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중앙영광교회

「満たすこと」

이용규목사, 2009-03-13 19:00:07

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「満たすこと」

御言葉//エフェソの信徒への手紙5:8

1、満たすことの重要性
 聖徒は空けることをきちんとしなければならないが、満たすこともきちんとしなければならない。
世間のことを未練なくあけることが出来、主のことを惑うことなく満たす聖徒が健康な、知恵ある、安全な聖徒である。イエス様は満たすことの重要性をこのように言っておられる。(ルカによる福音書11:24-26)
汚れた霊が、ある人から出て行った。その霊は休む場所を探したが、見つからず、結局自分が出た人のところに帰る。「出て来たわが家に戻ろう。」来てみると家はきれいによく整頓されていた。しかし、誰も住んでいなかったのだ。空き家のままだったのだ。彼は出かけて行き、自分よりも悪い7つの霊を連れて来てそこに住んだ。
それならその人の後の状態は、初めよりももっと悲惨になるという話だ。なぜ後の状態が初めよりももっと悲惨になるのか?初めは汚れた一つの霊が住んでいたが、後でもっと悪い霊が7つも来て住んだためだ。それではなぜ7つもやってきたのか?空いていたときに満ちていなかったからだ。つまり満たされなければならないが空き家にしておいたため
汚れた霊の餌食になったのである。
イエス様は、人の体を霊の家に例えている。霊の家には3つの家がある。悪魔の家、空き家、聖霊の家がある。あなたの体は今どの家だと思うか?大変危険な家は空き家だ。悪い7つの汚れた霊が一番入って来る家だからだ。可能なら早く満たさなくてはならない。そうしてはじめて、悪霊が見下すことができなくなるのだ。悪霊が来て、聖霊の力に圧倒され驚き、7つの道を逃げなければならない。その道は、ただ聖霊充満の家に換えることである。
「あなたがたは、自分が神の聖殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知でらないのですか。」(コリントの信徒への手紙一3:16)
信仰の偉人は神のもので満たすことを切に望んでいる。イエス様が教えてくださる主の祈りもそうだ。主の御名と主の御国と主の御心で満たされるようにまず先に祈りなさいといっている。
ダビデは命までも空けなければならないという危うい状況のときも、暗い死の谷でも、主が満たして下さることを信仰で切に望んだ。
わたしを苦しめる者を前にしても あなたはわたしに食卓を整えてくださる。
わたしの頭に香油を注ぎ わたしの杯を溢れさせてくださる。(詩篇23:5)
彼は神様が満たして下されること心あらかじめ宣布し、神様の恵みの香油をあらかじめ宣布したのである。信仰はまさに宣布だ。今受けたことをのべ伝えるだけでなく、これから受けることを信仰で宣言することだ。
だから信仰があるほど宣布するようになる。受けただけ宣布するのは、信仰の宣布ではない。信仰があるのか?宣布せよ。
神の恵みをのべ伝えよ。神の恵みはあなた方の分だけでなく、あなたの子孫にまで流れ溢れる。ダビデの子孫のように。
信仰の宣布は、御業を呼び起こす。みんなで宣布してみよう。
我が頭に香油を注ぎ、我が杯を溢れさせてくださる。
 主が聖霊を我が頭に注ぎ、我が杯を溢れさせてくださる。
 主が力を我が頭に注ぎ、我が杯を溢れさせてくださる。

