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중앙영광교회

誰を捜し求めるか?

이용규목사, 2009-02-13 19:34:40

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誰を捜し求めるか?

御言葉//歴代誌下 15:12-15

1. 誰を捜し求めるか?
人生は '誰を捜し求めるか?'によって決まる。
自分が持っている能力、知恵、経験も重要だが、人生にはそれよりもっと重要なことがある。それはまさに '誰を捜し求めるか?'である。
人は自分の信仰によって、誰かを捜し求める。
盲人の物乞いバルティマイは、イエス様なら自分の病気を直してくれると信じたから、声だけででも 'ダビデの子孫キリストよ!私を哀れんでください!'と言いながら神様を切に捜し求めた。やもめは裁判長の解決能力を信じたから、ずっと捜し求めて恨みを晴らしてくれと言った。また、シリアのナアマン将軍は、エリシャなら自分の重い皮膚病を直すことができると信じたからエリシャに会いにイスラエルまで行ったのだ。
信仰なしには捜し求めることができない。捜し求めるということは信仰の表現だ。
危機の時に、その人が捜し求める所を見れば、その人の信仰がどこにあるのかすぐ分かる。
あなたは危機の時に、どこに熱心に駆け付けるのか?聖殿か?銀行か?祈りか?頼みか?神様か?社長か?
それがまさに逃げ場もないあなたの信仰の現住所だ。
' 正しい者はいない。一人もいない。悟る者もなく、神を探し求める者もいない。'(ローマの信徒への手紙 3:10-11) 聖書はこう語っている。
この時代が難しいのは、知識の不在のためではなく、神様を捜し求める信仰の不在のためだ。
神様は今も人を捜していらっしゃる。 全心全力で神様を捜し求める人を捜していらっしゃる。彼に力を与えるためだ。
' 主は世界中至るところを見渡され、御自分と心を一つにする者を力づけようとしておられる。この事について、あなたは愚かだった。今後、あなたには戦争が続く。'(歴代誌下 16:9)
アサ王とユダのひとたちが、心をつくして神様だけ捜し求めるよう誓って、真心をつくして神様を捜した時に、神様は彼らに会ってくださったし、四方で彼らに平和をくださった。(歴代誌下 15:12-15)
神様を捜さなければならない。心と誠意をつくして神様を捜さなければならない。
これがあなたの人生が生きる道であり、世の中が回復する道だ。
神様を捜そう!力をつくして神様を捜そう!
そうすると神様は必ず会ってくださる。(歴代誌下 15:2) これが神様の約束だ。

2. 神様だけ捜したアサ王
アサ王の人生は私たちに多くの教訓を与える。
アサはユダの 5代目の王で、初めての35年間は平穏な時代を成すが、後の6年間は内憂外患の大変な時期だった。何が彼の時代をこのように明らかに引き離しただろうか?ただ一つしかない。前半期は神様だけ捜したから 平穏な時代 が来たし、後半期は世の中だけ捜し求めたから内憂外患の時代が来た。
私たちの人生を引き離す決定的な要素は他ではない。
'私が誰を捜そうか?誰を頼ろうか?誰を信じようか?'が人生を変える。本当にあなたの人生を変えることを願うならば、捜し求める対象を変えて見なさい。そのとおりになるでしょう。

1) 普段神様を捜し求める方法
アサ王の前半期の人生は神様が見て良いこと、正しい仕事だけをした。
その事はただ神様を捜し求める事だったが、3つに要約することができる。
第一は、すべての偶像をつぶしてしまった。そして聖典の男娼を追い出した。(歴代誌下 14:3、列王記上 15:12) 彼は先に聖殿を聖殿らしく回復させた。これは礼拜の回復だ。礼拜を邪魔したり誘惑するすべての要素をとり除いた。ただ神様のみを礼拜しようとする心がよく現われている。彼は甚だしくは自分のお婆さんがアセラ像を作ったとして、王の大妃の席から退くようにした。礼拜に邪魔する要素は何でも許さなかった。(列王記上 15:13)
二番目は、民に命令して、神様の心を求め、神様の律法と命令を実践するようにした。(歴代誌下 14:4) 神様を捜し求める二番目の方法は御言葉を人生の中に近付けるのだ。御言葉を御言葉らしくする時、それが神様を捜し求める立派な行為になるのだ。
三番目は、 アサはまたユダのすべての町から聖なる高台と香炉台を取り除いた。(歴代誌下 14:5) 聖殿だけではなく、全国を霊的にきれいにした。これは全体の霊的聖潔を意味する。自分だけではなく、周りを聖潔にすることは神様を捜し求めるよい行為だ。
アサは普段には、礼拜と御言葉と聖潔を通じて神様を捜した。それで神様は彼に平安をくださった。(歴代誌下 14:6,7)

