味覚
この前、日本で興味深い調査結果がニュースに報道されました。子どもたちの中で、食べ物の味が分からない子どもが30%余りを占めたということです。実験では、目を隠して子どもに甘いあめを食べさせました。そして、その味を聞きました。子どもは、苦い味だと変な答えをしました。側にいたお母さんは慌てて、子どもが表現力が足りなくて甘い味を苦いといったのではないかと言い訳をしました。
しかし、実はそうではなくて最近の子どもたちが甘み、塩味、苦味、酸味をよく区別できないそうです。その理由は、食習慣にあるそうです。野菜や味が強くないものはあまり食べずに、甘いジュース類をよく飲んだりするため、食べ物の味が感じられなくなってしまうということです。生まれた時はすべての味をよく区別できるように造られたのに、甘くておいしいものばかり食べようとして、苦かったり、味が薄かったりするものはあまり食べようとしないので、体の味覚機能が衰えていくようです。
「耳は言葉を聞き分け/口は食べ物を味わうではないか。(ヨブ記12:11)」と聖書は語っています。
しかし、今は耳だけではなく口まで味覚を失っているので、とても深刻な問題だと思います。人間の貪欲が自然を破壊するだけでなく、人間自身も破壊しています。神様が造られたものは完全なのに、人間が壊しています。
昔は、食べ物の中で特別に甘いというものはあまりありませんでした。そしてそれも自然から来たものでした。甘いものを食べたくても食べられませんでした。こういう面では良い時代だったかもしれません。誘惑が少なかったからです。甘いといっても干し柿くらいでした。蜂蜜は高いので、想像すらできない状況でした。それでこういう言葉もありました。虎より怖いのが干し柿だと。虎が来ると言っても泣き止まない子どもが、干し柿をあげるを言ったらすぐ泣き止むということから来た言葉でした。人間は本能的に口に甘いものが好きです。苦いものを我慢して食べられる知恵が足りないです。昔は甘いものが少なかったために、苦いものも普通によく食べられました。なので、味覚は誰でもちゃんと感じられるものでした。恥ずかしい告白ですが、私は中学校に入ってから歯磨きを始めました。その前までは、自分の歯ブラシさえ持っていませんでした。歯の色は少し黄色でしたが、歯は虫歯ひとつはくて健康でした。虫バイキンが好きは甘いものをあまり食べられなかったからです。その時代は周囲に誘惑があまりなかったので、安全でした。しかし、今は違います。隅々に誘惑が待っています。今は、誘惑の時代です。このことを深く悟ることが重要です。そうすると、常に起きて気をつけることができるからです。これからは、もっと大きな誘惑が入ってくるでしょう。特に、若者の間にこのようなことがたくさん起こると思います。若者は、誘惑に免疫が弱いからです。
昔は、時間を奪う誘惑もあまりありませんでした。今は時間がある度にインターネット・ゲームなどで一日8時間も時間を費やしてしまうことが簡単なことのようになっていますが、昔は子どもたちがすることがあまりありませんでした。なので、子どもたちはいつも一緒に遊びました。棒切れを持って遊んだり、縄跳びをしたりしながらいっぱい走り回って遊びました。そして大人の仕事を手伝いながら日々を過ごしました。機械やスマートホンと遊ぶ今とは全く違いました。その時は、時間が奪われる心配をする必要がありませんでした。
何より、誘惑について起きていなければなりません。特に、若者たちは青年の情欲に気をつけるべきです。情欲は、誘惑をかける心の輪です。健康を奪おうとする誘惑、時間を奪おうとする誘惑、何より永遠な命を奪おうとして待っている周囲の誘惑に、いつも気をつけなければなりません。誘惑は、他人が守ってくれません。自分自身が悟って陥らないようにすることです。他人が助けようとすると、それはいつも耳うるさく聞こえるからです。これが、誘惑を成功させるためのサタンの高度の計略なのです。
この前、日本で興味深い調査結果がニュースに報道されました。子どもたちの中で、食べ物の味が分からない子どもが30%余りを占めたということです。実験では、目を隠して子どもに甘いあめを食べさせました。そして、その味を聞きました。子どもは、苦い味だと変な答えをしました。側にいたお母さんは慌てて、子どもが表現力が足りなくて甘い味を苦いといったのではないかと言い訳をしました。
しかし、実はそうではなくて最近の子どもたちが甘み、塩味、苦味、酸味をよく区別できないそうです。その理由は、食習慣にあるそうです。野菜や味が強くないものはあまり食べずに、甘いジュース類をよく飲んだりするため、食べ物の味が感じられなくなってしまうということです。生まれた時はすべての味をよく区別できるように造られたのに、甘くておいしいものばかり食べようとして、苦かったり、味が薄かったりするものはあまり食べようとしないので、体の味覚機能が衰えていくようです。