2、何で満たすのか?
 このことについては聖書に明らかに書かれている。
「酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。むしろ霊に満たされ」(エフェソの信徒への手紙5:18)
酒で充満するのではなく、ただ聖霊で充満しなければならない。人生の杯は酒で満たすのではなく、ただ聖霊で満たさなくてはならない。世俗の快楽に酔うことなく、ただ聖霊に酔っていなくてはならない。パウロは次のような偉大な告白をした。
「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。」(ガラテヤの信徒への手紙2:20)
私の肉は全部死んで、ただキリストの霊が私の内なる人を満たしていらっしゃるといった。悪霊や自分が生きているのではなく、聖霊が入って来て生きているという言葉だ。聖霊は信仰の人をこのように表現している。
「ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。」(コリントの信徒への手紙二4:7)
我々は本来、土により作られ、見るに値しない器のようなものだ。我々が価値のあるものになったのはその土の器の中に驚くべき宝が入っているためだ。だからクリスチャンは誰でも尊い宝だ。我々は見掛けはよくないが、中にはお金で買うことの出来ない神の息子のイエス様が、聖霊様がおられるからだ。宝は満たすことなく空の器だけを持っていたらどんなに愚かな人かわからない。クリスチャンの真なる価値は器にあるのでなくそれを満たす宝にある。器を満たさなくてはならない。宝で、キリストで、聖霊で満たされなくてはならない。そのとき我々は生まれつきの器を捨てることなく、宝で満たされた価値のある器でもてなされるだろう。
エンジ・アンドロスは世界的な作家で、放送関係者だ。彼はアメリカで4名の大統領の前で数回演説した人物でもある。彼は19歳で両親を失い、非常につらい人生を送った。橋の下で一人で生きながら、自分の人生を憎み、自殺を考えた。彼は人生の最低も経験し、ないということを考えれば全てが、すべてが空っぽの人生だ、家族、家、お金全てない人生ということだ。そのとき彼は、偉大な生き方をしている人に関心を持つようになった。成功している人はどんな生き方をしているのか?彼は(無料)図書館に行き、偉大な人の伝記を読み始めた。何百冊もの偉人伝を読みあさり、偉大な人の生き方を通して偉大な原則を発見した。彼はその原則を自分の生き方に適用した。そしてそのとおりの人生を歩んだ。それで彼は今やホームレスから大統領の前に立つ人物になった。彼が偉大な人になったのは偉大な満たしがあったためだ。人は満たしたもの以上の人にはなれないのである。成功する人生を歩みたいか。偉大な人生を夢見ているか?偉大なことをまずあなたの人生に満たしなさい。そしてその生き方を継続してみなさい。
最も偉大なのは聖霊だ。あなたの中を霊で満たしなさい。そして、聖霊の生き方をしてみなさい。そうすれば必ず神様の偉大なる働き、天地を創られたその働きが、あなたの霊を通してまた再現される、必ず!!!

3、どうやって満たすか?
 我々の内なる人を聖霊で満たすためにまず清い人生を送らなくてはいけない。
1)清めることで満たす。
 「だから、今述べた諸悪から自分を清める人は、貴いことに用いられる器になり、聖な  るもの、主人に役立つもの、あらゆる善い業のために備えられたものとなるのです。」(テモテへの手紙2:21)
自分をきれいにする器は主人である神の霊で満たされ用いられる、尊い器にしてくださる。
神様の聖殿は清い。聖霊は清い霊だ。我々はその聖霊が住んでいる聖殿だ。だから我々が聖霊で満たすために清らかにしていなければならない。言葉の争いや、だまし、雑談、不義、情欲から自分自身を清めなければならない。鬼神は汚い霊であるが、聖霊はきれいな霊だ。
2)祈りで満たす。
 「このように、あなた方は悪いものでありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」(ルカによる福音書11:13)
ルカがこの言葉を言ったのか?イエス様だ。聖霊を求めるものには必ず聖霊を下さるという最初の不変の約束だ。聖霊は神様の霊で、神様が下さらなければ私たちは受けることが出来ない。だから神様に任せて祈ることは当然なことだ。
求めてこそ得られる。、ただ、情欲で使おうとして求めてはいけないのである。(ヤコブの手紙4:3)
3)正しい選択で満たす。
聖霊は我々の心の中におられれば私たちを導いてくださる。必ず正しこを教えてくださる。しかし、問題は、わたしたちの選択だ。私たちが聖霊の導きに従って行うこともでき、反対に肉体の求めるところに従って行うことも出来る。我々が聖霊に従わなければ、わたしたちの内に聖霊がいらっしゃっても、聖霊が教え導いて下さっても、何の意味もない。むしろ、葛藤で苦しいだけだ。聖霊があることが力なのではない。聖霊の導きに従うことが力だ。聖霊は存在の有無よりも、聖霊への従順の有無が絶対に重要だ。
聖霊に従って選択するときに、聖霊の恵みを体験することになる。聖霊は装飾品ではなく、人生の力だ。
「わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。(ガラテヤの信徒への手紙5:16)
ペトロがイエス様の一番弟子の恵みを受けたのは、彼がイエス様に従うことを選択したからだ。
すべてを捨ててイエスに従った。(ルカによる福音書5:11)
人生は選択の結果だ。選択はきちんとしないといけない。イエス様に従うことは聖霊に従うことを決断することだ。イエス様はこのように言われた。
「私は世の光である。私に従うものは暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。(ヨハネ8:12)
イエス様は命の光である。その光を受ける人がいる。その人は、他でもない「イエス様に従う人」だ。従う人は受ける。イエス様に従えば、命の光を受け、聖霊様」に従えば、聖霊充満を受ける。充満の秘訣は、その人に従えば(従順)、よいのである。
聖霊の導きに従い行うほど聖霊の働きが臨み
聖霊の導きに従い行うほど聖霊の実はよく実り、
聖霊の導きに従い行うほど聖霊充満を受けるようになる。
聖霊の導きを拒むな。聖霊充満を受けられなくなる。

