教会は神様の教会です。
イエス様が望まれる教会になるとき、初めて教会らしい教会になります。神様は教会が神様の愛で満たされることを願っています。そしてその愛で評判の良い教会になることを願っておられます。その地域で非常に愛の多い場所になることを願っておられます。教会員たちがその社会で愛の多い人になることを願っておられます。神様は十字架の愛が聖徒達を通して世の中に流れ出ることを願っておられます。
今日は愛の実践徳目の最後の3つのことについて考えて見ましょう。
1.愛の原動力
愛しなさいという言葉だけを聞くときには簡単なことだと感じますが、実際に愛を現場で実践するとなると多くの力が必要です。堕落の本性や感情はつねに愛とは反対の方向に私たちを引きずってしまうからです。この引きずり込む力は大変に強いために自分の力だけで抵抗するには困難な時が多くあります。
愛は人の力で実践することではありません。そのようなときは必ず無理が来ます。愛は神様の下さる力でしなければなりません。まさに私たちの中におられる聖霊様に頼ることです。愛は聖霊が結実した最初の実です。聖霊が結ばれる実を人が結ぼうとして真似てみても、能力が及びません。外見はあるかもしれませんが、内側は空虚であるといえます。聖霊が結ぶ実は徹底的に聖霊に頼らなければなりません。聖霊が実を結ぶように良い環境を造ってあげればよいことなのです。聖霊に従順するということです。
「神の掟を守る人は、神の内にいつも留まり、神もその人の内に留まって下さいます。神が私たちのうちに留まってくださることは、神が与えてくださった"霊”によってわかります。」(ヨハネの手紙一3:24)
「真理の霊が来るとき、その方が私について証をなさるはずである。あなた方も、初めから私と一緒にいたのだから、証をするのである。」(ヨハネ福15:26,27)
神様の戒律の確信は愛です。私たちがその戒律を守る能力は聖霊にあります。私たちが聖霊によって愛の役目を経験することになるのです。しかし聖霊にばかり頼って自分は何もしないことは問題です。イエス様の愛の証人は聖霊と私たちの合作使役です。聖霊は能力を下さり、私たちはその能力が世の中に流れる通路になるのです。通路が汚れていたり、塞がっていたりしたら神様の尊い愛は世の中を変えることは出来ません。私たちはいつも使われるものでありますからいつも準備して、徹底的に聖霊の能力に頼らなければなりません。このような時私たちの人生は愛で評判のよい人生になることでしょう。愛の能力の根源は私の中にあるのではありません、聖霊がいつも私の中にいることをいつも記憶しなければなりません。そしていつも聖霊に頼ってはじめ、本当の愛が流れ出てくることを心に刻んでおかなければなりません。愛は人の実ではなく、聖霊の実です。自分の力で愛そうとすれば大変なことですが、聖霊の力で愛すれば喜びです。あなたは兄弟を愛するのが大変ですか?楽しいことですか?あなたは愛をどのように考えますか?
