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중앙영광교회

人生の出会い

이용규목사, 2009-12-20 00:48:32

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人生は巡り合いです。動物は一人でも十分に生きることが出来ますが、人間は一人では生きることが出来ません。人々は出会いを通してお互いに影響を与えながら生きます。その影響が良い影響である場合も、悪い影響である場合もあります。
巡り合いは人生そのものです。出会いのない人生より大きい不幸はないと言えるでしょう。
良い環境に巡り合うことも祝福ですが、良い人に巡り合うことはさらに大きい祝福です。人はどんな人に巡り合うかによって人生が変わりやすいからです。しかし良い環境より、良い人よりもっとも重要な出会いがあります。それは他でもないイエス様との出会いです。神様はこのことのためにイエス様を人の形にさせ、この世に送って下さいました。そしてイエス様を十字架の上で死なせ、復活させて下さいました。イエス様と出会った人は立ち上がることが出来、そして生き返ることが出来ます。
あなたは本当にイエス様に会ったのでしょうか?

1.        非選択的な出会い
 人生は出会いの歴史だと言えます。
 しかし、出会いは二つに分けられます。それは選択的な出会いと非選択的な出会いです。選択的な出会いは自らの選択でもし自分が嫌なら会わなくても良いのです。出会いの歴史が徹底的に自分の手の中にあります。しかし非選択的な出会いはそれとは違います。自分自身の意志とはまったく関係なく既に与えられた出会いです。自分が望むか望まないかは何の関係もありません。例えば家族のことや自分の弱さ等のことです。‘私はなぜこんな両親の所に生まれたのか?なぜこんな子供が私の所に生まれてきたのか?なぜ私はこのような生れ付きの病気をもっているのか?なぜ私はこのような問題と弱さを持っているのだろうか?私の顔はなぜこうなのか?…’
 このようなことは自分の意志によって出来た物ではなく、神様が私たちだけに与えて下さる特別な贈り物です。そのようなことは全知全能で万物の創造主である神様が私たちをお造りになる時に既にお決めになったことです。絶対に神様は私たちに必要でない物をお与えになる方ではありません。神様は必ず私たちに必要な物をお与えになるのです。神様から与えられた物はすべて大切な物です。私たちを私たちらしくさせるために与えて下さった特別な贈り物です。時にはそれが私たちの気に入らないこともあるでしょう。しかし、誰よりも私たちのことを良くご存じである神様から与えられた物なので感謝をもってそれを受け入れなければなりません。そして喜びをもって受け入れるべきです。神様が私たちの人生に与えて下さった贈り物ですからどんなに大切な物でしょう。神様はこのようなことを通してその人だけが奉げることが出来る栄光をお受けになるのではないでしょうか。すべて感謝をもって受け入れれば捨てる物は何一つないと思います。
 日本で一番高い山は富士山であり、その下には大きい湖がいくつかありますが、富士山とその下にある湖は農耕地としても人が住む土地としてもまったく価値がないと言っても過言ではありません。もしかしたら捨てられた土地とも言えるでしょう。しかし、どうでしょうか?果たして富士山が日本の厄介な問題、処理に困る土地に過ぎないのでしょうか?絶対にそうではありません。一番日本を代表する物は富士山だと言われます。富士山は日本を日本らしくさせる最高の象徴物であり、最高の観光資源です。そのため、世界各国から多くの人々が富士山を見るために押し寄せて来るのです。富士山は日本の厄介物ではなく宝物であります。
 私たちの人生にも自分とはまったく関係のない問題の大山が現れることもあるでしょう。その山は家族のことである場合も、自分の生れ付きの弱さや持病である場合もあります。日本の人々が富士山を恥ずかしく思ったり恨んだりしないように私たちは決してそれを恥ずかしく思ったり憎んだり恨んだりしてはいけません。私たちは神様から与えられた贈り物を感謝の気持ちで受け取ってそれを一生懸命に開発することに最善を尽くせばいいのです。神様は私たちが与えられた山の頂上に登ることを望んでおられます。神様から与えられた山はあなたの人生を豊かにさせ、価値のあるそして恵み深いあなただけの富士山になるでしょう。
 富士山を平地にさせようとしないで開発してみて下さい。決して他人がまねの出来ないあなただけの最高峰が現れるでしょう。
 平地は有名でないですが、山は高いほど有名になるはずです。
 あなたの人生の中にある高い山はあなたの人生の一部分です。ですから追い出そうとしてはいけません。自分の一部であるため追い出そうとするほど辛くなるだけです。与えられた山と仲良く暮らしてみては如何でしょうか。高い山が与える恵みがどんな物なのか直ちに味わうことになるでしょう。あなたの人生の中にある富士山は日本の富士山よりもっと大きい恵みとやりがいをあなたに贈ってくれるはずです。
 パウロの肉体のとげはパウロをパウロらしくさせただけではなく、絶えず信仰の力を現す最高の力の源になりました。

