Skip to content

중앙영광교회

三つよりの教会

이용규목사, 2006-01-04 23:15:19

閲覧数
431
推奨数
41
「三つよりの教会」
コヘレトの言葉 4:9-12

1.天国のロイヤル・ファミリー
新年には我らに神様が約束してくださる祝福を見逃さないように、祝福しお願い申し上げる。
特に、神様は信じている者に対し「従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり」(エフィソ2:19)と約束なさった。
今年は王の王である神様の「家族」としての祝福を皆受けてほしい。
この祝福がどれほど大きな祝福か、想像したことがあるか。
ブルネイという国があるが、その国王は世界10代の巨富の一人であるという。
彼の財産は20兆ウォン(約2兆円)も超えるというから、想像できないほどお金持ちであろう。彼はどうやって国王になりお金持ちのなったのか。
一番の理由は、その国のロイヤル・ファミリーとして生まれたからだ。
そうでなければ、彼の現在の姿は不可能だっただろう。
世の中の小さな国のロイヤル・ファミリーになってもこのくらいなら、「天国のロイヤル・ファミリー」である我らはなおさらではないか。「私は神様のロイヤル・ファミリーだ。」いつもこのようなプライドを持っている人こそ信仰の者である。これが信仰の者の本の姿だろう。
今年は、我ら皆にこの姿が回復されなければならない。
神様の家族としてのこの姿を考えるだけで、世の中に勝る力と勇気は自然に流れ出ると思う。

2. 孤児院と宮殿
健康な家族、幸福な家族の必須条件は「家族との交わり」である。
交わりが断絶された家族は、家族の形式は持っているものの、その中身はまるで他人のようだ。交わりがどれほど活発かによって、家族の力は出られる。
教会は孤児院になってはならない。
口では神様との交わりがあるように見えるが、生活の中では一人ぼっちになっている人は、霊的な孤児である。そして、兄弟との交わりもまったくなく、ただ一人で寂しく教会だけ行ったり来たりしている人も孤児である。彼らには教会が孤児院になるはずだ。日常生活や教会の生活がいつも孤独な人生を自ら生きているからだ。教会を孤児院にさせてはいけない。教会は神様ご自身が作られた。御子であるイエス様の血という高い代価を払い、作られた。
神様との深い交わり、信者同士の深い交わりの場として作られた。従って、教会は必ず神様の宮殿になるべきである。教会を宮殿として回復させなければならない。孤児が集まっている孤児院ではなく、神様の子どもが集まっている「神様の宮殿」として回復させなければならない。
教会を教会らしくさせるためには、ロイヤル・ファミリーがロイヤル・ファミリーらしく生きなければならない。
そのためには、「一人ぼっち」の信仰から「互いに」信仰生活を送るべきだ。
信者同士の交わりのない生活は、教会を孤児院のようにさせてしまう。
教会の中で互いに兄弟以上の交わりをするグループが盛んでいく時こそ教会は神様の宮殿になると思う。主は信者同士の交わりを本当に喜ばれる。
サタンは一人ぼっちの人が好きが、神様は一緒にいる人が好き。よって、主は「二人または三人が、わたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイ18:20)と約束なさった。
新年は「集まる年」になってほしい。
集まる教会は神様の宮殿であるが、散らばる教会は孤児院に過ぎないからだ。
教会内のスモール・グループとの交わりが教会の望みであり、命である。
「互いに愛と善行を励むように心かけ、ある人たちの中間に倣って集会を怠ったりせず、むしろ励まし合いましょう。かの日が近づいているのをあなたがたは知っているのですから、ますます励まし合おうではありませんか。」(ヘブライ10:24、25)

3. 三つよりの糸の教会
ビック・グループを通しては交わりがうまくできない。家族としての深くて円満な交わりがうまくできるためには、必ずスモール・グループが作られなければならない。そのため、以前メソジスト教会の創始者であるジョン・ウエスレー(John Wesley)は、スモール・グループである「族会」を作り、信者同士の交わりと分かち合いを奨励した。その結果、スモール・グループの成長が盛んで分けられながら、神様の御国は幾何級数的に拡大された。今日のすべての教会は、この家族としてのスモール・グループを回復しなければならない。それによって、砂のように散らばっていた教会がコンクリートのように集まり、神様の御国をこの地に建設する教会として力を発揮するようになる。
コヘレトの言葉4章に家族型スモール・グループの力について書かれている。

1)同行の力―倒れる時
「倒れれば、ひとりがその友を助け起こす。」(コヘレト4:10)
人間は誰でも倒れる時がある。自分の知らない内に不意の事故に遭う場合だ。一人でいる時はその苦しみを克服することがほぼ不可能であるが、誰かがそばにいてくれれば、簡単に回復することができる。先日、プサンで火事があった。部屋には二人の娘が意識を失って倒れていた。これを知ったお父さんは炎の中を抜けて家に入った。失神した二人の娘を囲みながら炎を抜けて出ることは力不足であった。部屋で娘たちが火傷をしないように自分の体でかばっていた。これこそ家族の愛の本能ではないか。ちょうど連絡をもらって駆けつけた救急隊員によって幸いに皆救出された。
これがスモール・グループの一番目の力である。
後で三つよりの糸について述べるが、娘にお父さんがいて、救急隊員の助けがあったからこそ危機から助けられた。もしお父さんも救急隊員もいなかったら、彼女らの生存は不可能だったかもしれない。
誰かが自分の人生に同行してくれるというのはいかに大きいな力になるだろうか。
いきなり苦しみがあった時(難しい目に遭う時)に、同行する家族は自分にとって命の救い主になる。
従って、我らはこのように霊的の大事な家族と付き合わなければならない。

