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중앙영광교회

空けることと満たすこと

이용규목사, 2009-03-04 19:27:57

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空けることと満たすこと
御言葉//ルカへの福音書5:3-11

1.        変化の原動力

人が変わることは奇跡中の奇跡だ。
ここに、ある人が完全に変わった出来事がある。 素晴らしい奇跡が起こった。
とても貧しくて一匹の魚すら釣れなかった人が突然、船が沈むそうになるぐらいの豊かさを体験することになり、いつも疲労と苦労の日々を過ごしていた人が驚異的な喜びの人生を迎えることになり、魚だけ釣っていた田舎の漁師が救世主の一番の弟子となる。
これは数年かかったわけでもなく、わずか数時間でこの様な驚くべき奇跡が実際に起きた。 何故、このような事が起こったのだろう。
‘わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。’(ヨハネによる福音書10:10)
本人も変えられなかったし、両親も変えられなかったし、どの立派な師匠も変えることができなかった彼の人生がどうやって一瞬で変わったのか。
彼を変化させた変化の原動力は果たして何だろうか。
ペテロはどのようにして田舎の名も無き漁師から突然、イエス様の一番弟子としての高貴な人生を送ることができたのだろうか。
彼の変化の原動力は出会いだった。 彼の変化の原動力はイエス様に出会ったからだ。 イエス様に正しく出会った人はその人生が変わることになっている。 イエス様は変化のパワー、そのものだからだ。 イエス様には罪人を義人に変える能力があり、死を命に変える権力があり、肉の人を霊の人に変える恩恵がある。
イエス様が仰った。‘わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。’(ヨハネによる福音書10:10)
聖書ではこう語っている。 ‘だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。’(コリントの信徒への手紙二5:17)

ペトロはイエス様に出会った自分の人生を通じてこれらの御言葉を素晴らしく証明している。
ところで、何故、今日はペトロのような素敵な変化の出来事を見つけるのが難しいのだろうか。
ペテロ、ヨハネ、ヤコブの様な心の隙間が乏しいからだ。
自分自身を空けることが先立ってからイエス様の充足の働きが来る。
ペトロやヤコブ、ヨハネは全てを捨ててイエス様に従った。 私の中身がすでに違う物でぎっしりなのにまたさらにイエス様を入れる事は不可能だ。 古いものを捨てた時こそ、新しい物の働きが現れる。 ラーメン5杯ですでにお腹がいっぱいなら、いくら美味しい物が目の前にあっても食べたい気持ちになれないのは当然のことだ。
それでイエス様は8福の説教からこのように仰った。
‘心の貧しい人々は幸いである、天の国はその人たちのものである’(マタイによる福音書5:3)
心を空けた人には福がある。彼らは天国で満たされる。
イエスはお答えになった。 ‘貧しい人は福音を告げ知らされている’(マタイによる福音書11:5)
何故、お金持ちではない貧しい者に福音が伝播されると仰ったのだろう。 貧しい者は心が空いているので福音が簡単に入る。 ところが、お金持ちは心が違う物ですでにぎっしりなので福音が入るスペースがない。 今後の中国の福音化に対して懸念する理由もまさにこれだ。 中国内のクリスチャンが1億人を越えたが、これからは容易では無いということだ。 中国の経済が発展し続ければするほど物質と物が豊かになる。 中国の人々が豊かな世の中の物で満たされるのは確かだ。 それで福音を受け入れる空間が減るということだ。 世の中の物でいっぱいになると福音を受け入れる事が難しくなる。 日本がもしお金持ちの国ではなく、アフリカみたいに貧しい国だったら日本への福音化地図は完全に違う形で描かれただろう。
空けた分だけ満たされる。
‘見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。’
(ヨハネの黙示録3:20)
戸を開け、その方を迎え入れよう。その方で人生を満たそう。
‘しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。’(ヨハネによる福音書1:12)

