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중앙영광교회

信仰の師匠

이용규목사, 2009-05-22 00:38:59

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信仰の師匠
御言葉//テモテへの手紙 二1:4-7

1.        3タイプの師匠
世の中にはいろんな師匠たちがいる。
それで、人々は彼らの弟子になるために一所懸命に勉強する。弟子試験に受かるとそれをとても誇りに思い、
定期的に高い授業料まで払いながら一所懸命に学ぼうとする。
しかし、弟子たちが学ぶ事はある専門分野の狭い学問と知識に過ぎない。
ところが、霊的にはどうだ。霊的師匠は人格と人生、即ち、人生の道を教えて永世の道を導いているにもかかわらず、あまり人気がない。多くの人は興味すら見せない。主日に教会に来る事も、行きたくないと、何の躊躇もなくさぼってしまう。礼拝を捧げる事にも、心を込めずに無意味に捧げてしまう。学校の勉強に対する情熱と比べてみるとあまりにも態度が良くないこと極まりない。このように勉強(?)して良い成績が出るか心配だ。肉的な教えより霊的な教えに対してとても疎かにして,無関心な態度に警鐘を鳴らさなければならない時だ。

世の中の師匠には3種類ある。肉的師匠、精神的師匠、霊的師匠だ。肉的師匠は知識教育、精神的師匠は人性教育、霊的師匠は永世教育にフォーカスを当てている。人々は頭ではよく知っている、知性より人性が、人性より永世がより大事だと言う事を。ところが、現実は全くそうではない。知性が最も強調されて永世が最も無視される正反対の姿が多い。
頭の中の価値観と人性の価値観が反対である奇妙な現象を見せているのだ。
世の中の光になった偉い指導者たちは全て霊的師匠たちだった。勿論イエス様も、パウロも世の中の魂を目覚めさせた偉い師匠たちだった。霊的に正しい師匠たちが立ち上がってこそ世の中に希望がある。特に、リトルイエスたちが教会で立ち上がらないといけない。神様が望んでおられる事がこれだ。
「誰も健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、心理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。(テモテへの手紙二4:3~4)」

ここで健全な教え、真理は神様の御言葉を示す。そして耳を楽しませるものである欲、作り話は世の中の声だ。世の中が悪いほど人々は神様の御言葉から遠ざかって世の中の声に耳を傾けるようになる。これが即ち、末世の堕落した私達の姿だ。これを解決する為にパウロはテモテに上記の御言葉の前後節である2節5節に時を得ようが得まいが御言葉を宣言して、伝道者の任務を成しとげろと繰り返し頼んでいる。
信仰の師匠にもっと耳を傾けること、これが正しい。
信仰の御言葉をもっと愛すること、これが正しい。
信仰の人は何よりこういった正しい姿を回復しなければならない。どんな犠牲があっても必ず、回復しないといけない。何故ならこの姿こそ、神様が望んでおられる人間の正しい姿だからだ。この姿こそ人間最高の美しくて力のある姿だからだ。

