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중앙영광교회

子供たちよ

이용규목사, 2009-05-07 18:05:11

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子供たちよ

御言葉//エフェソの信徒への手紙6:1-3

1.        聖書的な子供の人生
全ての信徒はこの世で子供でもある。親がいるからである。
そうしたら子供たちはどんな人生を過ごすべきであろうか。聖書ではどんな人生を送るべきだと語っているだろう。
しかし、私は今までどんな人生を過ごして来ただろう。
聖書的な子供の人生について探りたいと思う。

人生は関係だと言っても過言ではない。関係を旨くする人が幸せで成功的な人生を過ごせる。関係が崩れてはいけない。崩れた関係を再び回復するのが人生の回復だ。特に、関係を旨くする人は身近な人を大切にする。
神様は身近な人を通して恵みをくださり、愛をくださり、知恵を下さり、助けをくださる。神様が近づけた身近な人が祝福の通路だ。身近な人を大切にするべきだ。自分の家族には無作法に振る舞うくせに、あまり知らない人には
礼儀正しく誠意を尽くす人は関係に関して知恵のない人だ。
関係の中で一番大切な関係は親との関係である。

それで神様は十戒に夫婦関係も、師匠と弟子との関係も、上司と部下との関係も入れずに唯一、親と子供との関係だけを記したのだ。これで親との関係が人生においてどれほで重要であるかを見せてくれる。親との関係が上手く行ってこそ、人生の問題が上手く行く。
5つ目の戒は、あなたの親を敬え。6つ目は殺人をしてはいかない。7つ目は姦淫してはいけない。8つ目は盗んではいけないである。
しかし不思議なのが、殺人、姦淫、盗みはしてはいけないと言われなくても悪い事だと知っているので自ら気をつけているが、親孝行に関しては言われてもあまり関心がないという事実だ。殺人、姦淫、盗みに関しては、しなくても褒賞があるわけでもない。しかし、親孝行に関しては、神様が素晴らしい祝福の約束をしてくださった。
神様も喜ばせる、親も喜ばせる、私も福を頂いて嬉しい、世の中にこれほど良い事があるだろうか。
まだ良い事を見つけなかったか。あなたの目の前にある。あなたの親を敬え。
「あなたの父母を敬え。あなたの神、主が命じられたとおりに。
そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生き、幸いを得る。」(申命記5:16)

2.        何故、親孝行しないといけないか。
何故、子供は親に親孝行しないといけないのか。
一つ目は十戒に書かれているからである。親孝行をしないのは即ち、十戒に反する罪を犯すことだからである。
二つ目は神様が命令なさったからである。世の中の上長の命令に従うのが常識なのに、どうやって神様の命令に従わない事ができるだろう。
三つ目はこれが正しい事だからである。(エフェソの信徒への手紙6:1)だから不孝は悪い事だ。
四つ目は約束のある最初の掟だからだ。(エフェソの信徒への手紙6:2-3)つまり、親孝行すれば私が上手く行くし、福を頂くようになるからである。福を頂いて成功する事を望んでいるか。長生きを望んでいるか。
簡単だ。親孝行すればいい。子供にする分の半分だけ親にすれば人生は変わるはずだ。
五つ目は後で後悔しない為である。これは神様が全ての人に体験させる事だ。普段、親孝行してなかった人は親が亡くなると誰よりも涙の後悔をする。
「あ、お母さんの大好物の熟柿を亡くなられる前に食べさせなかった事が今でも悔いに残る」と告白したある作家の話のように。
あなたには今でもご両親にさしあげなかった熟柿はないか。
親が生きている間は即ち、親孝行できるチャンスだ。一通の手紙でも感動して喜ぶ方が我らの親だ。親孝行の手紙でも一通書いてみよう。
「お母さん、お父さん、愛しています。あまり連絡しなくてごめんなさい。自分勝手な私を今まで見守ってくださってありがとうございます。お母さん、お父さんが私の親である事を誇りに思っています。
お母さん、お父さんの健康は私の幸せです。私からの仕送りで美味しい物を召し上がって元気でいてください。ママパパにすごく会いたいです。愛します。」

3.        どうする事が親孝行なのか。
親孝行は複雑ではない。簡単すぎてやらない。
一つ目は親に従順すれば良い。これは行動の親孝行だ。従順は親の話に「はい」と答えて言われた通りにする事だ。(エフェソの信徒への手紙6:1)言い訳せず、我を張らずに行動で答えることだ。
二つ目は親を敬うことだ。(エフェソの信徒への手紙6:2)これは心の親孝行だ。敬いは心から親を尊敬し、親に相応しく礼遇してあげる事だ。そうすると親は幸せな気持ちになる。親に向かって攻撃せずに、心から敬う事が二つ目の親孝行だ。無視することより怖い親不孝はない。例え、無視される姿を親が見せてもその時こそ尊敬してあげないとならない。神様が見ておられる。
三つ目は親の分を用意することだ。これは物質の親孝行だ。(マルコによる福音書7:11-12)イエス様はこれについてすごく強く語っていらっしゃる。他の重要な事があっても親の分には絶対に手を出せないようにした。
その上、神様にさしあげるから親にはさしあげない事も絶対受け入れなかった。子供は親から頻繁に何かを貰おうとしてはいけない。常にさしあげることを考えないといけない。そうする時こそ神様が彼らを満たしてくださる。子供の事を本当に愛するなら親孝行ができるように教えないといけない。親にさしあげるようにしないといけない。貰ったから嬉しいのではなくて、そうする事が子供の為の最高の道であるからだ。

