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중앙영광교회

目的2- 神様の家族

이용규목사, 2007-11-28 02:05:02

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「目的2- 神様の家族」
御言葉//ローマ12:5

1.        私たちは当然、神様のために生きるべき存在である。
「わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。」(ローマ8:32)
神様は、その独り子であるイエス様を通して、私たちにすべて(命まで)をもたせるため、ご自分のすべて(息子まで)を私たちに与えてくださった。 これを認めるのが信仰である。では、私たちは神様に対してどうすればいいか。
あなたの社長があなたに何をあげているため、あなたは昼も、夜も、家族まで見捨てて社長と会社のために一生懸命働いているか。給料をあげているからだ。そのため、1日中、彼のために働く。もし、社長が給料を与えなかったら、あなたはすぐ辞めるであろう。あなたが何も言わずに働いてあげているのは、もらうものがあるからだ。
では、あなたは神様のためにはどんな仕事をしているか。神様はあなたに給料くらいでなく、すべて(息子、命、健康、家族…)を全部与えてくださったのではないか。日曜日に1回教会に行ってあげることで恩着せがましくふるまっているか。知らないからそうなのである。私たちの人生を与えてくださったのは神様である。
そのため、人生は当然、神様のために生きるべきなのだ。
ローレンス兄弟は人生の唯一な職務について、「神様を喜ばせることだけだ。」と言った。「私がどうすれば神様を喜ばせることができるか。」以前、これが人生の第1の目的であることを学んだ。そのためには、「自分の考え」を常に神様にささげなければならない。意志的に、「神様を考え、御言葉を黙想する練習」をしなければならない。考えの中に神様がおられる人が、神様の真の喜びになれるためだ。随時、自分の考えを点検してみよう。
「あなたは今何をそんなに夢中になって考えているか。」
あなたの考えを神様にささげてみよう。天国はそこから望む。