2.        選択的な出会い
 非選択的な出会いは私たちの意志とは関係なく与えられた物ですが、選択的な出会いは徹底的に自分の手によって決められます。非選択的な出会いで少し不便を感じることはあるかもしれませんが、非選択的な出会いは絶対に人生の勝敗や興亡を左右することは出来ません。
非選択的な出会いはただ私たちの人生の色や分野そして方向を決めるだけです。私たちの人生は選択的な出会いによって決まるのです。
非選択的な出会いは神様の贈り物であり、選択的な出会いは自分自身の決断です。そのために非選択的な出会いには感謝の心が必要であり、選択的な出会いには知恵の心が必要であるのです。
 良い環境との出会いは人生に少しばかりの利益を与え、良い人との出会いは人生に長らく利益を与えてくれますが、イエス様との出会いは人生と命に永遠に利益を与えてくれます。
 ペトロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネは漁村のみすぼらしい漁師たちでした。彼らはその日暮らしでやっと家族を養う人に過ぎませんでした。しかし、ある日彼らの人生に大きい転換期が訪れたのです。彼らは当時だけではなく、今日に至るまで全世界で有名人になったわけです。自分の家族はもちろんのこと、全世界の人々に命の糧を与える神様の弟子たちになったのです。彼らの身分や職業、能力のすべてが一瞬にして変わりました。なぜこのような驚くことが起きたのでしょうか?いきなり誰かが彼らに大金を与えたのでしょうか?彼らが一生懸命に勉強でもしたのでしょうか?それとも急に環境の変化でもあったのでしょうか?そうではありません。彼らの人生が変わったのは彼らがイエス様に出会ったからです。イエス様さえ出会えば人生が変わります。イエス様ははっきりと仰せられました。‘わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう。’(マコ1:17) この御言葉はすなわち‘わたしについて来なさい。あなたの人生を変えよう。’という意味と同様です。この御言葉とおりに4人の人生は変わったのです。多くの人たちがただイエス様に出会っただけなのに悪霊が離れ去り、病気が治され、罪から解放され自由になりました。
 イエス様にとって変えることの出来ない人生はありません。イエス様はあなたの人生も変えることが出来ます。そしてイエス様はあなたの家族の人生も変えられます。イエス様が呼んでいらっしゃる時に直ちに答えて下さい。恥ずかしく思ったり、疑ったり、逃げてはいけません。イエス様はまさにあなたのような人を招くためにいらしたのです。‘医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。’(マコ2:17)
 ‘あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。’(一コリ1:26)
 あなたはイエス様に召されるのに値する人です。あなたはまさにイエス様が探しておられる人です。
イエス様が呼ばれる声にすぐに答えて下さい。そうすればあなたの人生は変わることでしょう。
(賛美歌528参照)