2.        師匠に出会ったテモテ

聖書でテモテとうい人は最高の、祝福の人生を過ごした人たちの中の一人だ。
良い師匠に出会えたからだ。霊的な最高の師匠であるパウロに出会えたからだ。もし彼がパウロに出会えなかったら、彼の人生は絶対に今のように偉大にはならなかったと思う。人生において出会いがどれほど大事なのか。人は人によって作られるからだ。最も影響を受けやすい対象が人だ。自分の能力や環境の変化によっても変えられない悪い習慣も良い人に出会えれば変わるのが人だ。人には人が唯一の希望だ。人が福である。特に、良い師匠に出会える福はお金では計算できない最高の福である。人生が変わる福だからだ。
テモテは良い家柄で生まれた。良い家柄はお金持ちの家庭も、権力の強い家庭でもない。良い家柄は信仰が良い家庭だ。聖書に祖母の名前まで書いて信仰を褒めた人はテモテしかいないと思う。
そして、あなたが抱いている純真な信仰を思い起こしています。その信仰は、まずあなたの祖母ロイスを母エウニケに宿りましたが、それがあなたにも宿っていると、私は確信しています。(テモテへの手紙二1:5)
テモテは家庭から貴き信仰の遺産をもらった人だった。祖母、母親の信仰がどれほど貴かったら名前まで書いて褒めたのだろう。ところで、不思議な事は彼の父親について語っている所は殆どない。異邦人中の異邦人であるへラ人だと語っているだけだ。勿論名前も書かれていない。(使徒行伝16:1)
その時代に異邦人は信仰がまったくないのが普通だった。しかしテモテは非常に貴き信仰を持っていた。母親の信仰のお陰だった。偉い信仰の人の背後には偉大な信仰の母親がいた。アウグスティヌスにはモニカという母親、リンカーンには2人の母親が、ロックフェラーには偉大な信仰の遺産を残した母親がいた。

神様は母親を通じて肉の母乳だけ子供に流れるようにしたのではなくて、霊の糧食も流れるようになさった。
もし子供の時に母親から霊の糧食を頂いてなかったとしても絶望する必要は全くない。神様は私達に一回だけチャンスをくださる方ではない。神様は私の人生に数回のチャンスを用意していらっしゃる。今まで失敗していたとしても絶対に人生を諦めないでほしい。必ず再び立ち上がれる。神様が私の人生をそういう風に作ったからだ。神様はチャンスの神様だ。あなたの人生にも再びチャンスが来る事を信じてほしい。

イエスの12弟子を見てみよ。彼らの殆どは家庭的に非常に弱い環境の暮らしをしていた。しかし彼らは世界最高の人物であるイエス様の弟子になった。何故。彼らは素晴らしい師匠であるイエス様に出会えたからだ。良い霊的師匠に出会えれば親が出来なかった事も全部できる。
子供は幼い時は親の手に任されるが、時が来ると親の手から離れる。子供を最後まで自分の手に置こうとしてはいけない。テモテの母親のように手放す時期が分かる女性が賢い母親だ。エウニケはテモテを果敢にパウロに任せてしまう。それが純理であり、子供の為に非常に良い事だと分かったからだ。姑と嫁の葛藤は非聖書的な事だ。嫁と子供の争奪戦をしてはいけない。結婚したら息子を嫁に任さないといけない。男は親から離れて嫁と一つになるべきだとはっきり仰っているのではないか。(創世紀2:24)
母親から離れて師匠の下へ行ったテモテは世界的な人物として跳躍する。テモテは聖書の多くの部分をパウロと共に書いたと書いてある。(コリントニ、フィリポ、コロサイ、テサロニケ一・ニ、フィレモン)
キリストイエスの僕であるパウロとテモテから、フィリポにいて、キリストイエスに結ばれているすべての聖なる者たち、ならびに監督たち奉仕者たちへ。(フィリポ1:1)
彼が世界的な人物になったのは世界的な師匠に出会えたからだ。
他の人々はパウロの下から離れたが(テモテ二1:15)、テモテは監獄までも師匠であるパウロに付いて行った。
それで彼は監獄で師匠と共に偉大な聖書を書くようになったのだ。(フィリポ、コロサイ、フィレモン)
そして師匠から頂いた2通の手紙が聖書になる光栄を頂いた。新約の聖書は多くの部分がテモテと関わっている事が分かる。
どんな師匠に出会えたのかが人生を左右する。良い師匠はお金より貴い。
エリサがエリヤを最後まで付いて行った、その師匠に対する疲れも知らない熱情が懐かしい時期だ。