2.腹を立てない
第7番の実践徳目は腹を立てず、温(穏)和な人格を持つことです。
人生を生きてみると腹立たしいこと、激怒したい時がどんなに多いかわかりません。あたかも人生は地雷畑のようです。しかし愛の人は怒りを調節する能力を持っています。感情が先立つのでなく、愛が先にあるからです。暖房機にも温度調節があるように、私達にも怒りを出す前に愛でもって怒りを調節する能力を持ちます。その人が心から神様に敬畏をもつか持たないかを知りたければ、そのひとがどんな言葉を使うかよりも、どんな言葉を使わないかを見ればわかります。良い言葉をたくさん使うよりも悪い言葉を使わないことの方がもっと大切です。悪い言葉はおもに腹が立つとき、自分の感情を抑えられない時に出ます。悪い言葉が出た後では必ず後悔します。「そのとき少し我慢していたら、その言葉を言わなくても良かったのに…」
「舌を悪から、唇を偽りの言葉から遠ざけ」(詩篇34:14)
「悪い言葉を一切口にしてはなりません。」(エペソ4:29)
怒りがこみ上げるとき絶対声を荒立てない人は福を受けます。
愛は腹を立てないことです。怒りがこみ上げても腹を立てないことも愛の良い表現です。
イエス様はイエス様を売渡したユダに最後まで腹を立てませんでした。ユダの悪い計画をすでに知っておられましたが腹をお立てになりませんでした。イエス様の愛のためです。私たちは相手方の悪い計画をすでに知っていても腹を立てません。私たちの中にイエス様の愛が流れているからです。
3.善い考え
8番目の実践徳目は悪の考えを抱かないことです。
恨みを抱かないことです。
考えの中の良くない記録を全部消してしまうことです。他の人の罪の部分を全部消してしまうことです。思考の記録が私たちをしんどくさせます。私たちの堕落の本性はいつも悪いこと、傷つけられたこと、罪や過ちを記録します。しかし愛の心の板を持つ人は罪や過ちを全部洗い流してただ善いことだけを記録しています。特にイエス様を信じる人はこの祝福を奪われないようにしなければなりません。イエス様の血で贖われた救いが私たちの心の板に塗られているので、私たちの心にあったすべての罪、過ち、傷跡は、きれいにされました。だから心に残っているのは善い記録だけしかありません。
「彼が刺し貫かれたのは、私達の背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは私達の咎のためであった。彼の受けた懲らしめにより私たちに平和が与えられ彼の受けた傷によって私たちは癒された。」(イザヤ53:5)
悪い考え以上の恐ろしい病気はなく、良い考え以上の素晴しい膏薬はありません。
どんないかがわしい人に会っても、その人がどんな言葉を使おうと悪い考えや疑心を抱かず信じてあげなければなりません。それが自分に有益になります。すべての人の明るい面を見て行動を善意で解釈すれば尊い愛の実践になります。ペテロがイエス様の面前で3回イエス様を否定しましたがイエス様はペテロに傷を負わせませんでした。ペテロが否定したことでペテロを捨てませんでした。復活なさったイエス様はペテロに「お前は私を愛するか?」と聞かれた後に「私の羊を飼いなさい」といいながら再びイエス様の仕事を任せられました。イエス様のお心には悪い考えはありませんでした。イエス様は愛であられるからです。
4.真理の愛
7番目の愛の実践徳目は悪を楽しまず、真理を喜ぶことです。他の人の名誉を傷つけ楽しむことをしないことです。他の人へ傷つけて楽しむ言葉をしないことです。私が嫌いな人は失敗や過ちを楽しみながら、噂話をする人です。これはすべて愛とは反対の行動です。確かでないことは言いふらしてはなりません。誠実性が欠如しています。噂を信じてはいけません。悪い噂は流感よりも恐ろしい愛破壊ウイルスです。愛の人は忍耐の言葉、すなわち必要な言葉、徳を立てる言葉だけを使うようにしなければなりません。真理を楽しむ人が愛の人です。
愛は人を生かす天から降りた神秘の薬です。
この薬には9つの成分が含まれています。
耐えることが愛です。
親切が愛です。
寛大が愛です。
謙遜が愛です。
礼節が愛です。
自分の利益を求めないのが愛です。
温和(穏和)な心が愛です。
善い考えが愛です。
真理を喜ぶのが愛です。
この9つを人に会う度によく使う勇気と知恵が溢れていれば祝福がいただけます。
あなたのためにあなたがいる所で愛によって評判になることを祝願いたします。
