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중앙영광교회

イエス様の40日

이용규목사, 2010-09-24 19:42:08

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教会や聖書の中で一番多く使われているのが祈りという言葉です。
あなたは‘祈りなさい’と言われると、どんな気分になりますか?また、教会で40日間、特別早天礼拝を捧げるとなるといかがでしょうか?ある人たちは押しかかって来る負担感のため、教会に来ることが嫌いになるでしょう。
しかし、神様が私たちに与えて下さった‘祈り’は決して重荷ではありません。祈りは恵みの座にお招きする招待状なのです。
‘だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座にちかづこうではありませんか。’ (ヘブ4:16)
‘疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。’ (マタ11:28)
神様は絶えず祈りなさいとおっしゃいます。‘求めなさい。そうすれば、与えられます。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。’ (マタ7:7)
なぜ、神様は私たちにそれほど祈りなさいと仰せられますか?その理由は、私たちを助けられるためです。私たちに必要なことをお与えになり、見つけて下さり、閉ざされた門を開いて下さるためです。悪魔は今も私たちの耳元で囁き続けます。‘祈りがどれほど大変なのか知っている?今回の祈り会に参加するとあなたの仕事はめちゃくちゃになるだろう。祈りは時間の無駄なのだよ。今まで祈っていて得られたものはあまりないじゃない。だから諦めろ。かえて体を壊すだけだ。’ 悪魔は自分が追い出されることになるから私たちが祈ることを一番怖がります。
祈りは負担でも飾りでもなく、力なのです。私たちが祈る時、神様の御手が働いておられます。 ‘このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。’ (マタ7:11)
偉大なる祈りは信仰から始まります。祈る時に神様の御手が働かれることを信じなさい。
信仰をもって祈りの帆を上げてみなさい。きっと恵みの風が吹いて来るでしょう。

1. 最も大いなる罪
イエス様はこの世に来られ、私たちに頻繁にお見せになったお手本は‘お祈り’です。
イエス様はいつでもどこでも祈られました。夜明けにも夜中にも祈られ、40日間、断食をしながら祈られました。イエス様は人生を通して弟子たちに祈りを教えられました。そのため、初代教会の聖徒たちはただ祈りに専念する人々でした。彼らがひたすら祈ったため、ついにこの世に教会が誕生したのです。教会が教会らしく、そして力のある教会になるためには祈りが生きている教会、祈りが満ち溢れている教会にならなければなりません。
イエス様は神様の聖殿が商売人たちでいっぱいになっているのをご覧になり、彼らの台を倒されました。そして‘わたしの家は祈りの家と呼ばれるべきである。ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしている’と仰せられ、厳しく叱られました。
ある日、イエス様は汚れた霊に取りつかれた子を癒されましたが、その時、弟子たちはこのように尋ねました。‘なぜ私たちはあの霊を追い出せなかったのでしょうか’イエス様の答えはとても簡単でした。‘この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ。’ (マコ9:29)
弟子が弟子らしくなるために、そして力のある弟子になるためには祈らなければなりません。そうでなければ常に悪魔たちのおもちゃになり、世の中の笑い物になってしまいます。祈りは弟子が弟子らしくなる力を与えてくれる通路なのです。
サムエルは祈ることをやめ、主に対して罪を犯すようなことは決してしないと言っています。(サム上12:23)
フォ-サイドは‘私たちが犯す罪の中で最も大いなる罪は祈らないこと’だと言いました。
殺人罪、強姦罪、盗み…よりさらに凶悪な罪があります。それが何か御存じでしょうか?それは祈らない罪です。あなたはこの罪からどれほど自由でしょうか?
なぜ人たちは祈らないのでしょうか?その理由は簡単です。神様を信じることが出来ないからです。従って神様に祈らず、もっと力があるように見える世の中をしきりに覗いているのです。生きておられる神様に対する確信をもっている人は、祈るなと言われてもダニエルのように命も惜しまず祈るようになります。全知全能の神様であり、天地の造り主である神様を信じるのにどうして祈らないでいることが出来るでしょうか?祈らないことは結局、不信の罪と直接つながるため、その罪質はとても悪い物です。
韓国の早天礼拝に多くの影響を与えているある有名な牧師はこのようなことを言いました。
‘韓国で私より忙しい人がいるでしょうか?60才を超えた私もこのように祈るのに、若者が祈らないのなら人間とは言えません。’
神様を信じる人は祈る人です。神様が若さをお与えになったのは、その若さを祈りのエネルギーに昇華させるためです。世界の至る所で若い祈りの勇士たちが立ち上がることをお祈り致します。

