洞爺丸(とうやまる)
タイタニック号沈没事故(1912年)は、映画で紹介され世界中に知られています。この事故で1513人が死亡しました。韓国では2014年にセウォル号沈没事故(死亡、行方不明者合わせて304人)があって、今も多くの国民が苦しんでいます。日本でも1954年に大きな沈没事故がありました。洞爺丸沈没事故です。乗客1314人を乗せ函館を出発し、青森へ向かう旅客船が台風による風速50メートルの強風と高さ10メートルの荒波に遭われ転覆されてしまったのです。そのとき、死亡及び行方不明者が1155人ものぼります。タイタニック号事故に次ぐ世界で2番目の大きい海難事故でした。
洞爺丸は当時、最新型のフェリーで形も美しく「海峡の女王」というニックネームまでつけられていました。どんな強い突風にも、沈没することは絶対にないだろうと人々は思ったそうです。
自然の前で人間がどれくらい弱い存在なのかをうかがえます。
しかし、沈没する船の中で、生命を伝えてくれる美しい愛の物語がありました。
二人の宣教師のお話です。
アメリカから来たディーンリッパー(YMCA)宣教師とカナダから来たアルフレッドストーン(メソジスト教)宣教師でした。この二人の宣教師も洞爺丸に乗っていました。彼らは船が沈没し、人々が死んでいくなかで、自分たちのライフジャケットを若者たちに脱いであげて、彼らは死にました。その時、“今は、日本ではあなたたちのような若者が必要な時期です。”と言ったそうです。それで、生存された若者がメディアにこの事実を伝えたのです。日本経済新聞は「使徒にふさわしい最後」だったと記事も書きました。
この二人の宣教師は、自分たちが年を老いた老人だから救命胴衣を譲ったわけではありません。当時、リッパー宣教師はわずか33歳の若さでした。彼らは愛が必要な切羽詰まったときに愛を伝えてたかったのです。死の海でもがいている人たちに必要なのはただ一つ、それは命でした。そこで、自分の命の衣である救命胴衣を脱いであげて、自分たちが代わりに死んでいったのです。宣教師たちは最高の愛を伝えてくれました。これは、他人を生かすために自分の命を犠牲したことになります。
宣教師の使命がまさにそれです。私たちを生かすために自分の命を贖ったイエス様をこの世に伝え、彼らもイエス様が与えられた命の衣服を着せることです。着るだけで生き返られます。二人の宣教師は、この使命通りに命の衣服を人に着せあげて使徒として最後の人生を迎えたのです。彼らは後に裸の死体で発見されました。
私達はみんな、日本という地に送られた小さな宣教師たちです。
日本の方々に命の衣服を着せてあげるべき人々です。そのためには、自分が着ている服を脱いであげなければなりません。十字架のイエス様が衣服を脱いだように、宣教師たちが救命胴衣を脱いだように、私たちも衣服を脱いであげなければなりません。これが十字架の愛を実践することになります。愛は服を脱いであげることです。それから、他の人に命の衣服を着せてあげることです。服を脱いであげるのはすなわち、死です。
十字架の愛は死んでこそ、施すことができます。その時、相手が蘇えり多くの命の実を結ぶようになります。私が死んでこそ、家族が生き返ります。私が死んだことから教会がよみがえり、私が死んで犠牲してからこそ社会が健康に生きることになるのです。
「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。(ヨハネの福音書12:24)」
1 コメント
中森千草
2017-03-20 07:49:26
窮地に陥った場面でイエス様の御姿を
表す事が出来るのだろう。
難しい事は考えず、イエス様の教えを
行うというのであれば、
信じるという事以上に、神様への愛、信頼、従順が豊かなのだろう。
素晴らしい信仰を見せて頂きました。