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중앙영광교회

考え

이용규목사, 2007-03-09 21:32:10

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考え

御言葉//ローマ8:5-11

1.        考えの自由を得よう
「あなたたちは真理知り、真理はあなたたちを自由にする。」(ヨハネ8:32)
イエス様は私たちに自由を与えられるために来られた。もちろん、一番大切な自由は罪と死からの自由である。もちろん、天国に行けば、イエス様の血潮の恵みによって、罪と死から完全な自由を得た姿に驚きながら感謝するだろうが、しかし、残念ながらこの自由はこの地では実感できない自由である。
イエス様はこの地でも神様からいただく真の自由を私たちが享受することを願われる。その自由とはどんな自由だろうか。それは、すなわち「考えの自由」である。考えが苦しい環境に縛られないことである。
ステファノを見てみよう。彼は、怒った群衆に告訴され、石で打ち殺す処刑を待っていた。しかし、彼の姿はどうだったのか。その時、彼の顔はさながら天使の顔のように見えたという。(使6:15) 彼は環境に支配された人ではない。彼は、その苦しい環境の中でも、完全な心の自由、考えの自由を持っていた人であった。世のどの力も、彼を拘束することができなかった。体は拘束したかもしれないが、彼の心、考えはだれも拘束することができなかった。使徒パウロも同じだった。自分は牢にいるものの、外にいる人々に、「重ねて言います。喜びなさい。」(フィリピ4:4)と語った。彼の心と考えは、牢に入れられなかった。
宣教師になるため、宣教師訓練を受けたある青年がいた。残念ながら、訓練が終わった彼に、癌が診断された。彼は、3ヵ月後の33歳という若さで死んだ。死ぬ前に、彼は苦しがっている両親にこう話したという。「あまり悲しまないで下さい。神様の特別な愛で、私は本部(天国)に派遣されて行きます。」信仰の人の「真の自由」の姿を見ることができる。
多くの人々は錯覚している。苦しい環境が来ると、心も苦しむことを当然だと思う。「今こんな状況なんだから、心配しないでどうするっていうんだ。」「あの人が私にこんなことを言ったから、怒らないわけがないんだろう?」「事業がだめになるかもしれないから、不安になるのは当然だ。」
正しいことのようだが、間違っている。
確実に、頭に入れなければならないのがある。あなたの環境と考えはくっついているのではない。環境がそうだから、必ずそう考えなければならない理由は全くない。あなたは十分、与えられた環境と違う考えをすることができる。なぜなら、あなたの考えは、全面的にあなた自分のものだからである。考えは外部の力から与えられるのではなく、あなたの選択の結果物だからである。
信仰の人は、スデファノやパウロのように、考えの自由を享受する人である。信仰の人は、環境と考えを分けることができる人である。環境は自分勝手に選択することができないが、その環境に対する考えは、自由に選択することができる。苦しい環境があるのではなく、苦しい選択があるだけである。この苦しい選択が苦しい人生を作るのだ。心にとめなさい。あなたを倒すのは、決して苦しい環境ではない。その環境に対するあなたの考えがあなたの人生を破壊しているのである。
信仰は、考えを守ることである。信仰の人は、御言葉の武器で考えの番人になれなければならない。信仰の人は、肯定的な考え、信仰の考え、望みの考え、愛の考えを否定的な環境からよく守る人である。
もしかしたら、今苦しい考えに捕まえているのか。少し目を閉じてみよう。そして、自分に聞いてみよう。「私がなぜこんなことを考えているのだろう。この考えはどこから来たのか。神様から来たのか。または、サタンが与えた考えか。」神様は絶対、否定的な考えをお与えにならない。心配、恐れ、憎しみ、怒り、疑い、落胆…このような考えは言うまでもなく、サタンがあなたを倒すために与える考えである。意思的に考えを変えてみよう。愛、喜び、平和、忍耐…に変えてみよう。本当に変わるだろう。驚くことは、考えだけではなく、気持ちも変わり、環境も変わることが見られると思う。あなたの考えはあなたの感情を決め、行動と運命を決めるからである。こんなに大切な「あなたの考え」は、「あなたの環境」の従属物ではなく、「あなたの選択」の結果であることを忘れないように。
  
