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중앙영광교회

目的に導かれる人々

이용규목사, 2009-09-27 01:06:45

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「万物は御子によって、御子のために造られました。」(コロサイ1:16)
このお話はあなたがどのようにしてこの世に存在するようになったのか、そしてなぜ存在するのかをよく語っています。あなたは神によって造られ、神のために創造されました。
この事実はあなたが認めるか否かには関係ありません。神様がお決めになった人生の不変の真理だからです。自分自身の目的を持ってこの世に生まれてきた人は一人もいません。わたしたちは神様の目的によってこの世に送られたのです。人生の最も大きい知恵は私の人生に対する神様の目的を悟ってその人生を歩むことです。

1.        あなたの人生を導いていくのは何なのか?
わたしたちの人生は何かによって導かれます。大きく3つに分けられます。
一つ目は自分です。自分の価値観、経験、学習などによって導かれます。見た目は格好よく見えますが、非常に危険なのです。わたしたちの中にはいつも堕落した本性が根強く据わっているからです。だからパウロもこのように告白しました。
「わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。」(ローマ7:18)
ある人は過去の罪悪感や恨み、憤りの鎖に引きずられ、自ら悪の道に進んでいき、ある人は欲望(物質、快楽、性欲…)の奴隷になってずるずると引きずられて行きます。自分に多くの欠陥があることを知る者こそが自分の誘惑から抜け出すことが出来ます。
二つ目は他人です。これは自分よりは少しましです。もう少し客観性と一般性があるためです。両親を満足させ、喜ばせようとする人生は悪いとは言えませんが、完全な人生ではありません。上司や友達がわたしをどのように考えているのか?を意識しながら生きると良い点もありますが、副作用も多いです。下手をすれば自分の人生ではなく、他人の人生を生きることになりかちです。
三つ目は良い羊飼いに導かれることです。人生の良い羊飼いは神様です。神様は全知全能なお方で愛に満ち溢れているお方です。神様にわたしたちの人生を導かれることより安全で祝福され、完全な人生はどこにあるでしょうか。この真理を知っていたダビデは死の暗い谷間でも「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水の辺に伴う。」(詩編23:1‐2)と堂々と宣布しました。良い羊飼いの導きを受ける人生は現在の状況とは関係なく、真の幸せを味わうことが出来ます。
わたしたちの良い羊飼いでいらっしゃる神様は今もわたしたちを呼んでいらっしゃいます。神様の御声に耳を傾け、神様の導きについて来なさいとおっしゃっています。青草、憩いの水の辺に導くことを約束なさいます。
「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」(ヨハネ10:11)
「自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。」(ヨハネ10:4,5)神様の羊はただ神様だけに従います。他人がどんなに誘惑しても絶対について行きません。
あなたの人生は誰が主導権を握っていますか?誰によって導かれていますか?自分ですか?他人ですか?良い羊飼いですか?
聖書の中の偉大な人物はどんな生き方をしたのでしょうか?彼らの人生は誰の導きを受けたでしょうか?

2.        目的に導かれた人々
 聖書の中の偉大な人物は互いに約束でもしたように神様に導かれた人生、神様のための人生、神様の目的による人生を生きました。その結果、彼らは希望、喜び、能力、祝福に満ち溢れた人生を楽しみました。これからいくつかの人物についてみてみましょう。