4.       イエス様の親孝行
イエス様の人生は親孝行、そのものだった。
十字架での親孝行がイエス様の親孝行の姿を見せてくれている。
イエス様の父親は誰なのか。イエス様は誰の息子なのか。イエス様は聖霊によってやどられた。イエス様の父親は神様だ。それでイエス様は神様の事をいつも父と呼んだ。
イエス様は何故、十字架を背負ったか。人類最大の苦痛と侮辱を何故、背負ったのか。罪も無い方が何故背負ったのか。ひょっとしたら、イエス様より悔しい人生もないはずだ。イエス様は何故、その場から逃げずに黙って十字架を背負ったのか。
勿論、イエス様も背負いたくなかった。イエス様は死にそうだとまで言われた。(マタイによる福音書26:38)
そしてイエス様は十字架を背負う前に最後の祈りで「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに」(マタイによる福音書26:39)
イエス様自身は本当に死にたくなかったがただ、父親の意に従う為に十字架を背負ったのだ。イエス様は父の為に十字架を背負った。逆に親に十字架を背負わせる子供が多いこの世の中とは対照的だ。
父親に言われた事にすぐ従い、十字架も背負って行くのがイエス様の親孝行の心だ。
「へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」(フィリピの信徒への手紙2:8)
「このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。」(フィリピの信徒への手紙2:9)
神様は親孝行の子たちを探しておられる。
神様は親孝行の子たちを特別に愛される。
神様は親孝行の子たちを世の中で高く上げられる。
イエス様がその証人だ。
イエス様は私達に十字架を通じて真の親孝行が何であるかを見せてくださった。

あなたの人生はどうなのか。
イエス様のように親の為ならお金や時間ぐらいの犠牲ではなく、あなた自身の全部をささげる準備ができているか。そうだ。その姿が正常であり、ごく聖書的な姿だ。
親孝行は世の中によって変質してはいけない。そうなると福が乾く。
キリスト教は親孝行の宗教だ。
十字架が親孝行のシンボルであるからだ。
この記事を読む人々の心の中からイエス様の孝心が芽生える事を祝福する。
神様がイエス様を立てたように世界的な人物が立てられる事を祝福する。

「子供たち、主に結ばれている者として両親に従いなさい。それは正しいことです。
「父と母を敬いなさい。」これは約束を伴う最初の掟です。
そうすれば、あなたは幸福になり(live well)、地上で長く生きることができる(long life)」(エフェソの信徒への手紙6:1-3)

2 コメント

中森千草

2009-05-08 05:36:12

神様は、私が両親を敬うようにと、両親と離れて暮らす環境を用意してくださいました。
一人暮らしを始めて長いですが、一緒に住んでいたときよりも両親に言われたことを守るようになりました。
父親に「 天知る、地知る、我が知る 」といわれた言葉がいつも頭の中にあり、この言葉によって、とても真面目になりました。^^
両親を尊敬すると言った時、父親に怒られました。「私たちよりも、もっとすばらしい人がいる。」と・・・・・
でもやっぱり私は両親を尊敬しており、目指しているんです。
数々の両親の言葉がようやく理解できるようになり、両親の愛に感動しました。
すばらしい両親の元に生命を与えてくださった神様に感謝します。

古郡武志

2009-05-09 21:51:09

イエス様の十字架での死自体が、極限の親孝行であった。

愛は自分の大切なものを犠牲にするという行いによって示すものだということを教えてくれた。愛は実行だということである。

家族のことを大切にしている教会での兄弟姉妹の姿を見るにつけ、私も以前に比べれば行動で示せるようになったのだと思う。

そういえば、説教の中で、牧師先生は、神様の分を理由に親の分をおろそかにすることは許されないし、神様もお喜びにならないということをおっしゃっていた。
ふと思い出すことがあった。
信者が教団にほとんどの財産を捧げ、家庭が経済的に破滅したという類の話しである。
しばしば聞く話であるが、全く話しにならないことがわかる。
「神との関係のみが大事であって、親との関係はどうでもいい」という論理なのだろうが、全くのまがいものであることが、一目瞭然である。
なにしろ、神様ご自身が「あなたの父母を敬え」と命じておられるのだから…

私は、教会に通う前においては、「親孝行」というものは人間の自然的な感情に属するものであり、むしろ信仰とは対立するものという漠然たるイメージがあった。
しかし、「親孝行」自体が神様のご命令であるという事実は、そのイメージ(あるいは誤解)を覆すものであり、新鮮な驚きでもあり、嬉しくもあった。
 神様が私の父母のもとに生まれるようにご計画されたのであれば、もっとも近い関係の父母に対して愛を実践することを喜ばれるというのは自然であると思う。遠い人に対して愛を実践するのは難しいのだから…

「親孝行」なしに神との関係を正しく築くことはできない。
この視点は、本物の信仰は何か、まがい物は何かを見る目を養ってくれる。
そして、何よりも自分がまがいものにならないようにしなければならない。

曲がり始めた背・真っ白になった髪の毛・しわが増えた肌・・・
それは私に愛を注いでくれた時の長さを示す木の年輪である。
だからこそ、私もますますその木に愛という水を注いでいきたいと思う。

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