イエス様 (クリスマス)と私
御言葉//ルカによる福音書2: 7-14
'いと高きところには栄光、神にあれ、
地には平和、御心に適う人にあれ。 '(ルカによる福音書2: 14)
この御言葉はイエス様が誕生した時に、多くの天使たちが神様をほめたたえる内容だ。クリスマスの真の姿をよく表現している句節だ。
そうだ。真のクリスマスは先ず、神様に大きな栄光を捧げる日であり、そして神様が喜ぶ人々にはかけがえのない平和の日だ。
神様が私たちを通じて栄光を受ける時に、神様にメリークリスマスになり、私たちが神様からクリスマスの大きい贈り物であるイエス様を受ける時に、私たちにメリークリスマスになる。この二つが満足される時に、メリークリスマスは完成になる。
1. 私にメリークリスマス
あなたはどうしてクリスマスが楽しくて幸せなのか?
贈り物をもらうから?社会の雰囲気が良いから?イルミネーションが美しくて?恋人とデートすることができて?友達と遊ぶことができて?他の人が好きだから?
いいえ。あなたにクリスマスがメリークリスマスである理由は、ただ一つしかない。イエス様のためだ。イエス様があなたを訪ねて来た日だからだ。それがあなたの人生を楽しくして幸せにする。それで天使がクリスマスの初めての知らせを牧者たちに知らせる時にこのように言った。
'天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。'(ルカによる福音書2: 10,11)
私たちに大きな喜びになるという知らせは、イエス様が生まれたことだ。これがメリークリスマスの根源だ。クリスマスに生まれたイエス様は普通の方ではない。彼は神様で、彼は全能者で、彼は私を救うためにいらっしゃった私の救い主で、メシアである。
死ぬしかないあなたを生かすために来たのだが、嬉しくないか?
回復(健康、物質、関係)されないあなたを回復させるために来たが、嬉しくないか?
悲しみと挫折の沼で脱け出すことができないあなたを引き上げるため来たが、嬉しくないはずがない。
キリストはまさにこのような方として、あなたを訪ねて来た。だからどれだけ楽しくて嬉しくて幸せだろうか?あなたが幸せでいられる本当の理由はこのイエス様の故だ。あなたが大きい声でメリークリスマスを叫ぶことができる真の理由もまさにこのイエス様のためだ。私たちの喜びの根源は、ただイエス様だ。今日もあなたはイエス様のため、充分に幸せになれる。あなたの喜びと幸せを奪う世の中の誘惑(環境、都合)に騙されるな。クリスマスのイエス様はあなたを十分に守って、回復させることができる方だ。
本当の満足と、本当の喜びのクリスマス!
クリスマスの本当の味を味わえるクリスマス!
天国の本当に平和が臨むクリスマス!
あなたに真のメリークリスマスの臨む秘訣は?
あなたに臨んだ天国の財宝、イエス様を深く黙想するのだ。
あなたの救い主、あなたのメシア、あなたの神様があなたをあまりにも愛して、あなたを自ら訪ねて来た。その方が今あなたと一緒にいらっしゃる。
'「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。'(マタイによる福音書 1:23)
祈りをするにしても、礼拜をささげるにしても、賛美をするにしても、聖劇をするにしても、パーティーをするにしても、交わりをするにしても、何をしても、いつも喜びの根源になるイエス様を黙想するクリスマスになるよう祝福する。
2. 神様にメリークリスマス
私たちはイエス様のためにメリークリスマスを迎えるが、神様は私たちを通じてメリークリスマスを迎える。
初のクリスマスの時に、イエス様は居場所がなくて馬屋で過ごした。
'初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。'(ルカによる福音書2: 7)
各各自分の故郷に行って戸籍登録をしなさいという皇帝を勅令が告げられると、出産が近づいたマリアもベツレヘムまで行くしかなかった。旅館の部屋はもう先に来た人々で満員だった。それで仕方なく馬屋でも借りるしかなかった。それでイエス様はあの時、馬屋で生まれたのだ。
それでは今日はどうなのか?クリスマス感謝の主日礼拜を差し上げるこの時間、イエス様はあなたの礼拜のどこにいらっしゃるか?まだイエス様はあなたの馬屋に投げ出されているか?それとも、あなたの奥座敷でおもてなししたのか?
