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중앙영광교회

目的1-神様の喜び

이용규목사, 2007-11-21 07:03:13

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「目的1-神様の喜び」

御言葉//黙示録4:11

1.       創造の第1の目的
神様が万物を創造された目的は、果たして何だろうか。
今日は、第1の目的について探ってみよう。
ヨハネの黙示録4:11の英語聖書の訳では、「万物が創造されて存在する目的は、神様の喜びのためだ」と書かれている。創世記1章では、神様は万物を創造なさいながら7回も「これを見て良しとされた」とし、最後に人間まで造られた時は、「極めて良かった(very good)」とおっしゃった(創1:31)。神様は、万物をご自分の喜びのために造られた。神様が必要だから造られたのではなく、それらを通して喜びを得るために造られた。そのため、誰よりも神様の創造の目的をよく知っていたパウロは、「体を住みかとしていても、体を離れているにしても、ひたすら主に喜ばれる者でありたい。(コリント二5:9)」と告白したのである。
今あなたの人生はどうか。ひたすら自分の喜びのために急いで走っていっているか。あるいは、パウロのように、神様の喜びになるために尽くしているか。神様かあなたを見て何とおっしゃるだろう。
「極めて良くなかった。」「良くなかった。」「良かった。」「極めて良かった。」
目的通りに生きる人生は、神様がきっと「愛している息子よ、娘よ!あなたの人生を見ると、わたしは極めて嬉しい!」と言われるだろう。
私たちの人生は、自分のために造られていない。ひたすら神様のために造られた。
神様は私たちを通して喜びを受けることを願われる。
「どうすれば神様に喜ばれることができるだろうか。」
これが、神様の創造の目的を常に覚えさせるだろう。

2.       神様を喜ばせる方法
では、どうすれば神様を喜ばせることができるか。
車を買ってあげると喜ばれるか。家を買ってあげると喜ばれるか。
神様はないものがない方である。天と地が全部主のものだからだ。そのため、物質では神様の喜びになれない。では、すべてを持っておられる神様にいったい何を差し上げれば、神様が喜ばれるか。それは、すなわち「あなたの愛」である。だから、神様は「 わたしが喜ぶのは愛であっていけにえではなく」(ホセア6:6)と言われたのである。神様は今、愛に渇いておられる。誰の愛に?あなたの愛に。神様が真に願われるのは、いけにえ(物質)ではなく、愛(心)である。
イエス様は聖書を圧縮し一文でこうおっしゃった。
「イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。これが最も重要な第一の(the greatest, the first) 掟である。』」(マタイ22:37,8)
神様が一番重要だと思われるのは、私たちが神様を愛することである。他の事は全部忘れてもいい。しかし、これだけは逃してはいけない。神様を愛することである。あなたはきっと「私は神様を愛している。」と言うだろう。しかし、大切なのは、果たしてどの程度神様を愛しているのか、である。自分の子どもより、自分自身より、さらには自分の子犬よりも神様を愛していない人が多い。
あなたは今心を尽くして神様を愛しているのか。
あなたは今精神を尽くして神様を愛しているのか。
あなたは今思いを尽くして神様を愛しているのか。
神様はあなたからこの愛をもらうことを願われる。しかし、正直いってあなたは、この愛をささげるのが簡単ではない。しかし、これははっきりいって可能なことである。神様は不可能なことをさせる方ではないからだ。では、どうすれば神様を完全に愛することができるだろうか。
  
3.        どうすれば神様を愛することができるか。
この愛の力は私たちにあるのではなく、神様から来る。
神様のものすごい愛を分かる時こそ、神様にその愛に対する反応を見せることができる。
神様の愛は太陽のようで、私たちはそれを反射して照らす月のようである。月は太陽がなければ絶対光を発することができない。私たちの愛は反射の愛に過ぎない。
そのため、神様ははっきり言われた。
「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」(ヨハネの手紙一4:10)
「わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。」(ヨハネの手紙一4: 19)
私たちが神様を完全に愛するためには、まず神様の愛を分からなければならない。それによって、その愛が私たちを通して神様に反射できる。
私たちは神様を知る分だけ信じる。それ以上は信じられない。そのため、ルターは「信仰は知識だ。」まで言った。
愛も同じである。知っている分だけ愛することができる。知らなければならない。まず、神様の愛を知らなければならない。知る分以上の愛は無理押しの愛だ。心から出てくる愛ではない。それで、神様は「わたしが喜ぶのは神を知ることであって焼き尽くす献げ物ではない。」とおっしゃった。神様がどのような方かよく知れば知るほど、私たちは神様をもっとたくさん愛することができる。
礼拝は、神様の愛に対して反応することである。そのためには、まず神様の愛をきちんと知らなければならない。本当の問題は、自分が神様を愛していないことではなく、神様はどれほど自分を愛しているかが分からないことである。それすら分かれば、神様を愛することは自然に反応するようになる。
愛を知っていると愛は自然に出る。愛しなさいと別に教えなくてもいい。知ることが最高の師匠だから。
真に神様を愛したいか。聖書に親しみなさい。御言葉に親しみなさい。聖書は神様の愛を知らせる「天国のラブレター」である。愛している人が送った愛の告白が書いてある手紙も私たちに愛の心を与えるのに、神様が送ってくださった愛の手紙(聖書)が私たちを愛で満たしてくれないはずがないではないか。神様を真に愛したいか。お祈りしながら「天国のラブレター(聖書)」をたくさん読んでみなさい。神様の愛があなたを満たしてくれるだろう。きっと。

