「種と畑」
御言葉//ルカによる福音書8:11-15
1.実の法則
もし、植物が実を結すべなくなるとしたら、どうなるだろうか?
言うまでもなく、人類は滅びるだろう。食べ物がないのに、どうやって生き続けるころができるだろうか。また、一個を蒔いたのもから、たった一個の実だけが結ばれるとすると、どうなるだろうか?この場合も数の変化がないため、地球は滅びてしまう。木や植物はその種から毎年、30倍、60倍、100倍の実を結ぶ。例え、どんぐりの木は、毎年10000個のどんぐりを結ぶそうである。これこそ、神様が自然の中で与えてくださった豊かな実の法則である。この理由で人類は足りないことなく、生きられる。
木もこんなに数多くの実を結ぶことができるように作った神様が、我らの人生に実を結ぶことができないようにするはずがない。
「いかに幸いなことか、主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び、葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。」(詩篇1:2―3)
木も100倍、1000倍の実を結ぶのに、なぜ、人間である我らの人生が実を結べないというのか?我らは神の姿で造られた最高の神様の作品である。そのため、木よりもっとも価値のある実を結ぶはずだ。それは常識である。プライドと確信を持って、宣布しよう。「私の人生には数多くの実が結ばれている!」
しかし、その宣言には条件がある。御言葉を親しまない人には実も遠くなる。人生の実は御言葉と直決する。実言葉を喜んで、その教えを昼も夜も口ずさみ、心に深く刻む。その人には必ず、ときが巡り来れば実を結ばれた木のような実の祝福がある。
イエス様は我らの人生にも木に負けない豊かな実があることを、例えで教えられている。
2. 人生はどうしたら実を結ぶか?
実を結ぶためには、少なくとも二つの物が必要である。種と畑が要るのである。
では、天の神様が我々に下さった「種」とは何であろうか?
全ての種は神様が下さったものである。種の中には実の神秘が入っている。小さな種の中に、生命と豊富の全てが入っている。そんなに貴重である人生の種はいったい何だろうか?「種は神の言葉である。」(ルカによる福音書8:11)
人生の種は、他のものではなく、神様の御言葉である。御言葉の中に全てが入っている。人生の貴重な実を結ぶためには、御言葉を大事にして自分の中で御言葉を良く植え、育てるべきである。では、御言葉の種が蒔かれる「人生の畑」とは何だろうか?それは「ココロ」である。
「道端のものとは、御言葉を聞くが、信じて救われることの無いように、後から悪魔が来て、その心から御言葉を奪い去る人たちである。」(ルカによる福音書8:12)
御言葉に対したココロの態度が人生の実を決める。
種は明確にその種の実を結ぶように、御言葉も御言葉その自体の実を結ぶ。御言葉が万事が意のままになるとしたら、そのままになるし、御言葉が治癒するとしたら、必ず治癒の実を結び、御言葉が高めるとしたら、必ず高められる実を結ぶ。木が同一な実を結ぶということは全く疑わないのに、なぜ御言葉の実はそのまま信じられないのか?
人生で豊富な実を結んで欲しいのか?そうしたら、御言葉が御言葉のままの実を結ぶという事を信じるべきである。
リンカーン大統領は、御言葉の実をそのまま信じた人である。
南北戦争の大変な状況の中でも、彼はいつも平安だった。彼はその理由としてこんな風に説明した。
「私は今まで聖書を黙想し、神様にお祈りしながら、国家の未来をそのお方に任せました。神様は我々が神様の味方にいれば、勝利するという確信を下さいました。」
そして、彼は戦争中にいつも詩編34:6を常に口ずさんだと伝えられている。その御言葉がリンカーンをいつも支え、最後には勝利という貴重な実を与えられた。今でも、アメリカのスプリングフィールドのリンカーン図書館に行くと、聖書のこの部分が開いている。
「主を仰ぎ見る人は光と輝き/辱めに顔を伏せることはない。」(詩篇34:6)
この例話は、御言葉の力がいかに偉大か、そして御言葉の実がいかに正確かをよく表している。
3. あなたはどのような人生の畑を持っているか。
アメリカのサウスダコダ州のマウントラッシュモアに行くと、「大きな岩の顔」がある。
高さ20メトルもする大きな岩に、4名の大統領の顔が彫刻されている。この4名の大統領の共通点は、もちろんアメリカ最高の偉大な大統領でもあるが、彼らは皆、神様を畏れる人で、何より聖書を愛した人物だった。
彼らの聖書に対する言葉を聞いてみよ。
ジョージ・ワシントン(1代大統領)
:神様と聖書を知らずに正しい政治をすることは、不可能なことである。
トーマス・ジェファーソン(3代大統領)
:神様の御言葉である聖書は、人間に与えられた最も有益な道徳律であり、この国は聖書の基礎の上に立っている。
セオドア・ルーズベルト(26代大統領)