3.        イエス様に巡り合った人々
イエス様がこの世に人間の姿でいらした時に、本当にイエス様に出会った人はそれほど多くありませんでした。多くのファリサイ派の人々や律法学者たちは直接イエス様に会ったにも関わらず、彼らは外見だけのイエス様には会ったが、霊のイエス様には会えなかったのでした。そのために彼らはイエス様によって人生が変わったのではなく、むしろイエス様を殺そうとしたわけです。イエス様は眼だけで会うのではありません。心から霊と信仰を持って会わなければいけません。そうすれば私たちの内なる人はイエス様の影響を受け、人生に素晴らしい変化の実が結ばれることになるのです。
当時イエス様の弟子たちは正しくイエス様に会いましたが、ファリサイ派の人々は正しくイエス様に会うことが出来なかったのです。
今、あなたは正しくイエス様に出会ったと言えるでしょうか?
イエス様が十字架にかけられた時にイエス様の左右には十字架にかけられた他の罪人が二人いました。ところで面白いことが起きたのです。一人の罪人は救われましたが、もう一人の罪人は呪われました。まったく同じ条件と環境だったのにもかかわらずどうして全く違う結果になったのでしょうか?イエス様がどこにいらっしゃるかということや私が十字架にかけられるほどの罪人であることは救いとは関係のないことです。私がイエス様を信じることを選択するか拒否するかということが救いと直接つながるのです。死の真際に立った罪人がイエス様と一緒に天国に昇れたのは彼の運が良かったためではなく、彼の選択が正しかったからです。良い選択は奇跡を起こします。イエス様を選択する人は誰でも奇跡の主人公になれます。
‘イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思いだしてください。’(ルカ23:42)
‘はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。(その理由はあなたがわたしを選んだからである)’(ルカ23:43)
世界にもっとも大きい影響を及ぼしたナルニア国物語の著者であるC.S.ルイスはオックスフォード大学の教授だった時はクリスチャンではありませんでした。そんな彼がキリスト教に猛反対していたウェルドンの一言によってイエス様に出会うようになりました。ウェルドンは福音書を弁護する神学者の文章を非難しながら‘でたらめなことを言ってるぞ。また神が死んだと言ってる。まるで本当にあったことのように話しているんだ。’この一言がルイスの人生を完全に変えてしまったわけです。彼はノンクリスチャンの言葉によってイエス様を信じるようになったのでした。
ベン・ハーの作者であるルー・ウォーレスはキリストの抹殺を主張していた人でした。彼はイエスが詐欺師であると主張し、それを証明するために2年間資料を集め、本を書き始めました。ところで一章を終え、だった2章を書き始めようとした段階でウォーレスはイエス様の前に跪いてしまいました。彼は本を書く中でイエス様に出会ったのでした。彼はこのように告白しています。‘イエス様だけが真の神であり、真の主であり、真のメシアでいらっしゃいます。’極端なことは通じ合うものです。強い否定は肯定につながります。彼がイエス様に出会った後、悔い改めて書いた本が世界で有名になったベン・ハーです。
イエス様は今も私たちを呼んでおられます。
‘わたしについて来なさい。あなたの人生をかえよう。’

4 コメント

이용규목사

2009-12-20 00:49:26

이 은미님의 번역과 후루고오리상의 감수입니다.
늘 감사드립니다.