4.        真の礼拝とは?
礼拝ということばを聞くと、何を思い浮かべるか。教会の礼拝の時間、儀式、決められた黙想の時間などを思い浮かべないか。
礼拝は、神様を喜ばせるすべてのことである。
ローマ12:1に真の礼拝、霊的な礼拝についての定義がきちんと出ている。
英語の訳版を見ると、真の礼拝とは、寝ること、食べること、仕事をすること、勉強することなどを含んだ、すべての日常生活を神様に生きた聖なる供え物としてささげることである。
真の礼拝は、礼拝の時間にささげる礼拝ではなく、生活すべてを通してささげる礼拝である。私たちはごく短編的なことを礼拝の全部であるように錯覚する傾向がある。日曜礼拝をささげると、礼拝を全部ささげたと思う。しかし、私たちがささげた日曜礼拝は、私たちがささげなければならない真の礼拝の場合、わずか1/168に過ぎない。168をしなければならないのに、わずか一つだけをして全部したとすると、それは話にならない。しなかったことと同様である。100点満点に1点も取れなかった人が、なぜ試験の点数がいいと言えるか。1点をもらって満足すると、何か大きく間違っている人に違いない。日曜礼拝だけささげて、生活は自分勝手に過ごす人がこのような人である。
「礼拝別、生活別」ということばもいかに矛盾した表現か分からない。礼拝の時間と生活の時間が区分されているのではなく、生活こそが礼拝の現場であるからだ。
まだ満たしてない99の礼拝を満たさなければならない。どうすれば、この99を満たすことができるか。
どうすれば、「生活の礼拝」をうまくささげることができるか。
「何をするにも、人に対してではなく、主に対して(主のために)するように、心から働きなさい。」(コロサイ3:23)
これが、生活を礼拝に変える秘訣である。神様は、まる一日聖書を読み、賛美し、お祈りしなさいと言われなかった。生活の礼拝は、まる一日に礼拝の行為をしなさいというのではなく、何をするにも主のためにしなさいということである。神様の関心事は、「あなたは今どんなことをしているか。」ではなく、「誰のためにそのことをしているか。」である。礼拝の時間も例外ではない。礼拝の場所に来て礼拝はささげているものの、自分のためにささげていると、それは真の礼拝ではなく、偽りの礼拝である。神様と関係ない礼拝は、礼拝の殻はあるものの、礼拝の力はすでに消滅されている。形式より大事なのは心である。
あなたは一日の中で神様をどのくらい考えたのか。愛すると当然、考えるようになる。誰かに愛におぼれていると想像してみよう。一日その人のことがあなたの心から離れることができるだろうか。神様を真に愛していると、いつも神様を考えるようになるのは、常識的なことである。
生活のすべてが礼拝になりたいか。
簡単だ。何をするにも神様のためにしなさい。神様を考えながらしなさい。そうすると、すべてのことが全部礼拝に変わる。これからあなたの上司は神様しかいない。すべてのことをただ神様のためにしなさい。
「この事を通して、どうすれば神様を喜ばせることができるか。」
常にこのことを考えると、すべてのことが神様には最高の礼拝になり、あなたには最高の人生になるであろう。
「神様!これから私が何をするにも神様のためにします。」
この決断が、あなたの人生を神様に喜びを与える人生として変えるだろう。

8 コメント

中森千草

2007-11-22 06:40:09

私たちの人生は、 神様の栄光、 喜びのために造られたのだから、 誠心誠意 尽くして、 神様を愛していきます。 
神様のことを、 常に意識して考えるようになり、 すべてにおいて、 神様の喜びのためだと思い、 神様に集中していたら、 神様の恵み、 愛にふれることができ、 心が暖かくなりました。 
神様の喜びのために生きる時間は、 礼拝だと教わり、 決してこの大切な時間を無駄に過ごすのではなく、 神様のために、 捧げていきます。