あなたがクリスマスの主人公であるイエス様によく仕えると神様にメリークリスマスになる。
夜に夜勤をした羊飼いたちは天使の御声を聞いてからいろいろ尋ねながら、赤んぼうのイエス様を訪ねて 拝んだ。東方の博士たちも星に導かれてイエス様を訪ねて来て拝み、宝物箱を開いて黄金と乳香と没薬を礼物として差し上げた。しかし、旅館の主人は赤んぼうのイエス様が自ら訪ねて来たのに迎えることができなかった。旅館部屋がすべて満室になったと、やっと馬屋だけ貸してあげて、奥座敷で自分たちどうしで楽しんでいたかも知れない。
この主人は本当に絶好の機会を逃した。訪ねて来たイエス様を、そのまま '主イエスよ!はやく来てください!'と受け入れさえすれば良いのに、空き部屋がなかったら、むしろ奥座敷にお通ししることができる最高の機会だったが、それをつけしてしまった。なぜ?無知のためだ。その方がそんなに大事な方であるとは分からなかったからだ。後でこの事実が分かっていかに後悔しただろうか?
'私が狂ったの。入ってきた福を足で蹴ってしまうなんて'
今日も旅館の主人のように後ほど後悔する人生がどれほど多いのか分からない。
世の中人々は言うまでもなくて、教会内にも少なくない。世界中がクリスマスとすべて大騷ぎ(?)だが、町、デパート、ホテル、どこを見回してもイエス様は見つけられない。なぜ?今もイエス様は馬屋にとじこめ
られていらっしゃるからだ。
今あなたのイエス様はどんなイエス様か?馬屋のイエス様?奥座敷のイエス様?
今日の礼拜が '馬屋礼拜'になってはいけない。'奥座敷礼拜'にならなければならない。イエス様をあなたの心の奥座敷でおもてなししなければならない。イエス様を馬屋に置いて、どうして礼拜を捧げることができるか?馬屋礼拜はそれ自体が礼拜になれない。
私たちの宴になってはいけない。イエス様が本当に歓迎され、栄光を受ける宴にならなければならない。イエス様が本当に喜んで満足される宴を捧げなければならない。
地上最高の教会は、イエス様に最高に仕える教会だ。すなわち '奥座敷教会'だ。
イエス様をにあなたの奥座敷で仕えなさい。
'馬屋がなんですか?イエス様を私の奥座敷でおもてなしします。
イエス様、愛しています。本当に。
イエス様の誕生日を心よりお喜び申し上げます。
主を私の心の王座でおもてなしします。'
御言葉//ルカによる福音書2: 7-14
'いと高きところには栄光、神にあれ、
地には平和、御心に適う人にあれ。 '(ルカによる福音書2: 14)
この御言葉はイエス様が誕生した時に、多くの天使たちが神様をほめたたえる内容だ。クリスマスの真の姿をよく表現している句節だ。
そうだ。真のクリスマスは先ず、神様に大きな栄光を捧げる日であり、そして神様が喜ぶ人々にはかけがえのない平和の日だ。
神様が私たちを通じて栄光を受ける時に、神様にメリークリスマスになり、私たちが神様からクリスマスの大きい贈り物であるイエス様を受ける時に、私たちにメリークリスマスになる。この二つが満足される時に、メリークリスマスは完成になる。
1. 私にメリークリスマス
あなたはどうしてクリスマスが楽しくて幸せなのか?
贈り物をもらうから?社会の雰囲気が良いから?イルミネーションが美しくて?恋人とデートすることができて?友達と遊ぶことができて?他の人が好きだから?
いいえ。あなたにクリスマスがメリークリスマスである理由は、ただ一つしかない。イエス様のためだ。イエス様があなたを訪ねて来た日だからだ。それがあなたの人生を楽しくして幸せにする。それで天使がクリスマスの初めての知らせを牧者たちに知らせる時にこのように言った。
'天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。'(ルカによる福音書2: 10,11)
私たちに大きな喜びになるという知らせは、イエス様が生まれたことだ。これがメリークリスマスの根源だ。クリスマスに生まれたイエス様は普通の方ではない。彼は神様で、彼は全能者で、彼は私を救うためにいらっしゃった私の救い主で、メシアである。
死ぬしかないあなたを生かすために来たのだが、嬉しくないか?
回復(健康、物質、関係)されないあなたを回復させるために来たが、嬉しくないか?
悲しみと挫折の沼で脱け出すことができないあなたを引き上げるため来たが、嬉しくないはずがない。
キリストはまさにこのような方として、あなたを訪ねて来た。だからどれだけ楽しくて嬉しくて幸せだろうか?あなたが幸せでいられる本当の理由はこのイエス様の故だ。あなたが大きい声でメリークリスマスを叫ぶことができる真の理由もまさにこのイエス様のためだ。私たちの喜びの根源は、ただイエス様だ。今日もあなたはイエス様のため、充分に幸せになれる。あなたの喜びと幸せを奪う世の中の誘惑(環境、都合)に騙されるな。クリスマスのイエス様はあなたを十分に守って、回復させることができる方だ。
本当の満足と、本当の喜びのクリスマス!
クリスマスの本当の味を味わえるクリスマス!
天国の本当に平和が臨むクリスマス!
