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중앙영광교회

感謝を忘れていないか?

이용규목사, 2009-03-01 04:27:44

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感謝を忘れていないか?

御言葉//歴代誌下 32: 24-26

1. ヒゼキヤの人生と祈り
ヒゼキヤは、偉大な信仰の人物であった。
彼の人生は、神様がご覧になって、ダビデの人生のようにいつも正直であった。
彼は神様の前で真実の人生を貫き、御言葉に完全に従順しようとし、いつも神様の喜びになる善なることに熱心な人であった。
だから、彼は、王になるやいなやレビ人を聖別し、神様の聖殿を聖別し、礼拝と過越祭を回復させた。
そして、彼は祈りの人であった。
彼は、どんなことがあっても、いつも祈りでその問題を解決した。
アッシリアの大軍も祈りで簡単に退け、死の病にかかった時にも、ただ祈りで15年間の命を延ばしてもらったのだ。
そんな彼の人生に理解できないことが起こった。神様の怒りがヒゼキヤとユダの民に下った。何故ヒゼキヤに神様の怒りが下ったのか?彼のように人生が正しく、祈りに専念する人もいなかったのだが、何故こんなことが起こったのか?

2.何故神様の怒りが下ったのか?
神様は、これが人生でどんなに重要であるか、聖書で3箇所にもわたり詳細に記録している。(列王記下 20:12-19、イザヤ書39章、歴代誌32:24-26)
神様がヒゼキヤに怒りを下された理由を見てみよう。
ヒゼキヤが死の病から奇跡的に回復したという知らせを聞いたバビロニアのメロダク・バルアダン王は、祝賀使節団を、王の親書と贈り物を持たせて送り出した。
この時にヒゼキヤは、神様にあまりにも大きな失敗を犯した。明らかに彼が死の病から回復したのは、全面的に神様の恵みであった。神様が治して下さらなかったら、彼は生きることができなかったのだ。彼がバビロニアの祝賀使節団の訪問を受けるようになったのは、神様の恵みゆえであった。ところが、彼はどうしたのか?
バビロニアの使節団の前で神様の恵みはさっと隠してしまった。そして彼は自分の持っているものだけ自慢したのだ。彼はまず王宮の宝物倉庫にある銀と金と香料と香油などを見せ、そして武器庫の武器を見せ、
王宮と国の中にあるものを一つ残らず見せた。
自身が癒しの恵みを受けた神様は全然見せずに、自身の肉のきれいなものだけを見せたのだ。自分のものはあるがままに自慢し、神様の自慢は一切しなかったのだ。
聖書は、自慢についてこのようにおっしゃっている。
‘主はこう言われる。知恵ある者は、その知恵を誇るな。力ある者は、その力を誇るな。富ある者は、その富を誇るな。むしろ、誇る者は、このことを誇るがよい/目覚めてわたしを知ることを。わたしこそ主。この地に慈しみと正義と恵みの業を行う事/その事をわたしは喜ぶ、と主は言われる。’(エレミヤ記9:22-23)
‘ですから、だれも人間を誇ってはなりません。’(コリントの信徒への手紙一3:21)
‘いったいあなたの持っているもので、いただかなかったものがあるでしょうか。もしいただいたのなら、なぜいただかなかったような顔をして高ぶるのですか。’(コリントの信徒への手紙一4:7) 
‘誇る者は主を誇れ’ (コリントの信徒への手紙二10:17)
‘彼らではなく、わたしたちこそ真の割礼を受けた者です。わたしたちは神の霊によって礼拝し、キリスト・イエスを誇りとし、肉に頼らないからです。’(フィリピの信徒への手紙3:3)
ヒゼキヤは、神様から天国のような恵みを受けても、神様自慢を全然語ることなく、ただ肉の自慢、人の自慢、富んでいることの自慢にきりがなかった。
そこでこのとき預言者イザヤはヒゼキヤに悟りの質問を投げかけた。
‘彼らは王宮で何を見たのですか?’(イザヤ書39:4)
そのときにヒゼキヤが「私は彼らに神様だけ見せて差し上げた」と答えることができたなら、どんなにか良かっただろう。
しかし、聖書はこのように記録している。
‘しかし、ヒゼキヤは受けた恩恵にふさわしくこたえず、思い上がり、自分とユダ、エルサレムの上に怒りを招いた。’(歴代誌下32:25)
傲慢な心は恵みを奪い取る。神様を誇らずに、ひそかに自分だけを誇るからだ。
恵みを知る人は受けた恵みを必ず表現する。‘感謝’は、恵みの代表的な表現方式だ。
ヒゼキヤが神様の怒りを招いたことも、結局は、神様の恵みに感謝をしなかったからだ。
恵みはあまりにも大きいのでお金で返すことはできない。恵みにふさわしくお返しする道は‘感謝’することだ。
わたしたちの祈りに対する神様の答えは、‘恵み’であり、神様の恵みに対するわたしたちの答えは‘感謝’だ。

