Skip to content

중앙영광교회

共におられる

이용규목사, 2010-10-01 17:28:51

閲覧数
131
推奨数
0


旧約のヨセフは、新約のイエス様のように偉大なる救いの技をした人でした。
イエス様はこの地に完全な救いをもたらしましたが,ヨセフは肉の救いを通してイエス様の救いを予言しました。ヨセフは自身の民族と他民族を飢饉から救いました。
しかし、ヨセフがしたことは偶然ではないことを私達はよくわかっています。
ヨセフは苦労の人、試みに遭った人、試練の人でした。彼は人が経験しない経験を沢山した人でした。しかし彼は試みに打ちのめされないで勝利しました。どうやって彼はその試みに勝つことが出来たのでしょうか?ヨセフの勝利の武器はなんだったのでしょうか?
「共におられる」が武器でした。ヨセフは世の武力となるどんな武器も持とうとせず、ただどのような状況の中でも神様が自分と共におられるという確信の中で生きていました。
そのためにどのような困難、誘惑、復讐心も彼の前には屈服する他ありませんでした。

1.共におられる人々
イエス様は言われました。「私は世の終わりまで、いつもあなたと共にいる。」(マタイによる福音書28:20)信じる人はどのような環境であっても神様が共におられることを認める人です。信仰とは神様が共におられることを信じ、信じる者には聖霊が下り、神様がいつも私達といて下さるようになるのです。
ダビデは偉大な信仰の告白を残しました。「死の影の谷をゆく時も私はわざわいを恐れない。あなたが私と共にいて下さる。」(詩篇23:4)ダビデは環境を見て神様が共にいて下さることを認めたのではありません。環境はまさしく神様がおられないことと同じです。命の神様がいらっしゃるのにどうして環境が死のわざわいの谷になるでしょうか?ダビテは環境に従って神様が共にいて下さることを告白したのではなく、ただ信仰の目で神様が一緒にいらっしゃるのを認めたのでした。
ヨブも同じでした。環境のために東西南北周囲を見渡しても神様はおられないように見えました。しかし彼は神様が共におられることを断固宣言しました。「しかし神は私の歩む道を知っておられるはずだ。私を試して下されば金のようであることが分かるはずだ。」(ヨブ記23:10)ヨブは決して環境に従順しませんでした。環境は神様がヨブと一緒にいることを一貫して否定するように誘惑しました。ヨブは「しかし」を通して神様の御臨在を強く宣布しました。信仰の人は接続詞を替えなければなりません。環境の前には「それで」ではなく「しかし」の生き方をしなければなりません。これが世に勝つ信仰です。
ダニエルの3人の友人も同様でした。彼らは金の神像に礼拝しないという理由で炎の中に投げられました。しかし、彼らを炎の中に投げ入れた王の目に彼等と一緒におられる神様の姿が見えました。
「私が見る所束縛されない4人が火の中でやけどすることなく歩いていて、その第4者の姿は神の子のようだ。」(ダニエル記3:25)
異邦人の王の目を通して確認されました。信じる者には火の中であろうと、水の中であろうと、神が一緒にいて下さいます。ただ自分が悟ることが出来ないだけです。神様はいつも共にいるのに見ることが出来ない方であられます。