2) 非常時に神様を捜し求める方法
それではおびただしい危機に会った時には、アサはどんな方法で神様を捜しただろうか?エチオピア軍隊 100万人が急にユダを攻めて来た。この時、アサはどうしただろうか?彼は神様に叫んだ。(歴代誌下 14:11) 非常の時の最高の武器は祈りしかない。礼拜も、御言葉も、聖潔も重要だが、叫んで祈らなければならない。これが非常の時に神様を捜し求める手段だ。
アサはどのように祈っただろうか?
まず彼は神様の観点から祈った。
'数の多少や力の強弱を神様は問題視しないという事実をまず告白した。(歴代誌下 14:11) これがまさに信仰の祈りの本当の姿だ。人の観点からは 10人と 10000人は差が大きいが、神様の観点からは全然問題にならない。人の観点では一万円借金したことと 一億円借金したことはおびただしい差があるが、神様が助けようと思う時には全然問題にならない。
問題というのは、人が自分の観点で作り出したことに過ぎない。問題はない。問題を問題視する人の目が問題であるだけだ。
人の観点ではすべてのものが問題であり得るが、神様の観点ではなにも問題にならない。
信仰の人は問題で神様を覆うのではなく、神様で問題を覆ってしまう人だ。信仰は神様の観点から世の中を眺めるのだ。そんな時に問題は一つの道から来て7つの道で逃げるようになる。
二番目は、ただ神様を頼って、神様の名前でこの群れを倒すために来たので助けてもらうように祈った。何でもキリストの御名ですることが重要だ。イエスの名前で行くので助けてほしいと言う時に、奇跡は起きる。
三番目は、人間が神様に勝つことができないようにしてくださいと祈った。
ここで人間はエチオピアの 100万大軍だ。たとえ彼らが 100万だとしても、神様の前では人間に過ぎないからだ。そして神様は、神様が手伝ってくれるユダの軍隊を指す。たとえ少なくて弱く見えるが神様が助ければ強い軍隊になるのだ。
信仰はメンバーを変えるのだ。'私'から '神様'に変えるのだ。私が戦うのではなく神様が代わりに戦うのだ。信仰の人々は皆がそうだった。ダビデも、パウロも、ダニエルも皆そうだった。神様が私の代わりに戦ってくださったら、私がどんなに弱くても私は必ず勝利するのだ。世の中に神様に勝つ強者がどこにいるというのか?
アサは神様の観点から、神様の名前で、神様を主戦選手にするような祈りをした。この祈りを通じて 100万大軍を簡単に退ける痛快な勝利を得るようになる。
あなたの人生に非常事態が宣布されたのか?
アサの祈りを逃すな。信仰でこの祈りを続けてみなさい。神様は同じ方だ。同じ祈りには同じく働いてくださる方だ。祈りは万事を変化させる。
自分の問題に対して、共にこのように祈ろう。
'神様、神様が助けようとする時には、数字の多小や、力の強弱を問題視されません。私が神様を頼って、神様の名前でこの問題を解決しようとしますので、神様、私を助けてください。神様は、私の神様です。問題が神様に勝つことができないようにしてください。'
神様は預言者を通じておっしゃる。(歴代誌下 15:1-7)
'神様を捜せば神様は会ってくださる。元気を出しなさい。気落ちするな。あなた達が私を捜し求める苦労には必ず賞が与えられる。'
人を捜し求める人は手ぶらで帰るかも知れないが、神様を捜し求める人は決して手ぶらで帰らない。疑いを捨てて神様を捜そう!

3. 世の中だけ捜したアサ王
切なくもアサ王の後半期は惨めだった。彼が神様を捜さなくて、世の中を捜し求めたからだ。世の中は戦争と死しかないのに。
イスラエルが攻め寄せた時に、彼は神様を捜さなくて、シリア(アラム)のベン・ハダト王を捜したし、足に病気にかかってたまらなくなった時にも神様を捜さないで医者を捜し求めた。それで彼は死んでしまった。
‘主は世界中至るところを見渡され、御自分と心を一つにする者を力づけようとしておられる。'(歴代誌下 16:9)

4 コメント

이용규목사

2009-02-13 19:35:22

황후연 형제님의 은혜로운 번역입니다.
감사합니다.

