじろいだか?…そんなことをすれば会社が滅ぶだけである。
誰も経験したことがないことが当たり前のように襲ってくる今の時代
「未経験」なんかを言い訳にしていられるか?
経験があって自信があるのか、経験がなくて自信がないのか、そんなことは関係ない。
「やるしかない」のである。
人生はそんなことの連続である。
仕事は未経験の出来事の連続であり、いちいち悩んではいられない。

僕も教会でやっていることも未経験なことの連続であった。
人前で歌うことも、翻訳をすることも、訓練を受けることも、伝道用紙を渡すことも…
未経験を言い訳にして壁から引き返さないでよかったと思う。
未経験という壁を乗り越えてきた僕を見て神様はきっと微笑んでいらっしゃるに違いない。

「未経験」という壁を乗り越えられる信徒でありたいと思う。

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