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중앙영광교회

過去

이용규목사, 2007-04-04 07:43:52

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過去

御言葉//イザヤ43:18-19

1.        過去がきれいな人
過去がきれいな人はどんな人だろうか。過去をきれいに生きてきた人を言うのではない。過去に対する考えがいつもきれいな人である。このような人の考えの倉庫を見ると、傷ついた過去は保管されていない。いつも許して、忘れて、まったく覚えようとしない。
神様はあなたに対して望みの御言葉を宣布なさった。
「見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。」(イザヤ43:19)
神様は確かに私たちのためにもっと良い未来を用意してくださった。しかし、これが私たちに来るためには、まず私たちが自らしなければならないことがある。
「初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。」(イザヤ43:18)
「過去」から自分の考えを守ることである。考えが過去に捕らえている人には、神様の新たな御業が入る隙間がない。過去の痛い傷、苦しかった記憶を考えないで忘れることが、私たちがまずやらなければならないことである。苦しい過去をそのまま持っている人に、神様は新たなことを行ってあげられない。
神様は過去を、いつまで考えなさいといわれるだろうか。
「怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。悪魔にすきを与えてはなりません。」(エフェソ4:26,27)
私たちに、古い人を脱ぎ捨て、新しい人を身に着けるようにおっしゃいながら(24)、いかに我慢できない苦しい過去でも、日が暮れるまでは全部忘れるようにと言われた。信仰の人は、どんな苦しい過去でも、一日以上、心にとめておいてはいけない。これは、神様の祝福を妨げ、悪魔にすきを与えることになるからである。
過去がきれいな人は、神様のお働きにオープンしている人であり、過去が掃除されていない人は、悪魔の働きに扉を開いている人である。
「怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。悪魔にすきを与えてはなりません。」

2.       イエス様の傷
「なぜ私の人生には痛みが多いだろう。なぜ私の過去は不幸か。」自分の傷の多い過去を恨まないでほしい。世の中に苦しい過去を持っていない人は、一人もいない。誰も大きいだろう、小さいだろう、傷を持っている。イエス様はどうだったのか。イエス様は傷がなかったのか。イエス様の傷は私たちと比べられないほど大きかった。イエス様は無念なこともたくさん言われた。 異端のかしらやら、悪魔にとりつかれたやら、それだけでなく、今もマリアとスキャンダルがあったかもしれないという、どんでもないぬれぎぬを着せられた映画まで出ているのではないか。そして、イエス様は、そんなに信じていた弟子であるユーダの裏切りによって、はした金に売られ、十字架で人類最高の苦しみの中で死なれた。これだけでなく、イエス様が受けられた体の傷も、私たちと比べられない。
イエス様は、心に大きな釘が打たれたのではなく、腰に槍に指される痛みと傷を受け、手と足に釘が打たれた。イエス様が心と体に受けられた傷を、あなたが受けた傷と比べてみよう。あなたの傷は本当に小さくて、見えないかもしれない。なのに、なぜ過去のその小さい傷のせいで今も苦しんでいるのか。
イエス様は、一度も過去の傷のせいで、ご自分の仕事が妨げられたことも、苦しがられたこともなかった。イエス様は過去の傷に関心すらなかった。ただ、神様が与えられた未来のことだけ考えながら、前向きで進んだだけである。よって、そのお方は、全人類を救われた救世主の仕事を果たすことができたのである。私たちはイエス様の弟子である。過去に対して、イエス様のように反応できる者になってからこそ、未来に神様のお心に答える信仰の人物になることができる。過去に捕らえている人は、悪魔の玩具の役しかできないけれど、過去から自由な人は、神様の大きな人物になれる。
私たちは皮膚にいろいろな傷を持っている。この傷は、生活するにはあまり支障がない。何の問題もなく生活できる。しかい、ある人々は、この傷によって致命的な傷を受ける。自分を憎んだり、ひどい場合は、うつ病にもなる。なぜだろう。傷が傷つけるのではなく、傷に対する自分の考えがその人を苦しませる。
傷が怖いのではなく、考えが怖い。そのため、神様は日が暮れるまで考えの怒りを持ってはいけないとおっしゃった。ずっと怒りをもっていると、結局夢でも自由を得ず、悪夢をみてしまう。悪循環の繰り返しである。過去のよくない考えをなるべく早く忘れることは、自分に良いだけでなく、神様の良い御業を妨げず、悪魔にすきを与えない唯一な道である。
過去にある大きな苦しみがあるのか。無条件に忘れよう。できれば早く!これが上策である。


