この一週間をどのように過ごしましたか?
どのような愛を実践するために生きましたか?
人生はいかに長生きするかが重要ではなく、いかに生きるかがもっと重要です。
イエス様は33歳の短い人生を生きられましたが、愛の人生を生きられたために2000年を過ぎた今でも多くの人々の心の中に在られます。
人生の量よりも重要なのは人生の質です。私たちは人生を長く生きることに気を使うよりも質をよく生きるために気を使わなければなりません。人生の質は愛によって高められます。あなたたち総てがイエス様のように愛で評判の人生を生きるように祝福します。
1.私が何をすれば永遠の命を得られるか?
聖書の専門家である或る律法教師がイエス様に質問をしました。「先生、私が何をすれば永遠の命を得ることが出来ますか?」イエス様はこれにお答えする代わりに律法教師に聞き返されました。質問に直接答える代わりに聞き返す事はイエス様の答弁方法の一つでした。相手側に質問をしながら自分で答えを出すようにさせました。イエス様はこのように質問をしました。「律法に何が記録されているかを、あなたはどう捉えますか?」この御言葉は「聖書に何が記録されているか?またあなたはそれをどのように理解するのか?」ということである。イエス様は聖書を徹底的に理解されていた。イエス様は聖書の人である。イエス様の人生の基準はただ聖書しかありませんでした。「私が来たのは律法や預言者を退かせるために来たのではない。完成させるために来たのだ。」(マタイ福音書5章17節)
聖書に人生の基準を置く人は絶対に間違うことがありません。そのような人はつまり、死に遭遇しても復活の栄光により再びよみがえります。
それならば聖書は私たちに何をしなさいと言っているでしょうか?永遠を得るために何をしなさいと言っているでしょうか?聖書の核心は何でしょうか?「愛」です。神様は命を奪われるほどに愛し、隣人を死ぬほど愛されました。(ルカによる福音書10:27)聖書の質問者である律法教師も正確に答えました。イエス様はこのように言われました。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」(ルカ10:28)「愛がわかれば生きる。」とは言わず「愛を行えば生きる。」と釘を刺しました。愛をわかるだけではどのような意味もありません。愛を行うことで驚くべき力が発揮されるのです。だからイエス様は善きサマリア人の比喩を通して行う愛がどんなに大切かを教えておられます。
「そうすれば命が得られる。」(ルカ10:28)このみ言葉は愛の実践が永遠の命と結びついていると教えておられます。
愛の実行があなたの命と結びついているのを知っていますか?何のためにためらっていますか?これ以上にもっと重要なことがあるでしょうか?本当に愛の重要さを知っていれば今すぐ直ちに実行することです。私たちの愛の進歩を世の人々に見せてあげなければなりません。
2.身分で自分を建てるのでなく愛の現場を見せなさい
愛の人は自分の身分を建てません。愛の人は愛の現場を黙って現して見せるだけです。イエス様はこのような人を認め、愛されました。
イエス様の比喩の中には身分の良い人が二人、身分のいやしい人が一人登場します。身分のよい人は祭司長とレビ人です。この人たちは神の聖殿での役割を特権として持っていました。すべての人から認められ羨望を受ける人たちでした。つまり霊的特権層の人たちでした。今日で言えば、尊敬を受ける牧師、長老、監事、執事たちといえるでしょう。ところが彼らは強盗にあった隣人に遭遇したとき、御言葉どおり愛の実行が出来ませんでした。むしろ見ない振りをして避けて通り過ぎていきました。
ところでここに本当に取るに足らない身分の人が登場します。彼はサマリア出身です。その当時サマリア人と聞けば誰からも歓迎されない人でした。ユダヤ人たちはサマリア人を神様から見捨てられた人として卑しめて取り扱ってきました。彼らとの対話も食事も交際もしませんでした。本当に無視されている民族でした。
ところでこのサマリア人は強盗にあった人を見て心からかわいそうに思って、近寄ってオリーブ油とぶどう酒で傷の手当てをして、ろばに乗せ、宿屋へ連れて行って、世話をしました。一夜をその人に付き添い,宿屋の主人にお金を出してよく世話をしてくれるようにお願いまでしました。