安間チョウコ

2007-11-22 06:48:41

神様の世界
神様の世界は素晴らしい。
太陽があり、空があり、雲、雨、空気、月、星、動物、植物、緑に覆われた大地、人間、どれも生命力を有するものだ。いつもそれらは意味を持って活発に動いている。神の美しさはこの自然讃歌。
神様の財産。私たちはその一部を分けていただいて五感を通して享受している。なんという恵み、人が作る人工的なものはとてもかなわない。
反面、生命力のない無機的世界を神様は支配しておられても救われなかった人が住む黄泉の世界、地獄の世界かもしれない。
永遠の国天国は、光溢れ、生命力の溢れたところのようだ。(私はそう確信している。)
だから此の世の生活は一時的で、永遠の天国の門を通って天国に住まうその日を望み、この世を渡るときも神と共に歩み、神の義を理解し、正々堂々と生ききりたいと思う。

木下 

2007-11-23 04:49:11

「生活のすべてが礼拝になりたいか。簡単だ。何をするにも神様のためにしなさい。神様を考えながらしなさい。そうすると、すべてのことが全部礼拝に変わる。」

何をするにも神様のために、神様の喜びのためにすることを心がけていきたいです。生活すべてが礼拝であるとすると、食事をするとき、仕事をするとき、話をするとき、くつろいでいるとき、休んでいるとき、聖書を読むとき、お祈りを捧げるときなど、果たしてどれほど神様を考えながらしているのでしょうか。最近、神様のことを考え、お祈りをささげるとき心に安らぎと力が湧いてくることを実感しています。神様の導き、御力、愛してくださっていることを確信して感謝の気持ちを捧げます。

나미키 토모지

2007-11-23 07:29:52

いつも牧師先生から言われている言葉ではあるけれど、聞くことだけで過ぎてしまうことがあります。礼拝だけでなく、常に意識しながら日常の生活を送りたいと心掛けます(박유진さん、いつも素晴らしい翻訳を有難うございます)。

古郡武志

2007-11-23 08:58:14

1.「自分の喜びのために急いで走っていっているか?」
 神様は、万物をご自分の喜びのためにつくられた。したがって、私も、神様の喜びのために造られた。しかし、気がつくと、自分の喜びのために生きている。高い地位を得たい、高い給料を得たい、おいしいものを食べたい、快楽に溺れたいというマインドに支配されることがある。これらのマインドに打ち勝って、神様の喜びのために生きられるようになりたい。
2.「神様は今、愛に渇いておられる。誰の愛に?あなたの愛に」
 神様はあまりにも偉大な方なので、愛の対象ではないのではないか、あるいは私一人が愛さなくたって神様には何の関係も無いのではないか?そんな風に思ってた。でも、そんな神様でも、私の愛に渇いておられることを知り、きちんと神様を愛することができなかったことを本当に申し訳なく思う。「心を尽くして、精神を尽くして、思いを尽くして」神様を愛することができていませんでした。これからは、しばし、立ち止まって「心を尽くして、精神を尽くして、思いを尽くして」神様を愛しているか自分に問いかけたい。
3.「天国からのラブレター」
 イエス様が私たちのために死なれたということを考えると、神様の底知れぬ愛への感謝にあふれ、目には涙があふれてくるのです。しかし、それは、一時的なものかもしれません。何故なら、忙しくなると、神様の愛を忘れてしまう自分に気づくからです。
 神様の愛を心の底から知り、私たちを愛して下さる神様の愛をいつでも忘れないような人間になりたい。
4.「真の礼拝」
 教会にいるときだけが礼拝ではなく、生活のすべてが礼拝です。職場では、本日が給料日だったのであるが、給料をもらうためにするのではなく、「神様のために」するということである。このように考えることはなかなか難しいのである。しかし、自分も神様に造られたが、他人も神様に造られた。例えば、神様に造られた他人の便益を考えて仕事をするというのは、神様のことを考えているといえるのではないか?と思う。
 さらに、テレビを見るというのはどうだろうか?例えば、有害な情報に接し続けることは、神様のためにするとはいえないだろうと思う。
 実は、常に神様のために何かをするように心がけるということは、本当に生活の質を高め、無駄なものをそぎ落としてくれると思う。
 何をするにも神様のためにできるようになりたいと思う。

