花粉症
日本に春が訪れると殆どの国民が春の訪れに苦しみを味わいます。ある詩人の告白のように 4月は本当に過酷な月なのです。その訳は、全国民の 1/4の人がマスクをかけて暮さなければならないし、涙、鼻水をずっと流しながら暮らさなければならないからです。 花粉症のせいです。
宣教師として来日して、10年くらい経った時のことです。春に、訪問礼拝を捧げるためにある家庭を訪ねました。涙と鼻水があまりにも酷くて、礼拝を捧げることができない程でした。 初めてのことだったので、とても戸惑いました。風邪の症状と似ていたので、初めは風邪だと勘違いしましたが、後になってそれがまさに花粉症であることを知りました。外国人も来日して7年くらい経てば、花粉症の症状が現われる場合が多いそうです。
花粉症の原因は、その 90%が杉の花粉であるとわかってきました。戦後日本は、はげ山に集中的に杉が植林されました。この植えた木が20-30年経ってから花粉を飛ばすようになり、猛威を振っているのです。この木を植えた当時は、将来木材として使う目的でしたが、外国の輸入品の木材がとても安かったので、国内の木を伐採することができなかったそうです。少し高くても国内の木をずっと使い続けていれば、今日のこのような事態が生じなかっただろうと思います。木も経済原理によってその利用価値が変化してしまい、その結果、予期せぬ花粉症で、全国民がひどい目にあっているわけです。国内の木を売る時に、花粉症対策基金をつくって、国家予算で外国産と等しい価格となるように補助金を出してくれれば、非常に国民の健康に役に立つと思いますが、それもたやすくないようです。問題は花粉です。人の身体には花粉を収容できる限界値があり、その量を超えてしまうと身体が耐えることができなくなり、花粉症になると言います。どんなにきれいな花でも過ぎると害になるのです。
人々が花粉症でこれほど苦しんでいるのに、実際に私たちの目には花粉が見えません。とても清い空気のように見えても、その中に花粉はたくさん含まれています。ただ人の目に見えないだけです。見えないからといって、無いというわけでは絶対にありません。それと同じ理由で、重要な真理は、目に見えないから無いと結論を下してはいけないということです。目に見えない事ほどもっと大きい可能性があります。見えない事ほど本質性が強いのです。霊は目に見えません。精神も見えません。しかし霊と精神が人生を支配するという事実を知るべきです。手と足は人生を支配しません。ただこれらは手足として使われる道具にすぎません。
花粉が見えない理由は簡単です。無いから見えないのではなく、人の目で感知することができないくらいにとても小さいからです。 花粉の大きさは、何十分の一ミリメートルといいます。 まるで空気のような概念の大きさです。人の目には限界があります。小さすぎても見えないし、大き過ぎても見えません。耳もそうです。小さすぎる音も聞こえないし、大き過ぎる音も聞こえません。これが創造主である神様が人間にくださった限界です。人々はしばしば自分に見えること、聞こえることだけで物を判断しようとする誘惑にさらされています。これが人間の愚かさです。この愚かさを解決してくださるために神様は聖書をくださいました。聖書は、見えないものを見えるように、聞こえないことを聞くことができるようにしてくれます。それによって私たちは聖書を通じて神様を見られるようになり、聖霊を感じられるようになり、天国を見られるようになり、耳では聞こえない神様の貴い御声を聞くことができるのです。耳がある人は聞きなさい。イエス様も御言葉で目と耳を開けなさいと言いました。 目と耳の境地を広げなければなりません。その人が言わなくても心の声を聞くべきであって、見せてくれなくてもその心の痛みを見られなければなりません。イエス様の愛だけにこの能力があります。
肉的に判断する人は愚かな者です。目に見えることだけで判断する人は、自分が徹底的に肉的な人であることを現しています。見えないことを見られる人、その後に隠れている心を見られる人が霊的な人です。花粉が見えなくても花粉症は確かにあります。
日本に春が訪れると殆どの国民が春の訪れに苦しみを味わいます。ある詩人の告白のように 4月は本当に過酷な月なのです。その訳は、全国民の 1/4の人がマスクをかけて暮さなければならないし、涙、鼻水をずっと流しながら暮らさなければならないからです。 花粉症のせいです。
