違いと一つになること
夫婦が長く一緒に暮らしていると、似ていくという話があります。勿論、長く共に過ごすと、お互いに似ていく部分もあるでしょう。しかし、全く違う所も多く見えてきます。仁川(インチョン)国際空港で、ある若い夫婦が目に入りました。夫がたくさんの荷物を持って妻を追いかけながら、大きな声で自分の立場を話します。しかし、妻は見向きもせず一人でどこかへ行ってしまいました。かわいそうに見えました。何かの大きな意見の差があったまま、旅行に出たようすでした。たまに親に会うと、50年以上をも共に過ごしていたにもかかわらず、二人の意見が合わなくて口喧嘩をする姿を目にします。ある60代の夫婦と食事をしたことがありますが、妻が夫の前で露骨的に自分たちは考え方が全然合わないと話しました。私と妻の場合も例外ではありません。ささいな事で心を傷つくこともあります。それで、私は何かを決める時はいつも妻にまず聞こうとしています。そうしないで私一人で決めた場合は、もしかして妻に何か言われるのではないかと妻の機嫌を伺ったりします。今回、飛行機に乗る時もささいな葛藤がありました。飛行機の座席を決める時のことでした。飛行機の非常口の近くの席はどうかと航空会社の人が聞いたので、広くて一番前の席だから良いと思ってそれに決めると、妻は嫌がる様子でした。それで少々冷たい空気が二人の間に流れたのです。
ほとんどは、ささいな意見の差で夫婦の間に葛藤が生まれます。それは、ハンドルが右か左かは関係ないのと同じく、真理ではなくてその人の趣向が違うだけなのです。真理は譲れませんが、趣向は充分に譲れます。真理死守のように、そこに命をかけるべきではありません。愛で譲り合いながら支えると、得ることが多くあります。
ある牧師先生は、お金を節約しようとしたことで、離婚する直前までいったことがあると言いました。運転教習所に通わせないで、自分が直接妻に運転を教えたけど、妻がアクセルをブレーキに間違って踏んでしまったそうです。その牧師先生は、とても驚いて強い口調で責めたら、それが妻の立場では自分のことを愛していない姿に見えたようで、むしろ妻のほうがもっと怒り出したそうです。それで結局妻に謝って、すぐ教習所へ登録したそうです。
人は、顔が違うように、好き嫌いも違います。どんなによく合う夫婦の中でも、意見の差は必ずあります。お互いの違いを憎むのは愚かなことです。神様がすでに違う姿で人間を造られているのに、同じであって欲しいというのは、どても難しい問題です。違いを認めて、お互いにを尊重する時こそ、違いが一つになって完全になります。譲り合う時、違いが平和を産みます。自分はそれが嫌だと頑固になることではなく、相手がそれを選択したら、それを尊重しながら譲る時、そこには驚くべき愛と平和が入ってきます。自分の意思通りにならなかったことでずっと怒っていたら、雰囲気は悪くなって、互いの心にも傷が残ります。愛は、負けることです。力がなくて負けるのではありません。全能なるイェス様も罪人である私たちに、自ら負けてくださいました。十字架で完全に負けてくださいました。負ければ負ける程、その分愛は流れます。しかし、勝とうとするところでは、葛藤と傷だけが現れます。「私が負けます。私が十字架を背負います。」譲りと尊重は、愛の最も崇高な変装された姿です。相手を本当に愛していますか。そうすると、自分が負けるべきです。自分が死ぬべきです。自分の意見を捨てて、相手の意見を喜んで受けなければなりません。その時、そこには必ず十字架の力が流れるようになります。
負けることは、決して恥じることではありません。自尊心に傷つくことでもありません。その道は、主が歩んだ驚くべき愛の道です。その道に真の力があり、愛があり、平和があります。負けることは、共に生き返る祝福の道です。愛は、負けることです。一瞬我を張ってしまうと、それは愛と命を墓に連れていってしまいます。
夫婦が長く一緒に暮らしていると、似ていくという話があります。勿論、長く共に過ごすと、お互いに似ていく部分もあるでしょう。しかし、全く違う所も多く見えてきます。仁川(インチョン)国際空港で、ある若い夫婦が目に入りました。夫がたくさんの荷物を持って妻を追いかけながら、大きな声で自分の立場を話します。しかし、妻は見向きもせず一人でどこかへ行ってしまいました。かわいそうに見えました。何かの大きな意見の差があったまま、旅行に出たようすでした。たまに親に会うと、50年以上をも共に過ごしていたにもかかわらず、二人の意見が合わなくて口喧嘩をする姿を目にします。ある60代の夫婦と食事をしたことがありますが、妻が夫の前で露骨的に自分たちは考え方が全然合わないと話しました。私と妻の場合も例外ではありません。ささいな事で心を傷つくこともあります。それで、私は何かを決める時はいつも妻にまず聞こうとしています。そうしないで私一人で決めた場合は、もしかして妻に何か言われるのではないかと妻の機嫌を伺ったりします。今回、飛行機に乗る時もささいな葛藤がありました。飛行機の座席を決める時のことでした。飛行機の非常口の近くの席はどうかと航空会社の人が聞いたので、広くて一番前の席だから良いと思ってそれに決めると、妻は嫌がる様子でした。それで少々冷たい空気が二人の間に流れたのです。