        
3.       過去によって現在を生きてはいけない。
「あなたはできる」という本に下記のような話がある。
ある若い女性が結婚をしたが、数年がたっても夫婦関係ができなかった。主人を愛しているのは確かだが、主人が近づくのが我慢できなかった。結局、夫婦の仲は破鏡直前までいった。牧師に相談した。ある日、夢を通して、彼女はその原因を知った。少女時代の夢を見た。湖で泳いでいた時、男何人かに強姦された。彼女は怒りと憎しみで叫んだ。「あんたたちを憎む。獣のような人間のごみたち!一生どの男も私の体に触らせない!」
男性に対する怒りがまだ自分の心にいっぱいあることが分かった。
この苦しい過去が彼女の現在を占領していたのである。彼女はこの過去のとりこになり、自分の夫にも同じくして、過去の牢に閉じ込められ、出られなかったのである。彼女は過去もそうだったが、現在もその出来事の最高の被害者であった。
彼女はこのすべての傷をきれいにしようと決心した。
それで、こうお祈りしながら宣布した。
「神様は私が受けた痛みを全部ご存知です。
彼らは私に本当に悪いことをしたのですが、これ以上その時のことを考えません。
過去の苦しみが、現在と未来をだめにさせるようにしたくありません。
神様!今すぐ彼らを許します。」
不思議なことに、その瞬間から彼女は主人と良い夫婦関係を持つことができたという。
過去があなたの現在を支配させないようにしてほしい。もういい。これ以上過去の傷があなたの現在に横暴な振る舞いをするようにさせないでほしい。大胆に追い出そう。
過去の痛みを追い出す道は他にない。許して忘れることである。そして、新しい事に向かって走っていくことである。
イエス様があなたを許したように、許して忘れよう。これが上策である。
「主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。」(コロサイ3:13)
信仰の人は過去がいつもきれいな人である。
イエス様の十字架の愛、すべてを許す愛がいつもその中に満ち溢れているからである。
許しがあるところには過去が入る余地がない。いつも未来の望みで溢れているだけである。
あなたの醜い過去はあなたの現在をそのまま変形させる。性格が歪み、表情も変わり、言葉遣いも曲がってしまう。行動も変に変わる。過去があなたの現在をずっとねじっている。再び完全な姿に戻りたいのか。過去の亡霊の線を許しの剣で切らなければならない。そうすると、不思議なことにすべてが元通りに帰るだろう。この女性のように。
毒が入っている器は、まずその器を汚染させる。あなたの心に過去の毒を持たないでほしい。自分を自ら破壊している。「許し」によって、内にあるすべての毒を吐き出そう。それがあなたのための最善の道である。  
  
4.        ダビデの過去清算
ダビデはさすがに信仰が素晴らしい人物である。
天が崩れるような苦しかった過去も、簡単に克服するものすごい力を持っていた人であった。それは、すなわち彼の信仰の力だった。過去の力がいかに強いとしても、信仰の力に耐えられない。「神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。」(ヨハネの第一の手紙5:4)信仰の人は過去の痛みに十分耐えられる。
ダビデには大きな痛みがあった。
大きな罪を犯すほど愛していた人、バト・シェバから息子が生まれた。しかし、その息子が死んでいた。ダビデは息子を生かすため、7日間断食をしながら、夜も昼も神様にお祈りをした。しかし、気の毒にその息子は死んでしまった。家臣たちは誰もこのことを王に知らせなかった。息子が生きていたときも、気が狂った人のように苦しかっていたのに、死んだということを知ったら、そのショックで何をするか分からなかったからである。
「お子樣がまだ生きておられたときですら、何を申し上げてもわたしたちの声に耳を傾けてくださらなかったのに、どうして亡くなられたとお伝えできよう。何かよくないこと(自害)をなさりはしまいか。」(サムエル下12:18)
しかし、以外の反応が出た。
息子が死んだことを知ったダビデは、もっと深い悲しみの沼に陥るのではなく、逆に悲しみから抜け出した。彼は決してこう嘆きや無念を言わなかった。
「もう、私は生きる望みさえなくした。神様、どうしてこうなさいましたか。私がいかに切にお祈りしたか、神様がもっとよくご存知でしょう。食べず、寝ず、洗わず、死ぬほど力を入れてお祈りしたのに、その結果が「死」ですか。もう本当にひどくありませんか。」
彼はもう神様が終止符を打ったことに対して、再び疑問符をつけなかった。これが信仰の人の美しく、きれいで、力ある姿である。ダビデは過去の死の痛みを本当にきれいに整理した。
彼は地面から起き上がり、身を洗って香油を塗り、衣を着替えた。そしてすぐ神様の聖殿に行って感謝礼拝をささげた。(サムエル下12:20)これは何を意味するのか。
愚かな人は、この程度熱心にお祈りし精一杯やったのに答えが反対に出ると、すぐつまずいてしまう。自分も来ないだけでなく、周囲の人にも「教会行かないでよ」という。しかし、ダビデはどうだったのか。そんなに一生懸命お祈りしたのにも関わらず、息子は死んでしまった。しかし彼は教会を離れたのではなく、逆に体をきれいにし、最初に神様に感謝の礼拝をささげた。いかに感動なる姿だろう。不平と無念をいってもすっきりしないのに、どうやって感謝礼拝をささげられるのか。ダビデは過去の僕ではなかったからである。彼は、必ず今回のことを通じて、神様が隠された大いなることを計画なさっていることを信じたからである。そのため、彼は感謝礼拝をささげなければならなかった。その結果、神様は彼に「ソロモン」という最高のプレゼントで報いてくださった。
信仰がない人は「過去の人」である。過去につかまれて生きる。
しかし、信仰の人は「現在の人」である。どの過去も自分をつかむことができない。
過去で現在を生きている愚かさを犯してはいけない。信仰で現在を生きる知恵を学ばなければならない。
ダビデは神様に感謝の礼拝をささげた後、食べ物を用意させ、食事をした。これもまた想像しがたいことである。子供が死んだのに、ご飯が食べられるものか。ダビデが過去の痛みからいかに自由を得ていたかをよく見せている。過去から自由を得ると、食欲も戻ってくる。
そして、彼は落胆と絶望の中にいたバト・シェバも慰めた(24)。バト・シェバもダビデのように回復された。それで、ダビデと床を共にした。そして、神様は彼らにもっと大切な息子の「ソロモン」をプレゼントされた。
過去につかまれている人は、神様の新しい御業を自ら止めている人である。
過去を、信仰によってきれいに整理し忘れる人に、神様は必ずダビデのような祝福を与えてくださる。
「ソロモンのプレゼント」を受けたいのか。では、まず、死んだ息子に対する痛みの紐を切っていただきたい。そうすると、神様はソロモンのような子供をあなたに与えられる。「初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。(イザヤ43:18).
見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。(イザヤ43:19)」
あなたは過去のどの痛みによっていまだにも苦しがっているか。
ダビデのように愛している家族を失ったか。
誰かに裏切られ、捨てられたか。
ひどい侮辱を受けたか。ぬれぎぬを着せられたか。
本当に一生懸命お祈りしたのに、結果が反対になったか。
どの過去でも早く清算したほうが良い。これ以上、それのために苦しがらないでほしい。あなたの息の根をあなた自ら引き締めているだけである。
大事なのは、過去の出来事ではない。あなたの今の反応があなたの人生を決めてくれる。
サタンが入る隙を与えず、神様がお働きになる現場を作っていこう。
もう過去の奴隷になれず、神様の力ある僕になろう。