あなたに真のメリークリスマスの臨む秘訣は?
あなたに臨んだ天国の財宝、イエス様を深く黙想するのだ。
あなたの救い主、あなたのメシア、あなたの神様があなたをあまりにも愛して、あなたを自ら訪ねて来た。その方が今あなたと一緒にいらっしゃる。
'「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。'(マタイによる福音書 1:23)
祈りをするにしても、礼拜をささげるにしても、賛美をするにしても、聖劇をするにしても、パーティーをするにしても、交わりをするにしても、何をしても、いつも喜びの根源になるイエス様を黙想するクリスマスになるよう祝福する。
2. 神様にメリークリスマス
私たちはイエス様のためにメリークリスマスを迎えるが、神様は私たちを通じてメリークリスマスを迎える。
初のクリスマスの時に、イエス様は居場所がなくて馬屋で過ごした。
'初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。'(ルカによる福音書2: 7)
各各自分の故郷に行って戸籍登録をしなさいという皇帝を勅令が告げられると、出産が近づいたマリアもベツレヘムまで行くしかなかった。旅館の部屋はもう先に来た人々で満員だった。それで仕方なく馬屋でも借りるしかなかった。それでイエス様はあの時、馬屋で生まれたのだ。
それでは今日はどうなのか?クリスマス感謝の主日礼拜を差し上げるこの時間、イエス様はあなたの礼拜のどこにいらっしゃるか?まだイエス様はあなたの馬屋に投げ出されているか?それとも、あなたの奥座敷でおもてなししたのか?
あなたがクリスマスの主人公であるイエス様によく仕えると神様にメリークリスマスになる。
夜に夜勤をした羊飼いたちは天使の御声を聞いてからいろいろ尋ねながら、赤んぼうのイエス様を訪ねて 拝んだ。東方の博士たちも星に導かれてイエス様を訪ねて来て拝み、宝物箱を開いて黄金と乳香と没薬を礼物として差し上げた。しかし、旅館の主人は赤んぼうのイエス様が自ら訪ねて来たのに迎えることができなかった。旅館部屋がすべて満室になったと、やっと馬屋だけ貸してあげて、奥座敷で自分たちどうしで楽しんでいたかも知れない。
この主人は本当に絶好の機会を逃した。訪ねて来たイエス様を、そのまま '主イエスよ!はやく来てください!'と受け入れさえすれば良いのに、空き部屋がなかったら、むしろ奥座敷にお通ししることができる最高の機会だったが、それをつけしてしまった。なぜ?無知のためだ。その方がそんなに大事な方であるとは分からなかったからだ。後でこの事実が分かっていかに後悔しただろうか?
'私が狂ったの。入ってきた福を足で蹴ってしまうなんて'
今日も旅館の主人のように後ほど後悔する人生がどれほど多いのか分からない。
世の中人々は言うまでもなくて、教会内にも少なくない。世界中がクリスマスとすべて大騷ぎ(?)だが、町、デパート、ホテル、どこを見回してもイエス様は見つけられない。なぜ?今もイエス様は馬屋にとじこめ
られていらっしゃるからだ。
今あなたのイエス様はどんなイエス様か?馬屋のイエス様?奥座敷のイエス様?
今日の礼拜が '馬屋礼拜'になってはいけない。'奥座敷礼拜'にならなければならない。イエス様をあなたの心の奥座敷でおもてなししなければならない。イエス様を馬屋に置いて、どうして礼拜を捧げることができるか?馬屋礼拜はそれ自体が礼拜になれない。
私たちの宴になってはいけない。イエス様が本当に歓迎され、栄光を受ける宴にならなければならない。イエス様が本当に喜んで満足される宴を捧げなければならない。
地上最高の教会は、イエス様に最高に仕える教会だ。すなわち '奥座敷教会'だ。
イエス様をにあなたの奥座敷で仕えなさい。
'馬屋がなんですか?イエス様を私の奥座敷でおもてなしします。
イエス様、愛しています。本当に。
イエス様の誕生日を心よりお喜び申し上げます。
主を私の心の王座でおもてなしします。'
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Status | 番号 | タイトル | 投稿者 | 日付 | 閲覧数 |
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하나님이 원하시는 것(2003.10.5)21 |
2003-10-08 | 870 | ||
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복의 그릇을 깨지 말라(2003.9.28)21 |
2003-09-30 | 1023 | ||
19 |
기도에 대한 3대 主言(2003.9.21)23 |
2003-09-23 | 880 | ||
18 |
어떤 유산을 받고 싶은가?(2003.9.7)24 |
2003-09-08 | 915 | ||
17 |
과거의 저주를 끊으라(2003.8.31)26 |
2003-09-01 | 919 | ||