2.   空ける事新しい物で満たされてほしいのか? 先に空けなさい。 空けた分だけ満たされる。
イエス様で満たされてほしいのか? 先にあなたの中にある世の中の物を捨てろ。 そうする事でイエス様がお入りなる空間ができるだろう。‘心の貧しい人々は幸いである、天の国はその人たちのものである’(マタイによる福音書5:3)ペトロは空けるのが上手な人だった。

1)        他人による空き
ペトロの一つ目の空きは自分の意志ではないものだった。仕方ない空きだった。
ペトロは生計のために漁師の仕事に携わったが、この日は徹夜して魚を釣ろうとしても一匹も釣れなかった。彼はため息をついて空き船に戻るしかなかった。空き船の人生に直面した事が無い人は分からないだろう。 家族に食べさせる物がないと、どれ程苦痛だろうか。
これを私たちは苦難、危機と言う。 危機や苦難は人生が空いている状態だ。 不健康によって空いたり、物質倉庫が空いたり、人が離れて空きになるかも知れない。
肉的には非常に苦しくなる時期かも知れない。しかし考えを変えればこの時こそ良いチャンスに違いない。 すでに他意によって空けているので、自分の意志で満たせば良い。 良い物で満たせばよい。 空けるのは他人にやってもらったからどれだけ感謝すべき事か。 実は、満たす事より空ける事がはるかに大変だ。 満たすのは信仰で可能な事だが、空けるのは強い決断がなければならない。
ペトロの船はすでに空だったのでイエス様を乗せられたし、イエス様の恵みで満杯になったのだ。もし前日、満杯になっていたらペテロは決してイエス様を乗せることはできなかったし、イエス様の溢れている充満な祝福を体験するチャンスも得られなかっただろう。 彼にとっては空き船のピンチがかけがえのない充足のチャンスに違いない。  
今、あなたの人生はどうか?
ペトロの様な空き船の人生か。 何もないか。 手持ちの物がないし、疲れで倒れそうか。自分の意志と関係なく空いてしったのか。
落胆せずに感謝しなさい。 新しい充足のチャンスが与えられたのだ。 より良い物で満たしなさい。 イエス様で満たしなさい。 天の物で満たしなさい。 世の中の物を捨てて空いているから天国の物で満たす事がどれ程簡単か。ペトロもしたのではないか。 あなたの人生も必ずペトロの人生みたいになる。 今がチャンスだ。 天国のお金持ちになれるチャンスだ。 あなたの人生が新しくなれるチャンスだ。
‘卑しめられたのはわたしのために良いことでした。わたしはあなたの掟を守るようになりました。’(詩編119:71)
‘わたしは迷い出て、ついに卑しめられました。今からはあなたの仰せを守らせてください’(詩編119:67) ’

2)       自分の意志による空き
この空きは与えられたのではなくて自ら空けることだ。 簡単に話すと、自分から進んで貧しくなることだ。 簡単なことではない。 他意による空きは感謝しながら受ければ良いが、自分の意志による空きは強い意志で決断しないと作れない。
偉大な人物たちは空けることが素晴らしい人たちだった。