サマリア人は自分が持っていた薬(油、ぶどう酒)と時間とお金を強盗にあった人のために喜んで使いました。愛は誰でもすることが出来ます。準備していなかったサマリア人でさえも立派にすることが出来ました。私は準備していないからやりません。私はまだ余裕がありませんのでやりません。これはまさに愛の実践を妨げる強敵です。旅をする人は旅人といいます。旅人は聖書では助けを受ける人です。だから聖書では旅人をよく世話するようにという箇所がそこここに書いてあります。しかし旅人であったサマリア人もこのように尊い愛を充分に施したのに、いわんや私達の中には事情がよくないから出来ないと言える者がいますでしょうか?(言えないはずです)。愛はお金や、余裕や、地位ですることではありません。心だけあれば誰でもすることが出来ます。
世の人々はいつも出身や身分を問います。あの人は何処の出身だろう?どこの学校、どこの地方、どの家柄の出身だろうか?それでその人の判断もしてしまいます。しかし神はそうではありません。主には身分や家柄は全然重要ではありません。今の生き方の姿が重要です。つまり世の中から見捨てられたサマリア人でも愛の生き方をすれば永遠の命を下さるということです。世は身分を好みますが、主は愛を好みます。どんなことをするにも愛で行う人を探しておられます。
神様に発見されることを望みますか?身分を出すことなく、愛の実践を見せてください。
主はよくやったと言うことでしょう。愛は避ける道を探すことではなく、行う道を探すことです。
3.ちがいますー当然ですよ
「ご飯を分け合う牧師」として有名なチェ・イルド牧師の証しにこのような話があります。
ハン・キョンジク牧師に対して普段やるせない気持を抱いていたチェ・イルド牧師は、ある日自分の考えが間違っていたことに気付きました。だからハン・キョンジク牧師を訪問してお詫びをしました。そのときハン牧師はチェ牧師に次のような返答をなさいました。
自分が他の人にほめられたときはいつも「違います」と答え、他の人が自分を批判するときは「当然です」と応えなさいと言われました。
街で貧しい人たちにラーメンを作ってあげているチェ牧師には、使役の初期の頃に多くの難しい問題がありました。一つはやくざから深刻な暴行を受けました。死ぬほど殴られ、ゴミ箱に投げ捨てられました。牧師様はひどい傷のため20日間動くことも出来ませんでした。刑事が尋ねてきました。やくざたちを捕えたといいながら証言を聴きに来たのです。牧師様は「いいえ」と証言を拒絶しました。刑事が「何でですか?」と反問しました。「当然ですよ」「刑事が人々を殴りつければ、それは納得できないが、やくざが人を殴るのは当然ではありませんか?」と答えました。
刑事はチェ牧師の愛に感動して「牧師様は痛みを受けたほどに愛の証をされるとは」という言葉を残してラーメンの代金1万ウオンを出して行かれました。この刑事がまさに最初の定期後援者になったということです。
愛は悪いことを考えません。愛は恨みを抱きません。
どんなにその人に悪いことをされても、その人を悪く言うことに対しては果敢に「違います」と言うことが出来る勇気を持つことが美しい愛です。
「悪を持って悪に、侮辱を持って侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなた方は召されたのです。」(ペテロの手紙一3:9)
誰かが私をほめるときに「当然です」批判するとき「違います」といいたい心を抑えながら、褒められる時は「違います」、批判を受けるときは「当然です」という言葉の実践が愛の実践として広がるように祝福します。
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1 コメント
中森千草
2010-03-21 01:11:00
子どもは、お父さんの背中・姿を見て育つものです。
私はイエス様の姿を、大いに見直す必要があると気づきました。
何に関しても、いろんなこと(損・得)を考えてしまいますが、
愚かな知恵によって心が動かされてはいけないと思いました。
「最高の知恵は、親切と謙虚。」
これはユダヤの格言だそうですが、すばらしいです。
身につけたいと思いました。