2.ヨセフの3つのテスト
ヨセフは3つの困難に遭遇しました。しかし彼は神様が共におられることを宣布し、勝利しました。

1)信仰のテスト
神様は神様を認める人を認められます。
「常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば主は道筋をまっすぐにして下さる。」(箴言3:6)「主がヨセフと共におられたので、彼はうまく事を運んだ」(創世記39:2)
ヨセフは幼い時に兄達に売られ、他国で奴隷の生活をしました。どんなに苦しくて、惨めで、憂鬱で、大変だったでしょうか?このように生きて、人生を呪い、捨てたいと思ったことがどのくらいあったかわかりません。しかしヨセフはむしろ「祝福の道路」によって人生を生きました。「主はヨセフのゆえにそのエジプト人の家を祝福された。主の祝福は、家の中にも農地にも、すべての財産に及んだ。」(創世記39:5)身分のために落胆しないようにしましょう。神様は身分を祝福することではなく、信仰を祝福なさるのです。神様がおられないと思う環境でも神様が一緒におられるのを信じ行動するのが信仰です。私達が本当に嘆くべきなのは、神様が私と共におられるのに、環境の霧のために神様を見ることのできない弱い信仰なのです。
困難な中でも神様を見ている人は真の信仰の人です。人は真の信仰の人は環境が初めから良かったからだと錯覚します。信仰の人であれば何であろうと環境が良くならなければならないと考えます。だから難しく、大変な環境がくれば、おかしいと考えます。なぜ私は信仰生活を熱心にしているのにこのようなことが私に起こるのか?受け入れるのが難しいことですし、はなはだしくは、神様がおられないようだとも思います。信仰の人にも大変難しい環境がやってきます。ダビデもヨセフもヨブもダニエルも皆そうでした。そんな環境がないことがむしろ間違ったことなのです。大変な環境に対する誤解をなくさなければいけません。
信じる人には2つの環境があります。ひとつは応答の環境で、他のひとつは試練の環境です。応答の環境は神様が応答を下さるために大変感謝の多い環境です。ここでは幸福の立証が多く現れます。しかし試練の環境は応答の環境とは正反対です。あまりにも難しい環境で、苦痛です。祈ることと反対の環境です。この環境が重要です。神様が試練とテストをなさるためです。この時は目を覚ましていなければなりません。神様はこの時の私達の姿を見ておられます。苦難の時に神様を見上げて下さい。神の喜びに反応してください。そしてしっかりとテストに合格してください。
リック・ウォーレンは特にこのようなときは注意しなければならないと言っています。
「人生に重大な変化がやってきた時、引き伸ばされた約束、不可能に思われる問題、応答のない祈り、理由なき批判、理解できない悲劇的な事件等が来る時、」私達は神様にテストを受けているということです。この時はしっかりと思考、言葉、行動の注意をしなければなりません。神様が見ておられ、テストしておられるからです。

2)人格テスト
このテストは神様に用いられるための重要なテストです。ヨセフはこのテストを通過して初めて、神様に国務総理として用いられました。どんなに信仰がよくても、人格が正しくなければ、瞬く間に倒れてしまいます。ヨセフは並外れて美しい人でありましたので、このような人は誘惑が多いので注意しなければなりませんが、ヨセフの主人のポティファルの妻が性的な誘惑をしてきました。主人の妻が毎日誘惑してきましたが、その声に耳を貸すことはありませんでした。しかし、或る日とうとう逃げることのできない状況にまで成りました。ヨセフ以外に誰もいないときに、妻はより執拗にヨセフの服をつかんで、床に入ろうと迫り誘惑しました。妻は人の目だけを気にして、人がいないから罪を犯そうとしましたが、ヨセフの考えは全く違い、「人は此処にいなくても神さまは此処にいらっしゃる。人には見えなくても神さまは両眼ではっきりと見ておられる!」と確信したので、「私がどうしてこのような悪い事をして神に罪を負わせることが出来ようか」と宣布して妻に自分の服を残して逃げてしまいました。彼は危険をかえりみず、損害を甘受しながらも、快楽の誘惑から果敢に逃れました。それは神様のためです。神様を分かっているからです。彼の行動はまさに誘惑に対する勝利の秘密です。
信仰のない人は人の目を怖がりますが、信仰の人は神様を怖れます。
神様がいつも私を見ておられるという事実を認識する時、私たちはどんな誘惑も簡単に退かせることが出来ます。私たちの目には見えないかもしれませんが、神様はいつも見ておられます。だから人生は隠しカメラのようなものです。特に一人でいるときは誘惑の隠しカメラが作動していると思って下さい。そうすればあなたの人格は倒れることがないでしょう。