3.        聖書的師匠像

パウロを通じて聖書的な師匠の姿について探ってみよう。
一つ目は「母親のような果てしない愛、果てしない献身」の姿だ。パウロはテモテをとても愛した。それで彼を「愛する私の息子よ」と聖書は語っている。(テモテ二1:2、テモテ一1:2)
そして「テサロニケ一2:7-8」では母親が自分の子供に世話するように、神様の福音だけではなくて自分の命までもあげる事も惜しまないほど彼らを愛していると言った。
聖書的な師匠は弟子を母親のような愛で育てる人だ。
二つ目は「父親のような厳しい教え」の姿だ。(テサロニケ一2:11,12)
聖書的な師匠は弟子を父親のような厳しさでうまく訓練させる人だ。
弟子達が神様の前で正しく生きるように勧めたり、励ましたり、強く警告しないといけない。そうしてこそ弟子達の人生が変わる。恐れが去り、力と愛と節制する心で満たされる。偉い師匠には母性のような温もりと父性のような強靭さがうまく調和している。
三つ目は「いつも真理から揺れない姿(テサロニケニ2:3-5) 」
私を真理から揺らす原因は二つある。一つは人の歓心を買おうとすることだ。(テサロニケニ2:4)そういう時はお世辞の話が出やすい。その人にフォーカスを当てるので真理が変質しやすい。人の歓心を買おうとせずに神様の歓心を買おうとしないといけない。そうすると真理の中に居られる。二つ目の原因は貪欲だ。(テサロニケニ2:5)私欲を捨てないと。それでこそ不純な心やトリックから自身を守ることができる。師匠が真理から離れてしまったらもう師匠ではない。怖い詐欺師になってしまう。

4.        聖書的な弟子像
では、聖書的な弟子の姿はどうでしょう。
一つは「師匠を2倍に尊敬しないといけない」(テモテ一5:17) ここでの尊敬の意味は心の表現だけではなくて、「報奨」の意味も強いと言った。それで英語聖書では「ボーナス」とも表現している。この意味は次の節(18)でうまく説明している。「働き手が自分の賃金をもらうのは当然だ」(18)
「そして尊敬しなければ真理(神様の御言葉)を真理として受け入れることができないためだ」(テサロニケニ2:13)

二つ目は「師匠の信仰を見習いなさい」だ。(ヒゼキヤ13:7,コリント一11:1)
師匠を見習わない弟子はもう弟子ではない。弟子は師匠の精神(信仰)を見習うために存在する。パウロはイエス様を見習い、テモテはパウロ師匠を見習ったように私達が師匠を見習うのは弟子として当然なことだ。
三つ目は「師匠に従順しなさい」(ヒゼキヤ13:17)
師匠に従順する弟子には必ず有益があると聖書は語っている。
師匠らしい師匠、弟子らしい弟子がこの世代に大勢立ち上がる事を期待して祈る。

4 コメント

이용규목사

2009-05-22 00:40:28

한진경 자매님이 은혜롭게 잘 번역해 주셨습니다.
늘 감사합니다. 일본 영혼들에게 풍성한 말씀의 열매가
맺어질 것을 기대합니다.

田辺高幸

2009-05-22 07:29:06

自分にとって大きな出会いとなったのはキリスト教との出会いである。まさか自分がこの教えに触れるとは思ってもいなかった。毎日聖書を電車の中で読む、こんな自分の姿を考えると、何か自然と導かれたっ感じがする。そのとき、やはり僕は神の存在を強く感じてならない。

キリスト教の出会いは、正直言うと友達に子供の面倒を見てよ、そんな話から興味もないわけではなかったから、教会に足を運んだ、という何かを求めてというわけではなかった。信仰心がなかった、という以前の問題で、よく分からなかったというのが本音だった。周りの人は何か心が熱くなっている人ばかりだった。それが理解できなかった。だから僕はあまりにも関わりがなかった聖書を読むことにして、何とか周りの人の気持ちを分かろうと努力した。