宣教師として来日して、10年くらい経った時のことです。春に、訪問礼拝を捧げるためにある家庭を訪ねました。涙と鼻水があまりにも酷くて、礼拝を捧げることができない程でした。 初めてのことだったので、とても戸惑いました。風邪の症状と似ていたので、初めは風邪だと勘違いしましたが、後になってそれがまさに花粉症であることを知りました。外国人も来日して7年くらい経てば、花粉症の症状が現われる場合が多いそうです。
花粉症の原因は、その 90%が杉の花粉であるとわかってきました。戦後日本は、はげ山に集中的に杉が植林されました。この植えた木が20-30年経ってから花粉を飛ばすようになり、猛威を振っているのです。この木を植えた当時は、将来木材として使う目的でしたが、外国の輸入品の木材がとても安かったので、国内の木を伐採することができなかったそうです。少し高くても国内の木をずっと使い続けていれば、今日のこのような事態が生じなかっただろうと思います。木も経済原理によってその利用価値が変化してしまい、その結果、予期せぬ花粉症で、全国民がひどい目にあっているわけです。国内の木を売る時に、花粉症対策基金をつくって、国家予算で外国産と等しい価格となるように補助金を出してくれれば、非常に国民の健康に役に立つと思いますが、それもたやすくないようです。問題は花粉です。人の身体には花粉を収容できる限界値があり、その量を超えてしまうと身体が耐えることができなくなり、花粉症になると言います。どんなにきれいな花でも過ぎると害になるのです。
人々が花粉症でこれほど苦しんでいるのに、実際に私たちの目には花粉が見えません。とても清い空気のように見えても、その中に花粉はたくさん含まれています。ただ人の目に見えないだけです。見えないからといって、無いというわけでは絶対にありません。それと同じ理由で、重要な真理は、目に見えないから無いと結論を下してはいけないということです。目に見えない事ほどもっと大きい可能性があります。見えない事ほど本質性が強いのです。霊は目に見えません。精神も見えません。しかし霊と精神が人生を支配するという事実を知るべきです。手と足は人生を支配しません。ただこれらは手足として使われる道具にすぎません。
花粉が見えない理由は簡単です。無いから見えないのではなく、人の目で感知することができないくらいにとても小さいからです。 花粉の大きさは、何十分の一ミリメートルといいます。 まるで空気のような概念の大きさです。人の目には限界があります。小さすぎても見えないし、大き過ぎても見えません。耳もそうです。小さすぎる音も聞こえないし、大き過ぎる音も聞こえません。これが創造主である神様が人間にくださった限界です。人々はしばしば自分に見えること、聞こえることだけで物を判断しようとする誘惑にさらされています。これが人間の愚かさです。この愚かさを解決してくださるために神様は聖書をくださいました。聖書は、見えないものを見えるように、聞こえないことを聞くことができるようにしてくれます。それによって私たちは聖書を通じて神様を見られるようになり、聖霊を感じられるようになり、天国を見られるようになり、耳では聞こえない神様の貴い御声を聞くことができるのです。耳がある人は聞きなさい。イエス様も御言葉で目と耳を開けなさいと言いました。 目と耳の境地を広げなければなりません。その人が言わなくても心の声を聞くべきであって、見せてくれなくてもその心の痛みを見られなければなりません。イエス様の愛だけにこの能力があります。
肉的に判断する人は愚かな者です。目に見えることだけで判断する人は、自分が徹底的に肉的な人であることを現しています。見えないことを見られる人、その後に隠れている心を見られる人が霊的な人です。花粉が見えなくても花粉症は確かにあります。
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1 コメント
中森千草
2016-03-07 01:07:28
耳で聞いた事だけで物事を判断すると、
痛い目にあうのだろう。
聖書の御言葉はとても素晴らしい。
しかし、聖書の素晴らしさは御言葉だけではなく、
その御言葉の奥に世界がある事である。
その世界を知った者だけが味わえる幸せを、
多くの人々に感じてもらいたい。