晩鐘
昔の田舎は、ほとんど文化の恵みを受けられない状態でした。たまに開かれる野外劇場の観覧程度が田舎の文化生活のすべてでした。しかし、幼いとき、たまに面所在地にある母の実家に行くと、普通の家庭では家族写真が掛けられているのですが、壁にある額の中には家族写真ではなく一枚の絵が入っていました。その絵には、夫婦が手を合わせて祈っている敬虔な姿が描かれていました。多分、私が名画を見たのはこれが最初ではないかと思います。今も母親の実家を思い浮かべると、この絵を最初に思い出します。ところで、この絵がまさにあのミレーの晩鐘であるとわかったのは、後に学校で絵画について勉強していた時でした。どうして貧しい母の実家にミレーの有名な絵が写真の額の中に入って掛けられていたのか、今でも気になります。
長い時間が経った今になってやっとその絵に込められた深い意味が分かってきました。
ミレーは貧しい家庭に生まれましたが、絵が好きで、自ら絵の勉強をしたそうです。何より彼は信仰深い家庭で生まれ、育てられました。彼のおばあさんは、教会の鐘が鳴るたびに幼いミレーに神様に祈りなさいと教えました。それによってミレーは晩鐘という作品において、一日の日課を終えた農夫婦が微かに響く教会の鐘に手を合わせ、神様に感謝の祈りをささげている姿を自然に描くことができたのです。まさにその姿は、幼い時の自分の姿だったので、描きやすかったのではないでしょうか。
ミレーのお母さんもとても立派な信仰の持ち主でした。
ミレーが絵の勉強のため都市へ留学に行くことになったときに、お母さんはミレーの心に残るように言い聞かせました。
「ミレー君、貴方が画家である前にキリスト人であることを忘れてはいけません。私はあなたが神様を失ってしまった画家になるより、むしろ死ぬのを見た方がまだましです。」と言いました。彼は、お母さんの教えに従って、信仰をもって絵を描きました。それでミレーは、晩鐘を描いた後にその喜びと感動を誰よりも先にお母さんに届けたそうです。
常にミレーは、自分がキリスト人であることを忘れませんでした。その証拠に、彼の有名な作品のすべてがタイトルから聖書と深い関係をもっています。「種をまく人」も「落葉拾い」もそうでした。
信仰のある人は、信仰の作品を残します。その人の作品を見ると、その人の内面世界を知ることができます。
イエス様も明確におっしゃいました。
「すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。
良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。
このように、あなたがたはその実で彼らを見分る」(マタイによる福音書7:17-20)
いばらの木からぶとうをとることができないように、人も自分の内面に持っているものから人生の作品を生み出します。イエス様は良い実を結べない木は、火の審判を免れないとおっしゃいました。人生は、どのような作品を残すのかが大事です。私が真の信仰のある人であれば、私が残している人生の作品を顧みなければなりません。教会の鐘を聞いて、感謝の祈りを捧げた晩鐘のような作品を主は今日もお待ちになっています。
良い木は美しい実を結び、悪い木は醜い実を結ぶが、聖霊充満な人は愛と喜びと平和の実を結び、欲深い人は憎しみと嫉妬と不和の実を結びます。
作品でその人の内面が分かるように、実によってその人の内面が分かるのです。
昔の田舎は、ほとんど文化の恵みを受けられない状態でした。たまに開かれる野外劇場の観覧程度が田舎の文化生活のすべてでした。しかし、幼いとき、たまに面所在地にある母の実家に行くと、普通の家庭では家族写真が掛けられているのですが、壁にある額の中には家族写真ではなく一枚の絵が入っていました。その絵には、夫婦が手を合わせて祈っている敬虔な姿が描かれていました。多分、私が名画を見たのはこれが最初ではないかと思います。今も母親の実家を思い浮かべると、この絵を最初に思い出します。ところで、この絵がまさにあのミレーの晩鐘であるとわかったのは、後に学校で絵画について勉強していた時でした。どうして貧しい母の実家にミレーの有名な絵が写真の額の中に入って掛けられていたのか、今でも気になります。
長い時間が経った今になってやっとその絵に込められた深い意味が分かってきました。
ミレーは貧しい家庭に生まれましたが、絵が好きで、自ら絵の勉強をしたそうです。何より彼は信仰深い家庭で生まれ、育てられました。彼のおばあさんは、教会の鐘が鳴るたびに幼いミレーに神様に祈りなさいと教えました。それによってミレーは晩鐘という作品において、一日の日課を終えた農夫婦が微かに響く教会の鐘に手を合わせ、神様に感謝の祈りをささげている姿を自然に描くことができたのです。まさにその姿は、幼い時の自分の姿だったので、描きやすかったのではないでしょうか。