:自分の人生を正しく生きようとする人なら、聖書を深く研究しなさい。
エイブラハム・リンカーン(16代大統領)
:聖書は、神様が人間に与えられたもっとも価値のあるプレゼントだ。
彼らが偉大だったのは、聖書を見る目が偉大だったからである。彼らは皆、聖書を人生の最高の力と価値のあるプレゼントとして見ていた。そのため、人生で最も大事なものとしたのである。それで、彼らは、今も大事な存在として人々の中に残っている。
偉大な人は他にいるのではない。聖書を見る目が偉大な人が、偉大な人である。あなたは聖書をどう見ているか。それが、あなたの人生の実を決めてくれるということを知っているか。
聖書をどう見ているかによって、御言葉をいただく態度が変わる。つまり、心の畑が決められる。
もちろん、「大きな岩の顔」の大統領は、皆が「良い畑」の心を持っていた。そのため、彼らは御言葉の実を豊かに結ぶ人々であった。御言葉に対するあなたの畑はどうか。
イエス様の言われる最初の畑は、「道端の畑」である。
御言葉を聞いているが、全く御言葉に関心がない。御言葉があっても、なくても関係ないという人である。このような人は、御言葉に対して何も感じられない。もしかしたら、御言葉が負担で、イライラするかもしれない。御言葉を聞くが、自分の宝として受け入れない。このような人は、礼拝も仕方がなくささげている人である。
二番目の畑は、「石地の畑」である。
でも、道端の畑よりはましである。御言葉を聞く瞬間は、何かを感じる。それで、喜んで「アーメン」する。しかし、すぐ恵みを失ってしまう。「しばらくの信仰」である。人々はここに自らよくだまされる。自分の信仰がいいと思ってしまう。根がない信仰は、いつどうなるか分からない。風前のともし火のような信仰とも言えるだろうか。そのような人をそばで見ていると、いつも不安でたまらない。
三番目の畑は、「茨の中の畑」である。
畑自体は良いが、周囲の環境がよくない畑である。周囲に茨がいっぱいあるため、力を奪われ実を結ぶことができない。御言葉の力を奪う、人生の3代の茨は、世の思い煩いと富と快楽である(ルカ8:14)。私たちは、この3つを非常に軽視する傾向がある。心配事をしても、それが人生に致命的だとうことを知らない。富に対する欲望が、人生の破滅を呼ぶということを知らない。快楽に対する誘惑が、身代をつぶし、身を滅ぼすことになるということを知らない。
実を結びたいか。3代禁忌事項がある。心配するな、金銭欲から離れよう、快楽の誘惑に勝とう。そうすると、御言葉があなたの人生に盛んに育てられ、ときが巡り来れば、豊富な実を与えてくれるだろう。これが、聖書の約束である。
リンカーンは、次のような意味のあることを話した。
「花が育つところには、いつも雑草が出るはず。
私は、雑草を取って、花を育てる人になりたい。」
この言葉は、誰でも簡単に言えることであるが、誰もが簡単に行うような言葉ではない。
一般の人は、花は投げ捨て、雑草を育てようとする。そのため、彼らは常に、心配することに精一杯で、いつも富に気を使い、快楽を求めてあちこち探し回る。
しかし、偉大な人は違う。彼らは常に御言葉の黙想に力を入れ、いつも御言葉から離れないで、御言葉を探し回る。リンカーンはこのような行いの人であった。そのため、リンカーンが偉大な人なのである。あなたの人生はどうか。もし、花は取って、雑草ばかり育てている人生ではないか。花をきれいに育ちたくないか。
四番目の畑は、「良い畑」である。
100倍の実を結ぶ畑である。
御言葉の種に最も「良い心の畑」である。この畑は、御言葉の種を良い心で聞き、きちんと守って、忍耐によって100倍の実を結ぶ畑である。(ルカ8:15)
人生の実は御言葉を通して結ばれる。
御言葉を捨てないように。大勢の人々がその良いもの、高いものをただ捨ててしまう。聖書、礼拝、弟子訓練を通して御言葉を聞くだけで、捨ててしまう。御言葉を捨てる人は、自分の人生を捨てる人である。
御言葉を大事にしなさい。心にきちんと植えなさい。そうすると、実が結ばれる。
大事なことを大事だと分かる人が大事な人である。
大事なことを大事だと分からない人は、自ら安い人生を生きてしまう。
御言葉より大事なのはない。御言葉は、神様が与えられた人生の無限なる種であるからだ。
「わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。」(ヨハネ6:63)
「この書物(聖書)は…救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。」(テモテ二3:15)
「こうして(聖書によって)神に仕える人は、どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられるのです。」(テモテ二3:17)
御言葉//ルカによる福音書8:11-15
1.実の法則
もし、植物が実を結すべなくなるとしたら、どうなるだろうか?