田辺高幸

2009-12-20 07:40:22

先週は一緒に弟子訓練から使役訓練まで受けた3人が揃ってカキコをしました。この3人とは今は、ある人とはたまに食事をする程度、ある人はもうしばらく顔を合わせていません。僕は、この訓練が終わったら、使徒言行録の使徒がそうだったように、主に与えられた使役によりバラバラになるだろうと思っていました。そしてこれが今、実現した感じです。
こんな3人ですが、出会わせてくれたのは主です。主がいなかったら出会うことはなかったでしょう。性格も違うだけに、出会ったのが奇跡だったと思います。そしてこの出会いがなければ訓練を受けることもなく、主と出会うこともなかったと思います。
出会いは全く不思議な導きでした。日本人の訓練実現に大きな役割を果たした、数ヶ月会っていないであろう人は、訓練が始まる寸前に出会った人で全く知らない人でした。どうして知らなかったというと理由は、僕は昼の韓国語礼拝に参加し、属会でも韓国人組に編入されていた人で、この方は朝の日本語礼拝に参加されている方だったからです。時間的に会うことがなかった訳です。まして僕は日本語礼拝の存在も知らなかったのでなおさらです。
それが何故か出会いました。この人は先生に聖書の勉強がしたいと申し出て、これが日本人の訓練を始めるきっかけに作った訳ですが、その最中にこの人と出会ったことにより、以前から訓練を受けたいと思っていた僕は、訓練を受けることが出来ました。僕に神様が訓練を参加させるために絶妙なタイミングで会わせてくれた人だと今となっては思います。
そしてたまに食事する人とは、性格的に合ったのか、聖書についてよく語り合う関係になりました。一緒に食事をしたりしながらよく話をしました。最も訓練中に行動を共にした人です。
正直3人揃って話をしたことは、おそらく訓練中は一回あっただけです。でも訓練は一緒に受けました。僕は、彼らより能力的に劣った人間であったけど、共に訓練が出来ました。多分、この組み合わせが3人にとっていいだろうという主の考えがあったのだろうと思います。それで無事に訓練を通過出来たのだと思っています。
僕はその後、この方達と行動をしなくなりました。新しい使役を与えられ、それに専念したいので僕の方から別れました。そして、僕は今の属会と出会いました。今一緒に彼らと行動を共にしていますが、自分にとって本当に大切な家族です。中にはここに来て初めて入った属会のメンバーを初め、元々知っている面々もいたりしていて、非常に楽しくいれる人たちです。
僕は一緒に訓練を受けた人がいたから、ここまで来れました。そして今は、大切な家族のような属会がいるから頑張れています。すべて主のおかげで出会いました。これからもこれを大切にして信仰生活をしたいと心から思います。

中森千草

2009-12-20 09:07:59

自分の力を信じていて、努力によって地位を得られると思っていました。
幸せ、喜び、すべてが手にできると・・・・・
しかし、イエス・キリストとの出会いによって、自分の考えが間違っていることを
知りました。
すべての考えが、正されました。
生きる目的が変わりました。
誰のために生きればいいかを知りました。
この世界で私は何をすればいいのか、よく分かりました。
まだまだたくさんありますが、何より、最高の喜びを得ることができたのが、
おおきいです。
神様と出会ったからこそ頂けた本当の幸せが、感動として色あせずに
心に残っていること。 すばらしいです。
この感動をいろんな人々に感じてもらいたい。

古郡武志

2010-01-10 06:34:31

「出会い」と言えば、一般的に思い浮かぶのは、イエス様との出会いではなく、男女の出会いということになるのだろう。
女性の立場からは、「職場に適齢の男性がいなくて…」と言ったりする人もいるから、機会がないことに苦しんでいる人もいるのだろう。
なかなか、男女の出会いという奴は難しい。
こちらがつきあいを深めようと思っても、相手は関係を絶ちたいと思うこともある。
こちらが特段つきあいたくもないのに、相手が関係を深めたいと思うこともあるのである。

さて、イエス様との出会いはどうだろうか?
たしかに受肉されたイエス様に対面することができないが、聖書を読むことによって、そして教会に行くことによって会うことができる。
「職場に適齢の男性がいなくて・・・」などと悩む必要もない。
そして、関係を深めたいと思えば、喜んで受け入れ関係を深めて下さる。
気に入らないからという理由でそっぽを向かれる心配もない。
そして、得られるものが永遠の生命…
幸福感を得られる男女の出会いとは比すことのできない絶大な効果…
よくよく考えてみれば、(とても言い方は悪いが)こんなにおいしい出会いはないと思う。

皮肉なことに、私のイエス様との出会いは男女の出会いがきっかけだった。
これからはわたしとの出会いがイエス様との出会いになるように努力していかなければならないと思う。

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