1)        アブラハムの人生
 アブラハムは先祖の代から平和に暮らしていた故郷をある日突然、離れることになります。しかも若いうちではなく、75歳の時です。彼はどうして故郷を離れなければならなかったでしょうか?人々は年を取ると故郷に戻ってきますが、彼はなぜ故郷を離れたでしょうか?家庭に何か問題でもあったでしょうか?彼が何か恥ずかしい罪でも犯して逃げなければいけなかったでしょうか?それとも故郷では生きることが出来なかったでしょうか?それともカナアンに行けばお金を稼げるという噂を聞いたためでしょうか?いいえ、違います。神様から故郷を離れなさいという命令を受けたためです。彼は自分のために故郷から離れた訳ではありません。それはひたすら神様の命令に従うためであり、神様のためでした。アブラハムの人生を導いた方は神様でした。彼は神様の導きに従って故郷を離れました。なぜでしょう?その道がまさに彼のための道であり、最上の道であることを信じたからです。信仰なしでは一歩もついて行けません。信仰は摩擦を取り除きます。信仰は神様の導きに何の抵抗もなく従う力を与えてくれます。
自分の考えも、自分の経験も、自分の知識も良いかもしれませんが、決して神様の導きに先立つことは出来ません。これこそが信仰であります。このような信仰でアブラハムはカナンの主人になり、信仰の父と呼ばれるのです。
しかし、アブラハムも致命的なミスを犯します。(創世記16章)それはハガルからイシュマエルを生んだことです。これは未だに人類に戦争の大きな種として残っています。なぜこのようなことが起きたのでしょうか?それはアブラハムが神様の御言葉を疑って妻のサラの話を聞いたためです。そして自分のためにハガルのところに入ったためです。人の話を聞くこと、自分だけのために何かを行うことがどれほど危険なのかよく分かります。自分のために行ったことが結局災いをもたらしました。真の意味の自分のための人生とは神様のための人生を生きることです。
創世記22章にアブラハムの回復された人生が出ます。ある日、アブラハムは100歳で得た一人子イサクを火で焼くために旅立ちます。なぜ目に入れても痛くないほどかわいい息子を突然殺そうと思ったのでしょうか?年を取ってぼけたでしょうか?自分のために、それとも家門のために特別な事情でもあったでしょうか?いいえ、違います。自分のためでしたら絶対に出来なかったはずです。子供は自分の命より大切であるためです。彼はただ神様のために一人子を殺そうと決めたのでした。たとえ自分の心が引き裂かれても神様のためなら喜んで子供を捧げようとしたのです。なぜでしょうか?わたしたちは神様のために造られた存在だからです。神様のために生きることが存在の理由であり、人生の目的であるためです。しかし、驚くべきことはわたしたちが神様のために生きることと同じく神様はわたしたちのために生きて下さるという事実です。信じる者は人生を神様にかける人です。‘わたしは神様の人生を生き、神様はわたしの人生を生きる’自分の人生を自分のものだと主張すればするほど人生は辛くなります。人生を神様に任せればわたしたちの人生は豊かになります。
2)        ダビデの人生
 ダビデはなぜ契約の箱を持ってきたのでしょうか?そしてなぜ壮麗な聖殿を建てようとしたでしょうか?自分のためでしょうか?自分が住むためでしょうか?いいえ、違います。ただ神様のためでした。神様のために生きる人は神様が高めます。
ダビデは敵(サウル)をなぜ殺さなかったのでしょうか?それは神様のためです。たとえ自分自身は少しばかり辛くても、神様の御心を痛めることは出来なかったためです。神様から油を注がれた者に絶対に手を出すことが出来なかったのです。だから神様は彼を最後まで守って下さいました。神様のために生きる人生は絶対に失敗に終わりません。神様が必ず守って下さるためです。
このようなダビデも躓いたことがあります。部下の妻を犯してしまったのです。どうしてこのような大変なことが起きたでしょうか?それはダビデが神様の御声に耳を傾けず、自分の内面の欲望に負けてしまったからです。神様の御声を無視して、自分の肉の快楽のために行動したためです。自分によって導かれる人生はいつ倒れるか分かりません。
この他にもダニエル、パウロ、モーセなど数多くの信仰の偉人たちが神様のための人生、良い羊飼いに導かれる力ある人生を生きました。
「あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。」(コリント一10:31)
「わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。」(ローマ14:8)