言うまでもなく、人類は滅びるだろう。食べ物がないのに、どうやって生き続けるころができるだろうか。また、一個を蒔いたのもから、たった一個の実だけが結ばれるとすると、どうなるだろうか?この場合も数の変化がないため、地球は滅びてしまう。木や植物はその種から毎年、30倍、60倍、100倍の実を結ぶ。例え、どんぐりの木は、毎年10000個のどんぐりを結ぶそうである。これこそ、神様が自然の中で与えてくださった豊かな実の法則である。この理由で人類は足りないことなく、生きられる。
木もこんなに数多くの実を結ぶことができるように作った神様が、我らの人生に実を結ぶことができないようにするはずがない。
「いかに幸いなことか、主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び、葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。」(詩篇1:2―3)
木も100倍、1000倍の実を結ぶのに、なぜ、人間である我らの人生が実を結べないというのか?我らは神の姿で造られた最高の神様の作品である。そのため、木よりもっとも価値のある実を結ぶはずだ。それは常識である。プライドと確信を持って、宣布しよう。「私の人生には数多くの実が結ばれている!」
しかし、その宣言には条件がある。御言葉を親しまない人には実も遠くなる。人生の実は御言葉と直決する。実言葉を喜んで、その教えを昼も夜も口ずさみ、心に深く刻む。その人には必ず、ときが巡り来れば実を結ばれた木のような実の祝福がある。
イエス様は我らの人生にも木に負けない豊かな実があることを、例えで教えられている。
2. 人生はどうしたら実を結ぶか?
実を結ぶためには、少なくとも二つの物が必要である。種と畑が要るのである。
では、天の神様が我々に下さった「種」とは何であろうか?
全ての種は神様が下さったものである。種の中には実の神秘が入っている。小さな種の中に、生命と豊富の全てが入っている。そんなに貴重である人生の種はいったい何だろうか?「種は神の言葉である。」(ルカによる福音書8:11)
人生の種は、他のものではなく、神様の御言葉である。御言葉の中に全てが入っている。人生の貴重な実を結ぶためには、御言葉を大事にして自分の中で御言葉を良く植え、育てるべきである。では、御言葉の種が蒔かれる「人生の畑」とは何だろうか?それは「ココロ」である。
「道端のものとは、御言葉を聞くが、信じて救われることの無いように、後から悪魔が来て、その心から御言葉を奪い去る人たちである。」(ルカによる福音書8:12)
御言葉に対したココロの態度が人生の実を決める。
種は明確にその種の実を結ぶように、御言葉も御言葉その自体の実を結ぶ。御言葉が万事が意のままになるとしたら、そのままになるし、御言葉が治癒するとしたら、必ず治癒の実を結び、御言葉が高めるとしたら、必ず高められる実を結ぶ。木が同一な実を結ぶということは全く疑わないのに、なぜ御言葉の実はそのまま信じられないのか?