2. イエス様の40日
1) 環境
イエス様は聖霊に導かれ、40日間を断食しながら過ごされました。
まず、その時期について考えてみましょう。その時期とはイエス様が洗礼をお受けになり、神の霊が鳩のように降され、‘これらはわたしの愛する子、わたしの心に叶うもの’という神様の御声が聞こえた後でした。
人々は信仰の人になるために祈ると言っています。しかし、そうではありません。信仰を持っているから祈るのです。救われるために良い人生を生きるのではなく、救われた神の子なので良い人生を生きるのです。イエス様も神の子であったため、40日間断食をしながら祈られたことであって、神の子になるために祈った訳ではありません。すべては恵みから始まります。信仰も、救いも、神の子もすべてが神様の恵みから始まりました。この感激に対する私たちの報いが祈りであり、良い人生を生きることなのです。
人々はよく誘惑に負けます。‘今回は心を新たにして40日間の早天礼拝に参加しようと思いましたが、環境が整っていないので出来ません。’ある人は40日間の早天礼拝に参加しようと思ったとたん、急に人生が荒野になってしまったと言います。
それは霊的な目で見ると異常な出来ことではありません。とても正常なことであり、聖書的です。イエス様が40日間の断食をされた場所は荒野ではありませんか。モーセも2291mのシナイ山の頂上で40日間、断食をしながら祈りました。祈ろうと思った時、いきなり家庭の中に荒野のような問題が起きたのでしょうか?突然仕事場や学校を険しい山のような苦しみが襲って来たのでしょうか?それはごく自然な環境です。絶対、不思議に思わないで下さい。元々試練は荒野で受けるのが普通です。どうして井戸の傍らにいながら渇きの苦しみが理解できるでしょうか。環境のため、祈ることが出来ない人はいません。イエス様は荒野で、モーセはシナイ山で祈り続けました。問題は環境ではなく、心の中にあります。信仰をもってしっかりと心を守らなければなりません。心さえあれば誰にでも勝ち抜くことが出来ます。
もう一度イエス様の40日と自分の40日を比べてみましょう。
イエス様は荒野で祈られましたが、私たちは教会や家庭で祈ります。
イエス様は毎日24時間を祈りに捧げましたが、私たちは毎日1時間だけを祈りに捧げれば良いのです。
イエス様は世の中のすべてのことをやめて祈られましたが、私たちは世の中の仕事をしながら祈ることが出来ます。
イエス様は完全に断食をしながら40日間を祈られましたが、私たちは食べながら祈ります。
如何でしょうか?これでも難しいと言えるでしょうか?
40日間の祈りが出来ない理由はただ一つ、祈る気がないということです。
決断が奇跡を生みます。悪魔は私たちが決断する前までは悪行を働かせますが、決断したとたん姿をくらまします。ただ今、この場で祈りの決断を下してください。イエス様の勝利がまさに皆さんの物になるでしょう。