イエス様は神の身分でありながら、かえって自分を無にして、僕の身分になって人間と同じ者になり(フィリピの信徒への手紙2:7), ペトロはすべてのものをすててイエス様に従い、(ルカによる福音書5:11),  パウロは、‘生きているのは、もはやわたしではありません。キリストが私のうちに生きておられるのです’と告白した(ガラテヤのへの手紙信徒2:20)
マザーテレサ、キム・スファン枢機卿とも自分自身を空けた人達だ。 そしてイエス様で満たされた人達だ。
ペトロは全てを空けた。 多量の魚を捨てたし、自分の生計手段である船まで捨てた。 そして父親まで捨てた。 彼は自分が持っていた全てを捨てた。 何故そうしたか。 イエス様から強制されたので? 急に信仰心が強くなったから? 人生があまりにも厳しくて全てを諦めたのか? 絶対違う。彼は何が良い物かをよく知っていたからだ。
彼は空けることの祝福を悟ったからだ。 全てを捨てることが自分に良いというのを悟ったからだ。 世の中の物を持つより捨てるのが自分の人生にとってはるかに良いというのが分かったからだ。 それで彼は喜んで自ら進んで未練も無く捨てたのだ。
もしペトロが捨てなかったらどうなったのだろう。 空き船が満杯になる束の間の奇跡は体験したかも知れないが、使徒になるというのは夢にも見なかっただろう。彼は田舎の名も無き漁師として人生を終えたに違いない。イエス様で満す為に空ける事を決断したペトロの素晴らしい決断が彼を偉大な使徒にした。これが空けることの偉大さだ。  
神様の中での偉大な空き作りの決断は、神様の中で偉大な充足の奇跡を起こす。
あなたは神様の前で何を捨てなければならないと思うか。
何が何故にあなたの中が天国の物で満たされていないと思うのか。
あなたの中に天国満タンの福があるように祝福する。
‘だから、同じように、自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたがたのだれ一人として、わたしの弟子ではありえない。’(ルカによる福音書14:33)
神様の弟子は世の中の物を捨てて神様の物で満たしていく人である。
LET GO, LET GOD (世の中の物は行かして神様で満たしなさい)

4 コメント

이용규목사

2009-03-04 19:29:02

한진경 자매님이 번역을 해 주셨습니다.
은혜로운 번역에 감사드립니다.

中森千草

2009-03-05 06:37:25

ペトロの魅力がよく分かりました。
そして憧れる理由が・・・・・・
捨てるためには、落ち着いて考える時間が必要であり、愛着があったので、なかなか捨てることができませんでした。
最初は犠牲でした。
でも今は、何が正しくて良い物であるか見る目を養っていただいたので、気持ちよく捨てられています。
聖霊様の働きを感じました。
自分の利益のために働く人は、神様のスペースが無い。
そうならないように、私は神様の領域を増やすために捨てていきます。

田辺高幸

2009-03-06 08:43:18

自分が聖書を読んだ時に、最も気になった人がペトロだった。
彼は単なる漁師という身分の低い人だった。それが主の一番弟子となった。主の処刑の時に、弟子であることを否認することで逃げた。だがその後の彼は、主の十字架の死を乗り越え、あの弱かった頃が嘘のように活躍し、最後には岩のような人になった。
正直言うと聖書で一番恥をかいている人だと思う。「こんなことも分からないのか」、といつも叱られ、湖を歩く主を見て、なら自分もと歩いたら溺れ、「信仰が薄いからだ」と怒られ、しまいには「サタン、引き下がれ」とまで言われてしまう。主に足を洗ってもらう時に、とんでもないと言ったら、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と言われ、では手も頭もとお願いする間抜けさもあった。
しかし、そんな彼を主は愛された。それは彼が持つ純粋さにあったと思う。主が使徒に対して、自分がどう呼ばれているか、を訪ねた時のことである。みんなは主のことを「洗礼者ヨハネだ。」「エリヤだ。」「預言者だ。」「エレミヤだ。」「預言者だ。」と言っていた。そんな中で彼は一言「あなたはメシア、生ける神の子です。」とハッキリ言った。そのことに対する疑いのなさに、主は彼の純粋な信仰を見たのだろう。だからこそ、天の国の鍵を彼に渡したのだろう。
同時に彼の弱さも主は知っていた。主は彼が弟子であることを否認し逃げることを見抜いていた。しかし、そんな彼に対して主はこうお答えになった。「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」。主は彼がそのような人物になれることも知っていたのだ。現に、その後の彼は、主を裏切ることになるが、立ち直り、原始キリスト教のリーダーとして、多くの人を指導する。あの弱かった頃が嘘のような活躍だった。
どのような信仰者になろうかと思った時、僕はペトロを参考にした。僕は身分も低いし、学力もある人ではなく、失敗ばかりを繰り返す人だ。そんな僕でも純粋さがあれば弟子になれると教えてくれた。弟子である以上、師に対して純粋でいたいという気持ちが僕の中にある。それを考えた時、彼はまさにそのような人物だった。だから憧れた。そして師を見捨てるという罪に対して悔い改めをしたことで立派になった彼の姿に、基督教の神髄も見れたから、彼をモデルにしようと思った。
僕にとってペトロは特別な人だ。信仰とは何かを教えてくれた人だからだ。ペトロのように、そんな賛美歌があるが、まさにそんな心境にさせてくれる人物だ。
彼の最後の話は、主に対する思いが現れている。彼が歩いていたところ、主とスレ違った。主はローマの方向に向かっていた。彼は「先生どちらへ行かれるのですか」と尋ねた。すると主は「お前が民を大切にしないから、十字架に磔にされにいく」とお答えになった。そこで、彼は以前と違けげることなく、自分が行くとローマに向かった。そして十字架刑にされることになるが、その時に彼はこう答えた。「主と同じ磔では申し訳がない」。そして逆さ磔となり殉教した。彼は主に対して純粋な信仰を持っていたからこその最後だったと思う(弟のアンデレも同じような死を迎える)。