3 コメント

中森千草

2009-03-14 08:12:49

きちんと空けました。
ところが、私はあえて満たそうと意識して行っていなかったことを、メッセージを聞いた時に気づきました。
「自分の体が聖殿である」
Iコリント3:16の御言葉は、かなり響きました。
知らないうちに自分で聖殿を汚していたことに、反省しました。
タイムリーといいましょうか、今の私に最も必要な御言葉でした。
この御言葉により、これからの私という人間に変化が現れることを、確信する何かを感じています。
内面・外側が、聖殿にふさわしくなる生活を送っていきます。

田辺高幸

2009-03-15 07:25:35

家とは心のことだ。今までの物を全て空けることは生まれ変わるのに大切なことだと思うが、その後の対処が重要となる。ただ空けっ放しだと、当然空き巣の餌食になる。つまり、家を荒らされ、そこは汚れた場所になってしまうのが落ちだ。
どうせ家を空けるなら、清い方がが入る家にしたいものだ。その方が、全てを幸福で満たすようにしてくれるような状況を作りたいものだ。そんな方が入りやすい家にしたいものだ。やはり自分という心という名の家は良い物としたい。つまり清い方である聖霊様が入るようにしたいのだ。心が神殿ならば、そこにはやはり聖霊様がお住みになるのがふさわしい。自分の家を聖霊様の家にしたいと切に思う。
先週の使役訓練で、聖霊様のお導きで聖書を読む、といった話しが出た。それが耳に残っていて、いろいろ考えてみた。最初に自分の置かれた環境を踏まえ、僕の欲しい物を思い浮かべてみた。お金でもなく、名誉でもなく、物質でもなかったことに気がついた。実は僕は簡単な物が欲しかったのだ。それは平安だ。それを獲得するにはどうすればいいか、そこで出た答えは聖霊様だった。聖霊様に身を委ねる。今頃と思う人はいるかも知れない。けれど人は、やはり時にエゴが出てしまう動物であり、それを知らないうちに出していることが多い。だから僕もそんなことは無意識で行っていたこともあるだろう。それがもめ事の原因となり、僕から平安を奪い去っているのではないか。ならば、どんな時間でも聖霊様を意識して身を委ねてみようと思ったのである。その結果、事態はどうなっているかはまだ判断できないでいるのだが、心は平安に過ごせた。自分の心が家ならば、聖霊様の住む家になったのかも知れないな、と思った。
清い方の住む家に自分の心をしたいから、これからもこの気持ちを捨てないでいきたいと思っている。

古郡武志

2009-03-15 09:43:53

「酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。むしろ、霊に満たされ」

今回の御言葉を聞きながら、僕はとある時事ニュースを思い起こしていた。
G7財務大臣・中央銀行総裁会議終了後に前中川財務大臣が、意識朦朧とし、ろれつのまわらない状態で記者会見したあのニュースである。
日本国民として、恥ずかしく、情けなく、怒りを感じたニュースであったが、反面僕はあのニュースを突き放して他人事と見ることはできなかった。

聖書に出てくる偉人ですら、酔って醜態をさらしているし、欲望にはまり込んだからである。ぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていたノア、バト・シェバに心を奪われ、夫ウリヤを殺したダビデ…
ましてや、ノアやダビデのような信仰がない私であれば、いつ欲望で身を持ち崩すことになるかは油断ならないし、警戒しなければいけないことなのだろう。

 たしかこの朦朧会見に関してよく使われた言葉が「緊張感の欠如」ではなかっただろうか?各国の利害が国家間の力関係を背景にしてぶつかり合う国際政治の場で日本の国益を守るために、記者会見の場であれ、会議の場であれどのようなメッセージを発していくかが政治家にとって重要な課題であろう。そう考えると政治家の発する言葉は重く、緊張感なしにはいられないはずなのだが、どうもそうではないらしい。

翻って、「緊張感の欠如」というこの言葉、評論家の如く政治に対して使う前に自分に対して使わなければならないように思っている。
私が社会人生活を開始してから教えられているテーマは、「緊張感をもって仕事をやれ!」ということだったように思う。私は、メーカーの工場で勤務したことがあるからわかるが、工場などではちょっと油断をすれば、従業員の死亡事故が発生してしまうのである。(そう考えれば、財務大臣が笑いものになるくらいかわいいものである。)
これは、職業生活での話だが、信仰生活ではどうか?
空いた状態を放置しておいたら、7つの汚い霊が入ってきて、破滅の道を歩んでしまう。
入ってくるのは、アルコールか、薬物か、性欲か、金銭欲か、名誉欲か?
空き家を放置しておいたら、悪霊の巣になってしまうという緊張感をもたなくてはなら
ない。
聖なる神殿を、悪霊の蠢く朽ち果てた空き家にしないためにも、一生懸命頑張って満たさないといけない。清い生活と祈りと従順によって…
緊張感の欠如に対し反省の念を呼び起こしてくれた御言葉に感謝をします。

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