2)連合の力―寂しい時
「ふたりで寝ればあたたかいが」(11)
不意の事故に遭うことも我らを苦しめるが、寂しさもまた我らを倒す恐い内部の敵である。体の冷えより恐いのは心の冷えだ。心の温かさは世の中の熱気では満たされない。ただ自分のそばに家族のような人の心が共にいる時に、その人生が中まで温まるのだ。心が寂しくならないためには、心を合わせる霊的な家族が必要だ。心だけが心を温かくさせることができる。
夫婦はその代表的な姿である。
次のような難しい質問がある。
「妻と母が水に溺れたら、誰をまず助けるべきか。」
当然妻である。なぜならば、「こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。」(創世記2:24)と神様が言われたからだ。
神様は男の人に、結婚を通して父母を離れなさいと、はっきりおっしゃった。そして、妻と一体になりなさいと言われた。よって、妻を先に助けるのは不孝の問題ではなく、神様の命令であるため、理由を問わずしなければならないことである。選択の余地がない。それでは、母はどうするか。母は当然その夫である父が助ける。
夫婦は神様が連合の恵みを与えられた。連合の夫婦はこの地が耐えられない力をもっている。
どの寒さも彼らを侵すことができない。
交わりができる神様の家族がいる人は、うつ病にならない。彼のそばにはいつも暖かい愛の温もりが伝わってくるからだ。

3)相互依存の力―弱い時
「三つよりの糸は切れにくい。」(12)
人間は誰でも弱さを持っている。そのため、互いに支えて生きる存在だ。
縄をなったことのある人はこの原理がよく理解できると思う。わらはその長さがわずか1mにもならない。しかし、これで縄をなうと、長さは思う存分長くすることができるし、それで綱引きをしても絶対切られない。わら一本一本は本当に弱いが、弱いものが支え合うと、弱さがむしろ強さに変わるのだ。
もっと理解するために3つの棒の例をあげよう。
各々の棒がまっすぐ立てられていると、互いに力にならない。
しかし、互いの弱さを知り、互いに傾いていれば、3つとも本当に安全で丈夫になる。これが相互依存の原理である。
互いに支えるためには完璧さはむしろ妨げになる。
互いを見ながら少しずつ傾いている姿こそ完璧な相互依存の力を演出する。
相互依存には傷がないのが一番の傷だ。
互いが持っている弱さこそ互いを支えてくれる力になる。
互いに支えることは難しいことではなく、逆に互いに大きな力になるということを悟らなければならない。
従って、理想的な家族型スモール・グループは、互いの弱さを隠さず分かち合う時こそ、その真価が発揮される。

神様の教会が力のある教会、健康な教会になるためには、「三つよりの教会」を作るべきだ。信者らは肉的な家族より濃い霊的な家族としての交わりを回復しなければならない。
そのためには、スモール・グループとして互いに交わりをする場が用意されなければならない。
教会に霊的な孤児がいてはいけない。皆スモール・グループに属し、倒れる時に立ちあがり、寂しい時に温もりを感じ、弱い時に強さを回復しなければならない。
このすべては神様の喜ばれるスモール・グループが作られる時にスモール・グループの中でこそ味わうことのできる祝福であり、力である。全信者が三つよりのロイヤル・ファミリーを持たなければならない。
3人以上の霊的な家族を必ず作ろう!
サタンが切られない三つよりの教会を我らの手で建設しよう!

1 コメント

木下 

2006-01-05 06:46:35

互いが持っている弱さこそ互いを支えてくれる力になる。
互いに支えることは難しいことではなく、逆に互いに大きな力になるということを悟らなければならない。”この言葉が私の心を捉えました。 時として、自分自身の弱さを認めたくない時があります。しかし、神様はこの弱さを通して人と人とが助け支え合うために、弱さを与えられたのですね。このことを教えていただき、感謝します。自分にも他人にも完璧さを求めることは、他人も自分をも疲れさせてしまうし、窮地に追い込んでしまうのかもしれません。私も神様の喜ばれるスモール・グループの一員になりたいです。

Board Menu

リスト

Page 51 / 55
Status 番号 タイトル 投稿者 日付 閲覧数
  98

구원 받은 자의 모습

17
이용규목사 2006-01-31 635
  97

創造

1
이용규목사 2006-01-19 453
  96

창조

16
이용규목사 2006-01-17 613
  95

家族

이용규목사 2006-01-15 417
  94

가족

22
이용규목사 2006-01-12 616
  93

三つよりの教会

1
이용규목사 2006-01-04 431
  92

삼겹줄 교회

20
이용규목사 2006-01-02 811
  91

プレゼント

4
이용규목사 2005-12-29 485
  90

선물

17
이용규목사 2005-12-27 695
  89

천국 준비

23
이용규목사 2005-12-20 638
  88

건강

23
이용규목사 2005-12-12 765
  87

두 눈

27
이용규목사 2005-12-06 583
  86

5시 인생

24
이용규목사 2005-11-30 681
  85

이웃

22
이용규목사 2005-11-22 582
  84

인생의 파종법

24
이용규목사 2005-11-16 775
  83

방향전환

26
이용규목사 2005-11-08 708
  82

간수를 사랑하신 하나님

24
이용규목사 2005-11-01 724
  81

룻이 가진 보석

23
이용규목사 2005-10-25 905
  80

두가지 부활

29
이용규목사 2005-10-18 704
  79

십자가의 성품

28
이용규목사 2005-10-11 729

   

sketchbook5, 스케치북5

sketchbook5, 스케치북5

나눔글꼴 설치 안내


이 PC에는 나눔글꼴이 설치되어 있지 않습니다.

이 사이트를 나눔글꼴로 보기 위해서는
나눔글꼴을 설치해야 합니다.

설치 취소