人生で豊富な実を結んで欲しいのか?そうしたら、御言葉が御言葉のままの実を結ぶという事を信じるべきである。
リンカーン大統領は、御言葉の実をそのまま信じた人である。
南北戦争の大変な状況の中でも、彼はいつも平安だった。彼はその理由としてこんな風に説明した。
「私は今まで聖書を黙想し、神様にお祈りしながら、国家の未来をそのお方に任せました。神様は我々が神様の味方にいれば、勝利するという確信を下さいました。」
そして、彼は戦争中にいつも詩編34:6を常に口ずさんだと伝えられている。その御言葉がリンカーンをいつも支え、最後には勝利という貴重な実を与えられた。今でも、アメリカのスプリングフィールドのリンカーン図書館に行くと、聖書のこの部分が開いている。
「主を仰ぎ見る人は光と輝き/辱めに顔を伏せることはない。」(詩篇34:6)
この例話は、御言葉の力がいかに偉大か、そして御言葉の実がいかに正確かをよく表している。
3. あなたはどのような人生の畑を持っているか。
アメリカのサウスダコダ州のマウントラッシュモアに行くと、「大きな岩の顔」がある。
高さ20メトルもする大きな岩に、4名の大統領の顔が彫刻されている。この4名の大統領の共通点は、もちろんアメリカ最高の偉大な大統領でもあるが、彼らは皆、神様を畏れる人で、何より聖書を愛した人物だった。
彼らの聖書に対する言葉を聞いてみよ。
ジョージ・ワシントン(1代大統領)
:神様と聖書を知らずに正しい政治をすることは、不可能なことである。
トーマス・ジェファーソン(3代大統領)
:神様の御言葉である聖書は、人間に与えられた最も有益な道徳律であり、この国は聖書の基礎の上に立っている。
セオドア・ルーズベルト(26代大統領)
:自分の人生を正しく生きようとする人なら、聖書を深く研究しなさい。
エイブラハム・リンカーン(16代大統領)
:聖書は、神様が人間に与えられたもっとも価値のあるプレゼントだ。
彼らが偉大だったのは、聖書を見る目が偉大だったからである。彼らは皆、聖書を人生の最高の力と価値のあるプレゼントとして見ていた。そのため、人生で最も大事なものとしたのである。それで、彼らは、今も大事な存在として人々の中に残っている。
偉大な人は他にいるのではない。聖書を見る目が偉大な人が、偉大な人である。あなたは聖書をどう見ているか。それが、あなたの人生の実を決めてくれるということを知っているか。
聖書をどう見ているかによって、御言葉をいただく態度が変わる。つまり、心の畑が決められる。
もちろん、「大きな岩の顔」の大統領は、皆が「良い畑」の心を持っていた。そのため、彼らは御言葉の実を豊かに結ぶ人々であった。御言葉に対するあなたの畑はどうか。
イエス様の言われる最初の畑は、「道端の畑」である。
御言葉を聞いているが、全く御言葉に関心がない。御言葉があっても、なくても関係ないという人である。このような人は、御言葉に対して何も感じられない。もしかしたら、御言葉が負担で、イライラするかもしれない。御言葉を聞くが、自分の宝として受け入れない。このような人は、礼拝も仕方がなくささげている人である。
二番目の畑は、「石地の畑」である。
でも、道端の畑よりはましである。御言葉を聞く瞬間は、何かを感じる。それで、喜んで「アーメン」する。しかし、すぐ恵みを失ってしまう。「しばらくの信仰」である。人々はここに自らよくだまされる。自分の信仰がいいと思ってしまう。根がない信仰は、いつどうなるか分からない。風前のともし火のような信仰とも言えるだろうか。そのような人をそばで見ていると、いつも不安でたまらない。
三番目の畑は、「茨の中の畑」である。
畑自体は良いが、周囲の環境がよくない畑である。周囲に茨がいっぱいあるため、力を奪われ実を結ぶことができない。御言葉の力を奪う、人生の3代の茨は、世の思い煩いと富と快楽である(ルカ8:14)。私たちは、この3つを非常に軽視する傾向がある。心配事をしても、それが人生に致命的だとうことを知らない。富に対する欲望が、人生の破滅を呼ぶということを知らない。快楽に対する誘惑が、身代をつぶし、身を滅ぼすことになるということを知らない。
実を結びたいか。3代禁忌事項がある。心配するな、金銭欲から離れよう、快楽の誘惑に勝とう。そうすると、御言葉があなたの人生に盛んに育てられ、ときが巡り来れば、豊富な実を与えてくれるだろう。これが、聖書の約束である。
リンカーンは、次のような意味のあることを話した。
「花が育つところには、いつも雑草が出るはず。
私は、雑草を取って、花を育てる人になりたい。」
この言葉は、誰でも簡単に言えることであるが、誰もが簡単に行うような言葉ではない。
一般の人は、花は投げ捨て、雑草を育てようとする。そのため、彼らは常に、心配することに精一杯で、いつも富に気を使い、快楽を求めてあちこち探し回る。
しかし、偉大な人は違う。彼らは常に御言葉の黙想に力を入れ、いつも御言葉から離れないで、御言葉を探し回る。リンカーンはこのような行いの人であった。そのため、リンカーンが偉大な人なのである。あなたの人生はどうか。もし、花は取って、雑草ばかり育てている人生ではないか。花をきれいに育ちたくないか。