3)        イエス様の人生
 イエス様の人生はわたしたちに完璧なモデルです。
人生の代表的なことは言葉と行い、この二つです。人々は話をしながら、そして事を行いながら人生を送ります。ある人の言葉と仕事を見ればその人の人生を知ることが出来ます。だとすればイエス様の言葉と行いはどうだったでしょうか?
「わたしはあなたから受けた言葉を彼らに伝え、」(ヨハネ17:8)
「わたしは彼らに御言葉を伝えましたが、」(ヨハネ17:14)
「わたしは、行うようにあなたが与えてくださった業を成し遂げて、地上であなたの栄光を現しました。」(ヨハネ17:4)
「わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。」(ヨハネ6:38)
「わたしはその方から聞いたことを、世に向かって話している。」(ヨハネ8:26)
「わたしが、自分勝手には何もせず、ただ、父に教えられたとおりに話していることが分かるだろう。」(ヨハネ8:28)
「わたしをひとりにしてはおかれない。わたしは、いつもこの方の御心に適うことを行うからである。」(ヨハネ8:29)
一言で言えば、イエス様の言葉は自分の言葉ではなく、神様の御言葉であり、イエス様の行いはまさに神様の行いでありました。イエス様の人生にはイエス様自身はなく、ただ神様だけがおられました。だからわたしたちはイエス様の人生を‘共生愛’だと言います。
イエス様は神様と完全に一つになられました。
イエス様はなぜ十字架を背負ったでしょうか?自分のためでしょうか?いいえ、違います。死ぬほど辛かったですが、神様のために十字架を背負われました。‘ただ御心のままになさって下さい’
イエス様の人生には自分自身の人生はありませんでした。すべてが神様のための人生でした。そうであったためイエス様は人生の目的を完璧に達成なさった方です。
そのようなイエス様に神様は万物をひざまずかせ、天と地のすべての特権をお与えになりました。わたしの人生はわたしのための人生ではありません。神様のための物です。‘わたしの人生は自分の人生’だと主張する人は本当に愚かな者です。わたしたちの人生が本当に自分の人生らしくなるためには神様のための人生にならなくてはいけません。そうすれば神様がわたしたちの人生の主人になられ、完全な栄光を現すことでしょう。
「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。」(ガラテヤ2:20)

3 コメント

이용규목사

2009-09-27 01:08:02

이은미 자매님이 번역하시고, 후루고오리상이 감수해 주셨습니다.
감사드립니다.

中森千草

2009-09-27 05:13:43

神様のご計画でこの世界に誕生できたこと。
すごい出来事だと思った瞬間から、私の目は正されました。
神様を優先に生活すること、神様に従うことって特別な行動ではなく、
当たり前のことであることを身に記憶させていただきました。
しかし今の私の生活は、自分で自分の体をコントロールできないのが悔しいと思う毎日です。
早く元気になりたい。そして、神様の栄光のためにもっともっと働きたい。願いです。



古郡武志

2009-11-21 08:24:46

「人は何のために生きるのか?」

昔から唱えられてきたこの問い…
いくら考え抜いても答えなんか出ないこの問い。
いつしか人はこの問いを考えるのをやめ、目の前にあらわれる課題に一生懸命取り組み、目の前の楽しみに身を委ねる。

この問いの答えを求めるのは苦しいことなのだろうか?
太宰治の文学作品「人間失格」の主人公は、次のように語っている。
「人間は、めしを食べなければ死ぬから、そのために働いて、めしを食べなければならぬ、という言葉ほど自分にとって難解で晦渋で、そうして脅迫めいた響きを感じさせる言葉は無かったのです。」
何で働くのか?食べなければいけないから。何で食べるのか?働かなくてはいけないから。
何で働くのか?食べなければいけないから…
自分を中心として生きることの意味を考える限り、この底の知れない恐ろしい不毛な循環
論法から抜け出すことができないのではないか?

ある哲学者は語っていた。
「前もっての意味も無く偶然に与えられた人生、そして格別合理的な理由もなく死をその終局点として迎えなくてはならない人生…「人生全体」にはあらかじめ与えられた意味や目的など一切存在しないと観念すべきである。」
 この哲学者のコメントに対する私の思いをうまく表現するのは難しい。
 しかし、底知れぬ冷たさで心を凍りつかせ、すべてを破壊し尽くすような恐ろしさがある。破滅というか自暴自棄というか…

この地に生を受けたのである。幸せに生きたい…楽しい時間をもちたい。
意味などなにもない虚無感の中では幸せなど有り得ようもない。

職場で自分ではつまらない仕事と思ってやっていても、思わず人から「助かってます。あ
りがとう。」と言われ、意味を見出し、仕事が楽しくなることがある。
ふてくされた自分の気持ちからは何も生まれはしない。

年数単位の短期的な視点では何も見えてくることはないだろう。
この地上での生を超える長大な視点が必要なのである。
私は偶然にできたのではない。
目的をもって私を造って下さった方がいらっしゃる。
この信仰をおいて底知れぬ虚無の深淵から救い出してくれるものは他にあるまい。
たとえ人生における短期的な目的であっても目的に向かって頑張る人の姿は美しく、光を
放つ。

目的に導かれる人生とは、底知れぬ虚無感という深淵の闇から光に向かって歩みだすこと
だ。ともかく光を与えてくれた方に感謝である。

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