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중앙영광교회

信仰の道

이용규목사, 2009-06-20 00:15:48

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ヘブライ10:35-39

1. 義人の道
神様は義人を愛する。義人を大きく用いられる。
ノアは当時の義人であった。(創世記6:9)それで神様はノアを通して救いの箱舟を作って人類をお守りになった。
義人の求めは行いの力が大きい。(ヤコブ5:16)それで義人であるエリヤがお祈りをしたら3年半の間、雨が降らなかったし、再びお祈りをしたら空から雨を降らせて地はその実を結んだ。
ソドムとゴモラが火によって滅亡したのは義人の10人がいなかったからであり、イスラエルが国を失ったのも義人がいなかったからである。神様は義人を貴く思う。今も義人を探しておられる。
「主の目は正しい者に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。主の顔は悪事を働く者に対して向けられる。」(ペテロ一3:12)
義人中の義人はノアでも、アブラハムでも、エイヤでもない。完全な義人はイエスキリストである。
「キリストも罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなたがたを神のもとへ導くためです。」 (ペトロ一3:18)
イエスを信じる人々はイエスキリストに従うべきだ。そうしてこそ弟子らしい弟子になるはずだ。
弟子の道は義人の道だ。イエスキリストのように義人の道を歩なまいといけない。

そうしたら義人の道は何でしょう。義人はどんな道を歩むべきか。
私の正しい者は信仰によって生きる(live by faith)’(ヘブライ10:38)
義人の道は信仰の道だ。信仰によって生きるのが義人の人生である。世の中で悪い事をせずに生きるのが義人の人生ではなくてただ、信仰によって生きるのが義人の人生である。
そうしたら信仰によって生きるのは具体的にどういう人生を言うのだろう。