四番目の畑は、「良い畑」である。
100倍の実を結ぶ畑である。
御言葉の種に最も「良い心の畑」である。この畑は、御言葉の種を良い心で聞き、きちんと守って、忍耐によって100倍の実を結ぶ畑である。(ルカ8:15)
人生の実は御言葉を通して結ばれる。
御言葉を捨てないように。大勢の人々がその良いもの、高いものをただ捨ててしまう。聖書、礼拝、弟子訓練を通して御言葉を聞くだけで、捨ててしまう。御言葉を捨てる人は、自分の人生を捨てる人である。
御言葉を大事にしなさい。心にきちんと植えなさい。そうすると、実が結ばれる。
大事なことを大事だと分かる人が大事な人である。
大事なことを大事だと分からない人は、自ら安い人生を生きてしまう。
御言葉より大事なのはない。御言葉は、神様が与えられた人生の無限なる種であるからだ。
「わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。」(ヨハネ6:63)
「この書物(聖書)は…救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。」(テモテ二3:15)
「こうして(聖書によって)神に仕える人は、どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられるのです。」(テモテ二3:17)
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Status | 番号 | タイトル | 投稿者 | 日付 | 閲覧数 |
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20 |
복의 그릇을 깨지 말라(2003.9.28)21 |
2003-09-30 | 1065 | ||
19 |
기도에 대한 3대 主言(2003.9.21)23 |
2003-09-23 | 907 | ||
18 |
어떤 유산을 받고 싶은가?(2003.9.7)24 |
2003-09-08 | 934 | ||
17 |
과거의 저주를 끊으라(2003.8.31)26 |
2003-09-01 | 962 | ||
16 |
뽕나무와 말씀(2003.8.24)22 |
2003-08-25 | 900 | ||
15 |
탈선하지 말라(2003.8.17) [설명사진첨가]23 |
2003-08-19 | 932 | ||
14 |
하나님의 나라(2003.8.10)16 |
2003-08-11 | 808 | ||
13 |
진흙과 토기장이 (2003.7.27)26 |
2003-07-28 | 1174 | ||
12 |
온전한 가지(2003.7.20)22 |
2003-07-21 | 865 | ||
11 |
변화의 천재가 되라(2003.7.13)27 |
2003-07-14 | 1051 | ||
10 |
감사하는 자가 되어라 (2003.7.6)32 |
2003-07-07 | 1165 | ||
9 |
마이너스 인생을 살아라(2003.6.29)35 |
2003-06-30 | 1220 | ||
8 |
지혜있는 자같이 살아라(2003.6.22)30 |
2003-06-23 | 1199 | ||
7 |
복을 받으리라(2003.6.15)37 |
2003-06-17 | 1112 | ||
6 |
선물을 받아라(2003.6.8)30 |
2003-06-10 | 1051 | ||
5 |
선택의 귀재가 되라(2003.6.1)21 |
2003-06-03 | 1127 | ||
4 |
예수님의 우선순위16 |
2003-05-28 | 1564 | ||
3 |
존귀한 자의 이름(2003.5.25)18 |
2003-05-27 | 931 | ||
2 |
주님이 주시는 마음22 |
2003-05-23 | 972 | ||
1 |
버리는 것이 사는 것이다(2003년 5월 18일)24 |
2003-05-22 | 1324 |
7 コメント
박유진
2008-02-27 01:34:30
安間チョウコ
2008-02-27 04:52:34
今週の礼拝は種が、神様のみ言葉を受け入れることで神様が栄養のある土になってくださり、
100倍、1000倍もの実をつけるという説教でした。どんぐりの話は「木を植えた男」というフランスの作家、ジャン・ジオノの話を思い出しますが、それはさて置いて、
よい畑の種になるために、神様のみ言葉を受け入れ、成長するということは、私にとってはそんなに簡単なことではありませんでした。私は中央栄光教会に来て弟子訓練を受けてから聖霊を自覚しました。ローマ書8章6節「霊の思いは命と平和であります。」を英語の聖書で見ると,
