感謝
聖書に「すべての事について感謝しなさい」(第1テサロニケ人への手紙)という言葉があります。人生そのものに感謝しなさいという意味です。ここまで気を重くさせる言葉もないでしょう。すべての事に感謝できるのでしょうか。我々が生きていく上で、いらつくことや頭にくることなど数え切れない程あります。できる限り耐えて、感謝しながら生きていきなさいと言われれば、ある程度理解できますが、すべてのことについて感謝しなさいという言葉は、ごり押し言葉でしか聞こえてきません。しかし多くの人はすべての事に感謝しながら人生を過ごしたがります。そのように生きられないからで、もし良い方法があればそのように生きようとします。
感謝は、環境の影響をたくさん受けるように考えられますが実はそうではありません。
弱い者が強い者より、貧しい者がお金持ちより、病人が元気な者よりもっと感謝します。
真の感謝は、外部の環境によるものではなく内面の悟りを通じて得られます。すべてのものを全部持った人はいません。人は誰でも持っていないものがあります。自分が持っているものについては関心がなくて、持っていないものに集中してしまうため、その人生には感謝がないのです。自分が持っているものについて集中する人は、必ず感謝するようになり、自分が持っていないことに集中してしまえば必ず不満の言葉が出ます。
日本が生んだ素晴らしい信仰の持ち主、三浦綾子という作家がいます。彼女は、24歳のときから37歳まで闘病生活をしました。それもギブスベッドで寝たきり生活を送っていました。もちろんトイレに行くことさえできませんでした。ある日、彼女が奇跡的に身体を少しずつ回復するようになりました。ようやく自分の足で歩いてトイレに行けるようになりました。その時の感動と感謝を彼女はこのように述べています。「トイレに初めて行った時の喜びをどのように表現すればいいか。果たして何年ぶりにトイレのドアを開けたのだろう。思わず涙が頬に落ちた。そして部屋に戻ったときには、これから私は誰にも便器世話をさせなくてもいいと思ったら嬉しくて堪らなかった。」
彼女は徐々に食事も座って食べられるようになりました。以前は仰向きに横になって胸の上にご飯のテーブルを置き、そのテーブルを手鏡で映しながら食べるしかできませんでした。しかしこれからは自分の目下のご飯テーブルを見ながら食事を摂れるようになりました。彼女はその時の感動を「どれだけ素晴らしいことでしょう。それはまさに胸奮える喜びだった」と話しています。
それから初めてギブスベッドから縁側に出て月と星を望めたときには、その美しさに感動し大声で叫びたい衝動までおこったと話しています。彼女は特別なことではなく、トイレに自分の足で行ったこと、座ってご飯を食べたこと、自分の目で月と星を夜に見られたことを感謝したのです。それこそすべてのことについて感謝したことだと言えるでしょう。三浦綾子が感謝した殆どのことは、私たちが毎日行っている日常のことです。しかし、私たちには感謝の気持ちがありません。どうしてでしょうか。私たちが当然できると思っているものも、しばらくできなくなって、再びできるようになったことを経験した者には感謝が溢れますが、ずっとできる者にはありがたさが消えてしまいます。一度できなくなったことを経験した者は、やっとそのありがたさが分かります。しかしずっとできている者にはそのありがたさが鈍くなってしまうのです。それで感謝の気持ちも忘れてしまうのです。感謝にも初心が重要です。苦難は初心を回復してくれます。健康、家族、教徒、隣人...いかにすべての人々が大事なのか分かりません。その大事さの表現が感謝です。我々のすべての事がまさに感謝の条件です。すべての事に感謝する人生こそ最高に感謝に溢れる人生となります。
聖書に「すべての事について感謝しなさい」(第1テサロニケ人への手紙)という言葉があります。人生そのものに感謝しなさいという意味です。ここまで気を重くさせる言葉もないでしょう。すべての事に感謝できるのでしょうか。我々が生きていく上で、いらつくことや頭にくることなど数え切れない程あります。できる限り耐えて、感謝しながら生きていきなさいと言われれば、ある程度理解できますが、すべてのことについて感謝しなさいという言葉は、ごり押し言葉でしか聞こえてきません。しかし多くの人はすべての事に感謝しながら人生を過ごしたがります。そのように生きられないからで、もし良い方法があればそのように生きようとします。
感謝は、環境の影響をたくさん受けるように考えられますが実はそうではありません。
弱い者が強い者より、貧しい者がお金持ちより、病人が元気な者よりもっと感謝します。
真の感謝は、外部の環境によるものではなく内面の悟りを通じて得られます。すべてのものを全部持った人はいません。人は誰でも持っていないものがあります。自分が持っているものについては関心がなくて、持っていないものに集中してしまうため、その人生には感謝がないのです。自分が持っているものについて集中する人は、必ず感謝するようになり、自分が持っていないことに集中してしまえば必ず不満の言葉が出ます。
日本が生んだ素晴らしい信仰の持ち主、三浦綾子という作家がいます。彼女は、24歳のときから37歳まで闘病生活をしました。それもギブスベッドで寝たきり生活を送っていました。もちろんトイレに行くことさえできませんでした。ある日、彼女が奇跡的に身体を少しずつ回復するようになりました。ようやく自分の足で歩いてトイレに行けるようになりました。その時の感動と感謝を彼女はこのように述べています。「トイレに初めて行った時の喜びをどのように表現すればいいか。果たして何年ぶりにトイレのドアを開けたのだろう。思わず涙が頬に落ちた。そして部屋に戻ったときには、これから私は誰にも便器世話をさせなくてもいいと思ったら嬉しくて堪らなかった。」
彼女は徐々に食事も座って食べられるようになりました。以前は仰向きに横になって胸の上にご飯のテーブルを置き、そのテーブルを手鏡で映しながら食べるしかできませんでした。しかしこれからは自分の目下のご飯テーブルを見ながら食事を摂れるようになりました。彼女はその時の感動を「どれだけ素晴らしいことでしょう。それはまさに胸奮える喜びだった」と話しています。
それから初めてギブスベッドから縁側に出て月と星を望めたときには、その美しさに感動し大声で叫びたい衝動までおこったと話しています。彼女は特別なことではなく、トイレに自分の足で行ったこと、座ってご飯を食べたこと、自分の目で月と星を夜に見られたことを感謝したのです。それこそすべてのことについて感謝したことだと言えるでしょう。三浦綾子が感謝した殆どのことは、私たちが毎日行っている日常のことです。しかし、私たちには感謝の気持ちがありません。どうしてでしょうか。私たちが当然できると思っているものも、しばらくできなくなって、再びできるようになったことを経験した者には感謝が溢れますが、ずっとできる者にはありがたさが消えてしまいます。一度できなくなったことを経験した者は、やっとそのありがたさが分かります。しかしずっとできている者にはそのありがたさが鈍くなってしまうのです。それで感謝の気持ちも忘れてしまうのです。感謝にも初心が重要です。苦難は初心を回復してくれます。健康、家族、教徒、隣人...いかにすべての人々が大事なのか分かりません。その大事さの表現が感謝です。我々のすべての事がまさに感謝の条件です。すべての事に感謝する人生こそ最高に感謝に溢れる人生となります。
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1 コメント
中森千草
2012-11-20 18:37:45
あまりにも感動してしまい、言葉が出てこないというのが本音です。
読んでいて胸が苦しくなる部分があったのですが、
感謝をどのようにしていけばいいのかを、教えて頂いたと思います。
出来るのかな?と自分に問いかけるのではなく、まず見習って実行に移していきたいと思います。