2.        信仰の道
聖書で信仰の道を歩んできた人々を見てみると信仰の道が鮮明に現れる。
信仰の人生は現状通りに生きるのではなくて御言葉(真理)通りに生きることだ。
見えるものを信じて生きるのではなくて見えない真理を信じて生きることだ。
見えるから信じるのではなくて信じるから見えるのだ。
信仰のない人は見えないものは信じないけど、信仰の人々は御言葉を通して見えないものを予め見る人だ。
ノアは洪水を見てから船を作ったのではない。洪水はおろか、雨も見たことないけど、彼はただ御言葉通りに船を作った。海も見たことないが、彼はただ御言葉を信じてその通りに行った。これが義人の姿だ。見える環境通りの人生ではない、見えない御言葉の人生を生きることだ。
イエスキリストはラザロの死の前でマルダにはっきり仰った。
「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は死んでも生きる。生きていて私を信じる者はだれも決して死ぬことはない。このことを信じるか」(ヨハネ11:25)
信仰の道がどれほど力のある道なのかを予め教えてくださった。しかしマルダはいざ、ラザロのお墓の前では頓珍漢なことを言った。
マルダの前には兄であるラザロの死とイエスキリストの御言葉があった。
ラザロの死は目に見える現実だった。誰も否定できない事実だった。
ところが、イエスキリストの御言葉はまだ目に見えなかった。信仰がないと受け入れられない内容だった。あなたならこういう時に何を選ぶのか。目に見えるラザロの死なのか。目に見えないイエスキリストの御言葉なのか。マルダは何も考えずにラザロの死を選んだ。イエスキリストがお墓の前を防いでいる石を移してと仰ったがマルダはこう言った。
「主よ、四日もたっていますからもうにおいます。」(ヨハネ11:39)
マルダは命と復活の御言葉には興味すらなかった。ただ目に見える死だけに敏感な反応をしたのだ。それでイエスキリストは怒りながら「もし信じるなら神の栄光を見られると言っておいたのではないか」(ヨハネ11:40)と仰った。
信じれば見える、見えてから信じるのではない。信仰は見えないものの証拠である。(ヘブライ11:1)
マルダは目に見える現象通りの生活に充実な人だった。死んでから4日も経ち、匂いまでしたら希望が全くないのも間違いではない。ところが、命と復活の主の前では不正解中の不正解だ。マルダは信仰の人生ではない現実に充実な人生を過ごした代表的な人物だった。信仰の人は口を慎まないといけない。目に見える現象の描写者になってはいけない。信仰の人の言葉は常に御言葉を描写しないといけない。そうする時にやがて苦しい環境が御言葉の姿に変わることになる。死んだラザロが主の御言葉の前で生き返ったように。
私たちの人生を振り替えてみよう。私たちは果たして義人の人生、信仰の人生を過ごしてきたか、又は常に環境に振り回されて環境の奴隷として今まで引きずられて来たのではないか。
私の口は果たして主の代弁人なのか。もしくは、目に見える現象の代弁人なのか。
「先祖たちはこの信仰をもって生きたので素晴らしい人に証言された。」(ヘブライ11:2)
信仰の人は現象の代弁人ではなくて御言葉の代弁人だ。
「実に人は心で信じて義とされ口で公に言い表して救われるのです。」(ローマ10:10)
信仰と口は直結されている。人は信じているままに話すようになっている。マルダが本当にイエスキリストの能力を信じていたらそういう風には言わなかったのだろう。口は心を代弁する。「人の口は心から溢れ出ることを語るのである。」(ルカ6:45)
聖書で最高の力の言葉、肯定の言葉は「イエスキリストを自分の主として認める」ことだ。(ローマ10:9)その道が即ち、救いの道であるからだ。
命を愛し、幸せな日々を過ごしたいか。
聖書はその答えを正確に教えている。
「舌を制して悪を言わず、唇を閉じて偽りを語らず。」(ペトロ一3:10)
悪口、偽りが何でしょう。その前の聖句に書いてある。悪を悪で、悪口を悪口で返さずに、祝福の言葉を言ってあげること。(ペトロ一3:9)私の目に見える環境は悪と悪口で返してと誘惑するが、それに乗らずに善で、祝福で返してあげることだ。これが即ち、見えるもので反応するのではなくて見えないもので反応することだ。世の中のもので反応するのではなくて主の御言葉で反応することだ。こういう人は生命が溢れて幸せな日々を過ごせるようになると聖書は約束している。
言葉が大事だ。信仰の人は言葉が世の中の人と違う。祝福を頂く人は口が世の中のそれと違う。彼らは世の中の言葉を言わずに天国の異言を言う人々だ。足は世の中の地面を踏んでいるが、口は常に天国にある。信仰の人は言葉が環境に敏感になっていなく、いつも主に敏感だ。世の中の環境は私たちの口を呪いへ導くが、主の御言葉は私たちの口を祝福へ導く。主に似ている口にならないといけない。
悪は悪を呼ぶし、祝福は祝福を呼ぶ。
祝福を言う人は祝福の相続者になると聖書は約束している。(ペテロ3:9)
信仰の人は信仰の言葉を言う人であり、祝福の言葉を言う人である。

3.        実の道
信仰の道を歩んでいる人に神様は間違いなくその実を用意してくださった。主は彼らに大きい報を約束している。そうしたらどんな人々がその実を味わえるか。
「だから、あなたの確信を捨ててはいけない」
これが大きい報いを貰えるようになる。
あなた達に忍耐が必要な理由は
あなた達が神様の意を行ってから約束なさったものを頂くためだ。(ヘブライ10:35-36)
信仰の道には必ず確信と忍耐がないといけない。
胆大と確信は同じ言葉だ。自分が歩む道に対して確信があると自然に胆大さんが現れる。確信が内側の人間の姿なら、胆大さは外側の人間の姿だと言える。胆大さがある人は大きい報いを頂く。ヨシュアを見てみよう。彼は真に胆大な人だった。その胆大さは環境から来る胆大さではなかった。逆に環境はその反対だった。丈夫なヨリコ城が彼の目の前にあった。ところが、彼は胆大だった。何故。神様の御言葉があったからだった。「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おのおいてはならない。あなたの神、主が、あなたに行く所どこにでもあなたとともにあるからである。(ヨシュア1:9)
それでヨシュアはカナアン地を全部頂く大きい報いを頂いた。
それと忍耐が必ず必要だ。一回二回だけ信仰の道を歩むことではなくて最後まで歩まないといけない。そうしてこそ神様が約束なさったものが頂ける。数多くの人々がここで躓く。忍耐できないのは多くのクリスチャンたちのお墓だ。ここで多くの人々が止めて諦める。信仰の道は最後まで歩まないといけない。決して中途放棄してはいけない。荒れ野のイスラエルの人々が中途放棄したので結局、彼らはカナアン地に入れずに荒野で死んでしまったのではないか。
あなたは荒野で苦労ばかりして死にたいのか。
もしくは、最後まで忍耐して乳と蜜の流れるカナアンの地の主人公になりたいのか。
たとえ、その道が今は荒野の道だとしても、確信と忍耐をもって信仰の道を賛美しながら最後まで歩む群れが現れるよう祝福します。