「主よ!私が神様の通路になることが出来ますように!」
「私を通して神様の愛が滞ることなく流れるようにしてください。」
イエス様が望まれる教会になるとき、初めて教会らしい教会になります。神様は教会が神様の愛で満たされることを願っています。そしてその愛で評判の良い教会になることを願っておられます。その地域で非常に愛の多い場所になることを願っておられます。教会員たちがその社会で愛の多い人になることを願っておられます。神様は十字架の愛が聖徒達を通して世の中に流れ出ることを願っておられます。
今日は愛の実践徳目の最後の3つのことについて考えて見ましょう。
1.愛の原動力
愛しなさいという言葉だけを聞くときには簡単なことだと感じますが、実際に愛を現場で実践するとなると多くの力が必要です。堕落の本性や感情はつねに愛とは反対の方向に私たちを引きずってしまうからです。この引きずり込む力は大変に強いために自分の力だけで抵抗するには困難な時が多くあります。
愛は人の力で実践することではありません。そのようなときは必ず無理が来ます。愛は神様の下さる力でしなければなりません。まさに私たちの中におられる聖霊様に頼ることです。愛は聖霊が結実した最初の実です。聖霊が結ばれる実を人が結ぼうとして真似てみても、能力が及びません。外見はあるかもしれませんが、内側は空虚であるといえます。聖霊が結ぶ実は徹底的に聖霊に頼らなければなりません。聖霊が実を結ぶように良い環境を造ってあげればよいことなのです。聖霊に従順するということです。
「神の掟を守る人は、神の内にいつも留まり、神もその人の内に留まって下さいます。神が私たちのうちに留まってくださることは、神が与えてくださった"霊”によってわかります。」(ヨハネの手紙一3:24)
「真理の霊が来るとき、その方が私について証をなさるはずである。あなた方も、初めから私と一緒にいたのだから、証をするのである。」(ヨハネ福15:26,27)
神様の戒律の確信は愛です。私たちがその戒律を守る能力は聖霊にあります。私たちが聖霊によって愛の役目を経験することになるのです。しかし聖霊にばかり頼って自分は何もしないことは問題です。イエス様の愛の証人は聖霊と私たちの合作使役です。聖霊は能力を下さり、私たちはその能力が世の中に流れる通路になるのです。通路が汚れていたり、塞がっていたりしたら神様の尊い愛は世の中を変えることは出来ません。私たちはいつも使われるものでありますからいつも準備して、徹底的に聖霊の能力に頼らなければなりません。このような時私たちの人生は愛で評判のよい人生になることでしょう。愛の能力の根源は私の中にあるのではありません、聖霊がいつも私の中にいることをいつも記憶しなければなりません。そしていつも聖霊に頼ってはじめ、本当の愛が流れ出てくることを心に刻んでおかなければなりません。愛は人の実ではなく、聖霊の実です。自分の力で愛そうとすれば大変なことですが、聖霊の力で愛すれば喜びです。あなたは兄弟を愛するのが大変ですか?楽しいことですか?あなたは愛をどのように考えますか?
2.腹を立てない
第7番の実践徳目は腹を立てず、温(穏)和な人格を持つことです。
人生を生きてみると腹立たしいこと、激怒したい時がどんなに多いかわかりません。あたかも人生は地雷畑のようです。しかし愛の人は怒りを調節する能力を持っています。感情が先立つのでなく、愛が先にあるからです。暖房機にも温度調節があるように、私達にも怒りを出す前に愛でもって怒りを調節する能力を持ちます。その人が心から神様に敬畏をもつか持たないかを知りたければ、そのひとがどんな言葉を使うかよりも、どんな言葉を使わないかを見ればわかります。良い言葉をたくさん使うよりも悪い言葉を使わないことの方がもっと大切です。悪い言葉はおもに腹が立つとき、自分の感情を抑えられない時に出ます。悪い言葉が出た後では必ず後悔します。「そのとき少し我慢していたら、その言葉を言わなくても良かったのに…」
「舌を悪から、唇を偽りの言葉から遠ざけ」(詩篇34:14)
「悪い言葉を一切口にしてはなりません。」(エペソ4:29)
怒りがこみ上げるとき絶対声を荒立てない人は福を受けます。
愛は腹を立てないことです。怒りがこみ上げても腹を立てないことも愛の良い表現です。
イエス様はイエス様を売渡したユダに最後まで腹を立てませんでした。ユダの悪い計画をすでに知っておられましたが腹をお立てになりませんでした。イエス様の愛のためです。私たちは相手方の悪い計画をすでに知っていても腹を立てません。私たちの中にイエス様の愛が流れているからです。
