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중앙영광교회

二つのパン

이용규목사, 2009-04-30 23:24:47

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二つのパン

御言葉//ヨハネによる福音書6:47-51

1.        命のパン
「わたしは命のパンである」(ヨハネによる福音書6:48)
イエス様はどなたか。「イエス様は私の人生の真の命のパンである。」この信仰の告白が大事だ。何故ならこの信仰があれば、その人はすでに永遠の生命を得ている。(ヨハネによる福音書6:47)

イエス様は貴方にとって何か。命のパンだと自信を持って告白できるか。
ここで、ある信仰のお婆さんを紹介しよう。
くるみ菓子の元祖「お婆さんのハクハくるみ菓子」の主人であるシムお婆さんだ。
このお婆さんはくるみ菓子の説明書の一面に「イエスキリストを受け入れてみませんか。」という欄を作った。
「私どもは75年間くるみ菓子を作ってきましたが、このパンもやはり人生自体を豊かにする「命のパン」ではありません。私どもはくるみ菓子パンより更に美味しくて、一度食べればお腹が空かない命のパン、生活を豊かにする命のパンをご紹介しようと思います。それは、神様が私達に送って下さった「イエスキリスト」です。私達の命のパンであるイエスキリストに会って見ませんか。近くにある教会に行ってみてください。以前より、はるかに幸せで安らかな毎日になると思います。」
自分が作ったくるみ菓子を通して神様が下さった命のパンを知らせたかったのだ。  
人生の真の命のパンはイエス様しかいらっしゃらない。真理は複雑ではない。イエス様を信じる人には永遠の生命があり、受け入れない人には永遠の生命がない。
「独り子(イエスキリスト)を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネによる福音書3:16)
「御子を信じる人は永遠の生命を得ているが、御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる。」(ヨハネによる福音書3:36)
「イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」(ヨハネによる福音書14:6)

イエス様はこの命の真理を悟らせようとまず、「五つのパンと二匹の魚」の奇跡を行われた。イエス様が子供のお弁当に入った五つのパンと二匹の魚で5千人を豊かに食べさせる事で、自分が私達の真の命のパンである事を自ら見せてくださり、証明して下さった。しかし多くの人々は、甚だしくは弟子達までも、肉のパンには感心したが霊の真のパンであるイエス様については理解すら出来なかった。五つのパンと二匹の魚の奇跡を起こしたのはわずか5千人を食べさせる為ではなく、全人類を食べさせようとするイエス様の大きい考えがあったのに。  
イエス様は肉のパンを通して霊のパンをあげようとしたのに人々は肉のパンだけに興味があり、霊のパンには全く興味がなかったのだ。それでイエス様はそのもどかしさをこのように表現なさった。

「イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ」(ヨハネによる福音書6:26)
肉的な人はいつも肉のパンだけに留まっている。肉のパンは影に過ぎない。食べてまた食べても空腹感が生じるようになっている。しかし霊のパンは違う。霊のパンは影でない、実体であるからだ。一度食べれば決して飢えることがない。「イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」(ヨハネによる福音書6:35)

2.        二つのパン
イエス様がガリラヤの海辺にいらっしゃった時、大きい群れがイエス様に寄り集まった。
その時、イエス様がフィリポにお尋ねになられた。「私達がどこでパンを買ってこの人達を食べさせられるか」もし、フィリポがイエス様が真のパンである事を信じたならばこのように答えたはずだ。「イエス様が命のパンです。私達皆を食べさせて下さる方は神様しかいらっしゃいません。」もし、このように答えたらイエス様はフィリポをすごく褒めただろう。 「フィリポよ。貴方の信仰が実に尊い。」しかしフィリポはとんでもない返事をしてしまった。彼の返事は極めて世の中的で、非常に否定的だった。「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう。」(ヨハネによる福音書6:7)
果たしてイエス様が知らなくてこのような質問をなさっただろうか。絶対違う。イエス様の質問の意図は、世の中的な解決策でも、問題の解釈を求めたわけではなく、信仰の声を聞きたかった。問題が目の前に置かれた時、果たしてイエス様はどんな方なのか。これに対する告白が聞きたかった。フィリポが答えられないからイエス様は自らその問題を解決(五つのパンと二匹の魚の奇跡)して、問題の前でのイエス様がどんな方なのかを自ら見せて下さる。
貴方の場合はどうなのか。
貴方の問題に対してイエス様はどんな方なのか。
普段は平気だが、問題が起こったらイエス様が徐々に小さくならないか。或は問題の前でイエス様の事は全く考えさえもしないのか。