2.        考えの主体は?
神様も「考え」が人生でいかに大事なものかについてたくさん語られている。
「上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。」(コロサイ3:2) 「 地上のも」は世の環境が与える考えであり、「上にあるもの」は、神様が与えられる考えである。何を選択するかは、あなたの手にある。考えは選択なのだ。
そして、人生をとても疲れ果ててあきらめたい時、神様はそれに十分勝てる素晴らしい処方箋を与えられた。十字架のイエス様を考えることである。
「あなたがたが、気力を失い疲れ果ててしまわないように、御自分に対する罪人たちのこのような反抗を忍耐された方のことを、よく 考えなさい。」(ヘブライ12:3)
考えをイエス様において守る人は、どの苦難にあっても迷わない。ただ、若干の揺れのスリルを感じるだけである。散らかっていた考えを、再びイエス様に集中させる方法の一つが、すなわち「イエス様の御名」を霊で呼ぶことである。「イエス様」を呼ぶだけで、私たちの心の中にあるすべての否定的な考えは、暗闇が光の前で逃げるように、イエス様の御名ですぐ逃げてしまう。
今日の本文は、私たちの考えについて、具体的に語られている。
「肉に従って歩む者は、肉に属することを考え、霊に従って歩む者は、霊に属することを 考えます」(ローマ8:5)
何を考えているかを見れば、その人がどのような人かをすぐ分かるということである。考えはその人の現在の姿を決める。あなたは自分がどのような人か知りたいのか。今あなたが何を考えているのかを見なさい 。それがあなたの真の姿である。
「肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります」(ローマ8:6)
現在の考えはその人の未来を決める。今の考えが肉、つまり環境に捕らえていると、未来は死であり、今の考えが聖霊、つまり御言葉に捕らえていると、未来に命と平和が訪れる。あなたの未来を変えたいのか。では、今すぐあなたの考えを変えてみよう。未来はあなたの今の考えによるものである。考えが生きると人生が生き、考えが死ぬと人生も死ぬ。考えは人生の根であるからだ。
「なぜなら、肉の思いに従う者は、神に敵対しており、神の律法に従っていないからです。従えないのです。」(7)
「肉の支配下にある者は、神に喜ばれるはずがありません」(8)
あなたの考えが神様との関係を決めるという言葉である。肉の考えは、神様と敵対関係になる。信仰がなければ神様に喜ばれることはできないと言われた。信仰はすなわち、考えを肉から守ることである。
人間は考えの動物である。
考えが現在の姿を決め、考えが人生を決め、考えが神様との関係を決める。考えがすべての決定権を握っている。では、私たちはどうすれば、「いい考え」の主人公のなれるだろうか。神様はこのため、私たちに「聖霊」という大事なプレゼントを与えられた。
「神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます。」(9)
聖霊は私たちが肉的な考えから免れ、霊的な考えに留まらせる。信者は、聖霊を「考えの主体」として持っている人である。信者は、聖霊の考えをする人である。信者は、考えが聖霊によって変わった者である。考えが肉にあるのではなく、霊にある人である。
冬が寒いのは、地球が太陽から遠くなるからだ。影響は距離に半比例する。神様は私たちの考えに、完全な影響を与えられるため、てんで聖霊を「あなたがたの内」に入れてくださった。聖霊は私たちの心の中におられる。信仰の者は、考えが聖霊の影響を絶対的に受け入れなければならない。外の環境の影響ではなく、内の聖霊の影響を受け取らなければならない。聖霊に満たされた人は、他ではなく、考えが聖霊に満たされた人である。考えに聖霊の実が豊かな人である。(愛、喜び、平和、忍耐…)
聖霊の考えはものすごい威力を持っている。聖霊の考えを抱いている人は、死ぬ体も生かせる能力を持っていたと言われた。もう一度心にとめよう。考えが生命権を握っている。あなたの考えが生きると、体も生き、人生も生きる。しかし、考えが死ぬと、体も死に、人生も死ぬ。
「イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう」(11)

3.        あなたは環境の奴隷ではないか。
考えは環境が与えるのではなく、自分自身が選択するということを知るものの、私たちはよく環境によって倒される。これは、人間の堕落した本姓からである。堕落した本姓は、環境と考えをくっついた。これを外せることが、信仰の大事な作業である。私たちは、「罪の僕」から「神様の僕」と身分が変わった(ローマ6:13、18)。すると、身分に合うように、考えも「罪の考え」から「神様の考え」に変えなければならない。自分にこう宣言しよう。「私はこれから環境の奴隷ではない!」
今も、環境に何でも言いなりになる人が非常に多い。環境がさせると、すぐそのまま反応してしまう。環境が「心配しろ」というと、すぐ「はい!」、「喧嘩しろ」というと、すぐ「はい!」、「落胆しろ」というと、すぐ「はい!」、「教会に行くな」というと、「ありがとう」も加えながら、「はい!」、環境にとてもよく従順している。絶対疑わずに「すぐ従順」する。絶対文句を言わずに「最後まで従順」する。怒った時も、途中で「ちょっと待ってよ。なんで私がこんなに怒っているんだ。これが果たして正しいだろうか。」と疑ったり、止めたりすることがない。一度最後まで全部怒ってから、後になって後悔する。堕落した本姓は、環境に非常に「熱心党員」である。この三つの従順を神様にささげたらどうなるのだろうか。その人生には、必ず奇跡が起こると思う。命と平和の祝福が与えられるだろう。
従順ができない人は一人もいない。私たちは、先天的に生まれつきの「従順の体質」を持っている。環境に本能的に従順する自分の姿を見れば、分かるだろう。私たちには皆「サンスン(三順)イ(*注)」の気質がある。従順には問題ない。ただ、一つだけ変えればいい。従順の対象だけ変えれば、あなたの従順はすぐ100点にあがると思う。環境が与える考えは一旦疑い、できるだけ後回しをし、早めに止めよう。その反面、神様が与えられる考えは、少しの迷いもなく「すぐ従順」、何の文句も言わずに「無条件的に従順」、途中で止めないで「最後まで従順」しよう。信仰の者は、神様に「サンスンイ」になることである。
あなたは環境のサンスンイか。あるいは、神様のサンスンイか。
この選択はあなたの取り分である。神様が与えられる考えを選ぶか。あるいは、環境が与える考えを選ぶか。これがあなたの人生を決める。
「肉(環境)の思いは死であり、霊(神様)の思いは命と平和であります」(ローマ8:6)

*        訳者注:「三順」は韓国語で「サンスン」と読みます。しかし、「サンスン」という女の子の名前もあり、そこに「ちゃん」の意味である「イ」をつけて、「サンスンイ」ともじったものです。ちなみに、2年前韓国では「キム・サンスン」というドラマが大ヒットし、この名前が流行りました。

2 コメント

박유진

2007-03-09 21:33:28

訳が遅れてしまい、申し訳ありませんでした。

한영진

2007-03-14 07:31:34

감사합니다.
이번 주 말씀도 버얼써 퍼가놓고 인제와서 인사를 드리네용.

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