16 |
뽕나무와 말씀(2003.8.24)22 |
2003-08-25 | 876 | ||
15 |
탈선하지 말라(2003.8.17) [설명사진첨가]23 |
2003-08-19 | 904 | ||
14 |
하나님의 나라(2003.8.10)16 |
2003-08-11 | 782 | ||
13 |
진흙과 토기장이 (2003.7.27)26 |
2003-07-28 | 1127 | ||
12 |
온전한 가지(2003.7.20)22 |
2003-07-21 | 843 | ||
11 |
변화의 천재가 되라(2003.7.13)27 |
2003-07-14 | 1019 | ||
10 |
감사하는 자가 되어라 (2003.7.6)32 |
2003-07-07 | 1138 | ||
9 |
마이너스 인생을 살아라(2003.6.29)35 |
2003-06-30 | 1181 | ||
8 |
지혜있는 자같이 살아라(2003.6.22)30 |
2003-06-23 | 1136 | ||
7 |
복을 받으리라(2003.6.15)37 |
2003-06-17 | 1082 | ||
6 |
선물을 받아라(2003.6.8)30 |
2003-06-10 | 1016 | ||
5 |
선택의 귀재가 되라(2003.6.1)21 |
2003-06-03 | 1107 | ||
4 |
예수님의 우선순위16 |
2003-05-28 | 1533 | ||
3 |
존귀한 자의 이름(2003.5.25)18 |
2003-05-27 | 877 | ||
2 |
주님이 주시는 마음22 |
2003-05-23 | 931 |
4 コメント
이용규목사
2008-12-26 20:34:25
은혜 풍성한 번역을 해 주셨습니다.
감사합니다.
田辺高幸
2008-12-27 08:11:38
中森千草
2008-12-27 08:41:27
私はとても幸せを感じることができ、イエス様のために力を尽くすことができるようになり、イエス様のための犠牲も感謝できました。
イエス様からいただいた愛を、私は神様の栄光となるために働いていきます。
古郡武志
2008-12-28 08:39:35
あるクリスマスイブの日に私は残業を余儀なくされていたのだが、残業を余儀なくされていたのは私だけではなく、もう一人いて、その女性は何と私が心中好意を抱いていた先輩の女性社員(但し、別の部署ではあったが)であった。
みんな、デートがあるかパーティがあるか知らないが早々に定時退社して職場の人影もまばらになる中、オフィス街の真っ暗な夜の風景を背に書類と格闘しなければならない自分の状況をうらめしくも思っていた。
そんな中、憧れの女性社員と二人きりで残業という願ったり叶ったりのシチュエーションになったのである。私の心の中では、妖精たちが輪を作って舞踏会でも開いているかのごとくに嬉しさが満ち溢れていた。
私はこのチャンスを逃す手はないとばかりに、無謀と何と言われようと突撃する他ないと思い、帰り際のエレベーターの手前で「良かったら食事でもしませんか?」と誘ってみたのだが、帰ってきた答えが「家でお母さんがチキンを作って待っているの。じゃあ、お先に」
私は脱力して、へたりこんだ。
たしかにクリスマスイブに突然誘う方もどうかと思うが、しかし、突然の誘いとはいえ「将来有望(?)な若手社員の誘いが「お母さんのチキン」に負けたか」と思うと、悔しくもあり、心の中で舞踏会を開いていた妖精たちは早々に撤収してしまったかのようだった。
今でもクリスマスと言えば思い出す切ないワンシーンであるが、このようにわたしの中ではクリスチャンから何と言われようと「女性と一緒に楽しく過ごす」のが理想のクリスマスという時代もあった。
しかし、今は、こんな過去も笑いながら思い起こすことができる。
彼女が居ようが居まいが、チキンがあろうかなかろうが、ケーキがあろうがなかろうが、さらにはケーキの上に載っているホワイトチョコのプレートが残っていようがいまいが(これらのことがあったらいいなという思いが一瞬頭をよぎりながらも)、そんなことは私にとっては「何の関係もない」
イエス・キリストが、他ならぬこの私のために自らの命を犠牲として、私を救って下さった。そんな大切なイエス・キリストがこの地に誕生されたのである。これ以上大きなクリスマス・プレゼントはないし、それ以外に一体何を望むというのか?
クリスマスの早天礼拝に出て、自らの蝋燭に灯された小さい炎を見ながら、馬小屋の飼い葉桶の中で産声をあげたイエス・キリストが私自身に生命の炎をともしてくれたことに感謝の思いで一杯になった。
これからのクリスマスをどのような状況で迎えることになるかはわからない。しかし、どんな状況で迎えようとも、自分に生命の炎をともしてくれたことに感謝をし、喜びをもって過ごすクリスマスでなくてはならない。
遅ればせながら、イエス様、お誕生日おめでとうございます。