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중앙영광교회

ひとりでの卓球

이용규목사, 2005-04-11 07:27:04

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先日、我々に神様の大きな恵みを与えてくださったペック牧師先生のご夫婦と一緒に、新宿区役所で運営している箱根にある休養所を行って来た。そこで、今度はその奥様を通じで大きな感動をいただいた。
晩ご飯を済んだ後、ペック牧師先生のご夫婦は卓球台があるのをご覧になり、牧師先生と奥様がご一緒に卓球をなさっていたが、奥様が「私はうまくないから夫がつまらなさそう」とし、私に相手役を譲ってくださった。当然、奥様はそばで私たちが卓球をするのをご覧になっているだろうと思っていたが、しばらくしてから後ろで卓球をする音が聞こえた。振り向いてみると、奥様が一生懸命卓球をなさっていた。だれかと一緒になさるのだろうと思ったら、ご自分がおひとりで卓球のテーブルを走り回りながらなさっていた。
卓球をやってみた人はよく知っていると思うが、卓球というのは絶対一人でできるような運動ではない。ずっと玉を拾いに行くのに時間を費やしてしまうからである。なので、一人でやるとあまり楽しくないし、本当に疲れる労働である。それにも関わらず、奥様は約1時間をおひとりで一生懸命あちこち走りながら、サーブの練習をなさっていた。その奥様の「ひとりでの卓球」は、私に新鮮な衝撃を与えてくれた。
奥様は今年68歳のお年寄りである。卓球を学んでわずか3ヶ月しか経っていないという。そのような方がおひとりで靴も脱いで熱心に卓球の玉を追っているその姿こそ、この方が生きておられた姿であり、ご主人を立派な牧師に、子供を皆立派に育てられた原動力であったと感じ取る。
人生を、ひとりで卓球をするように、最後まで熱心に走っていらっしゃったなら、何事もできないことはなかっただろう!
「ひとりでの卓球」
これこそ今の家庭を作られた、ひとりの女性の偉大な力ではないか!

しかし、今の若者にはこのような粘りと熱心を見つかることが易しくない。立派なパートナーを付けてあげても、いろいろな言い訳をし卓球(仕事)をしないようとしている。
我らのお母さんの世代が起こした奇跡は、決して偶然ではない。彼女らはコーチがいなくても、パートナーがいなくてもひとりで一生懸命走りながら生きていた。
68歳の老人の額にある汗の玉が、宝石のように輝いている。
汗は絶対うそをつかない。自分の人生の実は自分が流した汗で結ばれる。今の世代はどんどん汗腺が乾いている。楽で易しこを見つけるために精一杯である。苦しいこと、汗をかくことを皆嫌がっている。汗が人生の宝石であり、福であるのに、これをよく知らない。
汗をかくほど健康になり、
汗をかくほど成長し、
汗をかくほど豊富になるという真理を知らないようで、気の毒である。

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