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중앙영광교회

愛で評判の良い教会-実践編(3)

이용규목사, 2010-04-03 17:42:49

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神様は愛なのです。
‘神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。’ (ヨハ3:16)
神様はあなたをとてつもなく愛しておられます。神様の愛が感じられますか。神様の愛が見えるのでしょうか。果たして神様はどれほど私たちを愛しておられるのでしょうか。苦難週間は神様が御自分の愛を自らお見せになった週間です。苦難週間は教会の心臓とも言えます。苦難週間なしでは教会は存在することが出来なかったのでしょう。苦難週間は‘イエス様がポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府に下り三日目に死人の内よりよみがえられた週間です。’
私たちのための愛の十字架を見ることが出来、そして感じることが出来る一週間になるように祝福致します。

1.神様の愛とは何でしょうか?
神様は私たちに対する御自分の愛を示されました。神様が私たちをどれほど愛しておられるかを自ら見せて下さることによってその愛を示されました。果たして神様の愛の姿はどんな姿でしょうか。その愛の姿とは私たちのためにイエス様をこの世に送って下さった十字架の出来事なのです。
 世の中には正しい者に代わって死ぬ人は誰もいませんが、善い人のために命を惜しまない人ならいるかもしれないと言っています。しかし罪人のためにはどうでしょうか。罪人のために命を捨てる人は絶対にいないでしょう。私たちは神様の前でどんな人なのでしょうか。正しい者でしょうか。善い人でしょうか。両方とも違います。私たちは皆、神様の前では罪人なのです。 ‘正しい者はいない。一人もいない。’ (ロマ3:10)しかし驚くべき事実が一つあります。私たちの罪のために、私たちを生かせるために十字架の上で死んで下さった尊い方がいます。その方はイエス様です。イエス様が亡くなられた時期が苦難週間なのです。イエス様は御自分のために、そして神様のために亡くなられた訳ではありません。イエス様はほかならない私たちのために、私たちを罪から自由にさせるために十字架を背負われました。神様は十字架を通して御自分の愛を見せて下さり、示されたのです。神様の愛は十字架を通して流れ出ます。神様の恵みも十字架を通してこそ流れ出ます。十字架を通した神様の命ある御力によって私たちは救われます。
信仰とは何でしょうか。イエス様が私の罪のために代価を払って下さって十字架の上で亡くなられた出来事を信じることです。信仰は神様の愛の御業を受け入れることです。信仰とは十字架の出来事を他人ことのように思わず、自分自身の出来事として受け入れることなのです。‘しかし、わたしがまだ罪人であったとき、キリストがわたしのために死んでくださったことにより、神はわたしに対する愛を示されました。’ (ロマ5:8)‘
‘十字架のみもとにこころせまり、なみだにむせびてただひれふす
なみだもめぐみにむくいがたし、この身をささぐるほかはあらじ’ (賛美歌138)
神様は十字架を通して私たちに愛を示されました。そして神様は神様の愛と同様の愛を私たちが世の中で示すことを望んでおられます。
‘わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。’ (ヨハ13:34)
‘キリストがあなたがたを愛したように、あなたがたも愛によって歩みなさい。’ (エフェ5:2)
教会が愛で良い評判になることは決して驚くことではありません。きわめて普通なことであり、当然なことであります。なぜなら教会には世の中にはない ‘愛の十字架’が立てられているためです。今は教会の各部分の中で倒れている十字架を建て直さなければならない時期です。イエス様のように愛の十字架で世の中を光らせなければなりません。
先週リフレッシュセンターで見せてくれた中央栄光教会の青年たちの姿は私たちが聖書の中で見ていた微笑ましい愛の光景でした。
他の人のために譲り合い、食事の支度を手伝うことだけではなく、200人分にもなる皿洗いを喜びをもってやり遂げました。その上、帰り道には交通事故に遭い、渋滞に巻き込まれ、1時間近く路に迷ったにもかかわらず、8時間にも及ぶ距離をお互い褒め合い、励まし合いながら天国の時間を体験したとの話を聞き、感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。 ‘神様!中央栄光教会の青年たちを通して愛で評判の良い教会を見せて下さり、感謝致します。神様の愛が彼らを通してさらに広がって行くように導いて下さい!’
愛とは人生の中で忍耐し、いらだたず、自分の利益を求めず、恨みを抱かないで喜びをもって愛の十字架を背負って行くことです。人生の中で姿を現わせない愛は悪魔の愛なのです。

2.ガイオとディオトレフェス
ヨハネの手紙三では一人の人物が非常に褒められています。
その人はガイオという人です。神様は彼を真の愛の表現者だと表現して下さいました。そしてガイオは神様がヨハネを通じて最高に祝福することを望んでおられる人です。
 ‘愛する者よ、あなたの魂が恵まれているように、あなたがすべての面で恵まれ、健康であるようにと祈っています。’ 
ガイオは聖書の人物の中で神様を大いに喜ばせた人物の中の一人です。なぜ神様はガイオをそれほど愛されたのでしょうか。
その理由はただ一つガイオが ‘愛で評判の良い人’だったためです。
‘兄弟たちが来ては、あなたが真理に歩んでいることを証してくれるので、わたしは非常に喜んでいます。実際、あなたは真理に歩んでいるのです。’ (三ヨハ1:3)
‘彼らは教会であなたの愛を証しました。’ (三ヨハ1:6)
神様は今も愛で評判の良い人を探しておられます。特に私たちの教会に尋ねて来るお客さんや私たちの職場に訪ねて来る人に対して神様のように接する時、噂は彼らを通して自然に広がって行くのです。
今、あなたが会っている人があなたの評判を作る人なのです。
あなたの目の前にいる人を愛しなさい。今すぐに愛しなさい。


