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중앙영광교회

復活と愛

이용규목사, 2010-04-10 21:26:36

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私たちの神様は復活なさいました。死の権能に打ち勝って復活なさいました。
神様の復活により私たちの人生、家庭、教会も復活されます。
復活なさった神様と私たちは信仰をもって繋がっているためです。
これこそがキリスト教の真の福音なのです。
信じる人は神様の復活の証人の人生を生きることになります。従って信じる人は世の中の誰よりも幸せな人であり、権能の持ち主であります。
‘神から生れた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。’ (一ヨハ5:4)

1.イエス様はどんな方でしょうか?
イースターはクリスチャンにとって最も大事な日です。死の権能が退き、永遠の命の扉が開かれた日なのです。初代教会の聖徒たちは毎週、神様が復活なさった日に捧げる礼拝のためなら命も惜しみませんでした。彼らは神様が復活なさった神様の日(主日)になるとこっそりと自分たちの居場所から抜け出し、神様に礼拝を奉げました。それにより主日は仕事にならないため、仕方なく休みになるしかなかったのです。主日が休みなので礼拝を奉げたのではなく、礼拝を奉げたので主日が休みになったわけです。
復活なさったイエス様が弟子たちに仰せられた御言葉は何でしょうか?
復活なさったイエス様が今、私たちに何をおっしゃっているのでしょうか?
復活なさったイエス様の御言葉はとても尊いです。従って神様の御言葉は特別に ‘至上命令(the great commission)だと言われています。これ以上の命令はないということを意味します。そのため、私たちは神様の御言葉の意味を感じ取って必ずその命令に従わなければなりません。
まずイエス様が至上命令の中で最初におっしゃった御言葉は何であるかを考えてみましょう。
イエス様の最初の至上命令はイエス様を正しく知ることです。信仰とはイエス様ことを正しく知ることなのです。
あなたの人生の中でのイエス様はどんな方でしょうか?もしかしてイエス様はあなたの人生の中で面倒くさい方、いてもいなくても構わない方になっているのではないでしょうか?
死に打ち勝って復活なさったイエス様の姿を目の前にしても弟子たちはイエス様を正しく知ることが出来ませんでした。命の神様を疑いました。そのため、イエス様は復活なさった御自分の体を見せられ、弟子たちに仰せられます。‘わたしは天と地の一切の権能を授かっている。’ (マタ28:18) 至上命令の一つ目は何かを行うことではなく、イエス様を知ることです。イエス様は真の神様でいらっしゃいます。イエス様は天地のすべての権能の持ち主であり、すべての王の中での王でいらっしゃいます。イエス様はすべてのものを御自分の足もとに従わせます。(エフェ1:22) また、イエス様が開けると誰も閉じることが出来ず、閉じると誰も開けることが出来ません。(黙3:7)  イエス様は復活であり、命です。世の中の全ての物が神様の掌の中にあります。私たちの人生、悩み、事業などすべてが神様の手の中にあるのです。神様には不可能なことなどはありません。
すべての王の中の王でいらっしゃる神様は自ら約束なさいました。‘わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。’ (マタ28:20) これこそが至上命令の最後なのです。私たちの力では到底、出来ないことでも神様の御力があれば必ず成し遂げられます。信じる人はすべてのことにおいて復活の神様と共に働く人です。神様の御力が私たちを動かせます。復活なさった神様は私たちを通して働かれることを望んでおられます。復活の神様があなたの人生の中で共におられることを信じますか?この事実を信じない人は信仰の形はありますが、信仰の力はもっていない人なのです。信仰深い人たちはいつも神様が自分たちと共におられることを告白する人でした。 ダビデは ‘死の陰の谷を行くときもわたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。’ (詩23:4)と告白しています。カナンの地を目の前にしていたヨシュアには‘うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。’ (ヨシュ1:9)と仰せられた神様の御言葉が彼にとって完全なる力になりました。リック・ウォレン牧師先生は ‘神様は今、ここに私と共に私のためにおられる。’という確信の信仰で全てのことを勝ち抜いているそうです。 ‘イエス様はいつも私と共におられる。’これこそが生きている信仰であり、現場の信仰であり、臨在の信仰であります。あなたの人生の中にはイエス様が共におられますか?それとも今、あなたの人生の中にはイエス様は不在中でしょうか?信仰の不在は神様の臨在の不在をもたらします。

2.イエス様は私たちに何を望んでおられるのでしょうか?
二つ目のイエス様の至上命令は私たちに使命をお与えになったことです。その使命を一言でいえば ‘行って全ての民を弟子にしなさい。’ということです。これをもう少し具体的に言えば ‘伝道し、訓練しなさい。ということです。伝道とは十字架と復活なさったイエス様の愛を述べ伝えるとこであり、訓練とはイエス様が仰せられた御言葉を教え、守るようにすることなのです。伝道と訓練、この二つは聖書的な弟子訓練の目的です。信じる人はイエス様の愛を世の中に述べ伝え、御言葉をもって世の中の人々を訓練させなければなりません。伝道と訓練、これはしてもしなくてもいいことではありません。伝道と訓練は復活なさった神様の命令です。この命令についてもう少し具体的に考えてみましょう。