津田浩史

2007-11-23 09:31:00

 神様は愛するために私たちをお作りになったのですね。説教を読むと、ああそうだよなあと落ち着いた気持ちになれます。
 神様の愛に応えてすべてを神様のために行うことが私たちの努めですが、毎日の生活、特に会社ではこうした満たされた心で過ごすことができていません。今日もまた会社で職場の人の言動に対して腹を立て、いらいらした気持ちで仕事をしてしまいました。
 ただ、家で妻にそのことを話したところ、「それはお互い様じゃない」と言われ、なるほどと思いました。おそらく、自分も気づかずに、人に対して腹立たしくなる言動をしていることでしょう。それを棚に上げて他人の言動を非難するのは、自分だけが正しいと思い込んでいるファリサイ派や律法学者と同じだよなあ、とわかったのです。これが罪人なのですね。
 こんな罪人で、石ころだらけの土地に蒔かれた種のごとく教えがなかなか根付いていない私ですが、「5つの目的」で学んだように、生活の中で少しでも長く、深く神様と愛を交換していく時間を持つようにしていきます。

田辺高幸

2007-11-23 18:11:22

朝起きて、天地を見る。これは神様が作ったものだ。僕は神様が作った世界に生きている。そんなことを意識する。それで一日が始まる。
しかし、1日を過ごすと忘れてくる。頭のことは自分の喜びのため。神様の存在が無くなる。そんなことがあって、神様のことを思い出して反省してしまう。今、自分が立っている場所は神様が作った世界である。そして僕はその世界で生きている。そんな当たり前なことを忘れてしまっている自分に反省をしざる得なくなる。
神様は天地を作り、光を作り、昼と夜を作った。大空と水を作った。地と海を作った。神様は草を芽生えさせ、それぞれ種を持つ実をつける木を作った。昼を支配させる太陽と、夜を支配させる月を作った。鳥を作った。動物を作った。そして最後に、人間を作った。それは御自分をかたどって、それを作られ大いに喜んだ。
これは旧約聖書の創世記の万物創世の話だが、最後に作られた僕たち人間は、神様にとって大いなる喜びであったことが書かれている。それを見ると、僕たちは神様を忘れてはいけない。作られたことに大いに喜ばれた人間という存在であることに喜びを発見しなければならない。そして神様が喜びのために作った事実を見つめなければならない。自分の喜びは自分になく、神様にあることを自覚しなければならないと思う。
神様は人間を作り大いに喜ばれた。大いに愛を持って作られた。その愛にどう答えるかが、神様を喜ばせることにつながる。神様が愛してくださる。自分たち人間はそれを感じて尽くさなければならない。それで初めて神様との関係が保てる。
神様は今も僕たちを愛を下さっている。それを受け止めて返せる存在にならなければならない。その返しは当然純粋なものでなければならない。いつも人間とともにいる神様に届くものでなければならない。
しかし、それをどう感じて、それを受け止め、それを返していくか。自分らの生活には神様の存在を多いに忘れさせるだけの物が溢れている。その答えは神様の御言葉を書かれた聖書を読み続けることが大切だろう。そこに書かれた神様の愛を知ること。それで神様を忘れることなく過ごすことができるだろう。
日曜日に礼拝に行く。それは当たり前のことだが、その当たり前が単なる行事になっていないだろうか?そんなことを考える。礼拝とは神様を喜ばせるために存在している。それしかない。それが日曜日に行くだけの行事になっていたらいけない。神様を喜ばせることであれば毎日しなければならないもので、行事ではなく大切に守らなければならない生活そのものだ。
それを考えると、自分が神様を忘れることがある、ということは礼拝を行っていないということになる。だから恥ずかしくなるのである。これからはこのことを肝に銘じて礼拝を続なければならない。神様の喜びのために礼拝をしなければならないと思う。

藤田弘量

2007-11-24 09:10:01

愛・・・人生において、最も心温まる時間と空間を彩るものと思います。
教会に導かれ、神様と出会う前の私は「神様なんか信じない、宗教をやってるヤツは意思の弱い人間だ!」と、公言していました。
そんな私を初めて教会に連れてってくれたのは韓国語の先生でした。
赦しをテーマにした説教に驚愕し、賛美歌に感動しました。しばらく通っていたのですが不規則勤務で主日礼拝が守れず、先生の帰国もあって通わなくなってしまいました。
次の韓国語の先生は、もう一度教会に行くように強く薦めてくれました。そして中央栄光教会に連れて行ってくれました。

神様は、二人の韓国語の先生をとうして二度も教会に導いてくれました。
神様は、二度も私の命を永遠へと導いてくれました。

私は本当に神様に愛されていると感じています。

神様、感謝します、心から愛しています。
私の残りの人生の全てを神様の喜びになりたいと願っています。
私を悪から救い出してください。
私に強い信仰心を与えてください。






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