【実践事項】

静かに目を閉じてみよう。
今も許せない過去の痛みが思い浮かべるよう、聖霊の助けを求めよう。
そしてこうお祈りしながら宣布しなさい。
「神様は私のされた痛みが全部ご存知です。
彼らは私に本当に悪いことをしたのですが、これ以上、その時のことを考えません。
過去の苦しみが、現在と未来をだめにさせるようにしたくありません。
神様!今すぐ彼らを許します。
イエス様が私を許してくださったように、私も彼らを許します。
過去の鎖から離れますように!
私にも真の自由を与えてください!」

2 コメント

박유진

2007-04-04 07:44:23

늦어져서 죄송합니다...

安間チョウコ

2007-04-06 21:29:29

今回、自分の訳し方が間違っていたところがあり、この欄が大変助けになりましたので、こちらにリップルを書かせていただきます。
박 유진 씨 감사함니다.
過去というのは、今以外は過去になります。
時間はみんな平等に与えられて、経過してきたはずなのに、どうしてこんなに差が出るのかと思う。老人になって来るとますますその差は、大きくなり、
個性的になるというが、個性的になるということは、良い意味ばかりではない。
成熟するのが年を重ねるということだと、私は思う。成熟というのは、この人間世界の中で、良い関係性を取り合って、お互いを伸ばしあいながら、「愛」について学んでいくことだと、私は思う。私はこの成熟と愛をテーマに、キリスト教を中心にしながら生きているが、世間からすると少々ずれてることもあるだろう。
またエネルギーが底切れする私は、エネルギーが続かないのでセーブしながら生きることを覚えた。だからいろんな意味で私は実年齢に相応していなく、自分の未熟性をいやというほど感じている。でももう開き直りだ。未熟ではあるが、キリストの学校で、これからも、死の間際まで、成熟と愛、について学ばせていただきたい。
過去にどうしても許したくない人がいた。その人のことを考えると、はらわたが煮えくり返った。
牧師に、受難週の期間とりなしの祈りをするようにといわれた。
許したくない人のことを祈ったら、私の心の馬鹿さ加減がわかった。なぜいつまでも根にもっていたのだろうと思った。とっくに忘れていい事を、、、、
それから弟の嫁さんも、二人の姪達も憎んでいないことを、どのように良い関係が作れるか、神様にお祈りします、3人のことを、これからも毎日お祈りをしてすっきりしますとお祈りした。とりなしのお祈りの大切さを深く知った。
これからは、人を憎むことはすまいと思う。にくい気持ちが生じたら、とりなしの祈りをすること、それが一番の解決である。夫がキリストを信じるようになりますようにというのは、私の長いとりなしの祈りであるが、とりなしの祈りは、一生涯続くのもある。
とりなしのお祈りをしながら、気長に人と良い関係を作っていけばよいのである。

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