3)愛のテスト
ヨセフは人格のテストを通過した後に監獄に入りましたが、神様は、彼を、監獄を通過させてエジプトの国家総理に立てて下さいました。3番目のテストは愛のテストです。神は愛です。私達が神様に似る最高の長所の姿は愛です。「互いに愛し合うならば、それによってあなた方が私の弟子であることを、皆が知るようになる。」(ヨハネによる福音書13:35)
人生で最も大変なことの一つは敵を愛することです。これは赦すということです。だからこそ、人生において大変劇的な場面は赦す場面なのです。サタンが私たちの感情を利用して最後まで放そうとしないものは怨恨、怒り、復讐心です。イエス様の許しは限りのない許しです。「イエス様は言われた。赦しは7回どころか、7の70倍までも赦しなさい。」(マタイによる福音書18:22)
人生において無念で悔しい事があっても、ヨセフほどの悔しい事はないと思います。ヨセフは理由もなくある日突然兄達によって人生が奴隷に転落してしまいます。どうしても赦せないことです。自分の人生を根こそぎ奪ってしまった人を許せますか?普通の人はこのような場合復讐することを考えるかもしれません。ある日ヨセフに心置きなく復讐できる日がやってきました。兄達が食料を求めてヨセフの前に自らやってきました。ヨセフは兄達に完全に復讐をしました。これが赦しという復讐でした。なぜヨセフが感情による復讐でなく、信仰による赦しが出来たのでしょうか?神様ゆえでした。神様はその現場でもヨセフとともにおられました。ヨセフはこの事実を知っていました。だから兄達にこのように言いました。「恐れることはありません。私が神に変わることが出来ましょうか。あなた方は私に悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。」(創世記50:19,20)
ヨセフはいつも神様と一緒の人でした。困難の時も、誘惑の時も、復讐心が付きまとっている時でも、神様と共にいる人でした。いつでも神様が共におられることを認識して生きてきたためです。「共におられる」の能力は今も流れています。神様が共におられることを認識している人を通してのみですが。

1 コメント

中森千草

2010-10-02 01:40:53

神様は、今の私の心をより強くしてくださるメッセージをくださいました。
神様、私は大丈夫です。倒れません。神様が共にいてくださるからです。
私のために戦ってくださり、私の祝福のために働いてくださり、
私が動けないでいると、相手を動かしてくださいました。
だから、私はいつも安心して過ごすことができています。
どんな時も神様と一緒ですから、私は大丈夫です。


Board Menu

リスト

Page 36 / 55
Status 番号 タイトル 投稿者 日付 閲覧数
  398

共におられる

1
이용규목사 2010-10-01 131
  397

함께 하심

20
이용규목사 2010-09-27 389
  396

イエス様の40日

1
이용규목사 2010-09-24 178
  395

예수님의 40일

29
이용규목사 2010-09-20 814
  394

1
이용규목사 2010-09-20 152
  393

열매

29
이용규목사 2010-09-13 476
  392

世を立てる人、家庭を立てる人

1
이용규목사 2010-06-05 250
  391

세상을 세우는 사람, 가정을 세우는 사람

5
이용규목사 2010-05-31 545
  390

リーダーと羊の群れ

1
이용규목사 2010-05-21 180
  389

리더와 양 무리

14
이용규목사 2010-05-18 361
  388

子供の教育をどうするべきか?

1
이용규목사 2010-05-14 1707
  387

자녀 교육 어떻게 해야 하나?

17
이용규목사 2010-05-10 532
  386

子供たちよ両親に

1
이용규목사 2010-05-07 347
  385

자녀들아 너희 부모에게

10
이용규목사 2010-05-03 453
  384

謙遜と従順

1
이용규목사 2010-04-30 364
  383

겸손과 순종

14
이용규목사 2010-04-26 680
  382

愛と懲らしめ

1
이용규목사 2010-04-24 317
  381

사랑과 징계

16
이용규목사 2010-04-19 430
  380

伝道と愛

1
이용규목사 2010-04-17 122
  379

전도와 사랑

15
이용규목사 2010-04-12 369

   

sketchbook5, 스케치북5

sketchbook5, 스케치북5

나눔글꼴 설치 안내


이 PC에는 나눔글꼴이 설치되어 있지 않습니다.

이 사이트를 나눔글꼴로 보기 위해서는
나눔글꼴을 설치해야 합니다.

설치 취소