ミレーのお母さんもとても立派な信仰の持ち主でした。
ミレーが絵の勉強のため都市へ留学に行くことになったときに、お母さんはミレーの心に残るように言い聞かせました。
「ミレー君、貴方が画家である前にキリスト人であることを忘れてはいけません。私はあなたが神様を失ってしまった画家になるより、むしろ死ぬのを見た方がまだましです。」と言いました。彼は、お母さんの教えに従って、信仰をもって絵を描きました。それでミレーは、晩鐘を描いた後にその喜びと感動を誰よりも先にお母さんに届けたそうです。
常にミレーは、自分がキリスト人であることを忘れませんでした。その証拠に、彼の有名な作品のすべてがタイトルから聖書と深い関係をもっています。「種をまく人」も「落葉拾い」もそうでした。
信仰のある人は、信仰の作品を残します。その人の作品を見ると、その人の内面世界を知ることができます。
イエス様も明確におっしゃいました。
「すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。
良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。
このように、あなたがたはその実で彼らを見分る」(マタイによる福音書7:17-20)
いばらの木からぶとうをとることができないように、人も自分の内面に持っているものから人生の作品を生み出します。イエス様は良い実を結べない木は、火の審判を免れないとおっしゃいました。人生は、どのような作品を残すのかが大事です。私が真の信仰のある人であれば、私が残している人生の作品を顧みなければなりません。教会の鐘を聞いて、感謝の祈りを捧げた晩鐘のような作品を主は今日もお待ちになっています。
良い木は美しい実を結び、悪い木は醜い実を結ぶが、聖霊充満な人は愛と喜びと平和の実を結び、欲深い人は憎しみと嫉妬と不和の実を結びます。
作品でその人の内面が分かるように、実によってその人の内面が分かるのです。
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番号 | タイトル | 投稿者 | 日付 | 閲覧数 |
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砕いてはいけない1 |
2016-02-29 | 343 | |
480 |
깨뜨리지 말라 |
2016-02-25 | 115 | |
479 |
挨拶1 |
2016-02-20 | 90 | |
478 |
인사 |
2016-02-18 | 91 | |
477 |
晩鐘1 |
2016-02-13 | 116 | |
476 |
만종1 |
2016-02-11 | 192 | |
475 |
禁と魔1 |
2016-02-06 | 109 | |
474 |
禁과 魔 |
2016-02-05 | 91 | |
473 |
目1 |
2016-01-30 | 105 | |
472 |
눈 |
2016-01-28 | 81 | |
471 |
誰が和解への犠牲となってくれるのか1 |
2016-01-23 | 151 | |
470 |
누가 화목제물이 되어 줄꼬? |
2016-01-21 | 254 | |
469 |
紙に手を切られて1 |
2016-01-16 | 155 | |
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종이에 손을 베이고 |
2016-01-14 | 262 | |
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勝利の秘法1 |
2016-01-09 | 160 | |
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이기는 비법 |
2016-01-07 | 118 | |
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300円1 |
2016-01-01 | 93 | |
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300엔 |
2015-12-31 | 183 | |
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良き隣人1 |
2015-12-26 | 78 | |
462 |
実力と過ち1 |
2015-12-26 | 105 |
1 コメント
中森千草
2016-02-15 02:25:35
生き方そのものなのでしょう。
クリスチャンという名札を
堂々と付けて歩けるようになるのが、
今の希望です。