2.        私は神様の家族として生まれた。
今日は2番目の目的について探ってみよう。
人は、誰でも愛されることを望み、また、愛を受けてこそ生きられる存在である。
どうすれば、すべての人々が満たされる愛をみな受けることができるか。愛に飽きている人々を、どうすれば満たしてあげることができるか。今日はこの問題の解決方法について探ってみよう。愛は、本当に妙なものである。受けようとすればするほどほしくなり、あげようとすればするほど、豊かになる。天国は、あげようとする人々で溢れている所であり、地獄はもらおうとする人々がいっぱいになっている所である。豊かにもらう方法は、まず豊かにあげることである。
「与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。」(ルカ6:38)
人は、二度生まれ変わる。一番目は、肉の体の誕生である。お母さんのお腹から出ることによって、私たちはその家庭の家族となる。二番目は、霊の誕生である。神様とイエス様と聖霊様の御名によって洗礼をうけることで、神様の家族となる。
「イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。」(エフェソ1:5)
「従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり」(エフェソ2:19)
「あなたがたは…神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを…証ししてくださいます。」(ローマ8:15,6)
私たちの霊の身分を正しく知らなければならない。神様は確か私たちの父親であり、私たちは神様の子どもである。そのため、私たちきりは当然、同じ父親を持つ神様の家族である。神様の家族ならば、神様の家族にふさわしく生活しなければならない。第二番目の目的がここにある。神様は、私たちが神様の家族として美しい人生を過ごすことを望んでおられる。神様は、信じるもの同士が互いに愛し合いながら生きることを願われる。
肉の家族は家庭を成しているが、霊の家族は教会を成している。教会は霊の家族の家庭のようなものである。最も理想的な教会の姿は、「愛の教会」である。教会は霊の「家族」の集まりであるためだ。もし、すべての信者が純粋に愛し合い、いたわり合っていると、その教会はあまりの人数に教会に入りきらなくなってしまうかもしれない。神様は、教会ごと真の家族の愛が満ち溢れる教会になることを願われる。
「肉の家族」にはことばで表現できない愛がある。両親は「子どもの肥料」までともいわれる。子どものためには何でもしてあげたいのが両親の愛である。命も惜しまない。本当に偉大な愛の力である。
しかし、私たちは下記のことを知っておかなければならない。
「肉の家族」はただ「霊の家族」の模型に過ぎない。本当の家族の実態は「霊の家族」である。肉の家族はこの地上だけ有効だが、霊の家族は永遠まで一緒にいるからである。肉の家族は、人間の血によって結ばれた関係だが、霊の家族は神様の血潮(訳者注:韓国語では、神様の血のことを「寶血」といいます)で結ばれているからだ。神様の血と人間の血の中でどれがもっと力があると思うか。人間の血はこの地上にだけ切れない力を持っているが、神様の血潮は永遠まで切れない、神秘な愛の効力を持っている。肉の家族は瞬間だが、霊の家族は永遠に続く。
そのため、神様がこの地上で願われるのは、「霊の家族」を愛しなさいということである。
「神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です。」(ヨハネ一4:21)
神様の家族を愛することは、してもしなくてもいいということではない。これは選択事項ではなく、子どもに与えるお父さんの命令である。そのため、必ずすべきことである。
後悔を防ぐために、家族についてもう少し詳しく見てみよう。
家族には3つの種類の家族がいる。霊の家族にもなるし、肉の家族にもなる「霊と肉の家族」がいて、霊の家族だけになる家族(教会)もいる。そして、最後に肉の家族だけになる家族がいる。この3つの種類の家族の中で、どの家族が一番大事だろうか。当然、「霊と肉の家族」である。韓国の牧師たちの家庭には、変な伝統(?)が流れてきた。教会(霊の家族)のために、家庭(霊と肉と家族)を犠牲するのを、美徳だと思う傾向があった。そのため、立派な牧師の子どもの中にも、自ら「Xのように生きた」と告白する人が少なくない。牧師が家庭を大事にすると、変な牧師として見られ、家庭を犠牲しながら教会だけ大事にすると、立派な牧師だとほめる風潮が今もある。これがいかに間違っていることで、神様に対して罪のある姿だろうか。信者たちも、牧師たちの家庭を守ってあげなければならない。
私たちに一番大事な家族は、イエス様を信じる肉の家族である。肉の血と霊の血が両方流れているため、これより大事な家族がどこにあるだろうか。もちろん、霊だけの家族もとても大事だが、信仰のある肉の家族(霊と肉)は、もっと大事であることを必ず心にとめなければならない。よって、信仰の家庭から人物を造らなければならない。世の中の暗闇を打ち破る光の使者たちが出なければならない。信仰の人々よ!自分の家族がいかに大事かをもう一度考えよう。
「見よ、子らは主からいただく嗣業。胎の実りは報い。」(詩127:3)    

