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중앙영광교회

あきれる不孝

이용규목사, 2005-04-11 19:57:23

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韓国の慶尚北道高霊郡であきれるような交通事故が発生した。
崔(チェ)という人が飲酒運転で道を歩いていた老人をひいた後、ひき逃げをした。
午後7時40分ごろ事故を起こし悩んでいたところ、夜中の1時20分に警察に自首した。そして、被害者家族に誤りと慰めのため、自分の妻を病院の霊安室に行かせた。
しかし、病院に行った崔氏の妻は茫然自失となった。
亡くなった老人は、他の人ではなく、自分の舅さんであった。
より気の毒なのは、崔氏がひき逃げさえしなかったら、父を生かせることができたかもしれないといった警察官の言葉であった。

この記事は、聖書の良いサマリア人の話と非常に対照的である。
あるサマリア人が旅行している際に、ある人が追いはぎに襲われ、半殺しにされたまま倒れているのを見つけた。サマリア人は彼に応急手当をし、宿屋に連れて行って宿屋の主人にお金を取り出しながら、自分が帰るまで介抱してくれるように頼んだ後、旅立った。その人が自分の父でもない、まったく知らない人であったにも関わらず。

先の記事が世の中の注目を浴びたのは、自分の父をひいたのに他人だと思い、ひき逃げをしたからである。
もし、自分の父をひいたということを知ったら、本当にひき逃げをしただろうか。
絶対そうはできなかっただろう。
自分の父をひいたら、すぐ降りて病院に連れって行かなければならないけれど、
他人をひいたら、飲酒運転と事故を恐れ逃げなければならないのだろうか。
世の中が非常に自己中心的である。
自分だけを考えている。他人は眼中にもない。
自分と関わっているのは全部大事で、
自分と関わっていないのはたとえ半殺しされていても別に関係がない。
本当に怖い世の中である。
私が生きるためには、他人が死ぬくらいは知らん顔をしなければならないからである。
それゆえ、神様はこのような事件で我々に警鐘を鳴らしてくださる。
「あなたが今ひいた人が、あなたの父である!」と。
我々が常にこのような心を持って生きていれば、世の中でひき逃げのような事件は絶対起こらないだろう。
自分の父をひいて逃げるような物怖じしない度胸がいったいどこにあるのか。

「隣人を自分のように愛しなさい」とおっしゃった
イエス様の御言葉だけ、このような不幸を防ぐ唯一の道である。
自分が誰かにある被害を与えたら、
被害を受けた人は他人ではなく、
自分が一番愛している自分の家族だということを常に考えていただければと心より思っている。
そうすると、我々の社会には今回の事件のような不幸は再び起こらないだろう。
「主よ!私のせいで不幸になった私の隣人が、私の家族であることを悟るよう導いてください!」

1 コメント

김태순

2005-04-21 07:02:03

主よ!私のせいで不幸になる隣人が一人もいないように、わたしを導いてくださいとお折りたい。

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