3.善い考え
8番目の実践徳目は悪の考えを抱かないことです。
恨みを抱かないことです。
考えの中の良くない記録を全部消してしまうことです。他の人の罪の部分を全部消してしまうことです。思考の記録が私たちをしんどくさせます。私たちの堕落の本性はいつも悪いこと、傷つけられたこと、罪や過ちを記録します。しかし愛の心の板を持つ人は罪や過ちを全部洗い流してただ善いことだけを記録しています。特にイエス様を信じる人はこの祝福を奪われないようにしなければなりません。イエス様の血で贖われた救いが私たちの心の板に塗られているので、私たちの心にあったすべての罪、過ち、傷跡は、きれいにされました。だから心に残っているのは善い記録だけしかありません。
「彼が刺し貫かれたのは、私達の背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは私達の咎のためであった。彼の受けた懲らしめにより私たちに平和が与えられ彼の受けた傷によって私たちは癒された。」(イザヤ53:5)
悪い考え以上の恐ろしい病気はなく、良い考え以上の素晴しい膏薬はありません。
どんないかがわしい人に会っても、その人がどんな言葉を使おうと悪い考えや疑心を抱かず信じてあげなければなりません。それが自分に有益になります。すべての人の明るい面を見て行動を善意で解釈すれば尊い愛の実践になります。ペテロがイエス様の面前で3回イエス様を否定しましたがイエス様はペテロに傷を負わせませんでした。ペテロが否定したことでペテロを捨てませんでした。復活なさったイエス様はペテロに「お前は私を愛するか?」と聞かれた後に「私の羊を飼いなさい」といいながら再びイエス様の仕事を任せられました。イエス様のお心には悪い考えはありませんでした。イエス様は愛であられるからです。
4.真理の愛
7番目の愛の実践徳目は悪を楽しまず、真理を喜ぶことです。他の人の名誉を傷つけ楽しむことをしないことです。他の人へ傷つけて楽しむ言葉をしないことです。私が嫌いな人は失敗や過ちを楽しみながら、噂話をする人です。これはすべて愛とは反対の行動です。確かでないことは言いふらしてはなりません。誠実性が欠如しています。噂を信じてはいけません。悪い噂は流感よりも恐ろしい愛破壊ウイルスです。愛の人は忍耐の言葉、すなわち必要な言葉、徳を立てる言葉だけを使うようにしなければなりません。真理を楽しむ人が愛の人です。
愛は人を生かす天から降りた神秘の薬です。
この薬には9つの成分が含まれています。
耐えることが愛です。
親切が愛です。
寛大が愛です。
謙遜が愛です。
礼節が愛です。
自分の利益を求めないのが愛です。
温和(穏和)な心が愛です。
善い考えが愛です。
真理を喜ぶのが愛です。
この9つを人に会う度によく使う勇気と知恵が溢れていれば祝福がいただけます。
あなたのためにあなたがいる所で愛によって評判になることを祝願いたします。
「主よ!私が神様の通路になることが出来ますように!」
「私を通して神様の愛が滞ることなく流れるようにしてください。」
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2003-06-03 | 1127 | ||
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2003-05-28 | 1564 | ||
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2003-05-27 | 931 | ||
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2003-05-23 | 972 | ||
1 |
버리는 것이 사는 것이다(2003년 5월 18일)24 |
2003-05-22 | 1324 |
2 コメント
이용규목사
2010-02-14 00:40:36
바쁜 중에도 감사합니다.
中森千草
2010-02-17 05:54:30
愛のある行動は消えていないと思います。
認識が薄れているだけだと。
日本の地に、愛をもっとよみがえらせたいと思いました。
神様の子どもであることを、表せていきたいと
思います。