真の信仰は良い時ではない、「問題の前でイエス様はどんな方なのか」で現れる。
信仰のある人は問題がある度にイエス様がもっと頭角を現わす。しかし信仰の弱い人は問題のせいでイエス様が見えなくなる。神様の事は構わず、問題だけ大きく見える。
問題によってイエス様が消えるだろうか。イエス様によって問題が消えるだろうか。貴方の信仰次第だ。
ハンマーで刃を鈍くすることも、鋭くすることもできる。
縁を叩くと刃は鋭くなるが、正面を叩くと壊れてしまう。
問題や苦難が同じでも私がどのように捕らえ、どのように接するかによって結果は全く異なる。

信仰のある人はどんな問題の前でも、例え、それが不可能な事のように見えても気をおとさない。何故なら私達には答えがあるから。人生の答えはイエスキリストだ。その方は人生の道であり、真理であり、命だ。イエス様は神様の能力であり、神様の知恵である。(コリントの信徒への手紙一1:24)
イエス様は五つのパンと二匹の魚で5千人を食べさせた。そして残り物だけで12個のかごになった。これは象徴的な話でなく、厳然たる実話だ。それで群衆達はイエス様を王様として立てようとしたのだ。(ヨハネによる福音書6:15)信仰は頭から来ない。頭が良い人は勉強はできるかも知れないが、信仰の良い人になるとは言えない。頭の良い人は自ら不信の沼に落ちやすい。

どうやって子供のお弁当一つで5千人を食べさせるのか。これが可能だったとしても、お弁当一つからの残り物でお弁当12個でもない12個のかごになったというのは科学的にはあまりにもでたらめな話だ。
奇跡は科学では解けない。奇跡は科学の上位段階であるからだ。
科学的に解釈してイエス様を信じようとする人は不信の沼から抜け出せない。
イエス様は科学の支配を受ける方ではなく、科学を支配する方だ。
科学によってイエス様が作られるのではなく、イエス様によって科学(自然法則)が作られる事を知らなければならない。
「万物は言によって成った。成ったもので言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった(ヨハネによる福音書1:3,4)    

イエス様が五つのパンと二匹の魚の奇跡を起こしたのはイエス様自身が真の命のパンであることを知らせる為だった。5千人を食べさせた肉のパンで人類を救う霊のパンを教える為だった。それでイエス様は「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。」(ヨハネによる福音書6:27)と語り、信仰でこの食べ物が得られると仰った。そして自分が即ち、命のパンであることを紹介した。(ヨハネによる福音書6:35)
最後にイエス様は旧約のパンと新約のパンを比べながらお説明なさった。
旧約のパンはマンナだ。マンナはイスラエルの民が荒野で40年間食べたパンだ。彼らが40年間食べた食べ物だった。神様が下さったすばらしいパンだった。しかしこのパンも結局、彼らを永遠に生かすことはできなかった。彼らは皆死んだ。神様は新約時代に死なないで永遠に生きられるパンを下さった。その名は永遠に生きるパン、命のパンだ。このパンが即ち、イエスキリストだ。神様はイエス様という命のパンを十字架の上で信仰の人々に下さった。
「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。」 (ヨハネによる福音書6:51)
五つのパンと二匹の魚の奇跡で5000人に満腹になるほどの食事を与えて、
荒野のマンナでイスラエルの民を40年間満腹にしたが、
十字架のイエス様のパンは全人類を永遠に満腹にする命のパンであり、霊のパンである。
目の前にある奇跡のパンに目を取られるのではなく、十字架の命のパンに目が開かれる霊的な人々になることが信仰のある人になることだ。