‘神の御名を賛美してわたしは歌い/御名を告白して、神をあがめます。それは雄牛のいけにえよりも/角
をもち、ひづめの割れた牛よりもなお/主に喜ばれることでしょう’(詩編69:31-32)
人前での感謝の表現は、その方を誇ることだ.‘神様がすべてされました。私は神様の恵みにただ感謝するだけです。’
ヒゼキヤがこのように答えていれば、神様がどんなに心を満たされただろうか?
神様を喜ばせることを望むか?それならば、神様に感謝し、世の中でその方を誇りなさい。神様はあなたを見て、幸せにして下さるだろう。
神様を怒らせることを望むか?それなら、感謝をやめ、自分の自慢だけ熱心にやりなさい。ヒゼキヤを怒られた神様を待っておられることだろう。
恵みを知る人は貴い人だ。恵みを知る人は感謝で恵みを表現する。
キム・スファン枢機卿が亡くなられた時に明洞聖洞は、弔問客で超満員だったという。そのときにボランティアで交通整理をした人がいた。彼らはタクシー運転手の集まりの会員たちであった。彼らがそれほどまでに感謝と喜びで献身することができたのは、キム・スファン枢機卿から恵みを受けていたからである。キム・スファン枢機卿が彼らをこのようにほめたたえたからだ。‘タクシ-の運転をされる途中でもこんなに良いことをされたのですか?この方たちこそ、‘ハンドルを持ったイエス様’ですね’
彼らはこの一言に大きな恵みを受けたのだった。
‘大変ではないですか?’という質問に会員の一人が微笑みながら、答えた。
‘大変かって?他でもない枢機卿様が私たちを見て‘イエス様’と呼んで下さいました。そんな有難さと
申し訳なさに報いようと思うなら、なんてことないよ’
恵みには自然と感謝があふれ出てくる。

3.5段階の過程
ヒゼキヤの人生は信仰の人に多くの教訓を与えてくれる。
彼の信仰を5段階に分けて見ることができる。
一つ目は生活の段階だ。彼は神様の前で清い生活を送った。これが彼の信仰の基礎であった。
二つ目の段階は祈りの段階だ。彼はどんなことに出会ってもまず祈る人であった。人生の問題を祈りで解決した人であった。
三つ目の段階は、恵みの段階だ。ヒゼキヤは正しい人生と能力の祈りで神様の恵みを驚くほど受けた人であった。
‘ヒゼキヤは極めて多くの富と誉れに恵まれ’(歴代誌下32:27)
‘神が極めて豊かな財産をお与えになったからである。’(歴代誌下32:29)
‘ヒゼキヤはそのすべての事業を成し遂げた。’(歴代誌下32:30)
四つ目の段階は感謝の段階だ。ヒゼキヤはこの段階で大きく失敗した。そのように信仰が良かったヒゼキヤも失敗したという事実は私たちに多くの警鐘を鳴らしてくれる。一番簡単なようでありながらも、最も難しい段階がまさに‘感謝の段階’だ。ルカによる福音書17章のらい病患者の話を見てもよくわかる。イエス様から直接らい病治療の大きな恵みを受けた人たちだったが、10名中たった1名だけがイエス様のところに来て感謝を捧げた。
そこでイエス様は言われた。‘清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。’(ルカによる福音書17:17)
感謝は簡単ではない。らい病患者の中でも10%しか感謝する人が現れなかった。感謝をするグループに入るように願わなければならない。感謝の日照りが恵みの泉を干上がらせてしまう。
4歳の時に盲人になった日本の作家三宮氏は、自身の体験を通して書いた文章で、幸福を産む魔法の言葉を紹介している。それは、他でもない、‘ありがとう’だ。‘成功しても、ありがとうございます。失敗してもありがとうございます。ありがとうございますと言うことができて、ありがとうございます’彼女が悟ったことは、‘万事に感謝しなさい’と言われた神様の御言葉の能力の偉大さであった。いつも感謝する人は幸せになり、いつも不平を言う人は幸福の資格を失ってしまう。
5つ目の段階は、悔い改めの段階だ。もちろん4つ目の感謝の段階に勝利した人はこの段階が必要ない。
ヒゼキヤは傲慢にも神様の恵みに感謝しなかったので、神様の怒りを招いた。人々は、感謝しない人生を軽く考える。感謝しないことを罪だとは考えない。ヒゼキヤは何の罪を犯したから、神様はお怒りになられたのか?偶像崇拝、殺人罪、姦淫罪、窃盗罪、違う。彼が神様に対して犯した罪は、恵みに感謝しなかった罪だ。感謝しない罪を決して軽く考えないようにしなければならない。その罪の代価がいかに大きいかはヒゼキヤを見れば、よくわかることだ。すべての宝物と財産がバビロンに運び去られ、息子たちは捕虜として連れ去られ、奴隷になると言った。(イザヤ書39:6-7)感謝しないことは、神様の恵みを盗む行為だからである。感謝しない罪を偶像崇拝や殺人罪より軽く見るな。感謝しない罪を犯すな。万事に感謝しなさい。
神様の最後の恵みは、悔い改めを通して臨んだ。感謝しなかったことを心の底から悔い改めたヒゼキヤに、神様は、ヒゼキヤが生きている間に罰を与えなかった。
生活、祈り、恵み、感謝、悔い改め この5つの段階がいつも生きている人生になるよう祝福する。