「耳は言葉を聞き分け/口は食べ物を味わうではないか。(ヨブ記12:11)」と聖書は語っています。
しかし、今は耳だけではなく口まで味覚を失っているので、とても深刻な問題だと思います。人間の貪欲が自然を破壊するだけでなく、人間自身も破壊しています。神様が造られたものは完全なのに、人間が壊しています。
昔は、食べ物の中で特別に甘いというものはあまりありませんでした。そしてそれも自然から来たものでした。甘いものを食べたくても食べられませんでした。こういう面では良い時代だったかもしれません。誘惑が少なかったからです。甘いといっても干し柿くらいでした。蜂蜜は高いので、想像すらできない状況でした。それでこういう言葉もありました。虎より怖いのが干し柿だと。虎が来ると言っても泣き止まない子どもが、干し柿をあげるを言ったらすぐ泣き止むということから来た言葉でした。人間は本能的に口に甘いものが好きです。苦いものを我慢して食べられる知恵が足りないです。昔は甘いものが少なかったために、苦いものも普通によく食べられました。なので、味覚は誰でもちゃんと感じられるものでした。恥ずかしい告白ですが、私は中学校に入ってから歯磨きを始めました。その前までは、自分の歯ブラシさえ持っていませんでした。歯の色は少し黄色でしたが、歯は虫歯ひとつはくて健康でした。虫バイキンが好きは甘いものをあまり食べられなかったからです。その時代は周囲に誘惑があまりなかったので、安全でした。しかし、今は違います。隅々に誘惑が待っています。今は、誘惑の時代です。このことを深く悟ることが重要です。そうすると、常に起きて気をつけることができるからです。これからは、もっと大きな誘惑が入ってくるでしょう。特に、若者の間にこのようなことがたくさん起こると思います。若者は、誘惑に免疫が弱いからです。
昔は、時間を奪う誘惑もあまりありませんでした。今は時間がある度にインターネット・ゲームなどで一日8時間も時間を費やしてしまうことが簡単なことのようになっていますが、昔は子どもたちがすることがあまりありませんでした。なので、子どもたちはいつも一緒に遊びました。棒切れを持って遊んだり、縄跳びをしたりしながらいっぱい走り回って遊びました。そして大人の仕事を手伝いながら日々を過ごしました。機械やスマートホンと遊ぶ今とは全く違いました。その時は、時間が奪われる心配をする必要がありませんでした。
何より、誘惑について起きていなければなりません。特に、若者たちは青年の情欲に気をつけるべきです。情欲は、誘惑をかける心の輪です。健康を奪おうとする誘惑、時間を奪おうとする誘惑、何より永遠な命を奪おうとして待っている周囲の誘惑に、いつも気をつけなければなりません。誘惑は、他人が守ってくれません。自分自身が悟って陥らないようにすることです。他人が助けようとすると、それはいつも耳うるさく聞こえるからです。これが、誘惑を成功させるためのサタンの高度の計略なのです。
リスト
番号 | タイトル | 投稿者 | 日付 | 閲覧数 |
---|---|---|---|---|
381 |
門松1 |
2015-01-09 | 58 | |
380 |
카도마쯔 |
2015-01-03 | 157 | |
379 |
犬1 |
2014-12-31 | 85 | |
378 |
호피 |
2014-12-28 | 117 | |
377 |
예수 |
2014-12-20 | 76 | |
376 |
味覚1 |
2014-12-18 | 70 | |
375 |
학원 |
2014-12-14 | 61 | |
374 |
どのように生きていくだろうか。1 |
2014-12-02 | 123 | |
373 |
졸업식1 |
2014-11-22 | 74 | |
372 |
歩幅1 |
2014-11-22 | 79 | |
371 |
개판 |
2014-11-15 | 64 | |
370 |
어떻게 살 것인가? |
2014-11-08 | 134 | |
369 |
運動会1 |
2014-11-02 | 136 | |
368 |
음식 맛 |
2014-11-01 | 49 | |
367 |
聖書1 |
2014-10-27 | 84 | |
366 |
보폭 |
2014-10-25 | 88 | |
365 |
성경책 |
2014-10-19 | 202 | |
364 |
マラソン1 |
2014-10-13 | 121 | |
363 |
운동회1 |
2014-10-10 | 96 | |
362 |
キリノ1 |
2014-10-07 | 132 |
1 コメント
中森千草
2014-12-22 00:09:07
いろんな事に対する危機感が失われつつあると思います。
精神的、肉体的にも私たちはきたえる必要があると思います。
聖書を読んで、御言葉を貯金し、
日々の生活で上手く活用していこう。と思いました。