3.愛の大家たち
1)フィリップス・アカデミ
アメリカで一番有名な高校はフィリップス・アカデミです。
アメリカの名士人名事典には一般の人なら10万人に一人くら

2 コメント

남철

2010-04-04 22:27:25

イースター、イエス様が永遠の御命を得られた、復活祭おめでとうございます。

弟子訓練を一緒に受けた皆はどう思っているかわからないけれど、私は弟子訓練を受けた同学メンバーは同志だと思っています。韓国に帰ってしまわれた方、教会に時々しか顔を見せなくなっている方、連絡は取りにくくなってはいるけれど、それぞれ自分のスタイルで神様を崇めているに違いないと思います。どうぞその場所で神様を証してください。現状を강증してホームページに載せて下さるのが一番良いと思います。
私は久しぶりにホームページに載せました。怠け者でこれからも年に2,3回しか書けないと思います。弟子訓練を受けた同志も同じとは思います。年に1回でも良いですからホームページに繋がっていて下さいね。
今日の朝の礼拝では李牧師に「日本人のキリスト教信者は、自分がキリスト教だと職場などで言わない。」と言われ、私も実際「教会に行きましょう。」と誘うことも余りしないできたので耳が痛かったです。私は家で一人だけのクリスチャンの環境でした。夫や弟に、姪たちに言ってはきましたが、全然効果は見られていません。
私が韓国の教会に通うようになったのは、その熱心な信仰態度です。お祈りの熱心さです。韓国から日本に来る隣の席に座っていた家族は、若い夫婦と4歳と2歳の男の子でしたが、食事が出ると子どもはすぐ食べようとしましたが、お母さんは自分の手で子どもの頭を下げさせて「기도 해」といってお祈りしてから食べさせました。飛行機が日本に着くと又「기도 해」とお祈りをさせてから降りる準備をしました。
子どもに祈らせる母親の姿を目前で見て、ああ、このようにして信仰は受け継がれていくのかと本当にわかりました。私たちの属会に、ある大学生が来られました。彼のお父さんは韓国の教会の監理教の長老をされていました。その学生さんは聖書のことを知らないから教えて欲しいというので、馬鹿な私は聖書の授業をしてしまい、彼の来たいという気持ちを萎えさせてしまったのです。彼は今どうしているでしょうか?教会に連なっているでしょうか?韓国のクリスチャンホームで育った方は背中を一押し、若い方たちと交流すればよかったと本当に後悔しています。もしまだ他の教会に行っていらっしゃらなかったらぜひもう一度足を運んでくださいね。
現代において、このように科学が発達している科学万能の時代に生きていると、神は死んだ、神は何もしてくれないと思いと無神論者に陥りがちです。しかし私たちは、自分で自分の心をコントロールできると思い、感情に任せ、怒ったり、愛したり、近寄ったり、離れたりします。そして世俗の中でもがき苦しむのが人間と思ってしまいます。しかし神を自分の中に感じている人は、天の力ある神が同行され、神が間違ったことは言わないようにして下され、良い方向にと導いて下さる事を感じるはずです。このことを体験した信者は「おおー主よ!!」と叫び、神のおられることがどんなに力強いものであるかがわかります。
私は思います。今している仕事を、最善とされますように、神様、力を下さいとお祈りします。すると神様はお祈りを聴いてくださることが多いです。自分の仕事としてすることでなく、神様の喜ばれる形に仕上げて下さいと祈ります。
私は感情で生きている人間です。ですから神様の言葉を聴かなければ生きていけません。神様に忘れた、しんどいと言い訳ばかりしている私ですが、神様はこんな私でも微笑んで待ってくださいます。
この間奇跡にこだわっていてはいけない、教会は神の家でもあるが、私たちが教会に来てつねに新しい命を戴いて、社会に出て行く家なのだ、という話を聞きました。まさにそうだと思います。世の中のことで傷ついた心が牧師の説教だけでなく、信徒同志で語り合うことで慰めを受け、悲しんでいる人、傷ついている人を迎え、寒さに震えている人は暖を取り、飢えている人はお腹も心も満たす、それが教会であるはずです。社会と共にありながら、社会を良い方向に変えようと改革の力も持つダイナミックさが昔から今も持ち続けるのが教会と思います。
安間ちょう子

中森千草

2010-04-11 03:27:45

大切な人が目の前で倒れました。
検査の結果、異常はなく、ほっとしていますが・・・
今まで自分に対する想いがたくさんありました。
しかし今回のことで、自分の事よりこの人のためにもっと生きなければ
という思いが生まれました。
自分優先だったこと。このよう形ではありましたが、教えられました。

夫は妻のためを思い、妻は夫のためを思って暮らすと、その家庭は円満になると
聞いたことがあります。
人のために生きることは、平和を生むことにつながると思いました。

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