誰が和解への犠牲となってくれるのか
聖書にはたくさんの兄弟の物語が出てきます。
しかし残念な事に、仲のよかった兄弟はあまり多くなかったようです。人類史上、初めての兄弟であったとされるカインとアベルは、カインが弟アベルを殺すことで幕を下ろし、ノアの三人の息子の中で、ハムは 呪いをかけられるようになりました。
ヤコプの12人の息子たちは、ヨセプをエジプトへ奴隷として売ってしまいましたし、タビデの息子たちは互いに殺し合うなどして大きな痛みを味わいました。
朝鮮王朝時代の王子間も不仲が多く、今も財閥兄弟たちだけでなく、一般の兄弟間でも不和が多く、敵同士となった人々が少なくありません。
‘見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び'(詩篇133:1)
'兄弟を憎む者はみな、人殺しです。言うまでもなく、どんな人でも人を殺す者の内面には、永遠の命がとどまっていることはないのです。キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちは愛を知りました。私たちは、兄弟のために、命を捨ててしかるべきです。'(Ⅰヨハネ3:15,16)
神様は兄弟が一つになって、ともに幸せに暮らすことを喜びます。私たちが兄弟を憎むことを絶対に軽く見てはいけません。それは兄弟を殺すことと同様であると言っています。もっと深刻なことは、永遠の命がないとはっきり言っています。永遠の命をもつ信仰のある人であれば、兄弟のために命を捨てることは当然であると聖書に記されています。
兄弟愛のために、和解のために、私は何をしたのか?必ず自分自身に問うべきです。そして神様は私にいま何をしてほしいのかを、伺うべきです。
ヤコブは20年間敵となり一度も会わなかった兄エサウに会いに行きました。その際、兄であるエサウは、軍隊400名を引き連れてヤコプに会いにやってきました。ヤコプは絶対絶命のとてつもない危機に直面しました。
その時、ヤコプは、川岸で徹夜をしながら一心不乱に神様に祈りました。股関節が骨折してしまうほど祈りました。神様が答えてくださるまで祈りました。すると、すぐさまその場でヤコプという名からイスラエルと命名されました。その時からヤコプの12部族はイスラエルの12部族と呼ばれるようになったのです。まずヤコプは祈りで、敵を友達に変えることを願いました。全能なる神様がなさらないといけないからです。神様が力を尽くしてくださるならば変えられないことはありません。人の心も神様は変えられます。
そしてヤコプは兄エサウのために多くの贈り物を既に用意して贈っていたのです。
それも三チームにわかれて順に、弟が兄に差し上げる贈り物として贈り続けました。
最後に彼は兄に会いました。その際、彼は兄に近づくまで7回も地に伏して兄に向けて拝しました。彼は兄との和解のために全てのことを捨てました。自尊心も、財産も、健康も全て捨てたのです。それこそ、兄弟のために命を捨てなさいという聖書の御言葉を、かなり前に既に実践した人物です。彼は、兄弟のために全てを捨てました。その結果、兄弟を得て、和解を成し遂げました。
兄弟間の和解のために私は何を譲ったのか?何を犠牲にしたのか?何を捨てたのか?
兄弟間の和解のために私はどのくらい祈ったのだろう?
イエス様は私たちのために和睦の犠牲になるためこの地に来られました。
人々は和解のための投資を惜しんでしまいます。聖書は命までも投資することが当然であると言っている訳ですが…。
私が犠牲となるところには必ず和睦と和解の歴史が起きます。主は今もこの犠牲になる人を探しておられます。誰が和睦の犠牲になってくれるのでしょう?
'また、両者を一つからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました'(エペソ2:16)
聖書にはたくさんの兄弟の物語が出てきます。
しかし残念な事に、仲のよかった兄弟はあまり多くなかったようです。人類史上、初めての兄弟であったとされるカインとアベルは、カインが弟アベルを殺すことで幕を下ろし、ノアの三人の息子の中で、ハムは 呪いをかけられるようになりました。
ヤコプの12人の息子たちは、ヨセプをエジプトへ奴隷として売ってしまいましたし、タビデの息子たちは互いに殺し合うなどして大きな痛みを味わいました。
朝鮮王朝時代の王子間も不仲が多く、今も財閥兄弟たちだけでなく、一般の兄弟間でも不和が多く、敵同士となった人々が少なくありません。
‘見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び'(詩篇133:1)
'兄弟を憎む者はみな、人殺しです。言うまでもなく、どんな人でも人を殺す者の内面には、永遠の命がとどまっていることはないのです。キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちは愛を知りました。私たちは、兄弟のために、命を捨ててしかるべきです。'(Ⅰヨハネ3:15,16)
神様は兄弟が一つになって、ともに幸せに暮らすことを喜びます。私たちが兄弟を憎むことを絶対に軽く見てはいけません。それは兄弟を殺すことと同様であると言っています。もっと深刻なことは、永遠の命がないとはっきり言っています。永遠の命をもつ信仰のある人であれば、兄弟のために命を捨てることは当然であると聖書に記されています。
兄弟愛のために、和解のために、私は何をしたのか?必ず自分自身に問うべきです。そして神様は私にいま何をしてほしいのかを、伺うべきです。
ヤコブは20年間敵となり一度も会わなかった兄エサウに会いに行きました。その際、兄であるエサウは、軍隊400名を引き連れてヤコプに会いにやってきました。ヤコプは絶対絶命のとてつもない危機に直面しました。
その時、ヤコプは、川岸で徹夜をしながら一心不乱に神様に祈りました。股関節が骨折してしまうほど祈りました。神様が答えてくださるまで祈りました。すると、すぐさまその場でヤコプという名からイスラエルと命名されました。その時からヤコプの12部族はイスラエルの12部族と呼ばれるようになったのです。まずヤコプは祈りで、敵を友達に変えることを願いました。全能なる神様がなさらないといけないからです。神様が力を尽くしてくださるならば変えられないことはありません。人の心も神様は変えられます。
そしてヤコプは兄エサウのために多くの贈り物を既に用意して贈っていたのです。
それも三チームにわかれて順に、弟が兄に差し上げる贈り物として贈り続けました。
最後に彼は兄に会いました。その際、彼は兄に近づくまで7回も地に伏して兄に向けて拝しました。彼は兄との和解のために全てのことを捨てました。自尊心も、財産も、健康も全て捨てたのです。それこそ、兄弟のために命を捨てなさいという聖書の御言葉を、かなり前に既に実践した人物です。彼は、兄弟のために全てを捨てました。その結果、兄弟を得て、和解を成し遂げました。
兄弟間の和解のために私は何を譲ったのか?何を犠牲にしたのか?何を捨てたのか?
兄弟間の和解のために私はどのくらい祈ったのだろう?
イエス様は私たちのために和睦の犠牲になるためこの地に来られました。
人々は和解のための投資を惜しんでしまいます。聖書は命までも投資することが当然であると言っている訳ですが…。
私が犠牲となるところには必ず和睦と和解の歴史が起きます。主は今もこの犠牲になる人を探しておられます。誰が和睦の犠牲になってくれるのでしょう?
'また、両者を一つからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました'(エペソ2:16)
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1 コメント
中森千草
2016-01-25 03:48:11
高慢である限り、和解への道は遠いでしょう。
自分が正しいと思えば争いが起こり、
もしかしたら、私が間違っているのかも… と思えば、
そこから平和が生まれる。