3.        どうやって愛するか。
では、「神様の家族」をどの程度愛すればいいだろうか。
ローマ12:5にちゃんと出ている。
「わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです。」
イエス様は、信じる人々を一つの体として作られた。この体はつまり教会であり、イエス様の体である。
「教会はキリストの体であり 」(エフェソ1:23)
体を構成している各部分は、信者だちである。神様は「霊の家族」、つまり教会を体で表現なさった。体は絶対、互いに離れることができない。離れると、その部分(体の各器官)は存在の理由がなくなり(死んでしまい)、体も大変な苦しみを受ける。部分は体にくっついて体のために働くときこそ、自分の価値を味わうことができる。部分は、家族よりもっと崇高な愛の姿を見せる。部分であるために、すべての仕事を体のためにすることは当然で(体愛=神様愛)、他の部分のためにするのも当たり前である(部分愛=兄弟愛)。「イエス様は体で私はその各部分だ」という御言葉から、私たちが誰を愛すべきか、誰のために生きるべきかがよく分かる。
私たちは互いに各部分(器官)なのである。
体愛は「神様愛」の完成であり、部分愛は「家族愛」の極致である。
「キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによって…おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ」(エフェソ4:16)。
マザーテレサがこのような質問を受けた。
「こんなに難しくて大変なことをあなたはどうやってうまくできたのでしょうか。」
彼女は次のように答えたという。
「私が包帯を巻いて沐浴をしてあげる人々から、私はイエス様の顔を見ます。私がやっているすべてのことは、イエス様のためにすることです。」
どうしてこういうことができるか。
マザーテレサはローマ12:5の人だったからである。ハンセン病で死んでいく人が、自分と関係のない他人ではなく、自分と一緒に一つの体を成している、イエス様の体の一部分として見たからである。
御言葉の価値観によって価値観が変わるときこそ、私たちは当たり前のようにそういうふうに生きる人になるのである。
私たちが兄弟たちに完全な愛を実践するためには、その人が人で見えてはいけない。その人は、ひと以前に、イエス様の部分だということが分からなければらない。彼の本来の姿は、イエス様の手や足、目、耳などの部分であることを忘れてはいけない。
「あなたは本当に好きですが、あなたの手はとても嫌いなので、切ってほしいです。」ということはありえない。手がその人の一部分であることが分からないからだ。イエス様ははっきりおっしゃった。
『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』(マタイ25:40)
その兄弟がつまりイエス様の部分であるためだ。
霊の兄弟たちをひととして見ないでほしい。そこから間違っている。
「あなたはイエス様の体の部分です。」「それで、あなたは私にとってイエス様のような大事な存在です。」
そうすると、その兄弟に対する姿が、イエス様に仕える姿として変わるだろう。
真の交わりは、神様の家族をイエス様のように愛することである。神様の家族はつまり教会である。「私がどうすれば教会をもっと愛することができるか。」これが、人生の二番目の目的である。

6 コメント

安間チョウコ

2007-11-28 07:04:06

聖霊を受けた家族になれない悲しみ
日本には妻は教会に通うが夫は教会に通わないところが多い。私の友人にはそのような方が多い。といっても、大体は一度は教会に行っているが、私の夫は成人してから一度も教会に行っていない。小さいときは教会学校に通ったが、献金を入れた振りをして飴玉を買うような、信仰よりも現実の欲に弱い人なので、教会学校に通っていても全然信仰が育たなかった。私が何をしようと寛容であるが、聖書を一緒に読みたいんだけどと・・といっても「興味ないから強制しないで」と、聖書の字が大きい豪華版の聖書を買ってあげても本棚に積んでおくだけなのでいつの間にか私の本棚に移行してしまった。何か命にかかわる病気になったら考えも変わるかもしれないが、私がとりなしの祈りをしながら泣いていようと、どんなに懇願しようと「ぬかに釘」「馬耳東風」(全然反応なしのたとえ)である。いつか、死ぬ間際には洗礼を受けさせて、天国にいけるようにしなければという死の瀬戸際洗礼を考えるより仕方ないと思っている。

中森千草

2007-11-29 06:18:10

神様によって造られたわたしは、 神様のために生きるべきであり、 また、 すべてのことにおいて、 神様のために行うようにし、 そして、 人と接するときにも神様に対して行うように、 心がけています。  そうしているうちに、 あらゆることに対して、 感謝の心をもって行動することができ、 人が嫌がることに対しても喜びをもって。 そして、 ただ神様のためにという純粋な心がもてるようになっていました。 すべては神様のためにという思いが、 私を変えており、 神様の奇跡を体験しています。