but the mind controlled by the Spirit is life and peace ;となっている。The mind controlled by the Spirit が聖霊になると思いますが、聖霊が私の口から出る言葉をコントロールしていると思いますが、聖霊と共に歩んでいることがわかったのはつい最近のことです。この素晴らしさはキリスト教の最高の境地と思います。聖霊がわかると、パンフレットの十字架が心の椅子の上で私を支配しているのを理解します。聖霊理解はキリスト教のkey(鍵)と思います。
今回宣教のアイデアや方法についての宿題が出ました、あのパンフレットを配るのは悪いことではありませんが、理解はなかなか難しいと思います。
教師や親が教え、やって見せて、その人が悟っていくのですから、信仰が心に刻まれるのは時間が必要ですし、それを世の誘惑や環境にならわず維持、忍耐することも容易なことではありません。
第一、牧師が聖霊を訓練によりキチンとした把握が出来ていなければ、聖霊とキリスト教の極意を伝えることは出来ません。この技術を持ち、弟子訓練が出来る牧師は残念ながらそう多くはいないと思います。私たち使役訓練を受けてきたものは牧師にその技の少しを学び、心に刻み、体験してきたのですから、宣教を生活、人生の実践と考え、牧師様の後姿を追って世の中に種を蒔くものにならなければと思います。
いつも私達のためにこのコーナーを作ってくださって沢山の方が翻訳をして下さりありがとうございます。
中森千草
2008-02-28 07:08:25
正直、 Q.T が苦手で、 何度も繰り返して読んでも、 神様の御心がみえない時があります。心の状態が御言葉に対して、 影響をおよぼしており、 変化の激しい心が問題を起こしています。 常に、 安定した心と、 御言葉によって、 イエス様のような御姿を世の中に現していかなければ、と思いました。
田辺高幸
2008-02-28 16:26:36
種は撒かれた状態なのだと思う。だとすればいい実を結ぶには大切なのは、自分の畑を、それにふさわしいものにすることである。実は正しい心のことであり、それを育てるのはやはり正しい畑だろう。
畑には当然、雑草も生える。それを取り除いて実を結んだものをちゃんと育てること。これが大切だ。心の畑をしっかり育てて、そして正しい心の実を育てる。それを10倍、30倍、100倍にしなければならない。それを見たものが、正しい実を結ぶ見本にならなければならないだろう。正しく生きること。このことを非常に考えさせられた。そして後はそれをしっかり意識する。自分の実をしっかり実らせたいと思った。
古郡武志
2008-02-29 17:54:30
低金利が続く日本では、預金の金利は1%に満たず、高金利商品といえば、多くの人が関心を示して、中には怪しい商品にも手を出す人もいるのであるが、元本すら失って嘆く人がいる。
もし、われわれがどんぐり以上に実を結ぶのであれば、有り得ないほど破格の高金利ということになるのであるが、世間の人々は、あまり神様が与えてくれる実には関心がないようである。
おそらく、それは、多くの人にとって「実」が現世的利益であるからに他ならないであろう。収入の増加、地位の上昇、立派な持ち家など…おそらく関心がない人の心情を想像して代弁すれば、「聖書を読んだところで、年収がUPするわけではないし…社長になれるわけでもないし、別に高級マンションが手に入るわけでもあるまい。」といったところであろうか?それだったら、「株式投資の本でも読んだ方がいいな」ということになるのであろう。
もちろん、例えば、お金はたくさんあった方がいいに決まっているが、さりとて地上での生が終わり、神様の御前に立った時に、預金の残高が、1円であろうと100万円であろうと1000万円であろうと何の関係もない。重要なのは、私たちの人格であるし、神様から問われるのは、「御子に対してどのような態度をとったか」「神様が与えて下さったものをどのように生かしたか」であって、預金の残高や家の広さではない。
私ももちろん、「株主のために」利益を挙げることを目的とする会社で働く身であり、「実」を現世的利益で考えようとする力が常に強く働いていることを感じる。
僕は、まず「実」は何かということを考えなければならないと思った。重要なのは、短い「地上の生」という視点で考えるか、「永遠」という視点で考えるかである。
「永遠」の実を得るために、みことばが心にしみわたっていくようにしたいと思う。
津田浩史
2008-03-01 07:09:31
しかしこのような私も、弟子訓練の中で信仰によって救われているという教えを受け、非常にありがたく思っています。救われている喜びを励みにして、なんとかして訓練から落伍しないようにしたいと思います。
最近は新約聖書でパウロの手紙を読んでいます。イエス様が私たちを救うためにその身を捧げられたこと、私たちはイエス様の恵みにあずかれること、全ては神様のためにあることが心に響きました。
進歩がなかなか見えないのですが、円環ではなく螺旋のように、少しずつでも自分の信仰が昇っていくことを願います。
木下
2008-03-02 18:24:10