2 コメント

古郡武志

2009-03-01 16:22:03

いったいあなたの持っているもので、いただかなかったものがあるでしょうか。もしいただいたのなら、なぜいただかなかったような顔をして高ぶるのですか。

せっかく神様に15年間も生命をのばしてもらったのに…ヒゼキヤの話しも、ノアやダビデの話しと同じく、どんなに正しい信仰生活を送ってきたとしても、油断すれば過ちに陥る危険性は免れえないという警鐘を鳴らしてくれていると思います。

バビロニアの使節団の前で神様の話をせずに財宝だけ見せていて悦に入っていたヒゼキヤ…
友達と会ったときに、神様の話をしたいと思っても、いろいろな世事の話に時間を費やし、そのまま別れてしまう。
財宝自慢をしていたヒゼキヤを笑うことなどできないはずで、ヒゼキヤの姿はそのまま毎日見せてしまいがちな自分の姿でもあります。

すべてが神様から頂いたものであることをきちんと認識できれば、自分のことを自慢することなどできないはずです。しかし、人間には、日常生活の至るところに自分のことを自慢しがちな状況に陥ることが多い。それはほんの些細なことでも・・・
人の知らないことを知っていたときにも、心の奥底になんとも言えない嬉しい感情が広がる。
そんなときも、知っている自分を誇るのではなく、これまでの人生で知る機会を与えて下さった神様の力に感謝するということだろう。

すべてを与えて下さった神様に感謝・・・これが日常生活に生きるようにしたい。

田辺高幸

2009-03-02 08:13:54

いろんなことが起こり、それが無事に解決された時。そんなことは今までたくさんあった。助けられた、こんなことは数知れない。
これらが起こった時に、感謝の念を持たないといけないと思う。自分で乗り切ったんだ、なんて思ってはいけない。自分の能力では正直言って無理なことは正直多かったのだから、それを自分のおかげなんて思ってはいけないのだ。
人間には限界がある。正直って、出来ないことの方がはるかに多い。それには助けてくださった方がいたからこそ乗りきれられた。それを忘れないでいないといけないと思う。それを思わないと、単なる傲慢になってしまう。
自分を助けてくれたのは神様だということを忘れないでいないといけないと思う。現に、助かったのはほとんど奇跡だったことが多い。つまり、人間の力では起こせないことがたくさんあった。これを出来るのは万物の造り主である神様しかいらっしゃらない。神様しか出来ない御業なのである。このことをしっかりと意識して感謝を捧げなければいけないと思う。僕が僕を助けたのではない。神様が僕を助けたのだ。それが本当のことだ。
ヒゼキヤ王が神様に怒りを買ったのは、そんな傲慢な姿で振る舞ったからだった。それが分かり悔い改めをしたヒゼキヤ王は、やはり信仰の持ち主だったと思う。ヒゼキヤ王は神様から結局離れることはなかったということだと思う。
日本人は傲慢だ。そんな話しを聞いたことがある。それは自分一人で乗り切ったなどということを言ったりして感謝がないからだ。それには神様を知らない、そんな事実があるからだろう。
日本人は神様を知らない。それを知った時、本当の感謝が国から溢れ出て、いい国になるのに、と思う。僕は日本人だからこそ、多くの同じ民族にそのことを、神様への感謝をすることを知ってほしいと思う。神様は全宇宙を作った。だからその中にも日本は入っているから、日本のために働いてると思う。それをしっか理解して日本人に神様への感謝をしてほしい。そう思う。それを伝えるのは僕らの努めではないか。共に使役訓練をしている方々にも協力して頂き、そんな神様へ感謝を忘れない日本を作りたいと思う。

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