藤田弘量

2007-11-29 08:48:18

寒い寒い今年の2月、真夜中に玄関のベルが鳴りました。開けてみるとボロボロになった息子が倒れこんできました。 
3年ぶりの再会でした。 ひとり暮らしだった私に突然、家族ができた日でした。
生涯、息子と会うことは出来ないであろう、と諦めていました。 せめて息子の心と体の健康を、日々の生活の安全を、実りある充実した毎日を、神様に祈っていました。
教会の家族のみんなも息子のために祈ってくれていました。 イエス様につながっている霊的な家族のお祈りが、私の肉の家族を呼んでくれました。
私に奇跡がおとずれた瞬間でした。
教会の家族のみんなは息子の回復を祈ってくれました。 息子はみるみる回復し、すっかり元気を取り戻しました。 今では、元気すぎて困るくらいです。
神様に心から感謝しています。 教会の家族に心から感謝しています。
私は、神様の喜びになる人に成長しなければと思っています。 
息子を教会に連れて行く日を祈っています。 あせらず、ゆっくり、確実に、伝道したいと思います。
神様、息子を教会に導いてください。そして、愛する息子に永遠の命を与えてください。

田辺高幸

2007-11-30 06:32:23

神様の家族になれる。それは凄いことだ。いや、今や家族なのだ。そのことが信じられないことであるが、神様は自分を家族として迎えてくれた。とても感謝している。
神様はそれだけではなく、わたしに大切なものを下さった。教会の兄弟たちである。今のわたしにとって一番大切なものだ。神様からの大切な贈り物。だからわたしは彼たちを大切にしたい。わたしは彼らの力によって今、生きているのだ。
教会はその家族が作るところだ。霊的な家族であり、イエス様が肉体を持っていたとおり肉的な家族でもある。また神様はわたしに大切なものを下さった。それは教会である。
神様の下さった物を大切にして生きていきたい。それがわたしの本心です。神様の家族として、神様が下さった兄弟の一員として、そして教会の一部としてこれからもこれを大切にして生きたい。大切なものをたくさん下さった神様に、ありきたりの一言ですが、ありがとうございますと言いたいです。それしかありません。

木下 

2007-11-30 08:13:21

「豊かにもらう方法は、まず豊かにあげることである。」 
豊かに与えられる人物になりたいです。物質的だけでなく、心の豊かな人物になりたいと願っています。豊かに与えられるには、まず豊かに与え続けなくてはならないという法則を信じます。自分の中で愛が満たされないと、様々な手段を通して愛を満たそうとしようとします。買い物であったり、食事を食べ過ぎたりと... しかし、そのような手段では、一時的にしか心が満たされないと思います。与えられることよりも、与え続けること...何を与えるべきなのでしょうか。無償の愛であると思います。お金のように物質的なものは限りがありますし、現状では難しいです。心の豊かな人間になりたいです。

古郡武志

2007-11-30 13:15:35

・私たち一人一人をお造りになった無限の能力を有する神様そして神様の被造物である私たち…私たちが神様の家族であるということは本当に貴重で有り難いことだと思います。
・洗礼を受けたのは今年の3月です。その時にはいろいろ迷いも有りましたが、救世主イエス・キリストを信じて受け入れさえすればよいとのアドバイスを受け、洗礼を受けました。永遠の生命を得て、神の家族となった喜びをその時感じました。
・しかし、ただ「神の家族」でいるだけではだめで、家族への愛が満ち溢れた「良き神の家族」であります。教会は、イエス・キリストの体である教会、そして兄弟姉妹は皆イエス・キリストの体を構成する部分である。だから、兄弟姉妹を愛せないということは、イエス・キリストを愛せないということなのです。しかし、そうは考えていなかったのだと思います。受難の話をきくだけで涙を流して感動していた自分が、問題に直面している兄弟姉妹のためにどれほど思いやり・同情心をもち、真摯な心で祈ってきたのか?自分のプライドを満たしてくれる人・気に入る人には特に良く接し、その他の人の窮状には無関心でいるではないのか?そのような自問を避け得なかったのです。
・「兄弟姉妹は愛さないが、イエス・キリストを愛している」ということは有り得ない。「あなたは愛しているが、体は愛せない」ということはないのです。
・日常的な人間関係においても、主イエスキリストに対する愛が支配するように努力をし
ていきたい。(「礼拝に参席したときに隣にいたAさんは、イエス様の一部です」と自然に素直に思えますように・・・)

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