1) 聖餐を行いなさい。
まずイエス様が復活なさる3日前からみてみましょう。イエス様は十字架にかけられる直前に一つの儀式を行うようにとおっしゃいました。その儀式は今、私たちが言っている聖餐式のことです。教会の聖礼典は聖餐式と洗礼式、この2種類があります。これはイエス様が自らお造りになり、行うようにと命じられたものです。聖礼典は目に見える御言葉なのです。初代教会と使徒たち、そして宗教改革者たちは聖餐式をとても大事に思いました。彼らにとって聖餐式のない主日は考えられないものでした。彼らの礼拝は聖餐中心の礼拝でした。カルヴァンは1年を通して特別な時期だけに聖餐式を行うことや毎週の主日礼拝の時に聖餐式を行わないツビングリ式習慣は悪魔の発明だと言っています。また、ジョン・ウェスレーは ‘聖徒は聖餐を通して罪が赦され、精神が強くなり、完全なる聖潔に至る’と言っています。そしてウェスレーは‘パンと葡萄酒はただの物にすぎないが、神様はこのような単なる物と礼式に実際に御臨在し、私たちに救いの糧と魂の力をお与えになる’と言っています。聖餐は偉大なる恵みの通路です。聖餐を通して多くの人たちが聖霊様を体験し、癒しの恵みを体験しました。
聖餐は単なる記念や象徴ではありません。真の信仰をもって聖餐を受ける時、キリストが実際に御臨在し、現われる出来事なのです。カルヴァンもウェスレーも‘キリストの実際的な臨在’, ‘真の臨在’, ‘霊的な臨在’を通して聖餐の重要性について何度も繰り返し言っています。私たちはキリストの御臨在を通して実際にキリストの体と血を頂くことになるのです。
聖餐式はパンと葡萄酒を通して神様の十字架の愛を感じることです。聖徒は御言葉に限らず、聖餐も持続的に受けなければなりません。

2)洗礼を行いなさい。
イエス様が復活なさった後にお決めになった聖礼典は洗礼式です。洗礼式は至上命令に記録された聖礼典です。‘あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼〔バプテスマ〕を授け、’ (マタ28:19) 従って初代教会にとって洗礼は何よりも重要なものでした。 ペトロが説教を通してイエス様の愛を伝えると多くの人たちが救われる方法についてペトロに尋ねました。その時、ペトロは ‘悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼〔バプテスマ〕を受け、罪を赦していただきなさい。’ (使2:38) と答えました。そうすると3千人にも及ぶ人たちが洗礼を受け、クリスチャンになりました。(使2:41) そしてフィリポもエチオピアの高官に福音を告げ知らせ、直ちに道端で洗礼を授けました。
(使8:38)
イエス様ははっきりと仰せられました。‘信じて洗礼〔バプテスマ〕を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。’ (マコ16:16)
洗礼は聖徒が契約で神様と結ばれる霊的な儀式なのです。洗礼を通さなくて神様の御国に入る方法はないとウェスレーは言っています。洗礼を通してこそ十字架の愛を頂き、罪が赦され、神様の子供として生まれ変わるのです。
イエス様は私たちのために愛の十字架、救いの十字架、命の十字架を立てて下さいました。
神様は今も私たちが十字架の愛を感じることを望んでおられるため、聖餐式を命じられました。そして十字架の愛が世の果てまで流れ出ることを望んでおられるため、伝道と洗礼式を命じられ、多くの愛の実が結ばれるように御言葉の訓練を命じられました。神様の十字架の愛は聖餐、洗礼、訓練を通して全地に満ち溢れます。これが至上命令の内容なのです。
至上命令は神様の愛を、微視的には各細胞の中に、巨視的には全ての民に述べ伝えることです。

3) 行って弟子にしなさい。
弟子にするためにはまず神様の福音を伝えなければなりません。伝道は神様の愛を伝えることです。人に福音を伝えないで弟子にすることは不可能です。そして人がいないのに御言葉を告げ知らせ、守るようにさせることも不可能なことです。そのため、イエス様は真っ先に ‘行きなさい’と仰せられたのです。‘全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。’ (マコ16:15) 伝道は神様の至上命令です。聖徒であるなら必ずしなければならないことが伝道です。復活なさったイエス様は私たちに自ら仰せられます。‘あなたたちは私を信じているのか?そうであるなら福音を述べ伝えなさい。’ ‘あなたたちは私を愛しているのか?そうであるなら福音を述べ伝えなさい。’
‘この世のひとびと いつわりのかみ
日やつきおがみて さまよいもとむ
かみの子われら 主のあいをもて 知らしめなくば のぞみはあらじ
主のあいをもて 主のあいをもて 知らしめなくば のぞみはあらじ’ (賛美歌373)
伝道は他のことではなく、イエス様の愛を世の中に示すことです。
伝道を復活させることがイースターの神様のメッセージなのです。伝道の復活を通してこそ世の中は復活されます。

1 コメント

中森千草

2010-04-11 03:28:26

復活祭を迎えて、身が引き締まる思いです。
多くのクリスチャンで、日本の地を埋め尽くしてほしい思いが
あります。
1%は何とか超えてほしいです。
任務を果たしていきます。

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