4 コメント

이용규목사

2009-06-20 00:16:33

한진경 자매님의 정성어린 번역입니다.
감사합니다.

中森千草

2009-06-20 05:47:10

見えるものではなく、見えないものを信じるのが信仰であり、神様をみることが正しい生き方なのだと思う。
義人を意識して生きてはいませんが、神様のおっしゃることに従い、御言葉が絶対的だという思いだけで世の中を歩いています。
御言葉は神様であり、生きておられる。
神様への畏れが強くなるにつれ、従順することが身につきました。
私は現実に失望するのではなく、神様に純真な心をもって、神様のほうに向かっていきます。

田辺高幸

2009-06-24 18:05:06

ソロモンが神からいただいた知恵によって書かれた書に「知恵の書」があります。これは旧約聖書続編に収録されているため、プロテスタント系の教会ではほとんど読まれない(旧約聖書続編はプロテスタントでは教典に含まれていません)ので知らない方もいらっしゃると思います。その書に、自分にグサリと刺さる言葉がありました。それは1章1節にある「義を愛せよ」です。
何故ソロモンはこれを初めに書いたのかを書いたのかを考えたときに、今回の説教で答えが分かります。神様は義人を愛され、義人を大きく用いられるのです。聖書にはたくさんの義人が現れます。その中でも義人中の義人はイエス・キリストです。何故なら神に背いた人類の罪を、神に赦して頂くために自らが十字架に貼付けられ、いけにえになったからです。それから神は、人類を常に怒る(旧約にはそのことについてたくさん書かれています)方ではなく、愛の方に変わられました。新しい約束、つまり新約の時代に入ったのです。この偉大なることをしてくださった主は、間違いなく義人の中の義人だと私は信じます。
キリスト者は天の神、御子(イエス・キリスト)、聖霊の3つで1つの神様を信じる者を言います。しかし、この方たちは決して目に見える方たちではありません。ヨハネによる福音書で主は、神は霊であると言われました。この霊という言葉は、ギリシャ語(旧約はヘブライ語、旧約はギリシャ語で書かれています)では風という意味もあるようです。風は見えません。しかしあります。それと同じように神様はあるのです。しかし、特に今のように物品があふれる世の中では目に見える物だけを信じるという傾向にあるように思えます。そんな時にパウロの言葉が私によぎります。
「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」(ヘブライ人の手紙 11章1節)
どうも見えるものばかりに目を奪われがちな私は、この言葉を暗唱して常に神様を忘れないことをしなければならないと思います。そこから初めて信仰の入り口に立てると私は信じます。
聖書は神からの言葉が書かれている書です。ですからわたしは、歯を磨くのと同じように聖書を読むことを日課としています。そのことによって私は神様を忘れないようにしています。神の言葉は間違いなくわたしを励まし、力づけ、そして少しでも私を正しいみちに導いてくれていると信じています。それを毎日ブログに書くこともしています。読むだけでは忘れがちな私は、書く行為もしないとダメなのです(ブログにはインターネット伝導は出来ないかと思い行ってもいます)。これが私の生きる力になっています。
私に生きる力を与えてくださる神様、私はあなたの信じて救われています。そのことに感謝を申し上げたいと思います。これからもあなたを信じて、義人と言われなくても、義を愛する人になりたいと思います。

古郡武志

2009-06-27 17:07:07

義人にふさわしい言葉を発する人間になりたいものです。
ぐさりと刃のように人を傷つける言葉が横行するこの世の中・・・
神様から受けている愛を分けあたえられるような、慈しみと優しさがにじみでる言葉を発したい。

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