古郡武志

2009-03-08 08:39:49

「ラーメン5杯ですでにお腹がいっぱいなら、いくら美味しい物が目の前にあっても食べたい気持ちになれないのは当然のことだ。」

 さすがにラーメン5杯は難しいだろう。
 でも、かなりの空腹状態であれば、2杯くらいはなんとかいけると思われる。
 ラーメン2杯を食べれば満腹になり、もうそれ以上は入らないと思えそうだ。
 しかし、ここで言い古された言葉を思い出す。
 「甘いものは別腹」
 さすがに3杯目のラーメンは無理かもしれないが、おそらくアイスクリームはいけるのではないか。
 ラーメンの脂でしつこくなった口の中をさっぱりとさせてくれる等といいながら…
 胃袋の力は実に偉大だ。
 よくよく考えてみると不思議なことだが、満腹の時に「デザートはまだいける」と思ったことはあっても、聖書を読もうと思ったことはあまりない。

 結局、人間の欲望は限りないから、満ち足りていても、まだ足りず、「まだ上のものがあるはずだ」と詰め込もうとする。(例えば、おいしい飛騨牛を食べて満腹になっても、まだ神戸牛が食べたいというようなものである。)しかし、その時、無理やりにでも詰め込もうとするのは、自分の欲望を満足させるものであり、神の御言葉ではないというのが現実である。

 しかし、ラーメンの後にスイーツを食べた後の爽快感は一瞬で消えてなくなるが、神の御言葉の力は永遠である。さらに神様はすべてのものを豊かに与えて楽しませて下さる方である。デザートの甘さよりも図りしれない豊饒さをお持ちの方である。それを私たちは知らなければならない。

 そうであれば、彼女とレストランに行っても、次のような会話が交わされるはずだ。
 女性:「すごい。あんなにたくさん食べたのにまだデザートいっちゃうの?」
 男性:「いやいや、不思議なんだけど、甘いものって満腹でも何故かすーと入っていくんだね。ほら、だから「甘いものは別腹」って言葉があるじゃない。」
 女性:「そうっか。じゃあ、私もデザート注文しようかな?でさ、食事終わったら、どうするの?さすがにそこまで食べるともう眠くなっちゃうから家に帰って、もうベッドに直行だよね」
 男性:「いや、それはできない。何故なら、今日聖書を読んでいないから、満腹で眠くても読まなくちゃ。」
 女性:「尊敬しちゃいます。すごく真面目なクリスチャンなんですね。」
 男性:「いやあ、スイーツを食べたときに感じる甘さもいいけど、聖書を読んだときには、心で永遠の甘さを味わえるような気がするんだよね。だから、ちょっと乱暴な言い方だけど、スイーツではなくて、「御言葉は別腹」かな。いつもどんなときに御言葉が入るスペースを最優先として確保してあるという意味なんだけどね。」
 イエス様のために空けておくことのできる人間になりたいと思う。

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