3.        真の命のパンに対する反応
奇跡のパンに対する反応はすごかった。皆びっくりしてイエス様を無理やりに王様にしようとした。(ヨハネによる福音書6:15)しかし、霊の食べ物である命のパンに関しては無知であり、無関心だった。それで多くの弟子達は「実にひどい話だ。だれがこんな話を聞いていられようか。」と言いながら(ヨハネによる福音書6:60)、イエス様の傍から離れてしまった。 肉の食べ物の前には雲のような群れで寄り集まるのに、霊の食べ物の前からは皆離れてしまったのだ。これでは、まるで豚が飼料の前には寄り集まるのに、真珠の前から離れるのと同じだ。真珠がどれほど価値のある物か分からないからだ。
霊に属する事は霊的にのみ判断が出来ると言った。それで肉に属する人は霊に属する事を受け入れられないだけではなく、むしろばかばかしく思った。(コリントへの手紙一2:14)
イエス様は肉は無用だと仰った。唯一命をくれるのは霊だと仰った。(ヨハネによる6:63)
人生の一番の祝福は命のパンを貰って過ごすことだ。
そうする為には肉の服を脱いで霊の人にならないといけない。
「シモン・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます」(ヨハネによる福音書6:68)

3 コメント

이용규목사

2009-04-30 23:25:33

한진경 자매님이 은혜롭게
번역해 주었습니다. 감사합니다.

中森千草

2009-05-01 06:25:23

イエス・キリストと出会い、本当の幸せ・喜びを味わうことができました。
心の支え・人生への希望・生きることの喜び、すべてはイエス・キリストによって生まれるものである。
どんな苦難が降りかかってきても、イエス・キリストに希望をもって生きることができるでしょう。
それは、イエス・キリストが命であるから。
自らが歩く伝道用紙となって、多くの人々にイエス・キリストを紹介したい。
たくさんの人々に命であるイエス・キリストを受け入れてもらいたい。
そして、真の幸せを手に入れてもらうために使命を果たします。

古郡武志

2009-05-09 20:57:44

私は幼い頃に見たアニメの一場面を思い起こしていた。
「ドラえもん」というアニメーションである。
「のびた」という主人公が、食べたら「くりまんじゅう」がなくなってしまうことを嘆き、ドラえもんのポケットからお菓子が一定の時間毎に2倍になる薬を出してもらって、その薬を使うのであるが、食べきれず部屋が「くりまんしゅう」で一杯になってしまうというストーリーであった。
 はじめはお菓子が2倍になっていく薬にあこがれもしたものの、くりまんじゅうを食べきれない「のびた」の姿にどことなくむなしさを感じもしたし、またどんなにまんじゅうを満喫したとしても明日の朝にはお腹がすいて朝食を食べざるを得なくなることもどことなく寂しさを感じた。
 どんなにおいしいものを食べても明日になれば腹がすく。
 「ドラえもん」の作者が意図していたかどうかはともかく、「肉のパン」の空しさを教えてくれるストーリーであった。
 ただ一度イエス・キリストが私のために十字架の上で死んで下さったことで、いつも私の心は満たされる。「もう一度」とお願いする必要もないし、思い出しただけで心の奥からじんわりと暖まることができる。明日にはお腹がすいてしまう「肉のパン」とは全く異なる「命のパン」である。
 私は、縁あってこの教会で「命のパン」の恵みに預かることなった。
私はおそらくこの教会に行くように進めてくれた人を通してこの「命のパン」が何より
おいしくて確かなものであることをすでに予感していたのかもしれない。
 しかし、世間の人はそうではない。
 おそらく「命のパン」を手に取ること自体は難しいことではないはずなのだが…
 世の中にまがいものが多いせいか「パン」というもの自体に対し目も向けない状態になっているかもしれない。
 「大丈夫です。世の中のなによりも大きくて確かなパンですから」と私が言えば、命のパンを手にとってもらえるような人間になりたいと思う。
 
私の家のそばで1軒、乗り換え駅で1軒、焼きたてのパンを売る店があり、日々「肉のパン」が私を誘惑している。「肉のパン」を見たときは、必ず「命のパン」イエス様を思い出すようにしたい。

「命のパン」を与えて下さった神様に感謝します。

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