皆さんはこの一週間の間、愛で評判の良い人生を生きるためにどんな生活をしていたのでしょうか?
理論だけに詳しい人は簡単に人を断罪します。
‘ただ、知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる。’ (一コリ8:1)
私たちがただ愛を頭の中で考えるだけではなく、愛を実践する時に多くの人たちを造り上げることが出来ます。真の愛は知識の段階に止まる時ではなく、人生の現場に進み出る時に力があるのです。
人生の中で愛より大事なものはありません。クリスチャンにとって愛ほど力を発揮するものはありません。愛は人を生き返らせる力があるのです。イエス様の救いの力は愛であり、多くの人たちを回復させた力も愛の力でした。
1. 愛はどれくらい大事でしょうか?
愛を軽々に考える人は神様を冒涜する人であり、聖書を無視する人なのです。神様は聖書の中ではっきりと仰せられます。
‘人を愛する者は、律法を全うしているのです。’ (ロマ13:8)
‘愛は律法を全うするものです。’ (ロマ13:10)
‘「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」、そのほかどんな掟があっても、「隣人を自分のように愛し
なさい」という言葉に要約されます。’ (ロマ13:9)
‘律法全体は、「隣人を自分のように愛しない」という一句によって全うされるからです。’ (ガラ5:14)
‘互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。’ (ヨハ13:35)
これ以上どんな言葉が必要なのでしょうか?
律法を一気に全うする方法は簡単です。隣人を愛すれば良いのです。
世の中の人たちに自分を神様の弟子として知らせる方法は決して複雑なものではありません。私たちが互いに愛し合う姿を見せれば良いのです。信徒たちが互いにかみ合い、共食いするのならこれよりみっともないことはないことでしょう。
神様が一番大切に思われるのは‘愛’なのです。
いろいろな角度やいろいろな人を通してではありますが、聖書はある面で愛だけを語っていると言っても過言ではありません。
神様がこれほど愛を強調なさるのに現実は如何しょうか?愛を無視しているのではないでしょうか?愛には全く興味さえ持っていないのではないでしょうか?
果たして私たちはどれくらいの時間を愛を実践するために費やしているのでしょうか?
信仰と希望と愛、この三つの中で最も大いなるものは愛だと言いますが、果たして愛を一番大事だと思っているのでしょうか?(一コリ13:13)もしかして‘愛’が自分の人生の中で邪魔者扱いをされ、後回しになっているのではないでしょうか?
神様は愛のために私たちに独り子であるイエス様と自由を与えて下さったのに、私たちはその愛をとんでもないところに費やし、浪費しているのではないでしょうか?
人生の中で最も大きな後悔は愛さないことであり、最もやりがいのあることは機会を作ってでも心ゆくまで愛し合うことです。
クリスチャンは後悔しない人生を生きるべきです。後悔しない人生とは愛を実践する人生です。理由はともあれ、後悔しないように愛を広める人生を生きなければなりません。
愛とは何でしょうか?愛の真の姿を分からないのに愛の人生を生きるということはあり得ないことです。そこで神様は9つの愛の姿を御丁寧に私たちにお教えになります。その9つの愛の姿とは忍、親、寛、謙、礼、私、穏、善、真です。
忍:忍耐することです。耐え忍ぶことによって愛の力は表れます。
親:親切なことです。人々に親切に接する時、愛の力は表れます。
寛:寛大なことです。妬まないで人々を寛大に扱う時、愛の力は表れます。
謙:謙遜です。高ぶらない時、愛の力は表れます。
礼:礼儀正しいことです。人々に対して礼を失せない時に愛の力は表れます。
私:私心のないことです。自分の利益を求めない時に愛の力は表れます。
穏:穏和なことです。いらだたない時に愛の力は表れます。
善:善良な考えのことです。他人に対し、恨みを抱かない時に愛の力は表れます。
真:真理です。不義を喜ばないで真理を喜ぶときに愛の力は表れます。
この中で最も大事な真理が一つあります。
‘愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。’ (ロマ13:10) 愛の主な内容は他の人に迷惑をかけないことです。世界で一番愛に満ちている民族は日本の人です。従って日本人はどこに行っても手厚いもてなしを受け、尊敬されます。どうして日本人は愛に満ちた民族なのでしょうか?彼らは幼い時から厳しく教育され、他人に迷惑をかけることを徹底的に避けています。このような姿は非常に聖書的です。
聖書の中に出ている9つの愛の姿の中で7つは隣人に対して絶対にしてはならないことを記録しています。愛の核心は他人に迷惑になることを行わないことです。妬まない、自慢しない、礼を失さない、自分の利益を求めない、恨みを抱かない、不義を喜ばない、悪を喜ばないことが愛の本体なのです。
愛は悪から背を向けることです。過去の悪い記憶から背を向けることであり、今までの悪い習慣を繰り返さないことです。悪いと思うことをやめることが本当の愛を実践することになるかもしれません。愛を行うことより悪事を行わないことこそが偉大なる愛の実践につながるのでしょう。