ほとんどは、ささいな意見の差で夫婦の間に葛藤が生まれます。それは、ハンドルが右か左かは関係ないのと同じく、真理ではなくてその人の趣向が違うだけなのです。真理は譲れませんが、趣向は充分に譲れます。真理死守のように、そこに命をかけるべきではありません。愛で譲り合いながら支えると、得ることが多くあります。
ある牧師先生は、お金を節約しようとしたことで、離婚する直前までいったことがあると言いました。運転教習所に通わせないで、自分が直接妻に運転を教えたけど、妻がアクセルをブレーキに間違って踏んでしまったそうです。その牧師先生は、とても驚いて強い口調で責めたら、それが妻の立場では自分のことを愛していない姿に見えたようで、むしろ妻のほうがもっと怒り出したそうです。それで結局妻に謝って、すぐ教習所へ登録したそうです。
人は、顔が違うように、好き嫌いも違います。どんなによく合う夫婦の中でも、意見の差は必ずあります。お互いの違いを憎むのは愚かなことです。神様がすでに違う姿で人間を造られているのに、同じであって欲しいというのは、どても難しい問題です。違いを認めて、お互いにを尊重する時こそ、違いが一つになって完全になります。譲り合う時、違いが平和を産みます。自分はそれが嫌だと頑固になることではなく、相手がそれを選択したら、それを尊重しながら譲る時、そこには驚くべき愛と平和が入ってきます。自分の意思通りにならなかったことでずっと怒っていたら、雰囲気は悪くなって、互いの心にも傷が残ります。愛は、負けることです。力がなくて負けるのではありません。全能なるイェス様も罪人である私たちに、自ら負けてくださいました。十字架で完全に負けてくださいました。負ければ負ける程、その分愛は流れます。しかし、勝とうとするところでは、葛藤と傷だけが現れます。「私が負けます。私が十字架を背負います。」譲りと尊重は、愛の最も崇高な変装された姿です。相手を本当に愛していますか。そうすると、自分が負けるべきです。自分が死ぬべきです。自分の意見を捨てて、相手の意見を喜んで受けなければなりません。その時、そこには必ず十字架の力が流れるようになります。
負けることは、決して恥じることではありません。自尊心に傷つくことでもありません。その道は、主が歩んだ驚くべき愛の道です。その道に真の力があり、愛があり、平和があります。負けることは、共に生き返る祝福の道です。愛は、負けることです。一瞬我を張ってしまうと、それは愛と命を墓に連れていってしまいます。
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441 |
사상이 운명을 좌우한다 |
2015-09-25 | 60 | |
440 |
唯一な欠点1 |
2015-09-19 | 46 | |
439 |
유일한 결점 |
2015-09-13 | 51 | |
438 |
知っていることが平和1 |
2015-09-13 | 109 | |
437 |
아는 것이 평화 |
2015-09-11 | 101 | |
436 |
空く、満たす、流す1 |
2015-09-05 | 121 | |
435 |
비움 채움 흐름 |
2015-09-04 | 136 | |
434 |
違いと一つになること1 |
2015-08-29 | 124 | |
433 |
다름과 하나됨 |
2015-08-28 | 59 | |
432 |
信頼の知恵1 |
2015-08-22 | 84 | |
431 |
신뢰의 지혜 |
2015-08-20 | 106 | |
430 |
エクストラマイル(EXTRA MILE)1 |
2015-08-14 | 100 | |
429 |
엑스트라 마일 |
2015-08-14 | 309 | |
428 |
1:100000(日本語訳)1 |
2015-08-07 | 68 | |
427 |
1:100000 |
2015-08-07 | 50 | |
426 |
香り1 |
2015-08-01 | 51 | |
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향기 |
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大きな器1 |
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큰 그릇 |
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二つの愛1 |
2015-07-22 | 91 |
1 コメント
中森千草
2015-08-31 01:10:19
大事だと思いました。
愛を造り、愛を育て、愛を広めるために、
神様はいろんな人を造られたと思います。
何事にも愛をプラスすると、
平和が生まれるんだと…