2) 40日の実
聖書にはイエス様が40日間なさった断食の過程より、その後の姿について詳しく記録しています。それほどその姿はとても重要なのです。イエス様は40日間の断食を通して神様から大いなる力と、どんな権威にも勝ち抜くことが出来る武器を頂きました。それは断食の後、すぐ行われた実習を通じて検証されました。(マタ4:3-10)悪魔の権威が身動きもできず3:0で完全に負けました。悪魔を立往生させる武器とは何でしょうか?それは霊の剣なのです。霊の剣は神様の御言葉を意味します。(エフェ6:17)イエス様は悪魔の攻撃に対し、神様の御言葉である霊の剣をただすっぱ抜きました。最も力あるものは神様の御言葉です。御言葉を軽く見てはいけません。御言葉を軽く思う人は勝利の人になることが出来ません。御言葉から命と力が生れ、そして御言葉から勝利を得ることが出来ます。御言葉は命であり、霊の剣です。イエス様の勝利は御言葉の勝利でした。今回の40日間の早天礼拝を通して、神様は私たちに数えきれないほどの御言葉の剣をお与えになり、その使用方法もお教えになることでしょう。悪魔の誘惑を霊の剣をもって一刀のもとに切り捨てることが出来るように祝福します。

3) イエス様の祈り
イエス様は断食をしながら40日間、神様に数えきれないほどの祈りを捧げたことでしょう。
イエス様はどんな祈りを捧げたのでしょうか。イエス様ももちろん個人の祈りを捧げたことでしょう。ゲツセマネで祈る時、十字架の前に立たされる自分のことを思い、汗が血潮に変わるほど祈られました。‘父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。’ (マタ26:39) もちろん個人的な祈りもたくさん捧げなければなりません。ひょっとしたら個人的な祈りが祈りの火を強くしてくれるでしょう。しかし、注意すべきことは自分の楽しみのために祈るのではなく、神様に栄光を捧げるために祈らなければなりません。(ヤコ4:2,3) 
神様に栄光を捧げ、神様の喜びになり、神様の御心に従う祈りを捧げるべきです。神様は私たちを祝福し、私たちを通して証され、たたえられることを願っておられます。
イエス様の祈りの領土はとても広いものでした。
ヨハネの福音書17章にはイエス様の最後の祈りが書かれています。‘あなたは子にすべての人を支配する権能をお与えになりました。そのため、子はあなたからゆだねられた人すべてに、永遠の命を与えることができるのです。’ (ヨハ17:2) ‘彼らのためにお願いします。’ (ヨハ17:9) ‘聖なる父よ、わたしに与えてくださった御名によって彼らを守ってください。’ (ヨハ17:11)
‘わたしの喜びが彼らの内に満ちあふれるようになるためです。’ (ヨハ17:13) ‘真理によって、彼らを聖なる者としてください。’ (ヨハ17:17)・・・
イエス様は‘彼らのために’祈り続けました。イエス様の最後の祈りは‘彼ら’のための祈りでした。言いかえれば、他人のための祈りである執り成しなのです。人のために祈るのは決して時間を無駄に使うことではありません。神様は私たちが祈っている人のために愛と恵み、そして御力で働いておられます。キム・ハジュン大使が長年にわたって中国の大使になったのは自分が捧げた執り成しのためであると証しました。彼は自分が知っている中国の人々の名前を書いて一日に2回、祈り続けたそうです。そして中国のためにも祈ったそうです。そしたら神様は祈り始めて6年半が過ぎた時、彼を中国の大使として送って下さったと言っています。愛を込めて他人のために祝福の祈りを捧げれば、必ず命の実が結ばれることでしょう。
執り成しは時間や場所に捕えられません。
個人の祈りを小銃の戦いに例えるとしたら執り成しはミサイルの戦いだと言えます。
自分だけのために捧げた祈りを他人、国家、世界のための祈りに領土を広げて行くべきです。祈りの領土は結局、人生の領土につながります。
神様ははっきりと仰せられます。
‘まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。王たちやすべての高官のためにもささげなさい。’ (一テモ2:1,2)

1 コメント

中森千草

2010-09-25 00:35:07

一年の十分の一の時間を神様に捧げるとしたら、
だいたい40日である。と聞いたことがあります。
四六時中、神様を意識し、祈りを欠かせないようにしてくださった現状ですが、
神様のご計画の精密さには、人間は到底計り知ることができないと、つくづく感じました。
おかれている環境の変化は目まぐるしく、祈りがなくては乗り越えることができません。
祈りに徹することができるという喜びを持って、励みます。

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