バレていない罪人
「世の中でさまよう時は、主を知らなかったよ。勝手に固執し、あらゆる罪を犯してしまったよ」 この福音歌はイエスを信じる前の私をあまりも赤裸々に見せているようです。この前、祈祷院(リフレッシューセンター)に行って独りで祈り、賛美しながら、赦された罪人として感謝と感激を涙で流した記憶があります。イエス様を受け入れる前には、罪の意識もない上に罪を犯しただけではなく、まるで冒険談のように友達に自慢話までしました。死に値する罪をちしおで赦してくださった主の愛が本当に驚くばかりです。
世は罪の中にあります。多くの人がどんでもない罪を犯しましだが、偶々運が良くてバレなかっただけです。彼らの罪が明らかになると、誰も他人に指差したり、非難することができないでしょう。
人は誰もが罪人であります。ただバレていない罪人とバレた罪人があるだけです。
姦淫の現場でつかまえられた女性の話が聖書にあります。彼女は、世間で見れば、本当についてない女性でした。彼女は自分の罪がバレたため、石に投げられ処刑されるしかない運命に置かれたわけです。彼女はすぐにでも死ぬ運命でした。ところが、驚くべき反転が起こりました。彼女は処刑される前に、イエス様の前に連れされて来ました。バリサイ人たちがイエス様を迷宮に落とし入れようとしたからです。イエス様は、罪人も愛しなさいと言われたからです。しかし、想像を絶する光景が、イエス様の前で起こりました。姦淫した女性を連れてきたバリサイ人たちが自らみんな消えてしまった訳です。なぜ、バリサイ人たちの心が急変したのでしょうか?すぐにでも殺そうと石投げを持って集まった彼らがなぜ突然石を捨てて逃げるように去って行ったのでしょう?彼らの罪がバレたためです。イエス様の一言で彼らの醜い罪が光の中に現れたためです。自分たちのバレた罪をみると姦淫で捕まえられてきた女の罪よりも大きかったかもしれません。彼らにはきっと自分たちの罪が見られたはずです。彼らはあまりにも恥ずかしかったのです。'あの場所に立たなければいけなかった人はこの女性ではなく、このわたしだと。私は石を投げる人ではなく、石投げに打たれなければならない人だと。私が罪人のかしらだと。'彼らは顔も上げずに高飛びをしたわけです。イエス様の一言が彼らの罪を明らかにしたわけです。罪がバレる前には、堂々と非難ができましたが、罪がバレた人は絶対に非難の石を投げることができません。
刑務所で長く勤めていたバクヒョジン長老様は証しを重ねこのように講演しました。
夫を殺し姑まで殺そうとしたある死刑囚がいました。彼女は刑務所で、イエス様と出会って天使に生まれ変わりました。死刑台の前で、女性は長老さんに対し最後にとりなしの祈りを頼みました。祈りを受ける際、聖霊様の導きで検事、医師、牧師、所長など罪人を裁判する人々に向かって手を広げ、'この娘は、自分から犯した恐ろしい罪のため、刑場の露として消えますが、ここの席にもっともらしい姿をして座っている人々は、ひょっとしたらこの娘よりもはるかに醜い罪を胸に抱いて、罪人を判断し、死を命ずる席に座っているのではないでしょうか? 果たして誰がより死ぬべき者でしょうか?真剣に自らを省みてください!'と強く祈りました。この祈りが終わると、直ぐに死刑が執行されると思いましたが、なんと祈りが終わってみれば検事から始め、みんなが頭を下げて泣いていたそうです。なぜでしょうか?彼らの罪が祈りの働きでバレたからです。それで死刑執行場のため逃げられずに泣いていたそうです。私たちは、誰もが罪人です。イエス様でなければ、この罪の問題を解決することすらできません。したがって、すべての人に、イエスが必要です。おそらく、刑務所内にいる囚人より最も凶悪な罪人かもしれません。バレない罪人がもっとも悪い罪人であるはずです。バレた罪人は、まだまだ罪の代価を払います。しかし、バレていない罪人はその罪を贖わないので、これからがより深刻なはずです。バレた罪人もバレていない罪人も、みんながイエス様がいなければ生きることができません。
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1 コメント
中森千草
2016-06-26 15:48:53
自分の醜い部分がいっぱい見えてくる。と
本当でした。
過去の罪まで鮮明に私の目に映り、罪悪感でいっぱいでした。
しかし、私は教会に初めて行った日の1週間後に洗礼を受けたので、神様に救って頂いたという喜びと、全ての罪を赦して頂いたという安心と感謝の気持ちを体験することが出来ました。
知らず知らずのうちに罪の中で生活をしてしまわない様に、気を付けていきます。