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중앙영광교회

300円

멀티선교팀, 2016-01-01 19:00:24

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300円

普段月一回程度で髪の毛を切ります。今回もクリスマスと新年を迎える前に、髪の毛を切りに行きました。私が通う床屋は,お店の主人と従業員二人が働いているところです。お店の主人は私が気にいるようにカットしてくれます。しかし、お店の主人を指名すると料金が3百円アップします。その3百円で指名する時もしない時もあります。今回は重要な節期があるので、指名をして、きちんと切りたかったのです。年末なのでお客さんが多いと思ったのですが、予想外に一人もいなく、主人だけが一人でいました。その瞬間の気分はとてもよかったのです。待たずに、指名しないで、主人に髪の毛を切ってもらうことが出来たからです。まるで宝くじでも当たったような気がしました。
髪の毛を切るために、椅子に座って、主を見上げました。その際、次のようなことを強く悟りました。
人の感情は、先天的に環境と結びついているのだ!
世の環境がよければ、気分もよくなり、環境が悪ければ、気分も悪くなる。 環境が有益になれば、幸せを感じ、環境が損害になれば不幸だと感じる。 環境が有利であれば、勝利感が生じ、環境が不利であれば、敗北感が生じる。
このような気分は、努力して生じるのではなく、環境によって自然に生じます。一種の無意識な反応とも言えるでしょうか。感情と気分はそのままにしておくと、環境の影響を確実に受けます。言い換えれば、環境が主人の役割であるということです。環境が導くことに反応するからです。
環境の支配をたくさん受ける人ほど成熟な人ではありません。悲しくて泣き、条件が良くないからといってかっと腹を立てたり、環境が困難だからといってすぐ落ち込んで、諦める人は感情のコントロールがよくできない人です。
環境がどんなに困難でもそれにうろたえず、最後まで希望を抱いて耐える人が成熟な人です。
感情の支配が環境から主へ移った人もいます。信仰がある人です。信仰のある人は、環境の支配を受けません。環境がいくら動揺しても揺れない人々です。だから彼らは常に喜び、常に感謝する人々です。そして常に愛して、常に平和に過ごします。彼らは主の統治の中にいるからです。
信仰がある人とない人とでは、感情の支配されているところが違います。
信仰がない人は、被造物が感情を支配していますが、信仰がある人は、創造主である神様が感情の主人です。信仰のある人は、感情の表現において新しい被造物となります。
信仰がない人は、環境を表現しますが、信仰がある人は、常に主のみを表現します。
自分自身にこのように質問してみてください。そしてそれに対する答えを書いてみなさい。
‘私はどうしてこんなに幸せなのか’ ‘私はどうしてこんなに嬉しいでしょう?’
‘私はどうしてこんなに憂鬱なのでしょう?’ ‘私はどうしてこんなに怒っているのでしょう?’
主のおかげで喜んで、幸せでなければなりません。環境のによるものであれば、環境の支配をまだ受けているのです。
理髪代の3百円で幸せになるのではなく、主のおかげで幸せな者が幸福の本当の主人です。このような人は、どのような環境でも絶対に幸せを奪われることはないでしょう。
環境が自分の前に存在する事より、主が自分の中にいる方がもっと確実な人です。信仰がある人は正しい選択をします。だからこそ、環境によって泣くことなく、主を見上げて笑える人なのです。

1 コメント

中森千草

2016-01-11 03:18:08

感謝の言葉を、1日の初めの朝に
たくさん発することによって、
常に自分がハッピーな状態でいることができ、
状況に負けない私を発見しました。
柔和という言葉を、たくさん耳に出来る様に
これからも続けていこうと思います。

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이용규 2003-05-27 643

   

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