2. 金應洛(キム・ウンラク) 長老と韓景職(ハン・ギョンジク)牧師
韓国の代表的な教会のひとつであるヨンラク教会にキム・ウンラク長老の記念碑があります。キム長老は19歳の時に執事になられ、神様の体である教会のために献身しましたが、44歳の若さで北朝鮮の共産軍の銃に撃たれ、殉教なさいました。
ヨンラク教会の礼拝堂が完工されて20日が過ぎた6月25日に朝鮮戦争が勃発したのです。その時、キム長老は自分の家と全財産、そして自分の家族は捨てても神様のために命をなげうって礼拝堂だけは守
ることを決心しました。ヨンラク教会の前担任牧師であったハン・ギョンジク牧師先生と他の信徒たちを避難させた後、キム長老は独りで教会を守り通します。しかし、残念なことにキム長老は(国連軍が)ソウルを奪還する少し前に教会の庭で‘わが喜び、わが望み、わが命の主よ…なおたらぬをおもう’という賛美を奉げながら北朝鮮の軍人の銃に撃たれ、神様の胸に抱かれました。キム長老は北朝鮮の共産軍の銃の前でも怯えず、韓国に勝利をお与えになるようにと大胆にお祈りを奉げました。
避難所から戻ったハン牧師先生は神様の前で心から悔い改めました。ハン牧師先生は自分を日本の植民地時代に神社に参拝したひどい罪人であると言い、その罪を少しでも挽回するために礼拝堂を守り、殉教しようと思っていたのにキム長老が自分の代わりに殉教したと言いました。ハン牧師先生はその後、自分は誰にも怒る資格はないと言い、一生誰に会っても怒らなかったそうです。そのためハン牧師先生は多くの人に愛され、尊敬されました。私たちは怒らない人生を生きることで神様に似ることが出来ます。人は怒ると霊的な麻痺状態に陥ると言います。霊だけではなく、理性的にも麻痺状態になるそうです。心が感情のクーデターによって占領されてしまいます。まさに無法地帯と同様です。常に神様の導きを願うのならば怒ってはいけません。そうすれば私たちもハン牧師先生のような愛の生き方が出来るのです。
3.神様はなぜ私たちに自由をお与えになったのでしょうか?
イエス様を信じることで神様から与えられた最も大いなる祝福が自由です。
イエス様が私たちのために十字架の上で血潮を流して下さったのは罪や過失、死を含め、全てのもの
から私たちを自由にさせるためです。イスラエルの民が子羊の血によって奴隷の生活から完全なる自由を得たように十字架は私たちに霊的な自由をお与えになる神様の御力です。
神様は仰せられます。 ‘この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。’ (ガラ5:1)
クリスチャンは自由人です。クリスチャンの幸せは自由を満喫することです。イエス様が私たちにお与えになった完全な贈り物は自由なのです。従って罪や死、悩み、未来…全てのことから自由にならなければなりません。私たちを縛っていた全てのものはイエス様の十字架によって解決されました。
‘私は神様において自由だ’ 神様はこのような人を探しておられます。そしてこのような本当の恵みを知る人と共に働かれることを臨んでおられます。
しかし、神様はなぜ私たちに自由をお与えになったのでしょうか?
私たちの欲望を満たして下さるためでしょうか。
神様は私たちに自由をお与えになった目的をはっきりとおしゃっています。
‘兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。’ (ガラ5:13)
私たちは神様から与えられた自由をもって罪を犯してはいけません。罪を犯すことは神様の御心に反することになります。神様が私たちに自由をお与えになったのは愛によって互いに仕えるためです。自由の目的は愛の実践なのです。神様から自由という贈り物を頂いたのでしょうか?そうならばその贈り物を愛するために使って下さい。きっと充実して豊かな自由になるのでしょう。そして神様の御心を叶えられることになるのでしょう。
人に時間と財産、健康を与えてみればすぐにその人はどんな人なのかが分かります。世の中で得ることの出来る3つの自由を得たため、人は普段の自分の価値観通りに動くのです。
神様は私たちに完全な自由をお与えになりました。あなたはこの自由をどんなところに使いますか?
人生の快楽や罪を犯すところに使いますか?それとも愛の僕になるために全てを使いますか?
‘神様!イエス様の血潮の代価によって与えて下さった自由を落ち葉が燃え尽きるように愛のために使わせて下さい!’
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1 コメント
中森千草
2010-03-12 00:44:56
そのいい人に対して,「あの人は、神様のような人だ」という表現をよくします。
日本のクリスチャンは1%に満たないという状況の中で、このような言葉を耳にできたことは
すばらしいと思います。
クリスチャンである私は使命であるのに、まだまだ9つの愛は未完成です。
意識をしながら行動していきます。
ところで、メッセージをいただいている時に驚いたのですが、
先週 母に、「怒ると神様から恵みをいただけないよ~」と
突然の電話で言われました。
神様は、すべてを御存じです。自分を変えられるチャンスをいただきました。
感謝します。