「私は幸せです」
小学校5年生の時、筋肉がどんどん固まってくる珍しい病に襲われ、
24歳の現在は指一本動くことができない、「キム・ミンシク」という青年がいる。
小学卒業の以来、旅行に行ったことのない彼には、一つの願いがあった。
小川のほとりに行き、水の音を聞くことである。
この願いが今年の夏に家族の助けでやっと叶えられた。
川辺に横になって水の音を聞く彼の顔には、天使のような明るい微笑が広がった。
長い間、笑いを失った彼であった。
両目尻には涙が溜まった。
そして、普段指一本動けなかった彼は、
指2本をくねくねと動かし「私は幸せです」と、世の中と疎通した。
この青年のことを聞きながら、限りなく気恥ずかしい。
特に、神様には限りなく申し訳ない。
この青年はこのような小さなことでも
涙で感謝し幸せを感じているのに、
我らはこの青年の願いの最低100倍以上のものを毎日楽しみながらも、
真の感謝と幸福がないのはなぜなのか。
キム・ミンシクさんは我らに大事なメッセージを伝えてくれる。
「我らに幸せの条件はすでに十分に与えられている」と。
だとしたら、我々が幸せでない理由は何なのか。
誰かがくれないせいではなく、ただ自分が感じられないからである。
多くの人々が「幸福不感症」にかかっているようだ。
元々強度の強い幸せに接しているため、
キム・ミンシクのような幸せは決して幸せとして感じられないようである。
ご飯を食べた後に西瓜を食べると甘みの幸せを感じるが、
蜂蜜やアイスクリームを食べてからすぐ西瓜を食べると、その甘みが感じられない。
寿司を食べる時にしょうがを食べる主な理由が、
しょうがが前食べた寿司の味をきれいに消してくれるため、
後で食べる寿司の味を十分に味わうことができるからだという。
世の中の非常に強度の高い幸せの甘みで、
我らの口ざわりがだめになってしまう。
一度苦い味を味わうことが、失われた幸せの感覚を回復するために助けになると思う。
「苦みが甘みをもっと甘くさせるように、
人生の不幸が次に来る小さな幸せをもっと大きいな幸せにさせる」という素朴なメッセージが我らの心に皆伝わって欲しい。
小学校5年生の時、筋肉がどんどん固まってくる珍しい病に襲われ、
24歳の現在は指一本動くことができない、「キム・ミンシク」という青年がいる。
小学卒業の以来、旅行に行ったことのない彼には、一つの願いがあった。
小川のほとりに行き、水の音を聞くことである。
この願いが今年の夏に家族の助けでやっと叶えられた。
川辺に横になって水の音を聞く彼の顔には、天使のような明るい微笑が広がった。
長い間、笑いを失った彼であった。
両目尻には涙が溜まった。
そして、普段指一本動けなかった彼は、
指2本をくねくねと動かし「私は幸せです」と、世の中と疎通した。
この青年のことを聞きながら、限りなく気恥ずかしい。
特に、神様には限りなく申し訳ない。
この青年はこのような小さなことでも
涙で感謝し幸せを感じているのに、
我らはこの青年の願いの最低100倍以上のものを毎日楽しみながらも、
真の感謝と幸福がないのはなぜなのか。
キム・ミンシクさんは我らに大事なメッセージを伝えてくれる。
「我らに幸せの条件はすでに十分に与えられている」と。
だとしたら、我々が幸せでない理由は何なのか。
誰かがくれないせいではなく、ただ自分が感じられないからである。
多くの人々が「幸福不感症」にかかっているようだ。
元々強度の強い幸せに接しているため、
キム・ミンシクのような幸せは決して幸せとして感じられないようである。
ご飯を食べた後に西瓜を食べると甘みの幸せを感じるが、
蜂蜜やアイスクリームを食べてからすぐ西瓜を食べると、その甘みが感じられない。
寿司を食べる時にしょうがを食べる主な理由が、
しょうがが前食べた寿司の味をきれいに消してくれるため、
後で食べる寿司の味を十分に味わうことができるからだという。
世の中の非常に強度の高い幸せの甘みで、
我らの口ざわりがだめになってしまう。
一度苦い味を味わうことが、失われた幸せの感覚を回復するために助けになると思う。
「苦みが甘みをもっと甘くさせるように、
人生の不幸が次に来る小さな幸せをもっと大きいな幸せにさせる」という素朴なメッセージが我らの心に皆伝わって欲しい。
2 コメント
木下
2005-08-31 07:54:47
김경희
2005-09-01 16:03:27
私たちは感謝しなきゃならないことがいっぱいあるのに、、、、
神様、今日を与えてくださいまして、ありがとうございます。