何度も読んでいき、今も仲のいい友達(韓国の人)といろんな話をして、そこで僕はイエス・キリスト、ペトロを始めとする12使徒、パウロ、旧約で言えばエゼキエルやエレミヤ、ソロモンなどと出会った。もちろん姿を見たわけではない。聖書を通してだった。この方達は自分にとって凄い影響を及ぼした。先生というより心の師匠、そんな感じに思える方だった。そこで僕は何かを学んだ。僕は何とか使役訓練を終えたけど、まだまだ亀のように歩く人である。そんな僕にとってこんな素晴らしい方々はいない、と思っている。

これが今回の言う霊的師匠なのか、は分からないけど、滅茶苦茶にさえ思える浮き世の暮らしの中で、僕に常に光を与えてくれているのは本当だ。出会えて良かった、と思う。遠い世界にいた人だから、こうなったのは、やはり神が僕をこう導いたからだと思う。それくらい不思議な出会いだと思ってしまう。

今日も明日も明後日も僕は聖書を読む。これは実は、僕が始めたキリスト教生きていて力ある御言葉というブログ(URLアドレス http://nabesang.blog116.fc2.com/)が、予想以上に人が来てくださっており、聖書の言葉をたくさん知らなくてはならないから、こんな理由もある。けれど、やはり基本は師匠の話を聞きたいから、だから読む、というのがある。読んでて退屈とはあまり思わなくて、むしろこんな面白い書物があるのか、という気持ちも持っている。だから、聖書は僕にとって師匠を出会える場所だと思っているから、これからも読み続けていくつもりだ。

中森千草

2009-05-22 07:47:54

今まで、いろんな人々に出会いました。
影響も受けました。
しかし、私の人生観を180度変えてくださったのは、イエス・キリストと、イ・ヨンギュ牧師先生である。
愛すること、従順すること、憐れむこと、私には守ることが難しかった。
しかし、イ・ヨンギュ牧師先生と出会い、弟子訓練によって変わることができ、御言葉を守る生活へとなりました。
敬意の思いが強くなり、結果、素直に受けいれられ、実践し、持続できています。
奇跡的な変化です。
出会いを大切にしたい。そして、すばらしい人に出会うためにも、自分がすばらしい人に近ずかなければならない。
努力ですね。がんばります。

古郡武志

2009-05-23 17:26:55

大学というところには、「教授」「准教授」という名称の師匠という立場の人がたくさんいる。これは師匠の3分類でいうところの「肉的師匠」というところであろうか?

もちろん私は今でも(大学で行われるような)学問というものには強く関心をもっているし、自分の経験上肉的師匠の中にも尊敬すべき人が多いことは言うまでもない。
しかし、私は、意識の底に学問に対する懐疑の念があるのもぬぐえなかった。
学んでいることがその人の実際の生活での態度や行動にあらわれていなければ、所詮「この人は、社会から隔絶した象牙の塔で言いたいことを言っているに過ぎない」という思いになり、尊敬できなくなる。(例えば、わかりやすい例で言うと、難民問題について研究している人が、関連する寄付やボランティアをしたことなく、関心もないとしたら、「何のためにその人は研究しているのか?」と思う)

そして、企業の中でも同様である。
上司や経営者は「肉的師匠」の代表格であろうが、尊敬されるのは、すばらしい意見やコメントを述べる評論家ではなく、実行によって結果を残す人である。

総じて、私にとって肉的師匠でも「実行・実践」というのが大事なキーワードである。

もちろん、これは霊的師匠・弟子にも通じることであることを今回の説教で確認した。
「霊的師匠の3条件」(果てしない献身、厳しい教え、真理から揺れない姿)
「弟子の3つの姿」(尊敬、信仰を見習うこと、従順)
果てしない献身、従順などは、いずれにしても形で取り繕えるものではなく、実行・実践が不可欠であることは自明である。

実行・実践を通し、自分の生き様そのものが良き師匠・弟子らしいものになるように頑張っていきたい。

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