中森千草

2009-02-14 06:12:30

信仰を持っていないときは、人の言葉に頼っていました。
どんなときでも私の味方であり、優しい言葉で包んでくれました。
何か物足りなさがありましたが、このような生活スタイルでした。
今はまだまだ弱いですが、信仰をもっています。
感動、感謝の日々です。
優先順位の一位が人から神様に変わり、何より神様を求める習慣が身につきました。
神様はきちんと応えてくださり、求める以上の恵みをくださっています。
誰を捜す? わたしを精密に御計画され、この地に生命を与えてくださった方を私は捜します。
天のお父様、神様の所に私は今日も駆け出しました。

田辺高幸

2009-02-14 18:17:52

気持ちが疲れ果てて、救いがどうしても欲しいことがある。
ボロボロのなって、心が涙で溺れているとき、どうしても助けて欲しいときがある。
絶望が目の前を覆い暗闇にしたとき、どうしても光を照らして欲しいときがある。
そんなときに、誰を求めるのか?
人が人を救うときもある。
物が人を救うときもある。
状況が人を救うときもある。
だけど、そこに見えるのは限界。
神は光あれと声を発した。
この一言で世を造られ、万物は生まれ、そして人が始まった。
想像では到底計れないその大きな創造の手を持つ造り主。
そんな方である神様だからこそ、必ず状況を描き変えてくださるだろう。
その気持ちが、祈りという神様との会話に走らせる。
それが信仰なのだろう。
神様は見えない。見えないから信じるしかない。しかしそれが大切なことだ。
存在する物はただあるだけだ。そこには信じる気持ちなどない。目に見えるだけだ。変化などもたらさない。
信仰を難しく考えることはない。
ただ信じるのみ、求めるのみ、存在を確信するのみ。
創造主しか求める方はいない。

創造主の救いを求める方法はたったひとつしかない。
神様の御心を知ること、従うこと、そして実行すること。
つまり神様に対してただ従順するだけのこと。
人はすぐ浮き世にまみれ、すぐに神様は忘れる。
だから神様はプレゼントをしてくれた。
神様を近くにするために記された書物。
これには2つがあり、旧い物と新しい物に分かれていて、これらは神様がそのまま間違いなく書かれている。
これに従えば幸せが与えられる。これに逆らえば不幸が与えられる。これに迷えば道に迷った人生が与えられる。
神様の喜ばれることをすることが、万物の大きな幸福。大きな幸福。これ以上ない幸福。
創造主しか幸福を与えてくれる方はいない。

神様の視線を自分のものに変えて見れば
景色は変わる。情景は変わる。状況も変わる。
それを信じていけば必ず幸福に辿り着ける。
人の目には限度がある。
しかし神様の目には限度はない。
すべてを造られた方の見方に狂いはない。
だからその目を忘れないで見つめて道を歩いて行くこと。
茨のようにたくさんある道の中から神様の光がある道を捜せば、
そこにはきっと素敵な人生が笑顔で迎えてくれる。
創造主しか人の道を素晴らしいものにしてくれる方はいない。

古郡武志

2009-02-15 11:17:35

「そして彼らは、心を尽くし、魂を尽くして先祖の神、主を求め・・・」

私は、心を尽くし、魂を尽くして、何を求めているのだろうか?

こんな場面を想像してみた。
オフィスの休憩時間、私が静かに物思いにふけっていると、同僚二人が
コーヒーを手に近づいてきた。
同僚A「よお、物思いにふけっちゃって…何か考え事でもしてるの?」
私「いやあ、ちょっとお会いしたい方がいてさ」
同僚A「それって、誰なの?そういえば、おまえってスイーツ好きだから、
有名なパティシエだろう。誰かと一緒においしいケーキでも食べたいってこ
とだろう?」
私「いや、そんなんじゃないんだ」
同僚B「あ…そしたら、あれだろ。仕事で疲れたおまえを癒してくれる
やさしい彼女だろう。しばらくデートもしてないって言ってたじゃないか?」
私「いや、それもそうだが、一番目に会いたいっていうわけではないな」
同僚A「いったい誰なんだよ。もったいぶらずにさっさと教えてくれよ」
私「それは、万物を創造され、私に命を与え、滅びの道から救ってくれた
「主(しゅ)」なんだよ」
同僚B「またまた…本当かよ?お前の場合、「主(しゅ)」じゃなくて、
「酒(しゅ)」じゃないの。サウナの後のビールがうまいっていってたしな。
だいたい、「主(しゅ)」って会えるものかよ。俺、見たこともないし、
会ったこともないよ」
私「たしかに目に見えるものでもないし、さわれるお方ではないんだ。
でも、心の中で一生懸命求めれば、たしかに会えるし、
そのお方のものすごい力というのも知ることができるんだ。」

 人間は、目に見えるもの、快楽を与えるものを探し求めてしまう。
 絶品スイーツを作れるパティシエもいいし、癒しを与えてくれる彼女もいい、サウナの後のビールもうまいだろう。
しかし、それらは二番手以降にお引取り願おう。
神様は、舌で味わうものとは比較できない甘みを味わわせてくれるはず
し、彼女の言葉や膝枕以上の癒しを与えてくれるはずだ。
また、はからずも前回のリップルとコメントが同じ内容になってしまった。
どんなに世のものに心を奪われても、それらは二番目以降でしかない。
一番目は、球場の「ロイヤルリザーブシート」で誰もチケットを購入することができない座席のようなものだ。二番目以降は世の中的にはいまいちであるが、信仰の世界ではすごくいいものだと思う。

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